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第五章:抹殺される真実と狂王の宴

神崎の頭上、巨大なマホガニーのデスクを挟んだ数センチ先で、空気が張り詰めた。

「……おい。このパソコン、電源が入ったままだぞ」

 軍用ブーツを履いた青年防衛団の幹部が、低くドスを効かせた声で言った。

「馬鹿な。私は確実に出る前にロックをかけたはずだ」

 大星たいせいの工作員が舌打ちをし、マウスを操作するカチカチという音が室内に響く。

「……転送履歴がある。誰かがつい数分前まで、この部屋のデータを抜いていたんだ」

 心臓が、肋骨を叩き割るほどの早鐘を打った。

 神崎は両手で自らの口と鼻を固く塞ぎ、目を血走らせて呼吸を止めた。肺の奥の酸素が急速に燃え尽き、視界がチカチカと明滅し始める。

「遠くへは行けないはずだ。いや……まだこの部屋の中にいるかもしれない」

 幹部の声と共に、チャキッ、と拳銃のスライドを引く冷たい金属音が鳴った。

 コツ、コツ、と軍用ブーツがデスクの周囲を執拗に歩き回る。

「どこだ、ネズミ野郎……見つけたら、四肢を切り落として豚の餌にしてやる」

 ブーツの爪先が、神崎の鼻先数センチの距離で止まった。幹部がゆっくりと膝を折り、デスクの下の暗がりへ顔を覗き込もうとする。神崎の全身から噴き出した脂汗が、床に音を立てて滴り落ちそうになった、まさにその瞬間だった。

 ――ジリリリリリッ!!

 工作員のスーツのポケットで、無機質な電子音が金切り声を上げた。

「……私だ。何? 港の『積荷』が瑞穂の税関に引っかかりそうだと? 貴様ら、あの兵器を何だと思っている! ……チッ、今すぐそっちへ向かう!」

 工作員は電話を切ると、デスクの下を覗き込もうとしていた幹部の肩を乱暴に掴んだ。

「ネズミ探しは後回しだ! 明日の『最終計画』の要である積荷が押収されたら、我々は大星本国から粛清されるぞ! 行くぞ!」

「……クソッ!」

 二人の足音が慌ただしく遠ざかり、重厚な扉がバタンと乱暴に閉められた。

 数分後。完全に気配が消えたことを確認し、神崎はデスクの下から這い出した。

 床に胃液を吐き出しそうになるのを必死に堪え、震える足で立ち上がる。間一髪だった。もし見つかっていれば、間違いなくあの地下室で肉塊に変えられていた。

 だが、安堵よりも深い絶望が神崎を打ちのめしていた。先ほどデスクの下で耳にした、大星と新城が仕掛けようとしている『最終計画』。それは、阿国アトラス軍を確実に撤退させ、瑞穂政府の介入を完全に断ち切るための、何千人もの島民の命を供物にする最悪のシナリオだった。

 防衛団本部を抜け出した神崎は、逃げるように湊覇そうは空港へと向かった。

 搭乗ロビーの隅のベンチに座り、ノートパソコンを開く。記者として、いや、一人の人間として、この凶行を止めなければならない。だが、この事実を『暁星新聞』のデスクに送ったところで、大星資本に飼い慣らされた上層部が記事を握り潰すのは明白だった。

 神崎は二つの原稿を同時に書き始めた。

 一つは、会社が喜ぶ「嘘」の記事だ。『平和を求める島民十万人の輪。青年防衛団のボランティアたちが、無私の精神で抗議デモを支えている』。吐き気を堪えながら、数十分で書き上げ、会社のサーバーへと送信した。

 もう一つは、新城の仮面を剥ぎ取り、大星の侵略を告発する「真実」の記事だ。地下での凄惨な拷問、裏金のデータ、そして新城が自らを王と称した動画ファイルのリンクを全て添付した、魂の告発文。

 その頃、湊覇の市街地ではデモの参加者がさらに膨れ上がっていた。大星の工作員が巧みに群衆を扇動し、地元の『琉海日報』はこれを「正義の行進」として大々的に生中継している。瑞穂(本土)の各テレビ局も、疑うことなくこの映像を垂れ流し、あたかも島全体の民意が「阿国軍の撤退と独立」で統一されているかのように報じていた。

 神崎は東都行きの機内に乗り込むと、離陸後の機内Wi-Fiに接続した。

 彼が開いたのは、阿国に本社を置く世界最大の短文投稿SNS『エコー(Echo)』だった。神崎がログインしたのは、彼自身の本名のアカウントではない。かつて、若き日に熱狂した地下アイドルグループの裏事情やゴシップを異常な情報収集能力で暴き出し、五万人以上のフォロワーを獲得していた「Kハウンド」という名の裏アカウントだ。

 この拡散力なら、誰かの目に留まる。真実が世界に晒されれば、反撃のチャンスは必ずある。

(もう、俺は逃げない。嘘をつくのは終わりだ)

 神崎は覚悟を決め、送信ボタンをターンッ! と強く叩き切った。

 送信完了の文字が表示されたのを見て、神崎の全身から一気に力が抜けた。潜入の極度の緊張と、知りすぎた真実の重圧。泥のような疲労が彼を襲い、神崎は座席に深く沈み込むようにして眠りに落ちた。

 だが、大星たいせいの電脳監視網「天網てんもう」は、神崎の想像を遥かに超える怪物だった。

 神崎が投稿した直後、特定のハッシュタグと新城の動画データに反応した天網のAIが、即座に阿国のエコー本社サーバーへ大規模なサイバー攻撃(DDoSとゼロデイ攻撃)を仕掛けたのだ。

 エコーのアジア圏サーバーは一瞬でダウン。神崎の記事と、拡散されかけた数件の引用は、投稿からわずか十三秒後にはインターネットの海から跡形もなく消去されていた。神崎が命を懸けて放った反撃の矢は、誰の心にも届くことなく、電脳の虚空へ溶けて消えた。

 眠りこける神崎は、その残酷な結末を知る由もなかった。

 ***

 同時刻。湊覇市内の最高級ホテル。

 新城烈は、スマートフォンを握りしめながら、顔面を土気色にして震えていた。

『――ネズミ一匹に中枢まで入り込まれるとは。君の組織のセキュリティは泥遊びの城以下のようだな、知事』

 大星本国の工作部幹部からの、氷のような叱責の電話だった。

『情報はこちらのサイバー部隊がすべて握り潰したから実害はない。だが、大星人民党の偉大なる指導部に対し、君は泥を塗った。もし明日の「最終計画」に一ミリでも狂いが生じれば……君がどうなるか、理解しているね?』

 通信が切れた瞬間、新城はスマートフォンを大理石の壁に全力で叩きつけた。

「……クソがッ!! 大星の豚どもが! 私を誰だと思っている! 私こそが、この琉海の王だぞ!!」

 口から泡を飛ばし、スイートルームの調度品を次々と破壊する新城。彼にとって、他国から顎で使われ、失態を責められることは、何よりも耐え難い屈辱だった。

 深夜。青年防衛団本部の、あの血と嘔吐物にまみれた地下室。

 コンクリートの床に正座させられていたのは、広報部責任者と、警備責任者の幹部二人だった。彼らは恐怖で顔を引き攣らせ、ガタガタと歯の根を鳴らして震えていた。

「……神崎、とかいう暁星新聞の記者だったそうだな。本部に招き入れたのは」

 新城は、オーダーメイドの高級スーツのジャケットを脱ぎながら、静かな、しかしひび割れた声で言った。その手には、先端が赤黒く錆びついた、重厚な鉄のバールが握られている。

「ち、知事! 申し訳ありません! しかし相手は暁星新聞で、まさかスパイだとは――」

 広報責任者の弁解は、最後まで続かなかった。

 新城が振り抜いた鉄のバールが、男の顎を下からカチ上げたのだ。

 メチャッ! という湿った音と共に、男の下顎が完全に砕け、血の混じった歯が床にバラバラと散らばった。

「あ、あぎゃぁぁぁっ!!」

「スパイかどうか、そんなことは聞いていない。お前たちの無能のせいで、私が、この私が! 大星の連中に頭を下げさせられたんだぞ!!」

 新城の目は完全にイカれていた。美しい平和の使者の面影はどこにもない。

 彼は床でのたうち回る広報責任者の腹を軍靴で踏みつけると、その口の中に、神崎が置いていった『暁星新聞・神崎健人』の名刺を無理やりねじ込んだ。

「飲み込め。お前が招き入れた客の名前だ。残さず食え!」

 男が血の泡を吹きながら窒息しそうになっているところへ、新城は容赦なくバールを振り下ろし、その喉笛を完全に叩き潰した。ゴボッ、という不快な音と共に、男の痙攣が止まる。

「ひ、ひぃぃぃっ!! お、お許しを!!」

 隣で見ていた警備責任者が、脱糞しながら這って逃げようとした。

 新城はゆっくりと歩み寄り、逃げる男の右膝の関節に向けて、渾身の力でバールを叩き込んだ。骨が砕ける甲高い音が地下室に響き、男は絶叫してうずくまった。

「逃げるな。私の偉大な計画の、立派な礎になれ」

 新城はバールを両手で振り上げ、男の後頭部へと何度も、何度も、何度も叩きつけた。

 頭蓋骨が陥没し、脳漿と血液がスプラッター映画のように弾け飛び、新城の純白のワイシャツと高級な革靴をドス黒く染め上げていく。肉を叩き潰すグチャ、グチャという音だけが、密室に響き続けた。

 やがて、二人の幹部が完全に「ただの肉の塊」になったのを確認すると、新城は荒い息を吐きながらバールを放り投げた。

 傍らに控えていた側近が、震える手で白いシルクのハンカチを差し出す。

 新城は顔にこびりついた血肉と脳漿を丁寧に拭き取ると、乱れたネクタイを締め直し、ふう、と深く息を吐いた。

 先ほどまでの狂乱が嘘のように、その顔には冷酷で静かな、独裁者の仮面が戻っていた。

「……掃除をしておけ。豚の餌にでもしてしまえ」

 新城は血溜まりを一瞥し、薄く微笑んで呟いた。

「さて。それじゃあ、計画ショーのスタートですね」

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