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第十一章:独立宣言と崩落する国家

南波なんぱ県での血塗られた惨劇から一夜明けた、火曜日の朝。

 南波の空には、まだ硝煙と血の匂いが色濃く立ち込めていたが、県都・湊覇そうはの中心広場は、昨日以上の異常な熱気と興奮に包まれていた。

 広場を埋め尽くす数十万の群衆。その顔には、身内や同胞を殺された悲しみよりも、巨大な敵に対する「怒り」と、自分たちが歴史の変革者になるという「陶酔」が深く刻み込まれていた。

 特設ステージの壇上。

 南波県知事・新城烈しんじょう れつは、喪服を思わせる漆黒のスーツに身を包み、悲痛な面持ちでマイクの前に立っていた。

 昨夜、地下室で二人の部下を惨殺した男と同一人物だとは、誰も想像すらできないだろう。彼は完璧な「悲劇の指導者」の仮面を被り、ゆっくりと重い口を開いた。

「……同胞たる、南波の民よ」

 新城の声が、巨大なスピーカーを通して広場に響き渡る。

「昨夜、我々は最も恐れていた現実を直視させられた。我々が守ろうとした平和な抗議の声は、阿国アトラス軍の無慈悲な銃弾と、瑞穂防衛隊の裏切りによって、冷酷に踏みにじられたのだ!」

 群衆から、怒号と悲鳴が入り混じった声が上がる。

 新城は両手を広げ、天を仰ぐような大仰な身振りで続けた。

「見よ、この血塗られた大地を! 我々はいつまで、あの傲慢なる異国の軍隊と、我々を見捨てた瑞穂の惰弱なる政府の奴隷であり続けなければならないのか! 彼らは我々の命など、ただの防波堤としか見ていないのだ!」

 新城の右手が、空間を切り裂くように激しく宙を舞う。

「悲しみを怒りに変えよ! 立てよ、南波の民! 我々はもはや、誰の庇護も受けない! 信用に足らぬこの地から、阿国軍も瑞穂も完全に消え去らねば、この島に真の平和は永遠に訪れないのだ!」

 計算し尽くされた間の取り方と、抑揚。それはかつての大戦で国民を熱狂させた、あの独裁者の演説の完璧な模倣だった。

「今こそ、我々は自らの手で運命を切り拓く! 阿国軍の即時撤退と、大いなる『南波独立』を、ここに宣言する! 琉海の誇りを、我らの手に!!」

 新城が右の拳を力強く振り下ろした瞬間。

「「琉海の誇りを、我らの手に!!」」

 数十万の群衆が、地鳴りのような大合唱で応えた。それはもはや、一つの巨大な怪物と化した「民意」の暴走だった。

 ***

 新城の演説と時を同じくして、南波のメディア『琉海日報』の緊急特別番組では、さらに決定的な「ダメ押し」が行われていた。

 画面に映し出されたのは、昨夜の惨劇で独断で部隊を動かした、瑞穂防衛隊・南波基地の司令官だった。

『……昨夜の防衛隊の一部による発砲は、阿国政府の強烈な圧力に屈した、一部の阿国派(親アトラス派)幹部による暴走でした。彼らは阿国の工作員と通じ、平和的な島民を意図的に攻撃したのです。ここに、その動かぬ証拠(通信記録)を提出いたします』

 もちろん、提出された証拠はすべて大星たいせいのサイバー部隊が捏造した偽物だ。

 司令官はカメラに向かって力強く宣言した。

『我々、誇り高き南波防衛隊の主力部隊は、もはや腐敗した瑞穂政府の命令には従いません。本日をもって瑞穂との決裂を宣言し、新城知事の進める独立運動を全面的に支持、我々が南波の平和を守る盾となります!』

 これに呼応するように、南波県警察本部長も緊急会見を開き、「瑞穂警察庁からの離脱と、新城知事への帰属」を宣言した。

 軍事力と、警察権力。

 新城は演説からわずか数時間で、国家を成立させるための二つの巨大な暴力装置を、完全に自らの「私兵」として手中に収めたのである。

 ***

 東都とうと・総理官邸。

 執務室の空気は、完全に死に絶えていた。

 瑞穂国・内閣総理大臣の霧島史郎は、ネクタイを乱し、充血した目でホットラインの受話器を握りしめていた。何度かけても繋がらなかった阿国大統領ロナルド・G・バークに、ようやく回線が繋がったのだ。

「だ、大統領! 昨夜の南波での発砲は、何かの間違いだ! 我が防衛隊の暴走も――」

『……黙れ、ミスター・キリシマ。君の言い訳を聞くために電話に出たわけではない』

 バーク大統領の声は、北極の氷のように冷たく、一切の感情が削ぎ落とされていた。

『我が軍の基地が暴徒に襲撃され、君の国の軍隊(防衛隊)までもが我々に銃口を向ける。そして南波は独立を宣言した。……これ以上、我が国が君たちのような「恩知らずの臆病者」の盾になる理由はない』

 霧島の背筋に、冷たい汗が流れ落ちた。

「ま、待ってくれ! 撤退などと言わないでくれ! それだけは――」

『決定事項だ。在瑞穂阿国軍は、瑞穂国内のすべての基地から完全撤退する』

 バークは、霧島の悲鳴を冷酷に遮った。

『期限は一ヶ月。暴動の中心である南波の基地については、明日から施設の破壊と撤去を開始し、三日間で全兵力を後方へ撤退させる。また、今回の暴動で我が軍が被った物的・人的被害に対する損害賠償として、莫大な請求書を後日送付する。……この二点について、本日この後、全世界に向けて公式に発信する』

 ツーツー、という電子音が、霧島の耳元で虚しく響いた。

 終わった。瑞穂の安全保障の要であった阿国軍が、完全にこの国を見捨てたのだ。

(……どうする。どうごまかせばいい!?)

 一国の宰相である霧島の脳裏を占めていたのは、国家の存亡に対する危機感ではなく、「この致命的な失態を、どうやって野党やマスコミに追及されないようにごまかすか」という、あまりにも浅ましく、みすぼらしい自己保身だけだった。

 その日の午後の国会中継でも、緊急記者会見でも、霧島は「遺憾である」「注視していく」「平和的な解決を模索する」という、中身のない念仏をおしゃべり人形のように繰り返すだけだった。

 ***

 大星たいせい資本に完全に掌握された瑞穂のメディアは、この未曾有の危機を、不気味なほど「冷静に」、そして「一方向へ」と誘導し始めた。

 暁星新聞をはじめとする各社は、南波の独立宣言と阿国軍の撤退を『新しい平和への第一歩』として大々的に報じた。

『血塗られた歴史に終止符を。南波の自己決定権を尊重せよ』

『阿国軍の撤退は、瑞穂が真の独立国家となるための試練である』

 巧妙な情報操作と、事なかれ主義に染まり切った国民性。

 瑞穂国内の空気は、わずか一日にして「南波の独立はやむを得ない」「阿国軍が撤退するなら、対話で近隣諸国(大星)と仲良くするしかない」という、大星の描いたシナリオ通りの『降伏の雰囲気』で完全に満たされてしまった。

 国内はまるで、南波の切り捨てと阿国軍の撤退が「瑞穂の総意」であるかのような、異様な空気に包まれていた。

 ***

 その夜。南波県・知事執務室。

 豪華なマホガニーのデスクに座る新城烈は、最高級の赤ワインが入ったグラスを揺らしながら、狂ったように高笑いしていた。

「……フフッ。アハハハハハッ!!」

 昼間、広場で数十万の群衆を魅了した、あの高潔で悲劇的なカリスマの面影は微塵もない。

 彼の顔には、他者の血を啜って肥え太った、醜悪な独裁者の欲望だけがねっとりとへばりついていた。

「見たか、瑞穂の腑抜け共を。私が少し煽ってやっただけで、自ら阿国軍を追い出し、尻尾を振ってこの島を差し出しおったわ」

 新城はワインを飲み干し、窓の外に広がる湊覇の夜景――自分の「王国」を見下ろした。

 軍隊も、警察も、熱狂する民衆も、すべてを手に入れた。あとは三日後、阿国軍が完全に消え去った海に、大星の「平和維持艦隊」を迎え入れるだけだ。

「これで、私がこの地の王だ……!」

 狂気に満ちた新城の笑い声が、誰にも邪魔されることなく、南波の生温かい夜の闇に溶けていった。

 独立の「お膳立て」は、完全に整った。あとは、大星という真の怪物が、その巨大なあぎとを開いてこの島を呑み込むのを待つばかりだった。

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