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番外編5 八年目

※本編後。勝利、悠視点。




 どうしたものかと頭を抱えて早一年。


どう考えても考え過ぎなのはわかっている、わかっているが疑問は浮かんで解決策は見つけられないままの堂々巡り。


昼休みの間は特にこうだ。


仕事をしている間より、家にいるより、ふと思考が自由になるからかもしれない。


 まだ大丈夫、まだ時間がある、そんな言い訳を続けてもう一年。


そしてうっかり当日まで問題を解決しないまま持ち越すなんて体たらく。


これが仕事ならとっくにクビを切られているってもんだろう。


社会人になってまだ一年なんて言い訳出来るのは昔の話、俺だってそんな言い訳をする奴など雇いたくはない。


しかしそれを口実にだらだら問題を先延ばしにしたのは事実。


「笹原、お前まだやってんのか?」


 トレイを持って正面に座った同期の青山が呆れたように言うのに反論も出来ない始末だ。


一旦この思考に囚われると、仕事に戻るまでこの状態が続く。


「そういうのはなあ、ぱっと決めてぱっと言えばいいんだって」


「お前に何がわかるんだよ」


「客観的なあり難い第三者の意見だろ」


 それが出来りゃ一年もぐだぐだしていない。


「そういう問題は早目が肝心とかうちの婆ちゃんが言ってたよ。後で泣かすなら先に泣かせってな」


 それもどうなんだよ。


「何か深刻な問題でもあったんですか?」


「合い席よろしく」


 次いでやって来た二人はやはり同じ会社の奴、女の方の部署と名前は忘れた。


「なんだよ、彼女と喧嘩でもしたのか」


「え、笹原さんて彼女いたんですか?あ、ごめんなさい」


 いそうに見えないよなあと結構失礼な事を言いながら青山が笑う。


別にどう見えてもどうでもいいけどな、問題は今そこじゃない。


「上手くいってないんですか?私、相談乗りますけど」


 勝手に隣に座った女は、見れば今時の化粧をして今時の女って印象。


どうせ何の役に立たない事もわかり切ってる。


大体これは俺の問題で、俺が自分一人で決着をつけなきゃならない事だ。


そんな虚勢を張ってみても、一人で考え続けているから堂々巡りなのかもしれない。


「あれ、マジなの?」


「もうほっとけって」


 外野でごちゃごちゃ言われると益々頭がこんがらがる。


この問題に向き合い始めてからあれこれ考えて、ぼんやり見えてきそうなものまで飛んで行きそうだ。


「本当に大丈夫ですか?私いつでも空けておきますから」


「あー、斎藤さん、もしかして笹原狙いなの?」


「そんなんじゃないですよっ」


「あやしー」


 ああウルサイ。


社会人になっても同年代の奴が業務時間外に集まればまだまだ学生のノリだ。


 ふとそのまま高校生の時を思い出して、うっかり溜息が零れる。


悠と付き合って八年、あいつの家にお世話になってほぼ同棲で暮らし始めて五年。


俺はそれを全て裏切るような真似をするつもりかと、今更自分に言い聞かせる。


ケジメだけはしっかりつけたいんだ、それが一番あいつの為になると思うから。


 意を決してポケットから携帯を取り出し、次々と出てくる名前の羅列を探っていく。


「おい、見ろよあれ。すっげー美人!」


「うわ、ホントだ。モデル?足長っ」


 静かにしろと男二人に言いかけた瞬間、後を追って視線を移した窓の向こうで見つけた姿に思わず立ち上がった。


財布から札を引き抜いてテーブルに叩き付けるように置くと、店を出て久しぶりに走る。


スーツってのは走り難いもんだと、今始めて知った。


「あ、うわ、偶然!今仕事中なの?」


 恐らくあの二人が騒いでいた張本人は、俺の足音に気付き振り返ったとたん、いつものように艶やかに微笑む。


彼女のこのとろりとした笑顔が堪らないんだと、見た誰かが言っていた。


「ちょっと、話があって」


「あ……もしかして彼女の事?あの、まだ言ってないんだよね?」


 心底情けなく思いながらも頷けば、彼女は大丈夫と言わんばかりに頷く。


そうされる事で、俺はまた酷く情けなく思う訳だが。


彼女にまで負担をかけるとわかっていながら、けれどもう他に方法が思いつかない。


袋小路から出れないまま、あいつに言葉を伝えられない。


「私時間大丈夫だから。そうだね、ちょっと話ししようか。言い辛いのはわかるけど、このままじゃダメでしょ?」


 項垂れるように頭を下げれば、彼女はまたにこりと微笑む。


どうして彼女が多くの男の目を惹き付けるのか、よくわかる。


 並んで歩き出しながら、この足が今日こそは出口へと続けばいいと願った。









「悠ちゃん、あんまり気にしない方がいいよ?どうせガセネタだって」


 開店の準備をしつつ苦笑するマスターに、それでもカウンターに埋まった顔が上げられない。


それと言うのも、ついさっき店に駆け込んで来た常連さんの一言にある。


「勝利君が浮気なんかするはずないでしょ」


「わかってますよう!ただ隣並んで一緒に歩いてやがったとかいう美女情報が解せん!」


 なんでも「さっき駅前で悠ちゃんのカレシがすんごい美女と仲よさそうに歩いてたよ!」らしい。


なんでも「えっらいセクシーな感じで足なんか長いし色っぽいし!あれはヤバイよ!」らしい。


クソが余計な情報持ってきやがって、なぁーにがせくすぃーだ。


「悠ちゃん悠ちゃん、後ろに般若が見える」


 そして女は鬼と化す、ですね。


「会社にそんなのいるなんて聞いてない!いや言わんだろうけども!」


「大丈夫だって。そんな美女なんて、俺の奥さんに比べたらスッポンだから」


 マスターの嫁と比べてスッポンとか言われても、誰が得する情報だよ。


大体ここに勤めて一年になるってのに嫁なんか見た事ないし。


まさかどこかの誰かみたいな画面から出てこれない嫁じゃあるまいな。


「最近なんか様子おかしいの、そのク……いや美女が原因かも……」


 おっと、恐ろしい可能性が浮上してしまった、自分の推理力が怖い。


「様子おかしいって?」


「一人になってる時になんか考え込んでるみたいで。でも一緒にいる時は普通だし。だからそう深刻な悩みでもないのかと思ってたんだけど」


 悩みがあれば結構勝利はわかりやすいからすぐ気付く。


それに一緒にいる時でもそういう事を持ち込んでると自覚してる場合は、私にも話してくれる。


就活の時とかはそうだった、一緒にいてもぼうっとしたりしてて。


でも今は特にそれもない、私が目を離して勝利が一人でいる時に何か物思いに耽っている感じがする。


「勝利君も社会人二年目だし、色々と仕事であるんじゃない?」


「新入社員の美女が来たとかな……」


「あーいや、だってあの子、君以外興味ないって感じじゃない」


「そう見えます?えへっ」


「立ち直り早っ」


「はあ……」


「落ち込み早っ」


 うーん、そう言われればそういう事に危機感を覚えた例もないんだよなあ。


もし、もしだ、万が一にでも、勝利がそのビジョとやらに現を抜かしているってんなら、無意識にも後ろめたさがあっていいはずだ。


でも別に急に優しくなったりしたとか、冷たくなったりしたとか、触れ合いがなくなったなんて事もなく。


いやむしろ逆に学生時代と変わらず色々と精力的で感心するくらいだ。


 私が所謂一般の会社勤めをするかについては散々話し合った時期がある。


なんでかある時期を境に、勝利は過保護になったというか心配性になったというかで、一人で電車にも乗せてもらえなくなった。


私は小学生か何かかと。


で、結局電車通勤はダメ、出張はダメ、とか消去法で残ったのがこのカフェ&バーの店だった。


明石君のお兄さんの紹介で、夜にバーとして店を開けるまでの時間働いている。


家で主婦よろしくやってるのも提案にはあったけど、それは私自身が却下だ。


まあ勝利が仕事してる間、何かやってないと待つのがしんどくなるからね。


 もう一つは、この近所で評判雑誌でも評判の超イケメンマスターが奥さんに首っ丈だという事もある(架空の人物にしろ何にしろ)。


そうでなかったら勝利が承知するはずもない。


あらいやだ、こんな時にも惚気ちゃったわ、長年染み付いた習慣て怖いな。


「いや、そんな訳がないんだって、だから。だってこの間の休みの時のセックスなんか四時間ですよ!?インターバルもなしに地上波映画二本分ですよ!?」


「俺は一日中でも頑張れるよ」


 だからマスターが二十四時間頑張れたところで誰が得する情報だよ、無駄知識にも程がある。


いやマスター目当ての客はキャーとか黄色い声上げるとこなのか、……心底どうでもいいな。


「気になる女が他にいる男がする行動じゃないでしょ」


 多分。


「俺は奥さん以外気にもならないよ」


「せめて従業員は多少気にしろと」


「悠ちゃんの事は目をかけてるって。今度俺の奥さんにも紹介するから。あ、でも妬いちゃったりしないかなあ、あいつ」


 心底して欲しそうにデレデレ言うな。


ああでもその線も勝利はないよなあ、どっちか言うと自分が存分に目一杯且つ力一杯する方だし、して貰おうなんて頭があるかどうか。


倦怠期とか言うやつならともかく、八年も一緒にいてまだ四時間もやるようなカップルを倦怠期と呼んだら倦怠期から訴えられそうだって。


今倦怠期って何回言ったよ。


「帰ったら聞けばいいよ。今日一緒にいたあのドロボウネコは誰よ!って」


 おい、どこの昼ドラ。


駄菓子菓子、いや、だがしかし。


「んー。まあそっか、四の字固めで聞けばいいか」


「それ聞いても答えられない状態になるんじゃないよね」


 じゃあエビ固めだな。









 帰路を歩きながら、なんとも言えない気分を抱えた。


まだこれでいのかと往生際悪く思ってる所為だろう。


やがてすっかり見慣れた家のドアの前に辿り着き、らしくもなく深呼吸を繰り返す。


こんな姿を道場のチビ達に見られたら一体なんと言われる事やらだ。


 試合の時より、面接の時より、今までの人生の中で一番緊張してるんじゃないかと思う。


途中何度も頭の中でシミュレーションしてみても、泣いてる姿以外の悠が想像出来ない。


仕方ない事だとは思っているが、俺としては出来ればもっと違う展開がいい。


それも俺にとって都合がいいだけの考えか。


「よし。……ただいま」


 鍵を開けてドアを開けば、すぐ目の前に悠が仁王立ちしていて、流石にぎょっとした。


違う展開がいいとは思ったが、誰がこの展開を想像するよ!?


「そもさあああああああああああああああああん!!」


「せっぱ!」


 あ、いかん、思わず条件反射で応えてしまった。


本当に八年経ってもこいつの行動だけは読めない。


いやもう何年経とうがこいつを把握しようなんて無理に決まってるけどな。


「私の事好き?」


「好き」


 これも咄嗟に答えしまうと、般若のようだった顔がとたんふにゃりと柔らかくなる。


物凄い百面相だ、最早手品だこれは。


しかし……そうじゃないだろ俺!


「あ、あと一つ聞きたい事あるんだけど」


「悪い、メシ食って風呂入ってからでいいか?俺も話あるし」


「オッケー」


 危なかった、なんなのか知らんけどこのまま計画が崩れるとマズイ。


シミュレーション通りに行ってくれないと、色々とタイミングを計り損ねる。


これ以上ぐだぐだになると、まさしくぐだぐだに終わりそうだ。


「今日は魚ですー」


 にこにことそう言って俺を食卓に引っ張って行く姿を見ると、どうにも胸が苦しくなる。


 悠に恋をして長い時間が経った、初めて出会った時から数えると我ながら凄い。


俺の人生の殆どを占めてた女だ、だから出来る限り泣かせるような事はしたくない。


ふといつかの親父さんの言葉が蘇る、……ケジメつけろ、か。


「あれ……今日は一緒にいてもやってるな……」


「は?何?」


「いーや。沢山食べて風呂に入って、んで言う事言っちゃいな」


 やっぱり察せられてたか、どうも俺は悠に言わせりゃわかりやすいらしい。


まあそんな事を言う奴はこいつくらいのもんだけど。


お膳立てされてもビミョーだ、それってどうなんだ、情けない。


とはいえ、いつまでもぐだぐだ引っ張ってる訳にもいかない。


食卓を彩る手料理をいつになく掻き込み、促されるまま風呂に入ってまた頭の中でシミュレーションを繰り返した。


 こういう事は正直苦手だ。


俺は少なくとも考えるより行動する方が性に合ってると自覚してる。


行動する前に二の足を踏む事もなかったはずだった、どんなに悩んだ時だってだ。


けどそれは今も変わらず、俺があいつを大事だからだろうとも思う。


大事過ぎて引き出しの奥に仕舞ってだけいてもいい事なんか何もないとわかっていながら。


時折無性にそうしたくなる。


 一緒に暮らし始める前、親父さんから悠のお袋さんの事を聞かされて以来、覚悟は決めているつもりだったのに。


こんな自分を見ているとどうにも、本当の意味で理解なんかしていないのかもしれないと感じる。


自分なりにこの八年頑張ってきた。


親父さんと俺の両親と爺さんとで何度も話し合った。


道場の事と仕事の事と、それから悠の事。


全てにとって一番いい形で収まるよう、努力してきた。


 それなのになんだってこんな事になっているのか、自分を罵りたくなる。


「長風呂だったねえ」


 散々風呂に出たり入ったりを繰り返した後リビングに行けば、悠は笑いながら麦茶を差し出してきた。


俺が座った前のテーブルにグラスを置いた瞬間、その手を取って隣に座らせる。


 上手いやり方なんてわからないし、知ったところで俺はその通りになんか出来ないだろう。


俺がどんなにこいつを泣かせたくないと思っても、きっと上手く行かないのと一緒だ。


「悠」


「はい?」


 自分で息を吸い込む音が、やけに大きく聞こえた。


「これで、終わりにしよう」









 は?とも声が出なくて、ぽかんと勝利を見上げる。


アー、エー、……パードゥン?


「ずっと考えてたけどな、これ以上先延ばしにするのはお前の為にもよくない」


「はあ……」


「お前はいいって言うかもしれないけど、そう言うだろうけど。これ以上は俺が限界だと思う」


「はあ……」


 ぼわんぼわんと耳鳴りがしてるわ、正直何言ってんのかあんまり聞こえない。


えーと、そうか、ここんとこずっと様子が変だったのって、それを言う為だったのか。


ほう、そりゃ様子がおかしくもなるわな。


で、何言ってんのこの人。


「俺は正直器用じゃない。自分で誤魔化してる気になって、時々イライラするんだよ」


「はあ……」


 自分、不器用ですけん……ってやつですか。


まあお世辞にも器用だとは言えないけど、何を誤魔化すってか。


 久しぶりに見る、試合前の時みたいなその張り詰めた緊張感を持つ目。


よくわかりませんけど、超カッケー。


よくわかりませんけど、あれ、胸がなんだかバクバクいってますよ私。


「泣くなとは言わない。出来ればそうして欲しくはないけど、それも俺の勝手だと思うから」


 ぎゅっと勝利の手が私の両手を包んだ。


「でも勝手ついでに、これで終わりにしたいんだ」


 最早、はあとも出て来やしねえよ私の口。


ああ、待て、まだ口を開くな、その先は言うな、待て、怖くて目が瞑れないんだって。


待て待て待て待て、一年ぐらいちょっと待て、頼む、もっと精神が落ち着いてる時にだな。


「だから――俺の、嫁に来い」


 ………………………………………………………………………………ハ?


「……おい、聞いてるか?」


「はあ……」


 お、出た。


「あんまり何度も言わせるなって。これでもなんて言ったもんかずっと考えてたんだぞ」


 ああ、つまり。


「そんな事かよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


「いだだだだだだだだだ!!おまっ、プロポーズした男にエビ固め決める奴があるか!」


 ここにあるわい!


「大体そんな事とはなんだよ!こっち一年も考えたんだぞ!?」


「うわ、一年も考えてあれとかっ」


「ウルサイ!」


 不器用ここに極まったな……不憫な子……でも好きっ。


すっかり拗ねた勝利が盛大に溜息を吐く。


「泣くかと思えば逆ギレとか、八年経ってもお前は想像の斜め上だな」


「そりゃお互い様だ。大体心はもう嫁いでんのに今更な」


「だからっ、……心だけじゃなくて身の方も来い」


「ん、よっしゃ、相庭悠、行っきまーす!」


 ぱっと両手を広げて飛び付くと、軽く受け止められて強く抱き締められた。


ぎゅうぎゅうとお互いに羽交い絞めにしてみる。


なんだかむずむずとしてきて、あははと笑いが零れた。


少し腕を解いた勝利が私を見下ろして、小さく苦笑する。


「やっぱ泣いたか。そうならないように色々考えてみたんだけどな」


 いつの間にか零れた私の涙を指で拭って、自分のポケットに手を突っ込んだ勝利は引き抜いた手でまた私の両手を包む。


違和感にその手を見ると、絡められた指の一つに光る物。


蔦模様のそれはくるりと円を描いた中に更にキラキラ光る物をくっ付けている。


「これ、勝利が選んだの?」


「そう。散々どうしようか迷ったけど、丁度今日お前んとこのマスターの奥さんに会って。前に少し相談乗って貰ったし、一人じゃ行き辛かったから店にも付き合って貰った。結局俺が決まらなくて、昼カタログだけ貰って出て来たけどな」


 そういう事かよっ。


ていうかビジョってマスターの嫁か!……マジでいたのか!


「え、いつマスター妻と会ったの!私でさえ会った事ないのに。てっきり架空の人物か画面の中にいるもんだと。ノンフィクションだったとはなあ」


「前にお前迎えに行った時。お前と入れ違いだったな、そういえば。会った事なかったのか」


「超美人て話だけど」


「ああ、そんな感じだな」


 全く他人事のように言うその姿は、きっとユニコーンに遭遇しても同じっぽい。


……やだ別に勝利がビジョにうつつ抜かすとか本気で心配してた訳じゃないんだから勘違いしないでよね!そんな目でこっち見ないで!


ふっ、ガラにもなく動揺してしまった、八年経っても勝利の事となるとダメだわ私。


「わー、なんか凄いね」


「何が?」


 そう言いながら勝利が笑う。


わかる、だって私も今笑ってるのがわかるもん。


なんだろうなあ、くすぐったくって嬉しくって、笑わずにはいられない気持ちだ。


頬がダラダラ緩みまくってにこにこしちゃうよ。


「恋人じゃなくて、これから夫婦になるんだなあって。こういうの具体的に想像した事なかった」


 よもや勝利が自分で指輪なんか選ぶとも思わなかったよ。


精々自然の流れで婚姻届け突き出されて名前と書けって言われるくらいかなあと。


……それはそれでイイな、ぶっちゃけ何でもいいな。


新しい道を行こうって、そう言ってくれる気持ちが嬉しいな。


 しかし指のサイズをしっかり把握してるのは流石私の超近未来の夫。


例の四時間中、なんかやけに指触るなと思ったらそれか。


「なかったのか」


「何をそんな意外そうに」


「女ってそういうの具体的に想像してるもんかと……ああ、お前は規格外だった」


「今度はバックドロップにしてみる?」


「遠慮しとく。まあ、現実的にこれからが大変なんだけどな」


 そうだろうなあ、式挙げなくて済むなんて環境じゃどう考えてもないし。


ああそういえば、私の超近未来の義母は顔合わせる度に結婚はまだなのって勝利にねちねち言ってたっけ。


それもあったし、もう少し仕事が落ち着くまでは勝利自身がしたくないかと思ってた。


「お前、俺がしたくないもんだとでも思ってただろ」


 OH……早速バレたよこのドエスパーめ。


「いやあ、正直言えばこの家住む事もよく了承したなと思ってるよ」


 大学入りたてで相手の親から同棲しろとか勧められて実際しますかね?


勧める方も勧める方だが、了承する方も了承する方だろうに。


あれ聞かされた時は流石に自分が超真面目人間に思えたもんね。


でもってあれから六年くらい経ってるって、月日の流れを感じる。


 一緒にいるのが当たり前になって、毎日顔を合わせて、毎日色んな事もあって。


そんな日々の中に早々に埋もれて行きやしないかって、心配した事もあったんだよ。


ほら、早い内から同棲とかしちゃうと、逆に結婚概念がなくなるみたいな事聞くし。


私はともかく、勝利がそうなったらどうしようかなって、やっぱちょっと、考えた。


「女神の髪は短いらしいから」


「ああ、その場で掴まないと好機を逃がすって?……好機だったのか」


「好機だっただろ。フツー、男が女の親に頭下げて頼みに行かなきゃなんないようなとこを据え膳な訳だし」


 同棲くらいで今時そこまでするかねえ、真面目っ子なんだから勝利さんたら。


そうなると親父様はグッジョブだな、今度帰ってきたらうな重作ってやる。


「色々あったな、八年」


「そうだね、結構色々あったよねえ」


 高校卒業して、大学生になってそれも卒業して、社会人になって、――言葉にすれば区切りはこんなものだけど。


毎日の思い出が沢山積み重なって、振り返ろうとするとあれもこれもってまろび出てくる。


そうして思い出せる全ての瞬間、隣に勝利がいる。


「明日俺休みだから、一緒に病院行こう」


「え、妊娠とかしてないんすけど」


 実はここで妊娠発覚ーなんてオチもないよ、フツーにこの間きてたしね。


そう言うとわかってると返される、そうだこの人いっそ私より正確に把握してるんだった。


「そうじゃなくて。お前の体の事で、医者交えて話しておきたい事がある」


「私の体とは?」


「悠、お袋さんの事で考えた事ないか?」


 言われてみて勝利が何を言いたいのか漸くわかった気がした。


ああ、そうか、そういえばちっとも考えた事なんてなかったな。


だってこの通りピンピンしてるし、それは勝利もわかってると思うけど。


すると勝利は察したのか首を振る。


「お前、俺達夫婦になるって事、真面目にわかってるか?」


「はあ。婚姻届け出すんだよね。いつ行く?」


 わかってないとデコピンされた、極近未来の妻に超痛ぇデコピンとかするなよっ。


「家族になるって事だ」


「うん」


「家庭を作るって事だ」


「うん」


「……察せよ!」


「はは、ウソウソ。わかってるよ、そうか、……そうだね」


 これから物理的に私一人の体じゃなくなるという事だ、となるとメンテナンスは必要だ。


うわー、勝利ってば本当に具体的に考えてたんだな。


こうなると逆に乙女顔負けのロマンチストで現実主義者だ。


ううん、相庭悠、24歳、まだまだ心は乙女ですとも!


「あ、これから相庭悠じゃなくて笹原悠になるんでした。きゃっ」


「そういや……そうか」


 なんだそっちは考えた事なかったのか。


んもうそんな事に照れやがって、可愛い奴めー!襲うぞー!


と、がっと飛び付こうとしたらがっと頭を掴まれました。


おい、ここは感動の抱擁リバースのターンじゃないんかい、空気読めやコラ。


「だから明日病院行くっつってんだろ!行った傍から妊娠報告する訳にいかないんだよ色々とっ」


「……もう作る気なのか」


「ニヤニヤすんな」


 またデコピンかと迫ってきた指に目を閉じれば、強く唇を押し付けられる。


強く唇を吸われて捻じ込むように舌が潜り込んできた。


ぬるりとした舌で口内を掻き回されると、頭の中までそうされている気分になる。


もどかしげに何度も、舌を絡めたり軽く歯を立てられたり、キスが続く。


「勝利……」


「わかってる、何も言うな」


「してあげてもいいんだけど。じゃあトイレに行っておいで。早く帰って来てね、ハニー」


 人にまたデコピンして、勝利はぶつぶつと言いながら部屋を出て行く。


それを見送ってごろりとソファに横たわった。


広く柔らかい場所にぽんと放り投げられたような感覚がする。


なんだろう、言葉に出来ない感じだ。


 やがて戻って来た勝利が私の上に覆い被さって来たかと思うと、腰に手を回してそのままぐいと持ち上げた。


勝利の足の腕に跨るような形で抱き締められる。


暫く言葉はなかった。


多分勝利もこの訳のわからない感覚を体感しているんだと思う。


「お前も、感じてるか?」


 だからそんな言葉に頷いた。


「ごめんな」


 でもその言葉はわからなかった。


「お前にはもっと色々可能性があったと思う。お前なら好きな職にも就けただろうし、俺中心に回らせたのは俺の我侭だ」


「んなこたあない」


 多分言われていても言われていなくても、一緒だったと思う。


もし私が母さんと同じ病気になる可能性が高かったとして、一体それがなんだっていう。


笹原勝利という人を好きになった、それが事実で現実だ。


そこに「もし」はない。


そう考えないほど愛してきた自負がある、愛されてきた自信がある。


私達は一生懸命、この八年を過ごしてきたじゃないか。


「バカ言ってんじゃないよ。あんた中心に回らせただ?私の人生は私のもんだ、私が決めて私が歩くんだよ」


 でもきっとこの人は多分ずっと考えてしまうだろう、優しい人だから。


そして何せビジョなど目もくれないほどこの私にメロメロなのだからね。


反論は認めない。


「そんでさ、私の人生の隣に勝利の人生があるよ」


 きっと結婚をしても同じ道という訳にはいかない、違う考えを持つ違う人間だから。


それが口惜しくなる時もあるけど。


でも手を繋いでいる限り、道は同じ方向に続いてる。


「相庭悠さん」


「はい、なんざましょ」


 また持ち上げられて、今度は少し距離を取られた。


そしてぎゅっと両手が握られる。


「俺はかなり面倒臭い奴だと思う。我侭だし独占欲は強いし自分勝手だし面倒臭がりだし、あんまりいいところはない」


 相変わらず自己評価低いなとちょっと笑ってしまう。


同期の中じゃ出世頭だと期待されてるって、前に同じ会社の人から聞いてるんですけどね。


勝利も私と一緒であんまり目的以外が見えないタイプだからなあ。


「それでも、俺はお前が好きだ」


 多分自分にとってそれが一番確かで、一番誇れるものなんだと言う。


「俺達にとっても他人にとっても、この関係の呼び名がどう変わっても、これだけは変わらない」


 うんと頷いた。


変わらないものなんてきっとないだろう、勝利が言うように私達の関係の呼び名も生活も今後は変わってしまうように。


それでもそう言い切ってしまうこの人が好きだ。


「私も勝利が好き。大好き」


 ちょっと悔しいじゃないですか、なんだか勝利の方が私を好きな気がするから。


足してみたら勝利が笑う。


「俺なんてお前なしじゃ生活出来ない自信がある」


「私なんて未だに勝利が他の人も好きになっちゃったらどうしようなんて考えちゃって絶望しかけたもんねー」


「もしかして今日の事誰かに聞いたのか」


 ヤベ、バレた。


「むしろお前の方が心配だろ。で、そんなクソみたいな情報をお前に与えた奴の名前を言え」


「NONO、クソみたいな奴なので名前は忘れたよマイケル!」


「思い出させてやってもいいんだぜ、リサ」


「まあ不思議ねっ、記憶の引き出しが綺麗さっぱり消えちゃったわ!まるで魔法ね!スーパーミラクルメモリアル洗剤をお買い求めの方はこちらのフリーダイヤルまで!お電話急いでねっ」


 今ならなんと記憶の引き出しの鍵付き!


まあぶっちゃけ洗剤使うまでもなく名前も思い出せない訳だがな。


「お前といると、本当にバカな事で笑えていい」


 どういう意味だコラ。


「考えようとするとさ、お前とずっとそうやっている姿しか想像出来ないんだよな。子供が出来ても、孫が出来ても。俺達爺さん婆さんになっても、くだらない事言い合って笑ってそうだなって」


「否定出来ねー。間違っても雑誌に出てくるようなオシャレスマートなご夫婦及びご家庭にはなれん」


「だろ?」


 肩を揺らして笑う。


毎日ばたばたやかましくて、大声が飛び交ってごちゃごちゃしてて、そんで皆で笑ってるんだ。


「年取ると丸くなるなんて嘘だよなあ。うちの爺さん見てると特にそう思う」


「ははは、そんな直刃さんに似てる孫、勝利」


「お前だって親父さんそっくりだろうが」


「この世の全てに今絶望した!」


「でもそれでよかった。俺はお前の親父さんにもお袋さんにも感謝してる」


 俺ならビビっていただろうしと勝利は苦笑した。


母さんの話を親父様から今もあんまり詳しく聞いた事はない。


今実際同じような立場に立とうとしてみると、確かにビビらずにはいられないな。


でも、だからきっと、母さんは恐怖も何もかも超えて自信満々に私を産んだに違いないや。


多分親父様は母さんのそんなとこに惚れ直したんじゃないかと思う。


「この先色々考えなきゃならない事は多いな。俺達だけの問題でもなくなる」


「そうだね。でもまあ、任せろ。そんな両親の孫だ、勝利の血が入ったところでびくともしないよ」


「頼もしい。男は損だよなあ、待ってるだけしか出来ない」


「おいおいマイク、ジョークが過ぎるぜ。君にも仕事は山ほどあるんだ」


「そうだったな」


 頷いて勝利は私の頬を包んだ。


「何でも言ってくれ、何でもする」


「私、あの月が欲しいの」


「それなら鏡を見ればいい、もっと美しいものが君の瞳の中にあるよ」


 ぶっはとお互い噴き出して体を屈めて笑った。


ホントに親父様の本のチョイスはどうなってんだよ。


そんなセリフを母さんに言えてたとは微塵も思わないけどね、あれヘタレだし。


「俺はこうやって笑わせられるのは、お前だけだ」


「勝利も最近ノリよくなってきたねえ。一緒にいると似てくるもんだって言うけど、マジだね」


 ふと目を細めて勝利が微笑む。


そうだった、この不器用な人は、こういう目をたった一人にしか向けられない人なんだ。


「ちょっと、疑ってごめんね。まあ勝利をというより得体の知れないビジョとやらにむかっと来ただけだけど」


「俺には、お前がたった一人の女なんだよ」


 ……。


「勝利さん」


「わかってる。流れ的にまずかった」


「この際だし、一緒に怒られてみます?」


「誘惑するな」


「でもしちゃう、それが私」


 つんと人差し指で勝利の唇を突付くと、がぶりと食べられた。









「勝利君、俺聞いてないよ?」


 カフェオレを飲みながら「そもそも言ってないし」と奥さんに返されて「なんで言わないんだよ!」と手に持ったカップを放り出しそうな勢いで彼が言う。


「なんで俺に黙って他の男とデートなんかしてんだよ!聞いてんのか、由香利!」


「聞いてる聞いてる。デートじゃないってそれも何べん言えばわかるの」


 そんな遣り取りをカウンターで聞きつつ、帰り支度を終えた悠は戻って来て俺の隣に座った。


「しかし、絵面的に凄い夫婦だねえ。イケメンとビジョ過ぎて、何あれ怖い。目がっ目がああああって感じ」


「黙ってれば普通にファッション雑誌とかに載ってそうだよな」


「ああ、黙ってればねえ」


 俺のカップを取り上げようとした悠は、一瞬顔を歪めて俺の手にカップを戻す。


「大丈夫か?」


「匂いがやたらきつく感じるだけだし。ていうか、あれいつ終わるの。給料貰わないと帰れないんだけど」


 手渡しの弊害だな。


「マスター、一旦休止して給料下さーい」


「それどころじゃないんだよ!」


 それどころじゃねえとか。


まあ気持ちはわからないでもない、同じ事を悠がしたらと思うと……人の事は言わないでおくのが一番だ。


「どうせ明日から産休なんだ、また来週にでも来よう」


 俺は肩を竦めて立ち上がり、それに気付いたマスターの奥さんがにこりと笑って手を振ってくれる。


おお、聞きしに勝るヤバさだな、と悠が手を振り返しながら呟いて慄く。


何がと聞いたら笑顔で腕に抱き付かれた……なんなんだ。


「今俺の前で他の男に媚を売っただろ!」


「もーっ、あんたはちょっと黙ってて!」


 まだ続く痴話喧嘩を後に店を出ると、悠の手に持った鞄を奪い代わりに手を結ぶ。


「マスターのイメージ超変わった。何がクールなイケメンだよ、雑誌メディアウソツキ」


「俺もそう思った」


 のんびりと帰路に着きながら街路樹を見上げれば、草が青々としていて春の終わりを告げていた。


今年の夏は暑くなるかなあ、どうだろうな、そんな他愛もない会話をしながら歩く。


「そういえば明日の夜、家に来いってさ」


「何か作って行こうかな。笹原一家皆いるんだよね?」


「止めとけ、お袋がうるさいぞ。全く自分の時は平気であれこれしてたくせにな」


「そういうもんかもねえ。で、結局直刃さんに名前決めて貰うの?」


「冗談だろ」


 うちの男共の名前は全て爺さんが付けたらしい。


重い名前を付けられた方は堪らないと思わず苦い顔になると、それに悠が噴き出した。


いい名前だと思うけどね、と笑う。


「出来た報告を先に医者にしたって、根に持ってるんだ」


「あれは流れ的に仕方がなかったような」


 しかも報告と言うより検査結果だしな。


「いやあ、あれで本当にすぐ出来るとは思わなかったねえ。さすが勝利さん」


「当たりの良さはお互い様だろ」


 結局あの日はあのまま盛り上がって止まれず、そのまま病院先送りにしてたらアレでコレだ。


言うまでもなく医者には散々怒られた。


その後の順調過ぎる検査結果に漸く溜飲を下げてくれたみたいだけどな。


むしろ身体が元気過ぎるので親父さん共々悠に別な検査をさせてくれと言われたくらいだ。


確かに俺も相庭親子がどんな細胞をしているのかは知りたいところだが。


「どこかに寄るか?」


「ううん、いい。帰ろう」


 嬉しそうに笑顔でそう言う。


家に特別な何かがある訳じゃない、ドラマチックな出来事が転がっている訳でもなく、俺達の日常が待っているだけだ。


でもそれが何より待ち遠しい。


こいつと一緒に飯を食い、話し、笑い――そんな日常が、何よりも、どこよりも。


「お前が落ち着いたら、明石達が高校ん時の奴ら集めてどこか貸し切って祝ってくれるってさ」


「おおー、そういえば皆に会うのも久しぶりだ。頼子の結婚式以来だなあ」


「ああ、二十離れた男と結婚したっていう?」


「そうそう、とっくに母親だし、色々聞こうっと」


 そんな言葉を聞いて、どこか少しむず痒くなる。


こういう時は女の方が落ち着いて見えるから、本当に男は所在無いもんだなと思う。


でも不思議なもんだ。


俺の腹には何も入ってないはずなのに、繋がってる手から、もう一つの存在を感じられる気がする。


「今日は俺が飯作るよ」


「おおー、楽しみにしてるよ」


 悠が笑う、それで万事が上手く行く。


こいつが笑顔なら、俺の人生も上々だ。


単純上等。


「幸せそうだ」


「勝利が幸せそうだからね」


 思えば特別な事は何もなかったのかもしれない。


運命という事も、必然という事も、奇跡という事も、何も。


そんなに難しい事じゃない。


誰かと共に幸せを分かち合いたいと思うのは、自然な事だと知った。


そこに信念はなく、気概もなく、当たり前のように胸に存在している。


 気付けてよかったと思う、逃げずにも放り出さずにもいてよかったと心底思う。


幸せだと感じる。


愛する人が隣にいて、愛されていて、すべての事に感謝がしたい。


ありがとうと言えるのは、今確かに俺が幸せな証拠だろう。


「悠、何が食いたい?」


「んー、カラアゲ!」


 ゆっくりと歩く。


繋いだ手が温かい。


「あんまり急ぐなよ」


「子供じゃないんだから、走り出したりしませんて」


「どうだかなあ」


「まだまだ先は長いし、ゆっくり、ね」


「うん」


 長い道を、そうして俺達は、これからも歩いて行く。





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