2nd. 人間関係 -friends-
それから一週間も経たない頃。
真面一は装い新たに高校の制服を身につけ、二布高校の門を通ってクラス分けの張り出されている中に自分の名前を瞬きをする前に見つけると、最上階に向かって階段を昇り(軽く数十人に抜かれるという、現代人らしからぬとても遅いペース)、目的の教室に辿り着き、きわめて事務的に机の上の出席番号、名前を確認して座った。
「…………」
その時こちらに向けてその手を顔の高さに持ってきて挨拶をしてきた右サイドの存在に気付いてはいたのだが、それについての波紋を表情に及ばせることなく、いつもするようにお役所仕事並の無反応を貫いた。
しかし無視された方はやはり怒る。
「なんか言えよ! 俺がおかしな人に見られてるじゃねえか!」
真面の隣の席で立ち上がったのは、白楽琉二という、幼稚園からの腐れ縁である。真面的には知り合いすぎていて友達や親友と呼ぶ事に多少の遠慮すらある間柄だ。
その琉二は、座っていても分かるのだが立ち上がると平均的な日本男児をして一歩下がらせるぐらいの感覚を持たせるぐらいに大きい。
今となってはすっかり慣れたが、小学生の時などは格差という物を否応無く押しつけられた気持ちになってよく冗談混じりに詰ったものだ。
「最近よく言われるよ」
と真面は言うが、すでに中学生の頃には『真面は人の話を聞かない』は定説になっていた。修学旅行の時など、思い出すのもはばかられる。
「少しは人と会話しようと言う気持ちになろうぜぃ」
「んなこと言われてもなあ……そんなストレス溜まりっぱなしの顔を向けられたら気を遣うし」
実際には琉二にストレスが溜まっているのかどうか、少なくとも真面には判断が付かない。
そのまま窓の外に目を向ける。
未だ校門からは新入生が来ており、『上級生だ!』と書かれた、奇をてらったギャグなのか単に強調しているのか微妙な腕章を着けた、文字通りの上級生の案内に従って校舎に入ってゆく。
天気は曇り。
思えば人生の中で入学式系列のイベントで一回も晴れていたことがないな……と思うのだが、それはこの隣席の男も同じ運命だったなと思い当たり、一人プチ不幸気取りを諦める。
現状、空の色に映える校舎の外観に思いを馳せながら真面は腕をだらけてうつ伏せた――
「寝るんじゃねえぜ」
頭を小突かれてそれに連動して額を机に打った。
額をさすりながらむくりと顔を上げて、にらむ。
「痛ってえな……」
怒っているわけではないがしかし覇気もまるでない。別の意味で虫も殺さない雰囲気を醸し出していた。
「痛いようにしたから当然だぜぃ」
ここで真面はのんびりと違和感に気づいた。
「何かぜぃぜぃうるさいな」
息切れのように聞こえてうっとおしい。
「これがこれから高校生デビューを果たす俺のキャラクターだ……ぜぃ」
「…………」
いまいち定着していないようだ。
と、その背後――教室の後ろの方から、二人はいきなりどつかれた。ように感じた。
「おっはよー!」
突っ張るような大声に、座っていた真面は強風にあおられたように体をかしぎ、立っていた琉二はこけるというサービス。
面倒そうに音源を見れば一人見知った女の子がいた。
名前を斉藤風璃と言い、真面一の数少ない女友達の一人である。
純粋で天真爛漫に光る目は人懐っこく大きく開かれ、短い割にふわふわと散切りの髪が揺れていて爽やかな雰囲気を醸し出している。さながら陽光と、木々の間を抜ける涼風のような感じを抱かせる。
ただ、実態はちょっと変人が混ざっている。
「朝っぱらから何故ハウリングをする……」
「誰が犬語を翻訳してるって?」
「…………」
バウリンガル。
研究者もたまにはズレたことをする。
「てか風璃、普通におはようぐらい言えよ……」
かれこれ中学校の時からふとしたきっかけで話すようになった間柄である。
「普通? 何それおいしいの? ちなみに私はここのクラスじゃないからよろしくさー」
「俺はそんなことを言う奴をお前以外に知らないな」
「じゃなくてクラス違うのにここにいることに疑問を抱け!」
涙ぐましくボケをレシーブし続ける、琉二の努力。
「音信普通なんてつまんないじゃじゃーん?」
確かにつまらなさそうだ。『拝啓真面さんへ、つらつらつら――』……正しくは音信不通である。
「はいはい、じゃじゃじゃーん」
なんにも考えずにほとんどオウム返しに答える真面。
これでこの二人の人間関係が上手く行っているのだから自分でさえ不思議でならない。
「いぇーい」
何やら自己を変に確立させている風璃が『ヘイ、カモン!』とばかりに手を挙げているので真面は抑揚無く台詞を同じくして(ちなみに「塀、家門」と聞こえるぐらいにやる気がなかった)、気のないハイタッチで応じた。
「お前ら……俺にはノータッチか」
琉二がげんなりした表情で二人を見ていた。
「ふぁっふぁっふぁっファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ♪ ふぁっふぁっふぁ……そのリアクションは既に源氏物語より古典よ」
何となく面倒で、お前は誰だ、と突っ込むのはやめておいた。
器用にも発音していたカタカナの部分は全ての音階が合っていたことに対する多少の驚きもあるが。
「琉二、お前古典色ボケ小説より古典なのか……」
その代わりに真面はボケを掘り下げた。
少し技巧派である。
「言い換えんなそこ! 惨めになるだろぜ! 俺が!」
「お前はドMだからIJIMEすらMIJIMEになるんだな」
『だろぜ』という奇怪な語尾には触れずに話を進める。
「誰もそんなこと意図してねえぜ!」
そもそも、ドMとは頭文字にMをつけるとか、そんな壊滅的な意味ではない。
「しかしこれが噂に聞く高校生デビューとは、なかなか変わり映えしないもんだねえ」
開いた窓に吹く風に髪をなびかせる風璃。
様になる、とい表現が当てはまる。
「そりゃあいつもと同じメンバーだしな……」
そして、琉二の方に向き直り、
「しかしこれが噂に聞く高校生デビューとは、なかなか変わり映えしないもんだねえ」
全く同じ言を繰り返す。
さすがに二番煎じは様にならない。
「何故隣で聞いていたはずの俺に同じことを言うんだ!?」
「やー、何せじっちゃんだから」
全てのじいさんに謝るべき発言だ。
「それはお前が勝手に付けた俺のあだ名であって俺は全く老けていないし、ましてや難聴でもないぜ!」
軽快に突っ込みを決めていく琉二。
「ところてん……あ、間違えた、ところでハジメちゃん」
「何だその言い間違い!? それと無視すんな! そしてあだ名の格差をやめろ!」
愉快に突っ込みを決めていく琉二。
「なんだよ、風璃」
その琉二を省みず、風璃に返事をする。
「なんでもなーい♪」
「あーそう、良かったなあ」
真面は定番のうっとおしい台詞を全く意に介さずして答えた。
無神経も得意分野である。
「……お前ら平和だぜぃ」
と、琉二の言うように、ごく平和に今日という日は進んでいた。
だが、次の瞬間、教室の引き戸が4倍速で開け放たれた。そこには――
――真面一のこれからの人生に少なからぬ影響を及ぼす人物がいた。
それを考えれば、もしかしたらこれは嵐の前の静けさと言えたのかもしれない。
はぁ、はぁ、はぁ、という息遣いが窓際二列目の真面にも聞こえる、ぐらいの周りの静寂。
その場の全員が、一人の同級生を見つめる構図だった。
おそらくこのクラスで最大の高校デビューを果たした(ちなみに次点は教壇で再会の感極まってジャンピングハイタッチを決めた女子二人。「「いぇーい!!」」そのままひしっと抱き合う……)少女はまず、小さかった。
平均身長に比して十分に矮躯、目測でだが、小学生と並ぶだろう。
普段は後ろで腰まで伸びているであろう波打ちがかった髪は今、前かがみで上下している顔の左右から下がっている。
反応に困った。
それは真面に限らずその場にいた全員がそう思った。だが、女子の習性とでも言うべきなのか、つんけんしていないと見るや数人で話しかけるようになった。「どうしたの~?」「……遅刻、するかと思った……はぁ、」「まだ大丈夫だったのにー」「そう、みたい……」「よく見るとちっちゃくて可愛い~♪ 名前は~?」「柳瀬、瀬奈……」「ん~? なんかちょっと面白い名前だね」……などなど、一体目の前に何を見ているのか、結果的に肺活量をいじめる結果になっていた。
やがて柳瀬と名乗った女の子は解放されて、席に着いた。
「…………」
そこは窓際で、真面の左隣だった。
特に話すこともないので、目を合わせずに前方を何となくぼんやりと睨む。別に黒板に何か目新しいものがあるわけではない。なにやら歓迎の言葉――むしろ何かの呪文のように見える――がめっためたに書かれているだけだ。前のクラスが遺していったものだろう。
「……マジメ、話しかけろよ」
琉二の小声が悪魔のささやきのように聞こえる。
天使はどこ行った。
ちなみに『マジメ』というのは真面と一をいじったあだ名である。
「何で俺が」
「男女で隣り合わせ。もうこれは話しかけるしかねえぜぃ」
「そーだそーだ。話しかけろー」
悪魔その2……もとい、風璃、その場のテンションをもう少し抑えろ。
「俺には話しかけないしか選択肢が見えない。それに――」
内向的な男子のうち隣の女子に話しかけるやつが一体どれだけいるのだろうか(というか、話しかける時点で外向的だと言える)。
「知らない人には話しかけないように教わったんだ」
正確には、知らない人についていったらいけないだが。
「そうか……だからお前は友達が少ないんだな」
「あー、俺、友達も親友も嫌いだからな」
たまに訳の分からないことを言うのは、真面に限った話ではないだろう。
「お前の嫌いなのはその言葉と存在とどっちだ?」
「大丈夫だ、お前は友達でも親友でもないから」
「俺は嬉しがればいいのか!? それとも逆か!?」
多少の盛り上がりがあればそれなりにウィットの効いた返答をしていたところだっただろうが、しかし真面は無表情でもなく、曖昧に「さあな、はっはっは」と嘘臭い、というより嘘の臭いしかしない笑いで適当にこなした。