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番外編7 悩み多き乙女は年頃

※本編より未来的話。「第三者視点」リク。




 昂る気分のままガラッと勢いよく開けた教室のドアを倍の強さで閉める。


大股で自分の席に戻って行く私の様子を見て、まだ残っていたクラスメイトはそれぞれ声をかけて来ながらも蜘蛛の子を散らしたように去って行った。


あーイライラする。


「ご苦労さんだねえ。で、今日は何コース?」


 前の席に座っていた瑞希は逆向きに椅子に腰掛けて振り返りにやにやとした。


「紹介して」


「ああ、Aコースね」


 うんうんと一人納得している瑞希の前で、机に出しっ放しにしていたミネラルウォーターを一気飲みする。


何がAコースだ、人の厄介事を勝手にコース分けするな。


しかし胸のムカつきが未だ衰えず言葉が出て来ない。


思い出しても毎度毎度腹立たしい。


「しかし一年の時から一年半弱で通算五十二回?平均月何回ペースよ?」


 知るか、知りたくもなけりゃ数える意義もない。


瑞希はひいふうみいと指折り数えながら私を見上げて来る。


「だからさあ、本当の事言っちゃえばいいのに」


「言ったっつーの!それをあの頭ん中藁屑のアホンダラ共はハハハマサカーだ。何がマッカーサーだ」


「言ってないしな。うーん、見事な恋は盲目ぶり」


 盲目じゃない、あいつらの頭も目も腐ってやがる……遅過ぎたんだ。


「でもあんたがそうやって端から蹴散らすから、あんた目当ての方の数が減ってるじゃないの」


「願ったり叶ったりだ」


「ワーオ、モテる女は言う事が違うね。しかし私も今日は見に行きたかったわ、あの三上先輩が君のお姉さんを紹介してくれ!とか言うとこ」


「見たら腹抱えて爆笑コースだろうに」


「そりゃ当然しょ」


 今日呼び出しを食らった三上(先輩などと呼んでやるか呼び捨てで充分)は校内でも有名な「スケコマシ」って奴だ。


それでも後を追う者は途切れず絶えず、まだまだ世の中馬鹿な女が多いと実感させられる。


そんな男が唯一自ら追っかけて来たのが自分の身内だって言うんだから笑い話にもならない。


いや、あの人に言ったら大体あっちも爆笑か鼻で笑うコースだろうけど。


毎回毎回毎回お姉さんを紹介して欲しいと先輩、同級生、後輩、果ては教師に用務員までに言われるこっちの身にもなれ。


「ああいう身内持つと大変だねえ。あんたも美人の部類だけど、ちょっと雰囲気が近寄り難いしねえ。あ、そこは兄さんの方にそっくりだよね」


「嬉しくはないな。大体教師が生徒の身内紹介してくれとか正気の沙汰か。それに精々18の男が40過ぎの女相手に紹介してくれとか正気の沙汰か!」


「だってどう見ても40……幾つだっけ?には見えないもん。アンチエイジングも真っ青って感じ。どういう美容法してんの?」


 まさしく、どういう美容法なんだと近所の奥様方からも未だ絶賛話題沸騰中だ。


むしろあれは細胞そのものが違うってのに例え同じ生活をしてもああなれる訳がない。


「朝は平均四時起きで合計10kgの弁当作り、更にその倍の洗濯物して、それから車で15分かかるスーパーまでの道のりをランニングで10分、合計24kgの買い物袋持って帰りもラクラク12分、それから」


「ああああああもういいもういい、超ヤイサ人なのはわかった」


 私も一度休みの日に手伝おうとした事がある、そして午前中メニューの時点で挫折した。


実際あの人は超ヤイサ人17くらいだと思うわ、真似出来ると思う方が愚かだった。


でも同時に嫌な顔一つしないで家事をこなす姿を見ていると、身内ながら素直に凄いと尊敬もする。


半家業の仕事や手伝いもやりながら殆どの家事全部やって、愚痴一つ言わず楽しそうに私達兄妹にお帰りって言ってくれる。


私も兄貴もそれが一般的にはあんまり当たり前にある姿じゃないってわかってから、時々家事を手伝うようにはなった。


「ホンットイラつく。大体自分があの人を相手に出来ると思ってる事がまずムカつく」


「大好きなオネーサンの相手が務まるのは一人だけですもんねえ」


 それには答えず、腕時計を見てはっとした。


「ヤバイ、時間過ぎてる!今日約束してんだっ」


「行ってらっしゃーい。オネーサンとのデート楽しんで来てねん」


「ウルサイ!じゃ、また明日っ」


 ひらひらと手を振る瑞希を後に、鞄を引っ掴んでダッシュで校舎を突き抜ける。


予定より二本遅れたバスに乗り込み、早く着けと思いながら頭の中では三上への罵りに溢れた。


漸くバスから降りて目的地まで再びダッシュしたが、目の前には一番見てはいけない光景があって思わず額に手を当てる。


いや、んな事やってる場合じゃない。


私が駆け寄ると、如何にもチャラ男が愛想を振り撒いてこっちに視線を投げた。


「あ、友達来たね。ねえ君、今この子誘ってたとこなんだ。これから一緒に遊びに行か――」


 ないか、とチャラ男が言う前に息を飲んだ、勿論私も息を飲んだ、物理的に飲まざるを得なかった。


目にも留まらぬ速さでぎゅっと首を掴まれりゃ誰でも息は止まるわな。


「40分の遅刻ですよ?」


「す、んま、せ」


「オイ連絡も寄越さねえケータイも通じねえでこっちがどれだけ心配したかわかってんだろうな?」


「イエ、サ」


 ぱっと放されげほげほと咳き込む、大した力じゃないのに効果は抜群だ、脈の在り処を心得過ぎてる。


しかし何よりも怖いのは真顔で放たれるこの眼光の鋭さ。


小さい時一度兄と酷い悪戯をやらかしてこの人の本気を目の当たりにした時は声も出せないままちびった。


以来この人を怒らせてはいけない条約が兄との間で固く結ばれている。


「すみませんすみませんごめんなさいもういわけありませんにどとしませんゆるしてくださいごめんなさい!」


「Okay.じゃあそういう事で暇潰しは終わったからお前も行け」


「ハイデス!」


 猛禽類もかくやという視線に晒され、チャラ男は緑色の顔で脱兎の如く逃げ出して行く。


それを見送ると三十面相どころか明らかに別人だろと叫びたくなる笑顔を向けられた。


大体皆この人のこの顔にころっと行く。


まあ女の私から見ても断然レベルは高い、しかもニコリとギロリの差が激し過ぎて仏かと思うほどだ。


こういう複数の顔持ってる日本の神とかいたんじゃなかったか。


「もー待ちくたびれて喉乾いたし。どっか入ってまず飲もう」


 花柄のシフォンワンピをひらひらさせて歩くこの姿を40代だと思えという方がまあ無理があるか。


だからと言って紹介してやるつもりも勿論毛頭ないけど。


兄貴とも歳が離れてるけど、あっちはむしろ老けて見られるくらいだから、我が一族の遺伝子の不思議さよ。


私は歳相応だと思いたい……やっぱ老けてんのかな。


 その辺のカフェに入ってカフェオレ飲む姿に店内の男の視線が集まる集まる。


まー流石に慣れたけどねこれ、当人なんか他は目に入ってもないし。


「で、何で遅れたん?そうか、彼氏と逢瀬か、青い春だねえ、甘酸っぱいねえ」


「捏造禁止だから。彼氏とかいないし」


「ええー、その歳でいないとかどうなってんだよ」


 あんたの頭がどうなってんだよ。


別に17で彼氏いないとか普通……普通だって、普通!


「ネーサンみたくモテないし」


 寄って来るのがいない訳じゃないけど、目の前の人レベルかと言われれば断じて否と答える。


なりたいとも全然ちっとも全くこれっぽっちも思わないけどな。


大体私は性格が恋愛には向いてないんだって。


ネーサンみたいにアクティブじゃないし、正直これまでも特別好きだった人とかいない。


 ……いや、気になる人とかは、いた。


でもネーサンを見ると皆尽く「あの人お前のお姉さん?」攻撃が始まって、なった気も冷める。


そりゃあさ、こんだけ可愛い顔でにこにこ愛想よくされたら男ならときめくだろうけどさ、多分大半の男が近寄り難い思い人じゃなくて実際彼女にしたいって思うタイプだし。


誰に似たとは言いたくないけど、私はお世辞にもこの人の愛想の欠片もない。


「なんでー、諦めたらそこで試合終了だろ。それにあんた美人だよ、私が保証する」


 ネーサンに保証されてもねえ。


私は自分のアイスコーヒーをストローで掻き混ぜつつ、ちょっとだけ後ろめたい思いを味わった。


実は今、また気になる人がいない訳じゃない。


でももしあの人もネーサンを見てそっちに興味を持ったらと思うと、それ以上に踏み込めないでいる。


 ぶっちゃけナントカコンプレックスだと言われても否定出来ないくらい、私はネーサンが好きだ。


小さい頃から私にとって母親で姉で先生で親友で、とにかく唯一無二の頼れる人だった。


口に出さずとも悩みがあると察してくれて、一緒に悩んだり泣いたり怒ったり笑ったりしてくれる。


時々子供っぽいなと思う時もあるけど、そういうところを含めて全部大好きなんだ。


だから、今ちょっと後ろめたい気持ちになる。


ネーサンが悪い訳じゃないのに、勝手に悪者にして隠している気分になるんだ。


「まあ、言いたくなったらいつでも言いな。これでもあんたよりは酸いも甘いも知ってんだからね」


 で、お見通しだし……。


ホント昔からこの人相手に隠し事を通せた例がないんだよなあ。


テストで悪い点とって隠そうもんなら、家に帰った瞬間テストの点を発表された事がある。


兄貴もその洗礼を受けてから隠さなくなったらしいけど。


一時期ネーサンは探偵じゃないかって疑ってたっけな。


今思うに洞察力と動体視力が超人並みな所為だと思う、現場遭遇率も家政婦は見てたなんてもんじゃない。


これも一族の血らしいけど、私はその辺さっぱりだ。


「うん」


 頷いた私の頭を撫でる手が心地よくて目を閉じる。


そういう自分がちょっと恥しくて、でもとても好きだ。









 翌日、いつものように図書館まで来てうっかり溜息。


週の半分は図書館に通い始めてもう一年にもなるっていうのに、ネーサンと二人で出かけた次の日は決まってこうだ。


勝手に後ろめたく思っているのはわかってる。


私が勝手にあの人を気にして、そして勝手にあの人もネーサンと会ってしまえば私なんか見向きもしなくなるんじゃないかって思って、そんでもってそんな風に想像している事があの人にもネーサンにも実に後ろめたい。


「何ウロウロしてんだ?動物園の猿でさえもっときびきびしてんぞ?」


「……ニーサンか」


「何そのあからさまながっかり顔!」


 わざとらしく泣き真似をする親戚を前にうんざりとまた溜息だ。


「ニーサンに言われたらお終いだよなあ。よし、ちょっと中付き合って」


「さりげなく失礼な事言い出したよこの子」


 涙目のニーサンの腕を引いて図書館の中まで引き摺って行く。


元々小さい頃から本は好きだった、二年前移転新築したこの図書館は私の第二の故郷と言ってもいいくらい居心地がいい。


それが一年前からちょっと違い始めた。


検索に出て来ない本が入っているかどうか尋ねたあの人は、丁度その日初出勤だったらしく、ぎくしゃくとしながらもあれこれと調べて私の欲しい本を探してくれたっけ。


地味だけど感じのいい人だなと思った、年上なのにちょっと可愛いなとも。


そしてその翌週に私を見つけたあの人が笑顔で本が寄贈された事を教えてくれた、その笑顔を見てから気になり始めている。


違うな、そんなのは自分の臆病な言い訳だ。


私はあの人の事が好きなんだ。


ネーサンにも、他の人にも、取られたくないと思ってしまうほどには。


「うわあ、図書館とか入ったの中学で読書感想文の宿題出された時以来」


「活字に縁のない頭してるのはわかってる」


「ちょっとそれどういう意味よ!」


 静かにしろとニーサンの口を塞いで、私はいつもの定位置に腰を下ろした。


受付で忙しくしているあの人がこっそりと見える位置。


思わず苦笑してしまう、こんな私を見たら友人達はさぞ仰天するに違いない。


近くの適当な本を手に取って目で追っていても、意識の方はずっとあの人に向いている。


「あー、もしかしてお前あいつの事好きなの?」


 そんな言葉にぎょっとして顔を上げると、ニーサンはうんうんと深く頷くというムカつく動作をしていた。


「ニーサンがモテない理由が心底わかったわ」


「俺のよさなんて小娘にわかる訳ないの」


「誰もわからんと思うけど」


 またわざとらしく胸を押さえて机に突っ伏すニーサンから目を移すと、受付にいたあの人が大量の本を抱えて奥へ行く後姿が見える。


あの人の手が空いている時に顔を合わせれば少し話す間柄だ、ただそれ以上でもそれ以下でもない。


私が知っているのはあの人の名前と、お互い本の趣味が合うという事くらい。


例の本に興味が出たと言って、私が本を返したその日に彼も本を借りていったらしい。


次に顔を合わせた時、その本の感想で盛り上がった。


楽しそうに名場面を語る姿はやっぱり可愛くて、そして主人公の悲劇に顔を歪めるあの人はとても純粋なんだろうと思った。


気がつけば私はあの人を目で追っていて、ここへ通うのは本が理由じゃなくなった。


「やっぱ、帰ろうかな」


 暫く待っていてもあの人が奥から出て来る気配もない。


適当に積んだ本を借りてニーサンに押し付けると、そのまま力なく図書館を出る。


「意外だな。もっと押せ押せかと思ったけど」


「うっさい」


「まあそういうとこもないと男が近寄れないだろうけどな。お前兄貴に似ておっかなそうだし」


 そりゃ実際私の兄貴とは似ているが、兄貴はあれでいて性格は私とは正反対でネーサンそっくりだ。


あの顔でガンガン攻めまくり落とした彼女とは結婚も秒読み段階。


家族の中で一体私の性格は誰に似たんだって気がしている。


「私って実は貰われっ子なんじゃ」


「はは、ないない。気付いてないだけで、お前ネーサンそっくりだもんよ」


「それこそんな訳あるか」


 今度はニーサンに引き摺られて入った喫茶店でずるずるとアイスコーヒーを啜りながら言う。


「割と自分の事には疎いんだよ、自分の気になる事以外は眼中にないって言うか。さっきからお前に集まる視線が痛いし?」


「ネーサンと比べたらへのかっぱ」


「ああまあ、あの人はちょっとアレだけども。でも比べて落ち込む事なんかないんじゃん?」


「慰めてるつもりな訳?」


「俺は事実を述べたまでよ。お前の気持ちが確かなら、ネーサンと比べるとか意味ないだろ。あの人がお前と比べられるの楽しんでてわざと男の目引くみたいに振舞ってるなら話はべ――」


 最後まで言わせず、ネーサン直伝息止め法実行。


降参とばかりに両手を上げたニーサンから手を放すと、げほげほと咳き込みながら微笑まれる。


なんだこいつ、ドMか。


「お前今超失礼な事考えたな、俺そっちの趣味ねえから。じゃなくて、結局お前はネーサンが大好きで仕方ないんだろって事」


 甘ったるそうなフルーツミックスジュースを啜って、ニーサンは笑う。


「多分あの人を言い訳にして恋愛に踏み込めないとか思ってんだろうけどさ、今日見てたらなんか逆なんじゃん?いや、逆っつーかなんつーか」


「どういう意味?」


「だからさあ、お前の中でどうしたってネーサンが切り離せない訳だよ。普通自分の恋愛に身内とか超関係ないだろ。言い訳にしてるとしたらそこだ。お前は自分の好きな奴にもネーサンを好きになって欲しいんだ、自分とは勿論違う意味でな」


 そうだろうかと反論しかけて口を噤む。


思い出した、過去にいい感じになった人の中にネーサンに興味を持たなかった人がいなかった訳じゃない。


でも、そう、それがわかった瞬間、私のほうの気持ちが冷めた。


多分ニーサンの言う通りなんだ、私は自分勝手にそんな理屈を押し通そうとしてる。


「最悪じゃん……」


「そうでもないんでね?反対されるよか、好きな奴が自分の身内と仲良くなって欲しいとかは当たり前なんじゃねえの?」


「ニーサン、割といい奴だね」


「だろ?」


「モテない訳がわかるわ」


「なんでそうなるんだよ!」


 となると、私は好きになってもらう以前から、身内との交流とかまで考えちゃってた訳だ、恥しい……。


あの人が私をどう思うか、ネーサンや家族の事をどう思うか、それ以前に私はあの人の事が好きなのに。


そうだ、私はあの人が凄く好きなんだ。


楽しそうに本の話をするところ、熱くなってる自分に気付いてちょっと照れ臭そうにするところ、穏やかな話し声、笑うとちょっと垂れる目元、いつも背筋のいい姿勢、困ってる人を見ると一目散に話しかけに行くところ……全部好きだ。


「女子高生とか、相手にされるかな」


「ははは、大丈夫大丈夫。粘ってりゃその内折れるって。大体お前、永遠に女子高生のつもりかよ」


 けらけらと笑うニーサンに、私もつられて笑った。


そりゃそうだ、私が年下にはこの先も変わりがないけど、いつまでも女子高生って訳じゃない。


あれこれ言い訳して待ってたってそれこそ何も変わらない、あの人が好きになってくれるのを待ってるだけとか全然私らしくないじゃない。


変わるのを待ってるだけじゃいつまで経ってもこのままだ、今私が変わらなきゃ駄目なんだ。


「よし、ちょっと明日辺り告ってくる!」


「早ぇな!だがその意気だ!うん、やっぱお前はネーサンそっくりだ」


 いいんだか悪いんだか、そんな言葉をあり難くも頂戴して二人でうだうだ遊んで回った帰り、家の玄関に見慣れない靴があった首を捻る。


父さんのでも兄貴のでもない、使い込んでありそうなのに綺麗に磨かれたそれは持ち主の性格が表れていそうだ。


かといって来客は珍しくもないから、軽く挨拶をして明日の計画を練る為にさっさと部屋に引っ込もうと、リビングに顔を出した瞬間、息が止まった。


「おかえり、遅かったねえ。結構待ってたんだ――よう!?」


 後ろから現れたネーサンの首根っこをむんずと掴んでそのままダッシュでキッチンまで引き摺って行く。


「どどどどどどどどういう事!?ななな、なん、なんであの人が、ここに!?」


 パニックに陥っている私の背中をネーサンがどうどうと擦る。


全然全くさっぱりちっとも意味がわからん!なんで私の家のリビングにあの人がいてお茶とか飲んだりしちゃったりしてる訳だよ!?


「し、知り合いだったの?」


 まさか、と嫌な予感が頭を擡げる。


でもない訳じゃない、ネーサンだってあの図書館は常連だし、気さくなあの人と知り合いになっている可能性がない訳じゃないのに。


なんで、こんなに動揺してるんだ私は。


ああ嫌だ、さっき否定したばっかりの自分勝手な気持ちがむくむくと湧いてくる。


「まあ、知り合いといえば知り合いだな。前に探し物してたらやたら親切に本を探してくれてねえ、それ以来行くと話をするよ」


「そうなんだ……」


 なんでがっかりしてるんだろ、そういうのは私だけだと思ってたんだろうか。


なんだかんだと言っておきながら、あの人にとって自分は特別だとか考えてたなんて……馬鹿過ぎ。


「そ、だね。あの人親切だもんね」


「そうそう、そんでその親切な子が街路樹の間に埋め込まれてるみたいにして落ち込んでるじゃない、で、人としては話を聞いてあげるじゃない」


 え、と思わず声に出した。


街路樹の間に埋め込まれてるってなんだ……いやそれより落ち込んでるってなんだ。


何かあったんだろうか、もしかして今日は受付にあんまり顔を見せなかった間に何かがあった?


でも見る限り仕事は順調そうに見えた、職員の人達にも最近は随分頼られているように見えたし……女性職員にまでな。


どうしたのかと聞くよりも早く、ネーサンはにこにこしながら言う。


「したらば、好きな人にどうも彼氏がいたようなんですって言うじゃない」


 げ、と口にするのを辛うじて堪えた。


えええええええぇ……なんだその間接カミングアウト、こっちが今猛烈に街路樹に埋まりたいわ!


ああでもそりゃ、いるよなあ、好きな人くらい。


いやむしろなんで私は今まであの人に彼女がいるとかまで考えなかったんだろ、ネーサン以前の問題だろうにマジで。


私って相当の馬鹿かも。


「で、なんか今にも死にそうにしてるから、とりあえずもっと詳しく話を聞くべく連れて来た」


「あ、そう……」


 さっきちらっと見た限りでは確かに顔色が悪かったな。


なんだ、死にたくなるくらい好きな人がいたのか……死なれると困るんだけどな、私は。


「片思いしてもう一年近くになるけど、未だに名前くらいしかわからないし、デート一つに誘えた事もないし、自分は随分年上だし、地味な自分と違って彼女は若くてとても綺麗だし、図書館でこっそり見つめるだけの日々でいい歳したオヤジが見っとも無いですよねあはは、みたいな」


「なんだそれ!わ、私だって似たようなもんだし!それにその相手の人、あの人の事全然知らないだけじゃん。知ってたら絶対好きになってたよ!」


 どこの誰だか知らんが、絶対勿体無い事した。


私だったらどこの誰よりあの人がいい、……でもあの人はその彼氏持ちの馬の骨が好きなんだ。


「私もそう説得したんだけどねえ。27と17じゃ今時珍しくもない歳の差だって」


 じゃあ相手は私と同じ女子高生かよ!


同じ女子高生で、同じ図書館で出会って、その人と私の違いってなんだよ。


私は彼氏持ちでもないし、歳の差なんてあの人が気にしなきゃどうでもいいし、むしろガンガン見つめられたいし!


「私だって女子高生だしっ、そんなの全然関係ない!」


「だろう?」


「そんな彼氏持ちとかより、私の方が全然好きだし!私だって一年も片思いしてんだもん、そんな彼氏持ちの奴なんかに負けないし!」


「そうだろうそうだろう。な?だからさっきからそう言ってるじゃない」


 はい?とネーサンの視線を追って振り返れば、ぽかんとしているあの人がいた。


え。


「元々本の虫とは言え、週の半分以上も図書館通ってこっそり見つめ続けて、会話出来た日にゃ家に帰って来ても始終ご機嫌で恐ろしいくらいなんだから、今更この子が歳の差とか気にするようなタマかね」


「ぎゃあああああああああああ!!」


 ネーサンの口を塞ぎながらのパニックだ。


本当になんなんだこの人!バレてるにも程があるわ!マジで裏家業探偵とか言い出すんじゃないだろうな!?


「あの……」


「す、好きです!ずっと!」


 呆然としたまま彼が口を開くよりも早く、私の口から突いて出た。


訳がわからないけど、これだけは確かだ。


どれだけその彼氏持ちの女が好きか知らないが、私だってずっと好きだった。


無意識に付き合うの前提で家族と仲良くして欲しいとか妄想しちゃうくらいには、でもって仲が良過ぎてネーサンの方を好きになったらどうしようと勝手に落ち込むくらいには。


私の方が誰より、ずっとずっと好きだ。


「落ち込まないで下さい。そりゃ貴方が好きな人みたいにはなれないかもしれないけど、貴方の事が好きな人だっているんです。わ、私の方がずっと好きですから!」


 自分でも支離滅裂だと思う叫び声に、彼の顔が見る見ると赤くなっていく。


「あ、え?」


「だから言ってるでしょ。君の大好きな10も年下の女子高生のお嬢さんは彼氏持ちじゃないかもしれないし、同じように君の事を見つめ続けて、君の事が大好きかもしれないって」


 呆然としている私達を他所に、にこにことネーサンはそう言った。









 なんだかよくわからないが、私はめでたくあの人とお付き合いをする事になった。


「だってもうバレバレだし。あんたの浮かれっぷりから図書館にいい人がいるのはわかってたし、向こうも向こうで私の名前に反応したりじっと顔見て来たりすんの。私とあんたが身内かどうか見てたんだろうね」


 お茶を啜りながら笑ってそう言うネーサンの仙人ぶりときたら……。


 あの後私とあの人は二人で近くの喫茶店に行って長いこと話した。


多分お互いに一目惚れに近くて、でもってお互いに踏み込む勇気がなかった、と。


一緒に本の話をするのが楽しくて、自分の話をまた楽しそうに聞いてくれるのを見るのが好きだと彼は言ってくれた。


彼氏持ちだと勘違いしたのは、図書館にニーサンを連れてったからだったらしい。


でもお蔭で色々と彼が話をしてくれるきっかけになったから、それはそれでよしとする。


今まで知らなかった事も話してお互い色んな事も初めて知ったけど、相変わらずあの人が楽しそうに話をするのが好きで、それで可愛いと思う事に変わりはない。


「余計なお世話だとは思ったんだけど、まあ何かしらきっかけがあってもいいんじゃないかと思ってね」


「うん、私もそう思う」


 あのまま告白をしに行っても、正直自分の気持ちを素直に全部言えたかどうかはわからない。


きっとネーサン相手だと思ったから、言えてた部分もあると思う。


「後は自分次第だ、折角掴んだチャンスだから、気合い入れていきな」


「おうよ!」


「やあ、今日は間に合わないから、明日は赤飯にするね」


「やめれ」


 私は立ち上がって目の前のソファに座るネーサンに抱き付いた。


昔はよくこうして抱っこしてもらった、今みたいにぎゅっと抱き締め返されると嫌な事も吹き飛んで元気になれる。


そして今も変わらず、この腕に抱かれると酷く安心してしまうんだ。


「よかったね」


「ありがと。……ママ、大好き」


「私も大好き」


 昔みたいに言うのはちょっと気恥ずかしい、今では顔が変わらないのをからかってネーサンと呼ぶのが普通だし。


でもやっぱり私はマザコンて呼ばれるほどママが好き。


うん、まあ、父さんには負けるだろうけど。


「ただいま。悠……どうした?」


「おかえり勝利!」


 私の腕からするりと抜けた母さんが父さんの胸に飛び込んで行く。


……うん、まあ、それもわかってんだけど。


「一人でいる時に男を家に呼んだのは父さんには内緒にしておくからね」


「OH……ギブアンドテイクで」


 二階に上がって行く父さんを見送り、こそりと耳打ちして笑う。


娘の彼氏だろうがなんだろうが、父さんには全然無関係だしね。


 満面の笑みで父さんの後を追って行く母さんを見送って、ちょっとだけ苦笑する。


昔も今もうざったいほどラブラブな両親に憧れた例はなかった。


二人共初恋で、大学生の時にはすでに同棲して、そのまま結婚、万年新婚、なんて事が一般的にはとても少ない事だとわかっていたから。


今も憧れはない。


私はあの人と、私達なりに、仲良くやっていこうと思う。


でもその為に両親が惜しみない努力をしている事も、忘れちゃいけない。


好きだって、好かれているって、そういう気持ちに甘えてちゃいけないって事は教わった。


「二人共、随分機嫌がいいな」


 私と兄貴が瓜二つだと言われる顔を少しだけきょとんとさせて言う父さんに、私と母さんは笑った。


父さんにあの人を紹介する日も遠くないと思う。


きっと二人は仲良くなってくれるとも思う。


「君はお母さんの事がとても好きなんだね」


 そう言って、自分の事みたいに嬉しそうに笑ってくれたあの人なら、きっと。









「父さんはなんで母さんと結婚決めたの?」


「また唐突だな」


 そりゃだって、唐突に聞きたくなったんだから仕方ない。


母さんから大体の馴れ初めとか経緯とかは聞いたけど、そういえば父さんの口からそういうの聞いた事がない。


まああんまり口数が多い人じゃないから自分からなんて絶対話しそうにないし私も聞いた事がなかっただけだけど。


「大学の時にはすでに彼女ん家で同棲でしょ?正直男はそういうの引くもんじゃないの?」


「まあ、引きはしなかったな。すっかりお膳立てして来た親父さんは流石にちょっとどうかと思いはしたが」


 ああ、そういえば同棲どうぞってなもんで、父さんに持ちかけたのって天地のジジイ本人なんだっけか。


どこの世界に高校卒業したての一人娘と自分の家で同棲認める親がいるってんだ…………いたのか、しかも身内とか。


しかしそこでどうもっつって同棲しちゃう父さんも父さんだろ。


「え、まさか同棲時点で結婚決めてたとか時代錯誤な事言わないよね?」


「時代錯誤で悪かったな」


「マジか!うーわあ、父さんも相当だな。わかってはいたけど」


 母さんに聞かされた時も随分度肝抜かされたもんだけど、更なる衝撃波があるとは。


我が両親ながら恐ろしいなホント。


正直母さんにだって聞かされるまでは母さんの方から同棲に持ち込んだのかと思ってたくらいだ。


ジジイは昔からあの調子で放蕩だって言うし、笹原本家は揃ってジジイの信者だから反対される事もなかったんじゃないかなって。


「だって普通に考えたら有り得なくない?学生で一人の女の人生抱えるとか重くない?」


「抱えてるつもりはないけどな、今も」


「だって母さんて、まあ色々やってはいるけど、働いて収入得てる訳じゃないじゃない」


 世間的には養うと言うんだ。


けれど父さんは首を振る。


「俺がそうして欲しかったから、あいつはそれに合わせてくれただけだ。それに結婚はお互いの人生を背負い込む事じゃないと思ってる」


「平等って事?」


「平たく言うとそうかもな」


 そういうもんなんですかね、周り見てると私の方が俺の方がって言ってるご家庭は少なくないようだけど。


「結婚と言うか、まあそれに近い事を決めたのはあいつと付き合い出した時だろうな」


 思わず絶句した。


そんな私を見ながらも、父さんは実に淡々と言う。


「俺がそういう性格だからかもしれないが、その時点で俺の隣にいる女はあいつ以外有り得ないと思ったからだ」


 確かに聞いた、二人は凄く小さな時にお互い一目惚れはしたけど離れ離れになって、でも父さんの方はずっと母さんの事が好きだったって、……母さんがやたら自慢げに話してた。


え、でも、付き合ったのって16くらいなんじゃなかったっけ?その時点で人生最初で最後の女決めるか?演歌か!?


「え、や、でも、他の人と付き合ってみようかなあとか、思わなかった訳?」


「思わなかったな。むしろ生涯独身だろうと思っていた」


 おいい!なんか色々と16で悟り過ぎだろ!一体どんな人生送ってたんだよこの人!私の父さんだけどさ!


いやでも長年片思い拗らせて漸く想い人と再会とかなったら、そうなっても不思議じゃないのかなあ、うーん。


「あいつを逃したら俺の結婚もなかった、俺としては自然な流れだ」


 ちっとも自然じゃなく聞こえるのはなんででしょうね……。


はあ、なんかこう、心温まる童話だと思って開いたらドシリアスのリアリティ物だった気分だ。


いやまあ、母さんに言わせたらハートフルラブロマンスに変換されそうだけど、そう言えなくもないんだろうけど。


なんつーか、これって、……父さんの方が相当重症じゃないか?


「多分、お前もわかる時がいつか来る」


 ……そうでしょうかね?


ぐったりとソファに寝そべると、私の頭を撫でた父さんが立ち上がって振り向いた。


「誰か連れて来るつもりなら来月始めの日曜にしなさい。それまでは俺もゆっくり出来ないから」


「え。わっ、母さんが話したの!?」


 違うと首を振って、母さん以外には滅多に見せない顔で笑う。


「お前はあいつにそっくりだから、すぐわかる」


「と、年上、なの。十歳」


「そうか」


「あの、や、でも、結婚とかまでは考えてないと思うしっ」


 自分でも何言ってんだかって言葉をつらつら繋げると、父さんは笑ったまま頷いた。


「お前が選んだ相手に反対とかするつもりはないから安心しなさい。いっそお前がもう少し俺に似たなら心配はするところだけどな」


「あの、ホントに、呼んでいい?」


「ああ、彼の都合も聞いておきなさい」


 そうしてリビングを出て行く父さんの背中を見送って、なんだかほうっと息が出る。


よくわかんない、全然よくわかんないけど、なんかすっごい幸せ。


付き合い始めたばかりだし、結婚なんてまだまだ遠い話だけど、父さんみたいに自然にわかる時が来るのかな。


今より歳を取ったあの人の隣に並ぶ自分をちょっと想像して、クッションを抱えごろごろと転がった。


 実際彼を家に呼んだのは言われた通り次の月の日曜日。


緊張しまくるあの人の隣で、こっちまで緊張が移りそうだなと思った。


なんだかこれって結婚の挨拶に来てるみたいだと、気恥ずかしく思ってたのも束の間。


突然父さんに向かって彼が「今後もお嬢さんとの真剣な交際をさせて頂きたいと思っています、どうか末永くよろしくお願いします」と噛みながら頭を下げたのに私は度肝を抜かされ、母さんはおおっと仰け反ってはしゃぎ、父さんはこちらこそと淡々と頭を下げた。


もしかして、もしかしたら、私がわかる日も、やっぱり遠くないのかもしれない。





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