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夏の神様は、名前を置いていく。

作者: アベリャ
掲載日:2026/04/24

どうも、はじめまして。

初めて小説を書きます。

誤字脱字も変な展開も温かい目で見守ってくれると幸いです。

どうぞ。

 ──不思議な夢を見ていた気がする。


 まぶたの裏に、まだ何か残っている感じがして、目を開けきらないまま、天井の方へ視線を向けた。焦点は合っていなかった。


 ずっと、ずっと長い夢。


 楽しかった、と思う。明るくて、妙に安心できて。さっきまで確かにそこにあったはずなのに、掴もうとすると、指の隙間から抜けていく。


 誰かがいた。


 それだけは分かる。けれど、顔も、声も、名前も出てこない。輪郭だけが残っていて、中身だけ抜け落ちているみたいだった。


 喉の奥に、引っかかるような感覚がある。思い出せそうで、思い出せない。無理に引き上げようとすると、逆に遠ざかる。


 布団の中で一度だけ寝返りを打つ。


 シーツがやけに温かい。


 それでも、残っているものはある。消えていない。消えきっていない。むしろ、形を変えて残っている気さえする。


 誰だったんだろう。


 考えたところで分かるはずもないのに、そこで思考が止まらない。止めようとしても、勝手に続いてしまう。


 忘れていいものじゃない気がする。


 根拠はない。ただ、そう思う。


 夢なんて、そのままにしておけばいい。いつもならそうしている。


 けれど、これは――


 このまま何もせずにいると、あとで思い出す気がした。思い出せないまま、何かを失くしたことだけを思い出すような、そんな後悔が残る気がした。


 ゆっくりと息を吐く。


 それでも、結局、何一つ思い出せないままだった。









 八月、午前中の晴天とは打って変わって、太陽がちょうど真上に来る頃には、太陽(それ)は雲の隙間から絶えることなく存在を主張していた。けれど、その光はもう、僕らのいる場所には届いていない。


 まもなくして、一つ、また一つと、頭上から涼雨(りょうう)が落ちてくる。たちまちそれは勢いを増し、通り雨と呼ぶには乱暴すぎる雨へと変わった。


 間一髪で橋の下の河川敷へと逃げ込めたが、この調子ではしばらく止みそうにない。かと言って、ただ待っていても、下手をすれば川が増水しかねなかった。


 とは言うものの、今はどうしようもない。ほんの数分で止むことを祈りながら、地面に腰を下ろす。


 やけに静かだ。嵐の前の静けさ、というやつだろうか。


 雨は留まることを知らず、音だけが少し、厚みを増した。橋の下では、世界が狭くなったように感じられた。


 ポケットから携帯電話を取り出すと、それは無情にも使いようにならない代物だった。圏外、という表示だけが、画面に残っていた。


 時刻は、短針が右に傾き始める頃。手に持っていたプラスチック袋が、じわじわと手に食い込んでくる。仕方なく少し足を動かし、橋の支柱沿いへ寄ると、荷物を地面に置いて、改めて座り込んだ。


 幸運なことに、午後の予定はない。いや、予定があれば、この雨の中でも無理に走り出して、時間を有効に使った気になれたのかもしれない。

そう考えても、僕の足と尻は、砂利でまみれた地面に触れたままだった。



「……あ、アイス買ったんだっけ」



 ふと思い出す。右手側に置いた袋をガサゴソと漁ると、下の方に埋もれたカップのアイスが見つかった。手に取って軽く押してみると、硬すぎず、柔らかすぎない。雨が降る前の日差しが、ちょうどいい仕事をしていた。


 偶然もらった木のスプーンが役に立つ。いつもなら受け取らず、今日みたいな日でも食べずに、溶けたまま家の冷凍庫に放り込んでいただろう。この雨がなければ、きっとそうしていた。


 早速、木のスプーンでアイスを口に運ぶ。舌の上でほどけるそれは、間違いなく、これまでの人生でいちばんうまいアイスだった。


 そのとき、違和感を覚える。

 視界の端に、白いものが映った。

 さっきまでは、なかったはずのものだ。


 一瞬、違和感の方向へ視線が流れたが、すぐに逸らした。


 一瞬だったが、白い違和感の正体は人だった。僕と同じ、雨宿りのつもりだろう。


 食べ進めた。久方ぶりのアイスだったからか、少し溶けていたからか。理由は分からないまま、食べる手は止まらなかった。


 ──手が止まった。代わりに視線が動いた。


 先程まで、手の中にあるアイスに向けられていた視線は、左の少し先にいる白い人にへと向けられた。


 その人も、座っていた。体育座りで、身を小さくするように。視線は川を向いていて、無言を貫いていた。


 数秒、雨音だけが世界に残った。それでも、白いその人は動かなかった。



「雨、すごいですね」



 自然と口が動いていた。その人は僕の言葉を聞くやいなや、こっちを向いて、細やかな微笑みを浮かべた。



「そーだねー、こりゃ続くなぁー」



 間延びした声が橋の下に響いた。視線は上を向いて、見えるはずもない空を見ているみたいだった。


 再び沈黙が訪れる。手に持っているアイスを口に含む。先程までより格段に溶けたアイス。半流体なこれを完全に溶け切る前にと口に放り込む。


 ふと、その人の視線の先を見てみた。案の定、空なども見えるはずがなく、気のせいかも知れないが、黒い影があるような気もする。



「雨の日にアイスなんて、いい趣味してるね」



 今度はあっちから話しかけてくる。相変わらず、視線は上を向いたままで、少し口元に微笑みを含めながら。



「雨じゃなきゃ食べてないですよ」


「⋯⋯夏、好き?」



 唐突な問いに、一瞬だけ言葉に詰まる。アイスの余韻が口に残ったまま、視線を落として考えた。


 答えは、すぐに出た。



「嫌い、です」


「私もだ」


「暑くないですか?」


「分かるよー?」



 その人は目を閉じて、首を縦に振った。大げさに、でも、どこか本気で。


 空になったカップを見下ろす。少し残ったアイスも、完璧な流体になり、指先が、もう冷たくなっていた。


 見下ろしたカップを、袋に戻す。それだけのことで、この時間が終わった気がした。

 

 気づけば、立ち上がっていた。



「どうしたー?」


「溶けました」


「ありゃー」



 立った僕を、その人は一瞬だけ見上げた。



「次は溶ける前に食べるんだぞー、指冷たくなるし」


「気をつけます」



 会話が途切れると、雨音だけが、元の場所に戻ってきた。その人はまた上を見て、何かを確かめるように微笑んだ。



「雨弱まって来たよ」


「そう、ですか」



 外を見ると、雨は弱まって、音も数段落ち着いた。カップを袋に入れて手にする。相変わらず食い込む袋を持って、二歩進んだところで、声をかけられた。



「私ね、カエデ。君は?」



 振り返ると、白い髪のその人、カエデさんが顔を傾けてこちらを見ていた。



「⋯⋯秋です」


「秋くんね、風邪引かないようにね」



 目を閉じて笑うその人に軽く頭を下げて、僕はその場を去った。













 カーテンの隙間から差し込んだ光が、僕のまぶたの裏に届いた。夏休みに入っても、その中身は案外すっからかんで、平凡な日々を数日過ごしていた。


 午前中は、だいたい溶けている。


 蝉の声がうるさいとか、エアコンが効かないとか、そういう理由で時間が進まないわけじゃない。ただ、何も起きないだけだ



 箸を持って、口に運んで、噛んで飲み込む。その繰り返しをしているうちに、皿の中身だけが先に空になった。


 コントローラーを握って、ボタンを押す。指は覚えているのに、頭は何も覚えていない。


 課題のページを一枚めくって、ため息をつき、元に戻す。進んだのは、時間だけだった。


 眠くなる。目を閉じたつもりが、次に開けたときには、もう夕方だった。夢を見た気もするけれど、どんな内容だったかは思い出せない。


 机の上に転がる複数のジュース缶を拾い上げて、それをビン缶の袋にまとめた。


 喉に乾きを感じた。足は自然と、冷蔵庫に向かっていた。


 冷蔵庫を開けた。そこには、何も冷やされていなかった。


 夕方、太陽の出番も休息を迎え、差し込んで来る光も、暖かい色に落ち着いた。


 仕方なくその足を玄関へと向かわせる。途中で、まとめられた小銭をポケットに突っ込み、鍵を持ったか一瞬だけ不安になる。でも戻るのも面倒で、そのまま玄関を出た。




 日が傾いても、空気はまだ熱を含んでいて、歩くだけで体力が削られる。シャツが背中に張りついて、不快感だけがはっきりしていた。


 自分のアパートの唯一誇れるところは、道路に出てすぐのところに、自販機がある事ぐらいだ。


 小銭を探してポケットに手を入れたとき、先に視界に入った。反射的に目を逸らしてから、もう一度、確認する。


 見覚えのある白があった。ピッという電子音の後に、ガタン、という音が聞こえる。



「……あ」



 喉が勝手に動いて、短い音だけが漏れた。呼ぶつもりも、声をかけるつもりもなかったはずなのに。声に出してから、誰に向けたものか分からなくなる。


 その白は、ほんの少しだけ遅れて振り返った。音を聞いてから、というより、気配を確かめるみたいに。


 目が合うまでに、一拍あった。



「……あれ」



 短く、独り言みたいに。



「……カエデ、さん」


 喉を鳴らすようにして名前を呼ぶ。声は思ったよりも小さく、夕方の熱を含んだ空気にすぐ溶けた。


 白いその人は、すぐには反応しなかった。自販機に寄りかかったまま、視線をどこか遠くに置いている。


 数拍遅れて、ようやく気づいたように、ゆっくりと振り返った。動きは鈍いのに、不思議と無駄がない。



「あー……」



 一度、考え込むように間を挟む。視線が一瞬だけ泳いで、それから目が細められた。



「覚えてたんだ」



 自分の名前が呼ばれたことを、今ようやく受け取ったような声だった。



「……はい」



 短く答える。それ以上の言葉を探そうとして、やめた。



「えらいえらい」



 軽く笑いながら言われる。

 褒められているはずなのに、どこか現実感がない。


 胸の奥に、小さな引っかかりだけが残った。



「……偶然です」



 視線を外したまま、そう付け足す。



「偶然、多いねぇ」



 カエデはそう言って、また自販機の方を向いた。機械の低い駆動音が、二人の間を埋める。



 少しだけ、間が空いた。



 このまま何も言わずに終わる気がして、それがなぜか嫌だった。



「……久しぶり、です」



 口にしてから、数日しか経っていないことを思い出す。


「んー……」


 カエデは返事をせず、首を傾けた。夕焼けに近づいた空を、眺めるように見上げる。


「そうだねぇ」


 しばらくしてから、こちらに視線を戻す。



「三日ぶり、くらい?」


「そのくらい、です」



 自分でも、なぜ日数を正確に覚えていたのか分からない。



「意外と空いてないね」



 どこか他人事のような口調だった。


「そうですね」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 けれど、さっきよりも、空気は少しだけ緩んでいた。


「じゃ、またね」


 それだけ言って、踵を返す。本当に、それだけで終わらせるつもりらしかった。行き先を示すものは何もなく、歩き出す速度も、散歩の続きみたいに気楽だ。


 なにかを言い出すつもりもなかった。話しかけることだって、理由だって。


 カエデは振り返らない。一定の速さで歩いていく背中が、少しずつ小さくなっていく。 夕方の光が、その輪郭を曖昧にしていく。



「また、どこかでね」


そう言いたげに、カエデは歩きながら片手をひらりと振った。

以上です。

好評だったり気分が乗ったら続きも書きます。

また会えるといいですね。

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