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22.ぶち壊された、モノ

※今回のみ笹原視点です。




 俺の人生は真っ暗だった、少なくとも園児の頃にそう諦めるくらいには。


誰が悪い訳でもないが、同じ年頃の奴らとは明らかに体が小さくて言葉も遅かった。


そういう子供を集めた施設に入れた方がいいとあちこちの幼稚園で両親は実際に言われて回ったらしい。


それでも何とかやっとの思いで見つけた先で、当然の如く俺は爪弾き者だった。


遊び一つ満足に出来なかった俺は体力を持て余した奴らの格好の玩具で、そして俺はそれに逆らう術も持たなかったし知らなかった。


正確にはもう何もかもがどうでもよくて、知ろうともしなかった。


 剣道場も持つ家で、家族の誰もが少なからず賞状やトロフィーを持っているのに対し、そんなだから俺は家も嫌いだった。


出来ないと言うとクソジジイには飯抜きで夜中まで稽古をさせられたし、逃げ出した暁にはあちこちに閉じ込められた。


年齢とか個性とか個体差なんてものはうちのクソジジイには通用しない。


俺が弱いのは俺の体じゃなく精神が弱いからだと散々虐待よろしく剣道をさせられた。


 巷で幅を利かせているそんなジジイの孫だからとどこへ行っても虐められる。


俺には楽しみも逃げ場所も、何もなかった。


ただ辛くて、そんな毎日が嫌だと思いながら、思っているしかない自分にも嫌気が差すだけ。


 なんでこうなんだろうって、それこそ毎日いつも呪いみたいに思っていた。


同じ年の連中は皆毎日楽しそうに過ごしているのに、なんで俺だけがこうなんだろうって。


いつまで経っても背が伸びないのも、出かけると必ず風邪をひいて帰るのも、友達の一人もいないのも、虐められているだけの日々も、何かも嫌で嫌で仕方なかった。


そうしていつの間にか、どうでもよくなった。


 いつかこのまま行き過ぎた虐めで誰かに殺されればいいと思った。


クソジジイはあんなだし、親父は仕事で毎日帰りが遅い、お袋は弟を妊娠していて実家に帰ってる、兄貴は俺と違って何もかもが優秀だったしジジイに怒られるから口を挟んでも来ない。


精々俺が死んだらトミさんだけが泣いてくれるだろうなって程度だった、でもトミさんだっていずれは俺の事なんか忘れる、弟は俺の事なんか憶えてもいないだろう。


そんな風に、ただ俺はその時をひたすら待つだけだった。


俺はただのモノだった。


 あの日もそうだった、俺はジジイに外でたまには遊んで来いと放り投げられて、行き着いた公園でやっぱり俺を知っていた誰かに虐められた。


正直俺を殴る奴なんて一杯いたからそいつらの名前も憶えていない。


公園の誰もが見て見ぬフリをした、子供連れの大人はそそくさと我が子を抱えて公園から出て行くだけ。


殴られたり叩かれたりして、いっそその辺の石ででも殴ってくれりゃいいのにと思った。


もうそう言おうかと思ったんだ、だからその時初めて顔を上げて殴ってる奴を見た。


 ――が、次の瞬間には、俺より一回りほど大きい体だった奴が視界から消えたんだ。


まさかいつぞや俺が心底願った、皆消えてしまえばいいなんて願いを神様辺りが叶えてくれたのかと正直心底信じそうになったくらいだ。


何せ一瞬だった。


でもまた次の瞬間には、そうじゃなかったと知った。


 俺と同じ年くらいの、しかも体格に似たような、女の子が俺を殴ってた奴らにかかって行ってた。


正直ビビッた、そりゃビビるだろ。


しかも恐ろしく強いんだ、どこかに引っ掛けたのか血を流してもその子は何事か怒鳴り散らしながら立ち向かうのを止めなかった。


それで、その時閃いたように理解した。


ジジイの言う通りだった、俺は最初から自分はこうだからって諦めていたんだ、それがジジイの言う精神の弱さだった。


世界が引っ繰り返ったような気がした、ある意味では実際引っ繰り返った。


 あいつらが逃げて行って女の子が立ち上がると、その子の友達だろう奴らも周囲にいた連中も一斉に歓声を上げたんだ。


助けてくれた事にお礼を言うべきかと思った、でもあまりにもショックで足が動かなくて声も出ない。


何より、俺は生まれて初めて悔しかったんだ。


こんな小さな女の子に助けて貰って、そんな弱い自分が今までとは違う意味で嫌で悔しかった。


振り返った女の子は俺の顔を見てビックリした顔をしていたっけな。


礼の一つも言えないような奴でと思ったのかもしれない、女の子は何も言わずすぐさまぱっと踵を返して公園を出て行った。


それを女の子の友達が追いかけるのを、俺はただ呆然と見送るしか出来ないでいた。


 それから、確かに俺の意識は少なくとも変わって行ったと思う。


そりゃ意識が変わったところですぐに上手く行く事はなかった、相変わらず風邪は引くし虐められるしジジイはクソだし。


でもその日から俺は剣道の稽古に泣き言は言わなくなった。


やる気が出れば出るほど、逆に歯痒い思いをする事も多いと知った。


強くなりたくて、あの女の子みたいに誰かに臆さず立ち向かって行けるようになりたくて、そう思う度に自分の壁にぶち当たる。


ジジイとは何度もやり合った、小学に上がってからも上手く行かず家出らしき事もした。


適当な話をする奴は何人か出来たけど友達という感じでもなくて、俺はやっぱり相変わらずだったけど。


それでも不思議と、もう殺されてもいいと思う事はなくなった。


 新しい何かが出来る度に俺は公園に行ってあの子をこっそりと探した。


もし見つけても声をかける勇気はなかっただろう。


それが出来るのは俺もあの子みたいに強くなれてからだと、なんでかそう思い込んでいた。


あの子がこの近所の子じゃないかもしれないと気付いた時にはすっかり後の祭りだ。


あの時も自分のバカさ加減にうんざりしたな。


 しかも厄介な事に、俺は暇さえあればその子の事を思うようになっていた。


あの時拾ったあの子が付けていた髪飾りの欠片を持ち歩き続けて、そんな些細な事に接点がある気になっていたのがまたイタイ。


小学も高学年になる頃にはすっかり体格も変わって、虐められる事はなくなった。


少しずつ友達と呼べるかもしれない連中も出来た。


でもずっと、あの女の子の事ばかり考えた、また会いたくて仕方なかった。


 中学に入って急激に身長も伸び始めると、周囲もまた変わった。


当時から女子に騒がれるのは苦手だった、対人関係なんて培わないまま育ったから正直扱いに困るし。


そしていつの間にかあれほど嫌だった剣道をやるのが楽しくなっていた自分に気が付いた。


ついでにジジイともそこそこ遣り合えるようになって、一方的に稽古させられているという意識もなくなった。


今の俺をあの子に見せられたらと何度も思った。


 正直これが恋だと自覚するに至った時点で、実に微妙だと思い知った訳だけど。


普通に考えてないだろ、虐められてるのを助けたって、普通男女逆だろ。


あんなに強い子なら尚更弱い男なんて論外だろ、そうだろ?


最初からやり直せたらいいのになんて、どうしようもない事を考えては落ち込んだ。


最初の方は多分憧れだったんだと思う、俺もあんな風に強くなれたらと願った。


でも段々と、今度は俺があの子をああやって守れたらと思うようになった。


守る以前に会えないんだっつーのな。


 バカな俺はあの公園をうろうろしたり眺めるのが癖になっただけだ。


情けないにも程がある。


例えば再会出来たとして、そんな情けない男にあの子が靡いてくれるとも思えなかった。


漫画のヒーローみたいに颯爽としてた女の子。


あの子が持つにしてはちょっと可愛らし過ぎる、ピンクの花の付いたガラス玉は俺の密かな宝物だった。


 いつか会えたら、そう願い続けた。


あの時言えなかったお礼と、そして出来れば好きだと言いたかった。


こんな俺でも、ずっと、ずっと好きだったと言いたかった。









 実は前から知ってたんだ、俺に告白しに来たのが「相庭悠」だって言うのは。


高校の入学式後ほどなくして行われた体力テストの時に、その姿を初めて見た。


最初に気付いたのはボールを投げていた時、女子なのに随分遠くまで投げられるんだなと、記録係が叫んだ記録を聞いてそう思った。


それで友達だろう女子に「あいば」「ゆう」って呼ばれてたから。


次にその姿を初めて見たのは短距離だかを走っている時だ。


フォームの綺麗さに目が行った、それから単純に速いなと。


周囲の女子や男子がやっぱり「あいば」とか「ゆう」って声援かけてて、ああ、あのボール投げてた奴かと気付いた。


印象に残っていたのは多分走り切った後を見たからだったと思う。


一般的に見て恐らく「可愛い」だろう彼女は、何を気にするという事もなく、大口開けて笑って周囲にガッツポーズしていた。


「あ、あいばゆうだ」


 そう言ったのは多分鈴木だった。


聞けば「相庭悠」はあの通り、入学式から相当目立っていたようだ。


気付かなかった俺が相変わらずなんて事は明石にも、ましてや鈴木にも言われたくない。


 ああいう女もいるんだなとある意味感心したんだ、いやマジで。


明石曰く成績もいいし(うちは貼り出されるタイプじゃないってのに何故明石が知っていたかは突っ込まないでおく)顔もスタイルもいいときて、おまけに性格もオープンだと。


中学になって以来女にはうんざりしていたから、目新しい気持ちで素直に聞いたのを憶えてる。


 だからだろうか、その「相庭悠」に告白された時、結局こいつも他の連中と同じだったのかと勝手にガッカリして、だからいつも以上に言葉がキツかったかもしれないのは。


正直誰かにどう思われようと関係ないと思っていた、精々泣かれたら面倒だなとか。


表向き出来過ぎなこの女はどう出るだろうかと一瞬は考えたんだ、泣くのか怒るのか嫌悪するのか無視し出すのか。


で、まあ、どれでもなかった訳だけど。


 それがある意味俺の世界を覆された瞬間だったんだろう、ある意味な。


この女ときたら、フルオープンにも程があるって態度で、こっちが何言っても堪えやしない。


正直、「あの子」がこんな女になっててもアレだなと思った事は事実だ。


まあでも、今までの女よりかはマシだなと思ったのも本当。


少なくとも「イメージ」と違うと言っては勝手に幻滅したり失望したりされる事はなかったから。


どうせよくある恋に恋するタイプってやつなんだろと、放っておきゃその内飽きるだろうと思われた。


 そして俺は相庭悠をナメていたと言わざるを得なかった。


何度なんなんだと思ったか知れない、マジでなんなんだあのバイタリティは。


ある意味あの体力テストで恐ろしい数字を叩き出したらしいのもわかる話だ、本人の容量がまず異常過ぎる。


だがそれも後日世界的な(裏の意味で)格闘家の娘だと聞いて漸く納得した。


あらゆる意味であれは血だろ。


 俺にも順応力なんてものがあったのかと驚きもしたな。


アレに慣れるとは当初露ほども思わなかっただけに。


いればいたで厄介だが、いなければいないで物足りなさまで覚える始末だ。


慣れというのは心底恐ろしい。


 でもいつからか、だからいいんだと思うようにもなった。


俺のダチと言えるのは本当に少数で、しかも相庭同様癖のある連中だけだ。


言ってみれば、俺自身がそうだから結局類友なんだろう。


俺と友達になってくれるなんて奴は、いちいち俺の言う事ややる事を真に受け過ぎててもダメだって事だろうな。


不本意だが、相庭は鈴木や明石と同じで絶妙にそのバランスがよかったんだと後になって思う。


 本当に変な奴だ。


自分の感情にはしゃいでいるだけの奴かと思えば、俺自身でも気づかないような事ずばっと切り込んで来たりするし、かと思えば頓珍漢な事は言い出すしやるし、真っ直ぐしてるのか曲がりまくっているのか……ただ俺自身退屈はしなかった。


鈴木や明石でさえ距離を置いているような所まであっさり入って来るくせに、妙なところは自分からストップかけて踏み止まって。


俺の事ばっかり考えてんじゃねえのかって、我ながら恥しい事まで考えさせられたりもした。


 でもどんなに相庭がいい奴で気の置けない奴になっていっても、俺の中にいるあの子は消えなくて。


相庭に聞かれた時、なんでか誰にも言った事のない情けない事まで喋った気がする。


今思えば俺はすっかり相庭に気を許していて、こいつならそういうとこを知られてもいいような気がしていたんだろう。


そしてその時の相庭の嬉しそうな泣きそうな顔が、何故かあの子と初めて重なって見えた瞬間でもあった。


頑張れとそう言った相庭の姿と、颯爽と敵に立ち向かって行ったあの子の姿に、似たものを感じたからかもしれない。


 それからだったか、そう感じる事に妙に落ち着きのなさを覚えたのは。


ぶっちゃけあの子の顔はあんまり憶えてなかったし、女は年取る毎に別人になるとか言うから、面影を探そうにも結構無理があった。


精々憶えているのは、当時あの子を見て「あんなに可愛い子が」と感じた記憶があるから、まあそうなんだろうと思うけど。


だからってその子が当時のまま可愛く育っているかというのも疑問だし、子供的な可愛さと言うのもあるし、大体人の美醜はどうでもよかったから気にしない俺自身が問題点の一つだった。


 相庭を気にし出してからというもの、何故か益々あの子に会いたいという願望は強まった。


それも俺自身が過去と現在の感情に振り回されていたからなんだろう。


相庭の事を何だと言っておいて、どっちか言えばストーカー気質なのは俺の方だと思う。


我ながらあの一瞬の出来事で恋をして、ここまで長年執着し続けていられるのは空恐ろしいものがあるしな。


相庭でさえ過去の初恋には後悔があると言ってもその恋愛感情までは区切りをつけているようだったのに。


俺ときたら何をするでもなく、諦めるでもなく、しかも新しく幅を取り始めた現在の感情さえ上手く動かせなくて。


 それを大いに自覚させられたのは、相庭が連れて来たあの外人の一件だろう。


あんまり思い出したくはないんだ、流石に恥ずかしいし、……何よりむかつく。


同時に俺の感情が相庭によって動かされる幅がどれだけあるのかも自覚した。


自分じゃ無意識だが、だからこそ後からその行動の意味を考えると恐ろしい事になる。


未だ俺を好きだと言う相庭に応えられる訳でもないのに、自分のその行動や感情が酷くずるい気がした。


あいつが真っ直ぐで、俺の事で笑ったり怒ったり拗ねたり落ち込んだりはしゃいだり……そういうのを見ていると、尚更。


改めて友達になってくれというあいつに、上手く答えてやる事が出来たか、あまり憶えていない。


 早く答えを出してやりたいと思った、何より相庭の為に。


過去と現在を行ったり来たりしているような俺じゃなく、一つの心でちゃんとこいつの思いに返事をしてやりたいと思った。


本当はわかってたんだ、俺は今が居心地よくてある意味相庭の俺を好きだという気持ちに甘えていたっていうのは。


あの子が好きで応えられないなら、初対面の時みたいなあんな言葉じゃなくて、ちゃんと俺の気持ちを伝えて断ってやるべきだ。


多分そうすれば相庭はわかってくれる、メチャクチャな奴だけどあいつは俺の気持ちを否定しない。


 ただ情けない事に、俺はそれが怖くなっていた。


流石に断りを入れれば相庭だって距離を置く、いずれまた他に好きな男も出来るだろう。


……それが、嫌だなんて、自分勝手過ぎる。


あいつが俺を見て顔一杯に嬉しいって浮かべるだとか、バカな事言って笑うだとか、俺の事心配してくれるだとか、そういうのが全部他の奴に向けられるのかと思うと堪らなくなる。


よくストイックだと言われたが、本当にこんな俺のどこがだよと思う。


たまに鈴木や明石に笑いかけるのでさえ嫌なんだ。


こんな俺からなんて、さっさと解放してやる方が相庭の為なのに。


俺は昔から自分の保身の事しか考えていない、進歩のなさには呆れた。


 でもきっと相庭だけはそんな俺でもいいって言うんじゃないかって。


そう考えて、また自分に嫌気が差す事を繰り返す。









 田辺かすみと名乗った女が来たのは、だからこれも転機かと思った。


俺が憶えていない時点で田辺の言葉を信じるしかなかったが、それでも俺の何かが違和感を訴え続けていた。


ただそれが相庭への感情の所為なのか、それとも純粋に記憶にあるあの子とあまりにもかけ離れ過ぎている田辺の所為なのかはわからなかった。


だから田辺の言葉を余さず拾おうと、いい加減俺も気持ちの置き所を決めなくちゃならないと覚悟を決めたんだ。


 ぶっちゃけ田辺に関して信じられるのは彼女が持っていた「髪飾りの破片」だけ。


俺が持っているのと同じ花の柄だというのはすぐにわかっても、探りを入れようとすると田辺は肝心なところですぐ口を噤む。


信じようともした、確かに俺の記憶が曖昧だし女は特に変わるものだから。


でももやもやとしたものは俺の中に溜まり続け、鈴木や明石にも相庭にだって散々心配かけたと思う。


 けどそれでちょっと気付いた、田辺は俺自身を見ようともしていない事に。


懐かしいからとか会いたいとか言って、それこそ校門で待ち伏せされた時には流石に引いた。


だからこそ相庭が如何にノーマルだったかに気付いたけど。


田辺は全然違う、恩着せがましいと言うか、断るとこっちが罪悪感を抱くような言い方をする。


その上彼女が話すのは殆どあの時代の事ばっかりで、今お互いにどうしているかなんて一言も口にしない。


大体周囲がビビるくらい自分でもピリピリしてんのがわかるのに、田辺はどうしたともこうしたとも聞いては来なかった。


 少しずつ少しずつ違和感は確信に近付いた。


でも田辺が嘘をついているという疑問を持っても、確信もないのに問い質す事も出来なくて、そして話題を振ろうとしても避けられ続けて。


田辺の言う事が本当だとしたら、彼女は確かに俺の好きな人のはずなのに。


どこでまでも定まっていない自分自身の心が、もどかしくてイライラする。









 そんな中で相庭が俺に背を向けた事が途方もなくショックだった。


こんな事をやっている俺に愛想を尽かしたって当然だろうに、頑張れと言い残して走り去ったあいつを見送る事も出来ず、田辺と何を話したかも憶えてないまま足はいつの間にか後を追っていた。


何を言うつもりかなんて考えもしないで、漸く見つけた姿が見知らぬ男と親しげに車に乗り込んで行くのを見て、あいつがどれだけ田辺の事でショックを受けただろうかと今更になって考える。


自分の無神経さに眩暈すらした。


 その時の俺はまさしくストーカーだった。


相庭が戻って来ないかと彼女の家の前でうろうろして、実際通報されてもおかしくはなかったな。


そして俺の前に現れたのは相庭でも警察でもなく、彼女の父親だった。


心許ない街灯に照らされているその姿は、以前見た陽気な男という印象は微塵もない。


「お前、俺の娘、泣かしたな」

 じっと俺を見据えて唐突に言われたその一言に心臓が突き刺された。


相庭の気持ちをもう本気だとわかっていたのに、それぐらい傷付けたという事にも思い至らなかった自分が酷く情けなくて腹が立つ。


 どんなにバカみたいだってめげなくたって、あいつは男の俺とは違う……女の子なんだ。


俺みたいなのをあんなに好きになってくれた、他の奴が好きだって言う俺の事すら励ましてくれた。


今の俺はいつの間にか、そんなあいつに支えられてたんだ。


「泣いて、たんですか」


「多分な。あいつ昔から人前じゃ泣こうとしねえし。まあ主に俺の前だけど」


「すみません、俺の、所為です。俺が、無神経だったから」


「わかってるっつってんだよ。あいつが泣きそうなの見たのなんて後にも先にも前の失恋以来だからな」


 恐ろしいほどの眼光で気圧されるだけじゃなく、その言葉に全身が衝撃を受けた。


本当に俺はどうしようもない、あいつの過去に妬いたって仕方ないのに。


俺の好きな奴の話しなんかされて、一体相庭はどんな気持ちで俺を励ましてくれたんだろうか。


そんな事すら俺は考えていなかった。


「お前に何かすると俺があいつにボコられるからしねえけどな。でもクソガキ、お前も男ならケジメつけろ。テメエにフラレりゃあいつはまた泣くかもしれねえけど、あいつはちゃんと立ち直る。ただ今みたいにあいつの気持ち振り回して泣かすような事はすんな」


 そうか、この人――あいつの事、大事なんだな。


「わかってます。ちゃんと、ケジメつけます」


「あークソ、胸糞悪ぃ。あいつが泣くとあいつの母親に怒られてるみたいで嫌なんだよ」


 ガンと横の壁を蹴り付けて、暗い道を引き返して行くその後姿をじっと見送った。


そして俺もその場から踵を返す。


 もうわかった、俺が今大事なのは誰か。


会いたいのも声を聞きたいのもいつもの笑顔が見たいのも、バカな事言って笑い合って、これからも一緒にいたいのも。


今、俺は――。


 それから一週間、逃げ回る相庭を追いかけ続けた。


改めてあいつの身体能力の高さを思い知らされると同時に、自分が知らずどれだけの事をしたのか痛感した。


もう二度とこのまま触れる機会を失うんじゃないかって、俺も全力で追いかけた……にも関わらず逃げられている。


運動部が揃いも揃ってあいつを追い掛け回してもまず捕まらない訳だよ。


 そして今日こそはと思っている内に毎日の全力疾走が祟ったのか消化不良起こして腹痛ときた。

その上爺さんが出かけてる時に限ってまた厄介な奴らが来る。


たまにあるんだ、道端で爺さんに説教さてた挙句どつかれて恨み晴らしに来る奴が。


ただ日と時間が悪かった、よりによってガキ共が稽古に来ている時だったからだ。


しかも相庭がそんな中来た時には、正直ぞっとした。


あいつを傷つけられでもしたら、自分自身が、何をするかわからなかったから。


 ――で、俺は心底バカだったんだなと思い知らされる事になった訳だが、まあいい。


結果よければ全てよし、だ。


しかし今になって思えば本当にどうして気付かなかったんだろうと半ば真剣に悩む。


大体最初から規格外だったじゃないか、今まで俺に最初からなんて例外はあの子以外にはなかったんだ。


無意識に気付いていたんじゃないかとさえ思う、誰かに目を奪われるのは相庭で二度目だったんだから。


迷う事無く相手に立ち向かっていったあの時とちっとも変わらないその姿に、すでに二度目の恋をしていたと知った。


 田辺にもちょっと感謝したいくらい。


だからあいつもいつか見つけられればいい、自分自身が作り上げた鬱屈とした世界をぶち壊してくれる奇想天外な誰かを。









 ところで相庭は気付いているんだろうか、俺が気付いている事に。


それから俺があの時の情けない虐められっ子だって事に。


でもまあいいか、何せ本人が大事なのは今だって言ったんだからな。


昔の俺をどう思っていようと、それはきっかけに過ぎないんだろ?


大概俺も相庭の事を言えないくらいアレな奴だったらしいしな。


そんなんもいいんじゃないかと思ってしまう、毒されてんなとも思うけど。


 他の誰かじゃきっと俺はダメだった。


慰められても優しくされても叱られても心配されても、俺はあの場所から出れなかった。


あの頃の俺をぶち壊したのは、確かにあいつだけだったから。


多分、あいつが拳振り上げて飛び掛って行った瞬間、俺の心も決まってたんだろう。


それに今も同じだ、あいつ以外には他の誰も口に出す以上の行動には移せなかった。


 とはいえ、実は負けっ放しも嫌な性格だと俺自身がもう知ってるから。


今後は俺も負けてやるつもりはねえけどな。


まだまだ先は長い、逆転するチャンスもまだまだ転がってる。


「お前ってさあ、ホント――むかつく」


 ある意味ちっとも思い通りにならない。


いつもどこか俺の予想を超えて、お前は俺の先を行く。


でも今度はこっちから。





 これが俺の宣戦布告だ。





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