8th. お釣りは幾ら? -nonuniversal justice-
大分間を開けてしまい、申し訳ありません!
……あまり見ている人もいないみたいだから大丈夫……って話じゃないですよね。
真面と柳瀬は、近所のスーパーに食材の――量にして一週間分の――買い物をするために一緒に歩いていた。
土曜にも買い物はしていたのだが、予想外に量がかさみ、一週間乗り切るにはどうも心許なく、また味気ないことになりそうだというのが(少なくとも真面には)目に見えていたので、こうして再度補う程度に揃えようかという運びになった。
「で、何で私もついて行かなくちゃいけないわけ?」
「そりゃあ、柳瀬の好みが何なのか俺は知らないからな」
皮肉の影に若干の気遣いが伺えるが、こんな言い方で通じるとしたらよっぽど怒りの感情を堪えるのが上手い人だろう。
「だから、野菜全般が苦手だって言ったじゃん。分かってる?」
「食える野菜はゼロじゃなかったし、他にも生臭い系の魚とか色々あっただろ。まだなんかありそうだ」
「あぁ~、やっぱりウザいっ」
「どうもその『ウザい』は他に言い訳が立たないからっていう理由の悔し紛れに聞こえてくるんだが」
「はあ? そんな訳無いでしょ」
「じゃあどんな訳なんだ」
……などなど、あまり意味の無い事を言い合っている様子は、お世辞で『仲がいい』と言われそうな光景だが、知り合いに会わない以上、当然言われる事はなかった。
向かっているのがスーパーであるため、すれ違う歩行者は相応に真面より一回り年上の人が多い。ましてや知り合いなんてのは皆無に等しいし、見知った顔にしても、向こうの方が忘れているのがほとんどだ。
「単純にあーあーこいつうっとおしいなぁ、って思ってるだけ。分かった? 分かってる? 分かりましたか?」
「あー、特に意見は無い、と」
「何か文句あるの?」
「さあな」
「何それ」
「あるかもしれないし、無いかもしれないってことで」
日本人ならではの曖昧な会話表現だった、とはいえ相手を尊重しないのではそれも日本的な意味のないものになるのだが。
「はっきりしてよ」
やはりというか、さっきからずっとなのだが、柳瀬は真面に対してイライラを募らせていた。
「ついさっきぼかして逃げたやつに言われてもなあ」
ウザいと言われた人物のセリフとはとても思えなかった。
「いや、私逃げてないって。ちゃんとここにいるじゃん」
しれっと言ってのけた。
「……まあ、そうだよなあ」
どうも『逃げ』を一つの意味でしかとらえていないようだった。
だけどその事を訂正してやるつもりもない。
何より、そこまで面倒を見られるのは柳瀬も好まないだろう。
「さて、さっさと行ってさっさと帰るとするかねえ……」
――――
その帰り道、だった。
「よう、この間はこっちの身内が世話んなったみたいで」
「……背、伸びたんじゃねえの?」
「くくくっ。期待通りの嫌そうな反応で何より、ってな」
中学時代の、見知った顔。
忌々しい思い出とは言わないが、清々しい思い出もそんなに無い。
「え、そういう見た目の割に、こういう見た目の人と知り合いなの?」
『そういう見た目』とは、真面一を指していて、明らかにぱっとしないものだ(なんて言い草だ)。
そして『こういう見た目』とは、相手の男を指していて、見た目――金髪、耳には黒々と輝くピアス(下手をすればブルートゥースのイヤホンにも見える)、日本刀のような険しさを持った肉体、そして首に縊痕……要するに、縄で首を絞めたような痕の事で、それを模した入れ墨がある、そんな見た目――が祟り、快活そうな表情とは裏腹に殺伐としたイメージを想起させる。
いや、この男に限って言えば、表情は些細なものでしかないのだ。本質はそんな所には無い。
まあ、それはさて置き。
むしろ、それだけの情報を与えられて初めて顔に目が行くぐらいに危険な気配がする男なのだった。
そんな、ガラ以前に雰囲気そのものの方が悪い同年代の男が獲物を見つけたような笑顔――少なくとも真面の先入観ではそう見える――で真面に話しかけてくる。
「おっと、勘違いするなよ、〝停止信号〟。見てくれに違って、俺が平和主義者なのは分かってんだろ?」
『名乗っていない通り名』で呼ばれ、何故かぎくりとする。
勿論、動揺は表さない。
「…………」
「スタンガンナー……?」
「さあ? 言葉遊びの一種じゃないのか?」
適当に言いつつ真面は男に向き直る。
「おいおい……足は洗ったってか? 良い身分だなあ。能力者サマは――っと冗談だって。冗談。大事な事だから二回言ったぞ。ま、笑えないってのが問題だけどな。くくくっ」
「話は終わったか? じゃあな」
「何だよつれねえな。あれか? ツンデレか?」
何でもかんでも自分に好意的に都合の良いように解釈できる、フロイト先生のような思想が出てきた(無論それだけの人物ではないのだろうが)。
「さっさと帰るに限るよな、こういう時」
「……え? 帰るの?」
すたすた歩き去る真面に戸惑いながらついてくる柳瀬。
その後ろから、
「〝炎上包囲網〟」
という単語が耳をかすめて、思わず真面は振り向く。
「――って言えば良いか? お前の相棒……いや、目の上の瘤と言うべきなのか? それとも、付帯状況とかハッピーセットか?」
要するに真面のことを語るときに一緒に出てくるものと、言いたいのだろう。
「知ってはいるけどな、もう無関係だよ」
「はーん、成程ねえ。ところでその誘蛾灯みてえな奴の話なんだけどな」
それ以上ない比喩に感心するが、そんなことをしている場合でもない。
「……それがどうした」
不信感を露わに、真面は声を落とす。
厄介そうな予感しかしない。
「この近辺で発砲事件があったのは知っているな?」
「ああ、で?」
嫌な予感が七割増し。
「そいつが俺らを疑ってる」
「…………」
少し、間を空ける。
「……あー、そういうことかよ」
「その辺に関しちゃあ有名なあんたにゃあ、火の始末でも頼んだ方が良いんじゃないか、と思案してたところに――」
「――そこに運の良いことに都合の良い俺が通りかかったと」
「いや、実際運が良いと思うぜ。俺やお前じゃなくてな」
全くその通りだ。と思う。
人生、ままならない。
「一体誰の運が良いんだろうな……」
「少なくとも俺らじゃないんだろうなあ。で、どうする?」
真面は思案し、手に提げている袋をちょっと浮かして見せて「これを片付けてからまたここに戻ってくる、ってことでいいか?」と言った。
「どんぐらいかかる?」
「別に急いでないんだろ? 晩飯食ってからこの辺でうろうろしてるから、そこで声かけてくれよ」
「まあ、それもそうだな。そいじゃあ7時ぐらいにでも拾うから――ああ、勿論他のやつとは馬が合わねえだろうし、俺一人だけどな――、そこのコンビニで立ち読みでもしててくれ」
「分かった」
それ以上詮索されることもなく、真面と柳瀬は一旦の家路に着くことになった。
――――
その後、アパートの廊下。
「そんじゃ、行ってくるからお前も部屋に戻ってくれ」
「結構時間に余裕があったっぽかったんだけど、何ですぐに行かなかったの?」
「まあ、ちょっとした小細工、ってところだ」
個人情報にうるさい世の中の動きに合わせてみただけだったりする。
「ふーん……結局、何しに行くの?」
「あー、ちょっと、な」
と、言い淀んだのを耳聡く察知された。
「……え? マジでヤバいことやってんの? 冗談で言ったつもりだったのに」
「そんなんじゃないって。ただの子供のケンカだって」
「そう、だったら私も――」
というセリフの先を、制する。
「ついて来るなよ。くだらないけど、長丁場にはなるかもしれないから」
「それがどうして――」
「生憎、人1人背負いながらケンカできないんでね」
「うっ……」
「あー、皮肉を言うってのは俺らしくないなあ。……ん? 俺のキャラとかってどうなってんだろうな?」
「いや、私が知るわけないじゃん」
「俺が知るわけないのに知ってるわけないよな……」
「で? 行かないの?」
「……まさか隣があるのに居座らないよな?」
言外に察しろと電波を発してみる。
「あ、そうか」
「それは素晴らしい記憶力をお持ちで」
さすがの真面でも戻れと二度も言うのは憚られるのだった。
「また皮肉言った」
しかしもう一つの方面で二回目を使ってしまった。
「それは素晴らしい記憶力をお持ちで……」
「出ればいいんでしょ出れば。それじゃあね」
「悪いな。俺の勝手で振り回して」
「……別に」
そんな会話があったとか無かったとか。