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第三章:事なかれ主義と胎動

新城の熱狂的な演説から一夜明けた月曜日。

 南波の県都・湊覇そうは市にある阿国アトラス軍の巨大なフェンス前では、朝から数千人規模の抗議デモが巻き起こっていた。言うまでもなく、大星たいせいの工作機関が裏で糸を引き、火を着けたものだ。

 神崎健人は、東都とうとから湊覇へ向かう直行便の窓から、眼下に広がる青い海を見下ろしていた。

 出張命令を下した編集デスクの野島は、出発前にこう念を押した。

『いいか神崎。新城知事の演説に呼応した、島民たちの純粋で平和的な抗議行動だ。阿国軍の撤退を求める彼らの悲痛な声を、しっかりと掬い上げてこい』

 それはつまり、「それ以外の余計な裏事情は一切書くな」という無言の圧力であり、絶対の命令だった。

 神崎は機内のWi-Fiに接続し、タブレットで国会中継の動画を開いた。

 画面の中では、野党第一党・進民党の泉田党首が、眉間に皺を寄せてマイクを握りしめていた。

「――今、南波では数十万の県民が怒りの声を上げています! 一部では瑞穂からの独立を求める声すら上がっている。これは長年、南波に阿国軍基地を押し付けてきた政府の怠慢に対する、民意の爆発です! 霧島総理、ただちに阿国軍の撤退を阿国政府に要求すべきではありませんか!」

 大星の台本通りに、南波の独立運動を正当化し、同盟国である阿国を追い出そうとする見事なプロレスだ。

 対する瑞穂国・内閣総理大臣の霧島史郎は、手元の官僚が書いたペーパーから目を離さず、抑揚のない声で答弁に立った。

「えー、南波県における一部の県民の皆様の、えー、様々な声につきましては、政府としても真摯に受け止めております。阿国軍の駐留につきましても、地域の負担軽減に向けて、あらゆる選択肢を排除せず、同盟国と緊密に連携しながら、慎重に検討を加速させていく所存であります……」

 何も言っていないのと同じ、いつもの中身のない答弁。

 国会中継が終わった後のぶら下がり会見でも、霧島総理は記者団の追及に対し「注視していく」「平和的な対話が重要」と念仏のように繰り返すだけだった。

 神崎はタブレットの画面を暗くし、自嘲気味に鼻で笑った。

(……笑えないな。あのお飾りの総理大臣は、俺と同じだ)

 誰かが書いた台本を読み上げ、波風が立たないようにその場をやり過ごし、決定的な責任から逃げ続けている。一国のトップも、一介の中年記者も、瑞穂という事なかれ主義の檻に囚われた同じムジナなのだ。

 だが、その事なかれ主義が通用しない相手が海の向こうにいることを、霧島は直後の電話会談で思い知らされることになる。

 ***

 総理官邸の執務室。

 霧島はハンカチで額の汗を拭いながら、阿国連邦のロナルド・G・バーク大統領との極秘の電話会談に臨んでいた。

『――ミスター・キリシマ。私はビジネスマンだ。回りくどい言い訳は聞きたくない』

 通訳越しに聞こえてくるバークの声は、同盟国のトップに対するものとは到底思えないほど、冷え切って見下したものだった。

「大統領、南波のデモは一部の過激な……いや、県民の感情が高ぶっているだけでありまして、我が国としては引き続き阿国軍の駐留を――」

『君の国の野党も、メディアも、そして南波の知事も、我が軍に「出ていけ」と叫んでいる。いいだろう。君たちが自国の領土を我々に守ってもらう必要がないと言うのなら、我々はいつでも部隊を、後方の防衛線であるパール諸島とマリアン島に撤退させる準備がある』

 霧島の心臓が跳ね上がった。阿国軍が消えれば、数日以内に大星の艦隊が南波を呑み込む。

「ま、待ってください! それは極東の安全保障バランスを崩すことに――」

『バランスを崩しているのは、血も流さず金も出さない君たち瑞穂だ。もし我が軍に留まってほしいのなら、南波の暴動を君たち自身の警察と軍隊で鎮圧しろ。そして、来年度からの駐留負担金を現在の三倍に引き上げる案にサインすることだ。……我々は、君たちの便利な傭兵ではない』

 一方的に切られた電話のツーツーという電子音が、霧島の震える耳に虚しく響き続けていた。

 ***

 湊覇空港に降り立った神崎を包み込んだのは、南国特有の湿気を帯びた熱風だった。

 レンタカーを借りた神崎は、デモの中心地である基地のゲート前を遠巻きに眺めた後、市内の食堂で名物の「南波そば」をすすっていた。

 取材という名目の、ただの観光だ。

 誰に話を聞くまでもない。明日の一面を飾る『平和を求める島民十万人の輪、阿国軍にノー』という見出しも、記事の構成も、すでに神崎の頭の中で(会社の方針通りに)完成しているからだ。あとは適当な風景の写真を撮って、東都のデスクに送信すれば仕事は終わる。

 だが、店を出て湊覇のメインストリートを気怠く歩いていた神崎の足が、ふと止まった。

(……なんだ、あれは)

 交差点の四隅や、官公庁の入り口、そして主要な広場。

 至る所に、お揃いの青いポロシャツを着た屈強な若者たちが立っていた。腕には『琉海党・青年防衛団』と書かれた腕章。

 彼らは暴力を振るうわけでも、大声を出すわけでもない。ただ等間隔に立ち、鋭い視線で道行く人々を監視しているのだ。

 以前南波を訪れた時も彼らの姿はあったが、人数が桁違いに増えている。何より異様なのは、その統率された動きと、周囲に撒き散らす「無言の威圧感」だった。

「……おい、あれを見ろよ」

「しっ、目を合わせるな。防衛団に目をつけられたら、村八分にされるぞ」

 すれ違った地元の老夫婦が、怯えたように顔を伏せて足早に立ち去っていく。

 平和な抗議デモ? 違う。あれは群衆をコントロールし、反対意見を持つ島民を物理的に沈黙させるための「私兵パラミリタリー」だ。大星の軍事教練を受けた工作員が、彼らの中に混ざって指揮を執っているのは明白だった。

 神崎の胸の奥で、長年麻酔を打って眠らせていた『痛覚』が、ズキリと疼いた。

(……ただのデモじゃない。奴ら、近いうちに必ず何か「決定的なこと」を起こす気だ)

 大星が仕掛けた発火装置の導火線が、すでにチリチリと音を立てて燃え進んでいる。

 神崎は、手に持っていた観光用のパンフレットを近くのゴミ箱に投げ捨てた。

 スーツの内ポケットから、くたびれた革の手帳とICレコーダーを取り出す。東都にいる家族の顔と、嘘の記事を称賛していた息子の笑顔が一瞬脳裏をよぎったが、神崎はそれを頭を振って追い出した。

 青いポロシャツの集団を避け、裏路地へと足を踏み入れる。

 熱狂の渦に巻き込まれていない、本当の恐怖に震えている「声なき島民」の言葉を拾い上げるために。神崎健人は十年ぶりに、一人の「新聞記者」の顔を取り戻していた。

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