襲撃 襲撃 また襲撃 ~肩が抜けても殴り続け、腰が抜けてもおねえちゃんに軽口を放つ日常~ 命がけの戦いに格闘技はそれほど役立たない
鴉野はどうでもいいトラブルにまた巻き込まれていた。
店内で喫煙するなとかいう内容で口論になり、全治二週間。完治までに実に半年を要する大怪我を顔面に受けて病院に搬送されたからである。
あと、多少ながら頭蓋骨を何度もコンクリートに打ち付けて軽い脳震盪になっていたっぽい。実に平常運転の鴉野である。このようなトラブルなどよくあることだ。
「仕事なんて命がけのほうが面白いじゃないか」
知り合いの警察にそう述べた鴉野に対して彼はこう述べた。
「全然思わん」
しっかりしろ公僕。
さて。
よく、スタンガン持ったほうがいいのではとか、空手や剣道ができるのだから特殊警棒を持ったほうがいいとか、催涙スプレーを持てとか言われる鴉野だがちょっと待ったと言わざるを得ない。
まず。空手だが段位を持っている人間が路上でその技を振るうと凶器として扱われる。今の空手は拳を使うし、競技化されて安全になっている。一応、故大山倍達がフルコンタクト空手を始める前は型ばかりの『武術』だった。
しかし本来の空手は指で相手の喉や目玉を突く。あるいは引きちぎるものだ。自己防衛のためとは言え、目玉をえぐったり喉笛を指で引きちぎっていいものか。良いわけがない。
空手は武装を許されていない沖縄の人々が武装した人間を想定して闇の中で練習したものである。鴉野の父が教える型の中にさえもそういった闇夜で戦うユニークでえげつない型が伝承されている。そしてひ弱な現代人、特に鴉野のような貧弱な奴には館長の真似ごとは不可能だ。
城を素手でサルのようにヒョイヒョイ登れる忍者や仙人みたいな連中と一緒にしてはいけない。
武器に関しては奪われたらそのまま敵の武器になるという事実があっておすすめしかねる。スタンガンは強力だが奪われたら脅威になる。そもそも所持していると叱られる。
でも武器持ったほうが強いっしょ?
そういう方はもう一度『もげろ剣』編を読み直してほしい。
Sは武器を持った相手と戦う場合、自分が不利になると武器を補助的に使って敵の武器を落とし、得意の素手戦闘に持ち込んでひざ相撲連打で敵を倒す。武器を持った人間のほうが武器を持たない人間よりは強いが、武器を持ったからと言って人間は強くなるとは限らない。
あと、武器が真の意味で有効な局面は相手を一撃で倒す。殺す局面であり現代ではやってはいけないというか普通に鴉野だって遠慮する。中途半端な痛め技、痛め武器が殺し合いで通じないことは少なからずあるのだ。
格闘技を知っているなら普通の人相手ならボコボコにできるのでは?
そう思われるかたもいらっしゃるだろうが鴉野は小柄なチビで女性より細身である。無駄に筋肉があるので逆に貧相さが増す。江頭さんみたいな体型である。戦いで体重が重要な位置を示すのを何度も鴉野は指摘している。
身体が小さいということは搭載できる筋肉量も違う。防御に使える脂肪の量もないことになる。
同じ脂肪比率でも身長差があれば当然筋肉や脂肪の絶対量も違うし、リーチも違ってくる。
こんな低性能のスペックで一撃で他人の体組織を確実に破壊して行動不能にできるかというと『否』である。
そして現実の喧嘩とかつかみ合いは鴉野が知っている現代の空手と距離が違うのである。空手はつかみ合いとか危険な戦いを行う前に急所をつぶして敵の行動機能を奪う技が多い。代表的なものが正拳突きである。本来の空手はどんなにハイキックでも股間までらしい。
喧嘩はつかみ合ったりもみ合ったりする。
ぶっちゃけ。現実に鴉野がトラブルに巻き込まれた場合、空手を使うより噛みつき、ひっかき。押し倒しのほうがよく使う。あとプロレスで覚えた各種の投げ技などだ。アカ中学の不良どもはろくなことを教えないがある意味役立っている。
組み付きと言えば柔道やレスリングだが、素直に柔道で喧嘩をするより噛みついたほうが威力が大きい。へたくそが拳で殴ると拳を痛める。だからといってどこぞの最強武道みたいに掌でパンパンなぐり合えとは鴉野も言えない。鴉野は別件でお客さんとトラブルになった際、柔道の有段者相手だったがひたすら手に噛みつき、けして離さなかった。
彼曰く『素人に負けるなんて未熟だから』ということで不起訴になった。
噛みつき、ひっかき、体重での押しつぶしは獣の技であり格闘技と言い難い。人間は武器としての爪を失ったが、同族同士の闘争の手段として拳を得た。結果的にその拳は可動域が広く、器用に動く指を得る力となった。
拳は人間の暴力の象徴であるが、同時に英知の象徴でもある。
間違っても噛みつき、ひっかきが格闘技だなんて言いたくない。
手を使って行うから人間の、人間だけの持つ『技』なのだし。
現実の喧嘩だともみ合いつかみ合い。絞め技に投げ。殴りにサッカーボールキックといった実に血みどろの戦いになる。
そして鴉野のように肩が抜けた状態で殴りかかってくるヤク中毒みたいな輩、アバラが折れても闘志を失わない輩、ある種の破滅願望を持っている人間と戦う必要がある。
世界各国の銃器メーカーは『そんなに強くせんでもええやろ?!』な極悪な銃器や弾丸を次々と開発する。
これはなぜかというと人間はたまにわけのわからぬ耐久性を発揮するからだ。『頭を撃てば即死』が普通だが実際は微妙に急所を外して思わぬ反撃を受けて相打ちなどがある。『肩が抜けたらその腕は使えない』が、鴉野のように腰の動きで振り回して武器にする奴は確実にいるし、『アバラや鎖骨が折れたら勝ち』と思ったら痛みを感じていないとか普通にある。
当たり前だが現実の喧嘩に一本勝ちなどない。
こういう連中を止める場合、素手では困難というより『銃器でも困難』な事実を忘れてはいけない。
トラブルになったらにげるべきだ。ただ、鴉野のように店番しているとか逃げられない人間はちょっと違うが。
いや、鴉野だってバイトには逃げろと指導する。売上全部渡して良いという。しかし自分がそうするかというと否であって。まぁその。
ぶっちゃけると死んでもいいかなとか、そのほうが世の役に立つというか、死んだほうが面白いのかなあとかそういう自暴自棄な精神が根底にあることは否めないのだ。そんな人間に素手で痛め技を使うのは危険である。大喜びで殺してくれると思って反撃してくるからだ。こういう連中は自分の人生には本質的に絶望しているし、未来が楽しいものだなんて信じていない。牢にぶち込まれても、殺されても『楽しめる』連中なのだ。
鴉野は希望にあふれた小説を書くが、その実態と言える実生活はこのコラムにある通りだ。間違っても武術を少し覚えたからと言って喧嘩に使ってはいけない。大切な人を逃がすために少し使う分には許せるが。
そして、命を懸けて守りたいと思う大切な人がいるという人はその事実に感謝して生きていてほしい。




