23.あなたが好きです
ぽかんとした。
目の前では笹原君が笑ってる、可笑しそうに……嬉しそうに、あの、優しい目で。
「うわ!?ちょ、お前なあ!」
笹原君は焦ったような声を上げて自分のポケット探って取り出したハンカチを私の顔に押し付けた。
「なんつー泣き方すんだ。滝かっ」
「なんでぇ?」
「とりあえず涙止めろ、鼻水拭け」
だばーっと出ちゃってどうにもこうにも。
なんだ、幻聴か、それとも妄想か。
触覚までするなんてなんつー末期症状だ、オラもうダメだ。
「ホントお前は俺の想像の斜め上を行くな。まあ別にいいけど」
「笹原君、私病気だよきっと脳の病気だよ、幻覚とか幻聴障害出るって前にテレビでやってたもん」
「幻覚でも幻聴でもないからとりあえずお前がリアルに帰って来い」
「リアルの住所がわかりません!」
「現在地で合ってる」
イエーイ、合ってる!……ん?
「ここ?」
「そう。……ここ」
一通り拭き終えた笹原君はそう言って私に向かって両腕を伸ばして来る。
ぎゅっと強く体にその腕が回された。
「マジで?なんで?」
「疑り深い奴だな。それとも何か、俺は惚れてない女にこんな事をするとでも?」
今度は額に唇が押し付けられた。
――……もう一度リアルの住所聞いたら怒られるかな。
「なんで、私?だって、私が昔笹原君と会ったのなんて一度だけだよ」
「そうだな。俺も探したんだけど、そもそも学区違いの上引っ越してたんじゃ会える訳ないよな」
「やっぱあの時の事言ってんの!?尚更おかしくない!?え、ちょっと、趣味大丈夫か!?」
笹原君の立場でしかもあの状況下で初恋発動するとか逆にねえよ!
私が言うのも何だがここは敢えて言おう、ねえよ!
「まあ多少趣味はどうかしてるんだろうけど」
オイ、この状況下でそう言うのもどうかと。
複雑な乙女心をもうちょっと気遣ったら如何です。
「でもお前がいいんだ。こんだけ近くにいて全然気付かなかったくせにな」
「私も、気付いたの最近……」
「そか。じゃあまず、お互い様か」
「ほ、ほんとに?」
「まだ疑うか」
だって早々信じられないでしょ、というかなんか全てにおいて付いて行けてないよ。
本当に現在地ここかよ、世界地図レベルでテケトーにこことか言ってんじゃないだろうな。
「トラウマにでもなってそもそもあの時の事忘れてんのかと思った。普通、虐めっ子に殴りかかってった女とか好きになる?」
「まあ衝撃的ではあったな。むしろそうだったから逆に惚れたんだろ」
うううううううっ、そんなさらりと何度も言わないでよっ。
嬉しいやら恥しいやらもう何が何やら。
笹原君てもしかして恥ずかしい事結構天然に言えちゃうタイプ?
逆に意地でも言いそうにもないと思ってただけに新発見だ、私今コロンブスを越えたね。
そういえば前にも好きな子の事で色々言ってたしな……ってあれ私の事なのか。
……我ながら信じられない、たかにぇのはにゃとか言ってませんデシタ?
田辺さんもその事知っててトンボ玉が自分のだって嘘ついてたって事?
そうならよっぽどここで笹原君が私を探してくれてたって事だ、そうでなきゃ笹原君があの時初恋したとか思わないよなあやっぱり。
「知ってるだろ、俺割りと真面目に虐められっ子だったんだよ。毎日もうどうでもよくて、ぶっちゃけ死ぬ事ばっか考えてた、どっかの誰かが殺さねえかなとか」
「殺伐!」
「そう。ところがどっかの誰かは見ず知らずの誰かに一瞬で立ち向かって行く訳だよ。俺一体何やってんのかと思ったね」
笹原君は私を抱き締めたまま頭の上で笑う。
嘲笑とかじゃなくて、可笑しそうに笑う。
「自分の事すらいっそどうでもよかったのに、あの時初めて誰かの事をすげえなと思ったんだ。悔しくて、俺もあんな風になりたいって憧れて、気付いたら好きだって感情すら心の支えにしてた」
田辺さんと同じように、私には想像もつかないほど辛かったんだろう。
少しまた強く抱き締める腕が、そう言ってるような気がする。
「でもな、お前があの時の子かは、別にいいんだ。ただあの時、助けてくれてありがとうって、ずっと言いたかった。――俺は今、今のお前が大事だし、好きだと思ってる」
……。
「笹原君、好き。好きーっ!」
笹原君が声を上げて笑う。
どうしよう、それが嬉しくてまたこっちは泣きそうだ。
ぎゅっと抱き付いても同じだけの強さで抱き返して貰える、それが許される。
嬉しい、嬉しい嬉しい、嬉しい……っ。
「また泣く」
近いのに遠くにあったあの目が、今凄く近くにある。
それが、私だけに向けられてる。
「お前ホント笑ったり怒ったり泣いたり忙しいな」
「恋をすると情緒不安定になるものなのよ」
「そう、かもな」
「えええええええええええええ」
「なんだそのリアクション」
イタイイタイ、好きな女の鼻を割りと全力で摘まないように!
「情緒不安定だったりとかしたの?ちょっと前はピリってたけど、それって田辺さんに対して確信持てなかったからでしょ?」
「女にこの複雑な男心をわかれとは言わねえよ」
「超心外!乙女なんて繊細過ぎて箸が転んでも泣いて笑うんだからね!」
「どこで張り合ってんだ」
くすくす笑う、本当に箸が転んでなくてもなんだか笑いが零れてしまう。
下がったり上がったり、気持ちがふわふわだ。
「そういえば田辺にどこか行けとか言ってたの何だったんだ?」
「うん、ちょっとK高に昔馴染みがいましてですね、三人ほど」
「……お前と同じ人種か」
「大まかにジャンル分けするなら、まあ、そう、かな」
「あいつの苦労が目に見えるみたいだ」
どういう意味ですか。
「でもま、それならあいつも大丈夫そうだな」
「行くと思う?」
「行くよ、必ず。むしろあいつ昔の俺よかバイタリティあるだろ。しかし嵐みたいだったなあ」
全くだ、でも出来ればこれをきっかけに今度は田辺さん自身が楽しく過ごして欲しい。
結局色んなものをどう捉えてどう行動するかは自分次第だから。
でもきっと大丈夫だよね、だってあの子叫んでたもん、私だって楽しく生きたいってあんなに。
独りは寂しいって、ちゃんと感じてたんだもんね。
「笹原君は、今楽しい?」
「楽しいよ。少しずつだけど、俺あの頃とだいぶ変わっただろ」
「うん、昔可愛かったよねえ。人間て神秘」
「お前の野生児ぶりは変わってなかったけどな」
うぬう。
「じゃあ気付けよ」
「ははっ、全くだ」
ぐりぐりと頭を撫で回される。
「悠」
「うん?……え!」
「そう呼んでもいいだろ。あのエセ外人には呼ばせてたし」
「じゃあ私も名前で呼ぶ!ていうかそれはヤキモチか、ヤキモチなんだな!?」
「どうせお前だって田辺が名前で呼んでるのに妬いてただろ」
「ハンカチを噛み裂きたいくらいにね!……よし、……しょ、しょう、……おおおおおおおお」
「アル中かお前は」
いざ呼ぼうと思うとなんかハードル高いんだって。
わああ、まさか呼べる時が来るとも実際はそう考えてなかったから口がむずむずするっ。
しかも笹原君がニヤニヤしてるよ!こいつ隠れSと見た!
なんだよ、テッドにヤキモチ妬いてたくせにさ。
そうだよっ、あいつと張り合ってたのだってそうだったんじゃないの?
「そんな頃から無意識に好かれていたのか!色々惜しい事をした!」
主に夜這い的な意味で。
「脳内と繋げて喋るな」
「テッドにヤキモチ妬いちゃって張り合っちゃったんですね、勝利君はー」
お、呼べた……でもなんか照れるっ。
「そういえばあいつ国帰ったってメールでお前言ってたけど、また来るんじゃないよな」
「どうだかね。毎日DMかってほどメール来るけど」
あれ、黙っちゃった、ここはまたヤキモチねとドキドキしちゃうところなんでしょうがぶっちゃけ何の計画練っているのか恐ろしくてとても軽々しく言える雰囲気にありません大佐!
でもなんでかそんな勝利君が可愛く見えちゃう不思議!わー!脳内でも勝利君とか呼んじゃったよ!
「あ、イカーンッ!」
「今度はなんだよ」
「勝利君、じゃ田辺さんと被ってる!」
「もう呼びもしないだろ。最終的にアンタ呼ばわりだったし、実は俺すげー同属嫌悪されてんだろアレ」
「でもなんかやだ」
「負けず嫌い」
ああもう笑え、笑うがいいさ。
だってさあ、よくよく考えたら下の名前で呼ぶ女子(脳内除く)は私だけって事になるんだよね。
だったらさあ、やっぱりそれらしく呼んでみたいって言うか、ぶっちゃけこれで私ハジメテの女に!
「勝利!」
「なんだよ」
「……なんかさあ、名前呼んでる感じがしないんだけど。慣れない所為?」
「明らかに名前の所為だろうな。俺この名前心底嫌だったんだよなあ」
だろうねえ、友達に「真実」っているけどコナソって呼ばれててイライラしてたっけ。
大体笹原家は皆揃って壮大な名前だもんなあ、うちの親父様もそこそこアレだけど。
「でも今となっては名前負けしてないね」
「まあ、な。そういえば、そうだな。俺の名前、勝利だった」
なんだ今更、家族しか呼ばないから忘れたとか言い出すんじゃないだろうな。
何故か口角を上げた勝利(こちらも早速脳内でも使用)は私の顔を覗き込む。
何と問う間もなく再びキス、された。
「んっ?んん……っ」
わあ!わあ!わあ!下!違う、舌!
うわ、わ、唇食まれて、舌で、中、掻き回され……っ。
「ふぁ」
「因みに俺も割りと負けず嫌い」
散々ディープかまして挙句にやりと笑ってそういう事言いますかね!?
ううううっ、とんだテダレだこやつっ。
人の唇指で拭うとかなんかエロス過ぎるぞ!
「すでに誰かとやってんじゃないでしょうね!?」
「やってねえよ、名誉毀損だぞ」
神崎さんみたいな事言うな。
「だって、なんか慣れてるっぽ!」
「知らねえよ、大体教わってするもんかこういうの」
「そう言われると、まあ」
大人のレッスンとか言い出すとどこかのアダルトな話になってしまうしね。
ていうか、天然で取得してる方も充分アレだと思いますセンセー。
「なんかちょっとわかったな」
「何が?」
「いや、これする奴の気持ちが。意外に気持ちいい」
言ってまた塞がれる。
探るみたいに舌があちこちを嘗めたり突付いたりして来て、唇から溢れそうになるものを飲み込むので精一杯。
でも、うん、ちょっと、いい気持ち。
弱いところを接触させるのは相手を信用していないと出来ないって言うけど、本当にそうかも。
このまま、もっと繋がっていたくなる。
「ン、……」
ちゅっと音を立てて離れるのさえ、離れ難くて追いかけたくなった。
あったかくて、ふわふわする、あたままわんない。
「うん、きもちぃ」
「……」
「しょーり?」
「……いい、お前なんぞに男の機微がわかって堪るか」
「しんがい!」
「なんか呂律回ってないぞ。……あーもー」
「わぅっ」
突然体が持ち上げられて後ろにある木の陰で下ろされたかと思うと、幹に体を押し付けられて唇をぶつけられた。
ちょっと下唇が痛かったんだけど、それを察したように舌で優しくなぞられる。
何度も何度も角度を変えて唇を重ねて、そっと擦り合わせたり啄ばんだりを繰り返す。
はあ、どうしよ……凄く気持ちいい。
「なんで、止めるの……もっと」
「……ダメ、また今度な」
「えー」
「はあ。流石にここじゃまずいだろ」
「もうしたのに」
かなり今更じゃないですかね?
「だから……いい、いい。男は繊細で複雑なんだ」
よくわからんが、大変なんですね。
「もう暗いし、帰るか。送ってく」
ひとつ髪を撫でて、勝利は私に手を差し出す、当たり前みたいに。
そっと手を伸ばしたら更に手が伸びて来てぎゅっと握られた。
「なあ、お前が最初に俺になんて言って来たか憶えてるか?」
「告白した時?」
「そう、開口一番の」
「勿論憶えてるよー」
ハイテンションの傍ら、物凄くドキドキした。
二度目の恋をして見つめ続けて、あの時初めて勝利の目が私を見てくれたのが嬉しかった。
嬉し過ぎて逆にテンション上がった……上がり過ぎた結果色々すっ飛ばしたけど。
なんでこんなに好きなのか私だって今もよく説明が出来そうにない。
彼を知る度に良い所も悪い所も発見して、顔を見るたび声を聞く度嬉しくなって切なくなって。
私の中にも色んな感情があって、でもその中心で、この人が好きって気持ちが今は物凄く大きくなってる。
いつでも好きだった、でも彼の事を知っていける度前よりもっと好きになれてる気がするんだよ。
「もう一回、言ってくれないか」
私の手を引いてちょっと先を歩いていた勝利は、灯った公園の明かりの下で立ち止まって言った。
それに私は頷く。
正面に立ちその目を真っ直ぐ見て、あの時と同じように心が震える。
「相庭悠です。あなたが好きです」
「笹原勝利です。あなたが好きです」