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第十八章:交錯する凶弾と、希望のポート

東都とうとあかつき本部地下・高度データ解析室。

 徹夜の作業で空気の淀んだ室内に、朝の重苦しい空気が漂っていた。

 村上正毅が部屋に入ると、充血した目をした班長が、絶望的な報告を口にした。

「……駄目です。完全に手詰まりです」

 班長によれば、この『安心サーバー193(イクミ)』は異常なまでに偏執的なセキュリティ構造をしており、物理的にケースをこじ開けようとすると、電源が切れていても内部の自己破壊プロトコルが作動し、ストレージのデータが完全に飛んでしまう仕様になっているという。

「夜を徹して端末認証システムのみをバイパスしようと試みましたが……神崎さんが登録していた『第一端末登録ポート』と、その記録システム自体が物理的にショートして故障している可能性が高いんです。だから、あのスマホを繋いでも認識しない」

「……直せないのか?」

「現在の汎用規格なら、基盤ごと交換して再登録もできますが……こんな十年前の超マイナーな国産サーバーの部品なんて、砂漠の中でコンタクトレンズを探すようなものです。独自ルートから闇サイトの掲示板まで手分けして探しましたが、部品一つ見当たりません」

 班員たちは皆、ディスプレイの前で項垂れ、疲労と絶望感に打ちひしがれていた。

「……分かった。引き続き、何か手立てがないか探ってくれ」

 村上は短くそう言い残し、重い足取りでホテルの自室へと戻っていった。

 ***

 同じ頃、海を隔てた大星たいせいの首都、覇京はきょう

 新城烈は、最高級ホテルのベッドで薄暗いスモッグの空を睨みながら、苦いコーヒーを喉に流し込んでいた。

 昨晩、自らの怒りと屈辱をぶつけるように抱き潰した女たちは、すでに帰されている。今日の昼の便で、一刻も早く自分の王国(琉海)へ帰りたい。それが今の新城の偽らざる本音だった。

 大星の絶対的独裁者、曹景龍そう けいりゅうのあの冷酷な、虫けらでも見るかのような視線。それに反抗できず、忠誠を誓って頭を垂れた己の姿。新城にとって、この覇京での謁見は最悪の屈辱以外の何物でもなかった。

 だが、収穫もあった。琉海と大星の軍事・和平条約締結だけでなく、大星からの莫大な「国家運営資金」の援助と、最新鋭の兵器群の無償提供。さらに、大星の裏口を介して羅州らしゅうからも同様の援助の約束を取り付けたのだ。

(……今の琉海人民軍には、圧倒的に金と武力が足りない。大星に頼りきりになれば、阿国アトラスの犬だった瑞穂みずほと同じだが……今は良しとするしかない)

 新城は、グラスの氷を乱暴に噛み砕き、自らを無理やり納得させた。

 ***

 一方その頃。

 大星の工作部極東局長、李鉄海りてっかいを乗せた漆黒のリムジンが、大星共産党の中枢施設へと向かって滑るように走っていた。

 李の顔は完璧なポーカーフェイスを保っていたが、内心ではこれから起こるであろう事態に極度の緊張を強いられていた。

(……私は、どうなる?)

 任務を途中で切り上げさせられての、突然の帰国命令。粛清の可能性は極めて高い。だが、逃げれば反逆者として確実に消される。

 重厚な本部ビルに到着した李を待ち受けていたのは、巨大なエントランスホールの中央に立つ曹景龍と、その周囲に控える数名の上流階級出身の側近たちだった。

 側近たちは、農村上がりの李が処刑されるものと思い込み、皆一様にニヤニヤと薄気味悪い嘲笑を浮かべていた。

 李がゆっくりと歩み寄り、曹景龍の数メートル手前で立ち止まった、その瞬間だった。

 曹景龍が、無言で右手をわずかに上げた。

 ――ズガガガガガガガガガガガガッ!!!

 けたたましい機関銃の掃射音がホールを揺るがし、凄まじい血飛沫が舞った。

 李は、己の体が蜂の巣になる痛みを覚悟したが……撃たれたのは彼ではなかった。

「……え?」

 李の背後で、先ほどまで彼を嘲笑っていた側近の半数が、原型を留めないほどの「肉の塊」となって大理石の床に崩れ落ちていた。

 生き残った側近たちは、顔に返り血を浴び、恐怖で腰を抜かして震え上がっている。

「……驚くことはない、李」

 曹景龍は、靴底に流れてくる血の海を一瞥もせず、淡々と告げた。

「すべては最初から計算通りだ。今倒れている豚どもは、大星の繁栄よりも己の利権を優先し、私に弓を引こうと企てていた反逆者だ。……お前への粛清という『甘い餌』を撒けば、連中は喜んで尻尾を出すと思っていたよ」

 それは、生き残った上流階級の側近たちに対する、残酷極まりない「見せしめ」でもあった。絶対的権力者の前で、少しでも隙を見せればこうなるという恐怖の刷り込み。

(……これが、この男のやり方か)

 李は、国家主席の底知れぬ恐ろしさに改めて戦慄した。

「よく戻った、李。瑞穂を内側から崩壊させたお前の功績は、何者にも代えがたい」

 曹景龍は何事もなかったかのように李の肩を叩き、静かに宣言した。

「今日この瞬間をもって、お前を『国家安全部 筆頭部長 兼 党中央政治局委員』に任命する。……私の右腕として、次の蓬莱ほうらい攻略に向けて存分に腕を振るえ」

「……はっ。身命を賭して、ご期待にお応えいたします」

 李は、背筋を伝う冷たい汗を感じながら、また一歩、国家の頂点(高み)へと登り詰めたのであった。

 ***

 夕方。琉海人民共和国に戻った新城は、即座に大々的な記者会見を開いた。

 フラッシュの瞬く中、新城は「大星および羅州との歴史的な条約締結」と、両国からの圧倒的な資金・軍備提供が決定したことを誇らしげに発表した。

「これより我が国は、真の独立国家として歩み始める! 大星という強大な同盟国と共に、我々を長年苦しめた憎き瑞穂の政府を、必ずや我々の前に跪かせてやるのだ!」

 瑞穂攻略の堂々たる宣言。

 だが、その声の響きには、暴動の夜に群衆を熱狂させたような「底知れぬカリスマ性」はもはや感じられなかった。

 大国の巨大な武力と資金を背景にしなければ立っていられない、空虚な張り子の王。新城の演説は、言葉が威勢よく踊れば踊るほど、皮肉にも「大星に完全に飼い慣らされた操り人形」としての姿を、間接的に世界中へ露呈していく結果となっていた。

 ***

 時間は少し遡り、昼頃の青津。

 凍てつく海風が吹き荒れる専用ヘリポートに、『警視庁』のペイントが施された一機の黒いヘリコプターが着陸した。

 分厚いコートを着せられた神崎健人は、数名の青津県警の捜査員に両脇を固められ、ローターの爆音の中を歩いていた。

 ついに、権藤本部長の時間稼ぎもタイムリミットを迎えたのだ。身柄の引き渡し書類にハンコが押され、神崎は東都の警視庁――大星の工作員が潜む死地へと連行される。

(……俺の人生も、ここまでか)

 神崎は、無抵抗のままヘリの後部座席へと押し込まれながら、静かに目を閉じた。

 死の予感が、走馬灯のように過去の記憶を呼び覚ましていく。

 ――まだ新米の記者だった頃、取材先の雨宿りで偶然出会った妻、佳奈の笑顔。

 金も時間もない生活の中で、彼女はいつも自分を信じ、温かい味噌汁を作って待っていてくれた。

 ――息子の勇樹が産まれた日のこと。

 分娩室で小さな命を抱き上げた時、そのあまりの軽さと温かさに、神崎は声を上げて泣いた。「この子と、この子の生きる未来を、俺のペンで守るんだ」と、確かに誓ったはずだったのに。

 いつしか事なかれ主義に染まり、会社の犬になり下がり、家族との時間すら犠牲にしてきた。

(……すまない、佳奈。勇樹。俺は結局、何一つ守れなかった……)

 ヘリがふわりと浮き上がり、青津の雪景色が眼下へと遠ざかっていく。

 神崎の頬を、一筋の涙が伝い落ちた。

「……おい」

 ふいに、向かいの席に座っていた警視庁の制服を着た男が、低い声で神崎を呼んだ。

 神崎が顔を上げると、男は無機質な目でこちらを見据え、懐から黒光りするオートマチック拳銃を抜き出し、神崎の眉間へと真っ直ぐに向けた。

(……東都に着く前に、ここで始末する気か)

 神崎は、不思議と恐怖を感じなかった。自分の終わりを、ただ静かに受け入れた。

「……やれよ」

 神崎が目を閉じた瞬間。

 パァァァンッ!!!

 鼓膜を劈くような銃声が機内に響き渡り、神崎の意識は真っ暗な闇の中へと沈んでいった。

 ***

 東都の空が夕闇に包まれる頃。

 スイートルームで苛立ちを募らせていた村上の脳裏に、不意に先ほどの解析班長の言葉がフラッシュバックした。

『神崎さんが登録していた”第一端末登録ポート”が、物理的に故障している可能性が高い』

(……待てよ。第一ポートが故障しているなら……)

 村上は弾かれたように立ち上がり、高度データ解析室へと猛ダッシュした。

 防爆扉を乱暴に開け放ち、呆然としている班員たちに向かって叫ぶ。

「データをこじ開ける方法が分かったぞ!」

「えっ!? 村上さん、どういうことですか!?」

「神崎の野郎、あのポンコツの仕様を説明するときに言っていたんだ。当時付き合っていた”妻のスマートフォン”とも連動させていた、とな! 第一ポートが物理的にイカれてるなら、生きている別のポートから、『妻のスマホ』を鍵にしてアクセスすればいい!」

「なっ……! その手があったか! しかし、その奥さんの端末は今どこに……?」

「俺が取ってくる!」

 村上は、分厚い毛布に包まれた193サーバーを小脇に抱え上げると、そのまま地下駐車場へと駆け出した。

 漆黒のRZ-7に飛び乗り、エンジンのスタートボタンを叩き込む。

 キュルルルッ、ヴォォォォォォンッ!!

 ロータリーエンジンが野生の咆哮を上げ、タイヤが激しいスキール音を立ててコンクリートの床を蹴る。村上は、神崎の家族が身を隠している都内のセーフハウスへと向けて、夜の東都の街を弾丸のように駆け抜けていった。

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