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第二十章:目覚めの暁、英雄の誕生

東都とうと湾岸の巨大な埋め立て地。

 朝靄あさもやが立ち込める午前六時すぎ、人けのない広大なコンテナヤードに、数十名の屈強な男たちが整列していた。

 彼らが身に纏っているのは、正規の『瑞穂防衛隊』の軍装である。ただし、その肩には昇る太陽を象徴する『あかつき』のエンブレムが固い決意と共に縫い付けられていた。

 男たちは無言のまま、インカムからの連絡を待っていた。

 そして――地下本部の村上から「神崎ノート」のデータが、大鷹大将の暗号端末へ転送されてから、わずか三十秒後のことだった。

『――時は来た。これよりXデーを発動する。トラ・トラ・トラ』

 大鷹の低く、しかし熱を帯びた号令が無線に響き渡った。

「かかれ!!」

 指揮官の怒号と共に、ヤードに置かれていた数十個の巨大なコンテナの側面が一斉に吹き飛ばされた。

 中から姿を現したのは、ローターブレードを折り畳んだ状態の、最新鋭ステルス攻撃ヘリコプターの編隊だった。偽装コンテナの中で出撃の時を待っていたのだ。

 キュイィィィィンッ! というタービン音が朝の空気を切り裂き、次々とローターが展開される。五機の攻撃ヘリが、朝焼けの空へと舞い上がっていった。

 目標は、東都の主要通信網の物理的破壊。

 一号機がテレビ局の巨大な電波塔の上空でホバリングし、精密誘導のマイクロミサイルを放つ。爆発音は最小限に抑えられ、民間人に一切の被害を出さないよう計算し尽くされた角度で、アンテナの基部だけが鮮やかにへし折られた。

 二号機は、大星たいせい資本に乗っ取られた瑞穂セルラーの基幹アンテナ群を、ピンポイントのバルカン掃射で次々と沈黙させていく。

 その光景は、テロリストによる破壊活動というよりは、腐敗した国家のおりを外科手術で鮮やかに切除するような、圧倒的な統制と「正義の執行」の美しさを伴っていた。

 ***

 ズガァァァンッ!!

 警視庁本庁舎の通信アンテナが吹き飛ばされ、建物全体が激しい揺れに見舞われた。

「うわあっ!? な、なんだ!?」

 取調室で身をすくませた神崎健人は、パニックになりかけた。

 しかし、同室にいた暁のシンパである警官は、窓の外の黒煙を見て不敵に笑った。

「……始まったな。これが『暁』の計画……大鷹閣下による、軍事クーデターだ」

「クーデター……っ!?」

 神崎は複雑な思いに駆られた。

 自分はただ、真実を記事にして世間に訴えたかっただけだ。だが、自分が命懸けで持ち帰った証拠データが、結果的に国家を暴力でひっくり返す「武力行使の引き金」になってしまったのだ。

 だが、事なかれ主義で腐敗しきったこの国を変えるには、もはやこの強硬手段(劇薬)しかなかったことも、神崎は痛いほど理解していた。

 ***

 同じ頃。

 総理官邸の執務室では、霧島きりしま総理が青ざめた顔で窓の外を見つめていた。

「……どういうことだ。大星が攻めてきたのか? それとも阿国軍か!?」

 秘書官たちが慌ただしく走り回る中、霧島は足の震えを必死に抑えていた。

 昔、まだ若手議員だった頃。彼はテレビの討論番組で「首都圏にすべての機能が集中するのは、テロや有事の際に国家の中枢が麻痺する危険がある」と熱弁を振るっていた。あの頃の自分には、国を良くしようという高い志があったはずだ。

(……いつから、こうなった? なぜ、誰も決断しないまま、こんな事態を招いてしまったんだ)

 緊急対策会議のスケジュールを秘書に尋ねようとした時、大星の国家主席、曹景龍そう けいりゅうからの直通ホットラインが鳴った。

『――総理。随分と派手にやられているようだな』

 曹景龍の声は、高みの見物を決め込むような余裕に満ちていた。

『我が大星が、この暴動を武力で鎮圧してやってもいい。その代わり、各地方議会での外国人参政権を完全に認めること、そして琉海りゅうかい人民共和国の独立を正式に承認しろ。……そうすれば、お前の総理の椅子だけは安泰にしてやる』

 究極の屈辱的な要求。これまでの霧島であれば、震え上がりながら「前向きに検討する」と答えていただろう。

 だが、今日のこの男は、死の恐怖を前にしてなぜか開き直っていた。

「……あー、その件につきましては、遺憾ながら現在事実関係を確認中であり、直ちにお答えすることは差し控えさせていただきたく……また、我が国の主権に関する重大な問題であり、慎重な議論が……」

 いつもの国会答弁のような、のらりくらりとした、全く中身のない長広舌を始めたのだ。

『……狂ったか、この案山子が』

 曹景龍は呆れ果て、一方的に通信を切った。

 午前十時。

 総理官邸は、大鷹の率いる暁の陸上部隊によって完全に制圧された。

 執務室に踏み込んできた防衛隊の迷彩服の兵士たちを前に、霧島総理は逃げも隠れもせず、ただ情けなく涙目になりながら立ち尽くしていた。

「……霧島総理」

 兵士を掻き分けて入ってきたのは、大鷹知次郎であった。

「大鷹君……君が、黒幕だったのか」

 突きつけられた銃口に冷や汗を流しながら、霧島はぼんやりと考えた。大鷹とは何度か会食したことがあるが、決して悪い印象の男ではなかった、と。

「直ちに、緊急国会を召集してください。……この国の膿を、すべて出し切ります」

「……分かった。君の好きにしたまえ」

 総理は、あっさりとその要求を飲んだ。

 ***

 国会議事堂内は、異常な熱気に包まれていた。

 武装した防衛隊員たちが議場を取り囲む中、憲政史上初となる「クーデターによる総理大臣の交代」が強行採決された。

 新たな臨時総理に就任した大鷹は、唯一破壊を免れた国民放送局の電波と、紅天こうてんのネット中継網を通じ、全国民に向けて劇的な演説を開始した。

「――国民の皆様。長きにわたる大星による見えない侵略と、事なかれ主義の腐敗は、今日この日をもって終焉を迎えます!」

 大鷹は、スクリーンに『神崎ノート』のデータを大写しにし、大星と新城の裏帳簿、そして南波の暴動が自作自演であった事実を完全に暴露した。さらに、村上が徹底的に調べ上げていた「大星と癒着している議員、官僚、財界トップの人間たちのリスト」を次々と公開していく。

 議場内で名前を呼ばれた大星派の議員たちは、次々と兵士に両脇を抱えられ、悲鳴を上げながら排除されていった。同時刻、各省庁に潜む大星派の官僚たちもまた、一斉に拘束されていた。

「これらの真実を白日の下に晒したのは、一人の勇気ある記者です! 彼は大星の陰謀により殺人犯の濡れ衣を着せられ、社会から抹殺されそうになりながらも、自らの命を投げ打ってこのデータを守り抜きました。私たちの決起の裏付けは、彼が命懸けで掴み取った『正義』によるものです!」

 大鷹はここで、村上の名前も出すつもりだった。だが、村上から「俺はただの復讐鬼だ。表舞台には出さないでくれ」と固辞されたため、神崎の名前だけが大々的に電波に乗ることとなった。

「彼こそが、この腐りきった国を救った、真の英雄なのです!」

 これまで大国の侵略に晒され続けた瑞穂は、この日、ついに大星と阿国から本当の意味での「独立」を果たしたのである。

 ***

 午後。

 警視庁の正面玄関前は、無数のマスコミと、ネット中継を見て押し寄せた数千人の野次馬で埋め尽くされていた。大鷹が演説で称えた「英雄」を一目見ようと集まっていたのだ。

「出たぞ! 神崎だ!!」

 神崎が自動ドアから姿を現した瞬間、一斉にフラッシュが瞬き、怒号のような歓声が巻き起こった。

 神崎は眩しさに目を細めた。その風貌は、何日も風呂に入っていないせいで髪はぐしゃぐしゃ、顎には無精髭が伸び放題という酷い有様だった。だが、そのボロボロの姿が逆に「巨悪と戦い抜いた不屈の男」としてのリアリティを放ち、聴衆の心を激しく打った。

 そこへ、一台の黒い国産高級車が滑り込んできた。

 後部座席から降り立ったのは、臨時総理となったばかりの大鷹知次郎だった。

 彼はクーデターの喧騒の最中であるにも関わらず、軍服からスーツに着替えてわざわざ出向いてきたのだ。安っぽくはないが、決して華美でもない仕立ての良いスーツ。そして、履き古されているが鏡のように磨き上げられた革靴。それは、大鷹という男の誠実さと清廉さを完璧に体現していた。

 大鷹は真っ直ぐに神崎の元へ歩み寄り、その両手をがっしりと握りしめた。

「……ありがとう。君の勇気ある行動こそが、これからの新しい瑞穂を創る大きな礎となった」

 そして、マスコミと聴衆に向かって振り返り、力強く宣言した。

「見なさい! 彼こそが、この国の救国の志士であり、真の英雄である!!」

 ワァァァァァァァァッ!!

 割れんばかりの歓声と拍手が警視庁前を包み込む。大鷹は神崎の肩を一度だけ強く叩き、再び車へと乗り込んで去っていった。

 その直後。

 聴衆の後方から、神崎にとって忘れられない、甲高いロータリーエンジンのエキゾーストノートが響き渡った。

 群衆をかき分けるようにゆっくりと進んできた漆黒のRZ-7の助手席と後部座席から、妻の佳奈と、息子の勇樹が飛び出してきた。

「あなたっ……!」

「お父さん!!」

 二人が、泣きながら神崎の胸に飛び込んでくる。

「……佳奈、勇樹……! 無事だったか……!」

 神崎は、ぐしゃぐしゃの顔のまま、二人を力いっぱい抱きしめた。

 佳奈は、誇りに満ちた「真実と戦う男を愛する女」の目で神崎を見つめ返し、勇樹は父親をまるでスーパーヒーローでも見るかのようなキラキラとした目で見上げていた。

 神崎はふと、顔を上げて周囲を見た。

 無数のカメラのレンズ、そして何千人もの聴衆の目。そのすべてが、ただの中年サラリーマンでしかなかった自分を、称賛と尊敬の念を込めた「英雄」として見つめていた。

 かつて事なかれ主義に埋もれていた一人の男が、すべてを取り戻し、国を救った瞬間だった。

 英雄、神崎健人の誕生である。

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