20.ガマンも必要!
いやいや、いやいやいやいや!ないって、ないないない!
私が勢いよく首を振ると、笹原君はまたじっとトンボ玉を見てから顔を上げた。
「もう一つ付いてたって言ったな。どんなやつか憶えてるか?」
「えっと、これよりもうちょっと濃い水色で、あっちは白じゃなくピンクの花だよ」
ピンクとか嬉し恥ずかしながら親父さんに言ったんだよなあ。
実は好きなんですけど、あれ以来こっちも軽いトラウマでピンク色なんて他に持った事ない。
あっちも凄く可愛かったんだよ、っていうか実はあっちの方が気に入ってた。
笹原君はまたしても鬼気迫る表情で私を凝視する。
ななななななんすか!私がピンクの花の髪飾りを持っていた事に何か問題でも!?
あると言われたら流石に人差し指を突き付けて高らかに異議ありいいいいいいいいいいと叫ばなくちゃならない訳ですが。
「これ、まだちょっと預かってていいか?」
「うん。……あ、でもそれ田辺さんが持ってたって」
「確かめる。そういえばなんで田辺と一緒だったんだ?」
「聞かなかったの?」
いや、そりゃ来た理由は言えないか。
恋は時折突飛な行動に出させるもんだよね、うん、覚えがあり過ぎて何も言えんわ。
「聞いても答えないんだ、あいつ。この辺の昔の事ばっかで、自分の事も話したがらないし」
あーうー、それは確かにそうかもしれない、ちょっと自分からは言い辛いよね。
「そうだ、笹原君、お腹大丈夫なの?」
「ああ、今は別に。ところでここんところ、かなり逃げ回ってくれたな」
がっつりと手を捕獲され、事情聴取開始らしい。
「えー……思春期ですから箸が転んでも逃げたい時があるよね」
「俺から?」
「あー、そう、じゃなくって。なんと言いますか、誰にも縛られたくないと盗んだバイクで走り出す的な」
「相庭って、昔から武術とかああいうのやってたのか?」
また急に話題変わるとか一体何なの、この会話の先に何があるのやら。
とりあえず頷くと笹原君は眉を寄せて考え込むように視線を逸らして、やがてまた私を見る。
本当に何で気付かなかったのか自分のアホっぷりには完敗で乾杯です。
だってもうこの目なんて全然変わってないところもいいとこだよ、流石私が二度惚れただけある、その目に見られると魂が抜ける。
顔とか背とか体格とかはまあすっかりあの頃とは変わってるけど。
しかしあんな小さくて如何にも内向的そうだった子がこうなるとは……人間って神秘。
でもそうか、優しそうだなと思った印象も変わってなかったって事か。
あああああああああだから惚れ直してどうするううううううううううううう。
「悠たあああああああああああああああああああばばばばばばばばばばばばばばば」
「叫ぶな、ご近所迷惑」
飛び込んで来た親父様にアイアンクローをかますとあっさり完全沈黙だ。
「こんなとこにいた!勝利兄ちゃん、悠さん、寿司来たよ、早く食おうぜ。遅いから迎えに来ちゃったよ」
「お前ら待ちだってクソジジイが煩ぇんだ。悠たん、早く!パパ腹減り過ぎておかしくなっちゃううう」
「それで平常運行でしょ」
やれやれ、なんかちょっと助かったようなそうでもないような。
しかし笹原君の話したい事ってさっきの事だったんだろうか?毎日人追いかけてまで聞きたがる事か?
でも私が古武術やってるのは今日わかった訳で……あれ?
親父様に引っ張られながらちょっと振り向くと、笹原君と目が合った。
ただじっと、真っ直ぐに私を見つめている。
どうしてなんだろう。
あの時も、今日も、確かに笹原君の顔には驚愕が浮かんでいたはずなのに、私を嫌悪していたはずなのに。
今の表情からは、いっそ何も読み取れない。
ひとまず、表面上は元通り。
「本当に表面上ね」
「それは言わないお約束でしょマダム。一杯いかが?」
紙コップにレモンティーを注ぐと、やはりマダムはワイングラスよろしくそれを器用にくるりと回す。
「逆に面白いからいいけど。今までと立場逆転してて超笑える。あんた達見てると飽きなくていいわあ」
だからオモロオカシイ見世物じゃねえっつーの。
「色々言われてるよ。笹原君が本気になり過ぎて逆に悠が引いちゃったとか、悠に他に好きな人が出来たとか、ある意味これも悠の作戦の一つだとか」
「あっはは!こいつに駆け引きが最初から出来てたんならもっと上手くやるわよねえ」
「ねー」
久しぶりに三人で昼食だって言うのに……笑い合う友人達の声が何故か心に痛いんですけどこれなんて現象?
「で、実際どうなの。あの大魔神が自らあんたに声かけにご光臨してんのに、あんたの方はなんか引き気味じゃない。興味失せた?」
「NOT失せた!いや、うう、だから困る」
「え、やっぱオトモダチでいましょう路線?」
「始発が出たのかどうか定かではないんですが。んー、しかし別の路線の始発はすでに出たようで」
「悠、意味わかんない」
「察して下せえ、頼子さん」
笹原君がいつ言うかいつ言うかとこっちも気が気じゃないもんで、なんかこうつい上の空に。
こうなったらもう笹原君にも自ら聞くしかないんだろうか。
カノジョさん的には私と笹原君が友達でいるのも嫌だって感じだったし、でもそれを笹原君にどう言ったもんか。
難しい、どう転んでも恋愛は難しい。
失恋して後は自分の気持ちにケリつけようねハイ終了って訳でもないんだな、逆に厳しい。
「でも最近笹原一人で帰ってるみたいじゃない」
そうなんですよねえ、それも解せないと言うか。
でも笹原君が流石に校門での待ち合わせは止めさせただけだとも思うし。
カノジョさんが納得する友達の距離って難しいな。
あの調子じゃ私と笹原君が話すのもダメって感じだったし、でも笹原君は気にしてないみたいだし……ううううう。
「ダメだー、ストレス堪り過ぎてここ最近マジで辛い。ねえ、自ら失恋確認しに行くのってアリ?」
「まあ、私ならうざいけどね。空気読めよって感じ」
相庭悠は12000ポイントのダメージを受けた!
アキ様と言う名のラスボスは不敵に微笑んでいる!相庭悠はまごまごしている!
「やっぱりあの子と付き合ってるの、笹原君」
「うー、あの子はそう言ってた。笹原君は話し出してくれないんだけど」
やっぱり気を遣われてるなら、私から特攻すべきだよな、うざいけど。
「別に聞くくらいいんじゃない?悠はさ、笹原君に事実言って貰って、区切りつけたいんでしょ」
「そう、なのかな。うん、でもそうしなきゃなんだよね。笹原君てばイマイチわかってないみたいって言うか、もうちょっとカノジョの気持ちも考えてあげろよって言うか」
「あいつそこんとこ天然ぽいわよね。カノジョがいても友達付き合いはそのままって感じじゃないの」
それを肝心のカノジョさんが嫌だって言うんだからダメなんだよなあ。
私の区切りはともかく、まず笹原君にとってもそこが一番重要のはずだ。
何せ笹原君があれほど好きだって言ってた人なんだから、そんな人が嫌だという事はしないと思う。
「よし、さり気なく言ってみよう」
「あいつにそれで通じるかねえ」
「あはは。笹原くんてさ正論で、友達は友達、カノジョはカノジョ、とか真顔で言いそう」
……言いそう。
溜息を堪えつつも午後の授業を終えて、笹原君とこのクラス行ってみたらすでに帰ったと言われ。
タイミングもよろしくない。
なんと言ったらいいもんかなあと家へ帰りながらごにゃごにゃ頭の中で言葉を捏ね繰り回す。
田辺さんという人が出来たんだから、これからはあんまり話はしないようにしよう、とか?
ああああああ、なんでとかあっさり言われそう、しかも私もそんな事言うの微妙だ。
私から田辺さんの学校生活を話す訳にもいかんし、どうやったら納得してもらえるのか。
つか、私がそんな話し切り出すのも何か変じゃないですかね。
ここはホレ、カノジョ出来たからやっぱお前ムリとか言われるとこなんじゃないですかね。
そりゃあ複雑だ、正直辛い。
でも全然話せなくなったりするのはもっと辛い。
でもでもカノジョさんとしたらそれ以上に辛い訳で……あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ。
「うがあー!」
「道端で奇声を上げるなよ、お前は」
「上げたくもなるお年頃!……うわあ、笹原君」
「最近そのリアクションばっかだな……」
そ、そんな悲しそうな顔するなよう!こっちも色々複雑な乙女心が摩訶不思議なアドヴェンチャーで林檎色のモンスターが駆けて来たりナッツの匂いのエイリアンが飛んで来たりするのよ!
顔見れて嬉しいよ、泣きたいくらい嬉しいよ。
でも寂しい、今までのように駆け出しちゃダメって線を引かれたから。
ああ、首輪引かれる犬の気持ちがよくわかる……息苦しい。
「あ、えーと、逆ストーキングで待ち伏せ?」
「そうなようなもん」
「冗談だからそんな怒らなくてもってマジすか!……な、何かご用?」
「五丁目に付き合え」
ワオ、命令されちゃったわ、バウワウ。
「五丁目って、例の?」
「昨日行ったら閉まってた。それにどうせならお前も一緒のがいいだろうと思って」
な、何しに行くんだ?
ドキドキしつつも探偵の助手よろしく笹原君の一歩後ろを付いて行く。
「なんで下がるんだよ」
「え、えーと、なんででしょうね」
もー!この際逆に察しろよ!カノジョ持ちの男が違う女と隣並んで二人で歩いてたらアレでソレだと誤解されるだろうが!
キー!こういうとこちょっとやだ!あークソ、でも嫌いでもない!キイーッ!
「あそこだよな?あ、今日は開いてる」
「お、久しぶりー」
天の助けとばかりに見えて来た店に駆け寄ると、気配に気付いたのか奥にいた親父さんがこちらを振り返った。
店の入口でも熱気が篭ってて、どこか懐かしい匂いがする。
「悠坊!」
「おっちゃん、数ヶ月ぶり!」
「なんだよ、ちっとも顔見せねえで。いつでも来いっつっただろ」
赤ら顔で汗を拭きながら出て来た親父さんは大きな声で笑いながら私の頭を撫で回す。
「こんでも学校とか忙しかったんだよ」
「へえ、そりゃ難儀なこったな。なんだ、カレシ連れて来やがったのかあ」
ありがちに誤解されてしまった、おっちゃん……今その誤解は相庭悠に痛恨の一撃です。
笹原君はちょっと驚いたようにしながらも中に入って来て会釈する。
驚くよなあ、この親父さん、テンションが仕事モードの時は物凄い仏頂面の無愛想だから。
「で、新しいの作りに来たんだろ?」
「いや、今日はちょっと別の用で」
そう言って笹原君を見ると、笹原君はポケットの中からハンカチに包んだ物を親父さんに差し出した。
って、え、それ。
「え、え!?なんで!?なんで両方持ってんの!?」
この間笹原君から見せられたトンボ玉の横に、もう一つトンボ玉が並んでいる。
今でもつやつやとした丸いそれにはピンク色の花が咲いていた。
「これ、ここでこいつが作って貰った物ですか?」
「あー、そうだなあ。なんだ悠坊、失くしてねえじゃねえか」
いやいやいやいや、実際失くしたんですって!もう一つの方まで拾ってくれてたなんて初耳ですって!
「こいつ昔猿みたいな奴でよお。それがこれ髪飾りにしたいとかぬかしやがって。俺ぁこいつも色気付くようになったもんだって感心したもんよ」
「超余計なお世話!」
「まあお前、あのクソ坊主の娘だからなあ。あのまま一生猿みてえの育つのかって、こんでも心配してたんだぜ」
「だから超絶余計なお世話!」
くうう、昔の恥をこんなところで笹原君に暴露されるとは……これなんて羞恥プレイ?
「ほれ、こっちんとこにうちの店の印が彫ってあるだろ。間違いなく俺が昔こいつに作ってやったもんだよ。娘っこの髪飾りなんざ作ったのあれが初めてだったしなあ」
「そう、ですか。ありがとうございました」
「いいや。兄ちゃん、こいつぁ今も猿だが、これで気はいいんだ。仲良くしてやんな」
「はい」
いいいいいいいい言わんでいいからそんな事!笹原君も律儀に合わせなくていいから!
顔から火を噴き出しそうな思いで工房から笹原君の背を押して出ると、笹原君はハンカチごと再びトンボ玉を自分のポケットに入れる。
「悪い。もうちょい付き合って」
「いいけど……どこに?」
「田辺んとこ」
ああ、田辺さんとこね――…………はい?
「ちょちょちょちょちょちょっ待った!待ったあ!異議ありぃ!」
「なんで」
うわ、意味合い違うけどやっぱりなんでって言ったよこの人。
「いやいや、逆にこっちがなんでだ」
「これ、田辺が自分のだって言ってたっつっただろ。お前に返す前に、その辺の真意も確かめとく」
それは大変構わねえんですが、それって私が同行しなきゃならない問題でしょうかね?
なんだって田辺さんが私のトンボ玉持ってたのか、でもってなんで自分のだって言ったのかわかんないけども。
「そういえば、もう一つも田辺さんが持ってたの?」
「いや、これは……あ、バス来た」
さっさと二人分の料金払って乗り込んでしまう笹原君はそれから椅子に座ってじっと窓の外を眺める。
その隣で私も訳がわからないまま同じく窓の外を眺める。
えーと、この展開の終点はどこですか?
本気で何だかよくわからないが、折角田辺さんに会いに行くんだ、これが機会と思って帰りにちゃんと笹原君に言おう。
また一緒にいる事になっちゃって田辺さんには申し訳ないけど、一緒に出かけるのはきっとこれで最後になるから。
この一回だけ、目を瞑って欲しい。
こっちこそ、ごめんね。
「あの人、フツーだったな。前に見た時通り掛っただけなのに怒鳴られてさ。職人てそういうもんかと思ってた」
ふと笹原君が言うのにちょっと笑ってしまう。
「仕事モードじゃなければあんな感じだよ」
まあ余計な事までぺらぺら喋る口を持っていやがるのは私も今回初めて知りましたが。
「やっと笑った」
小さい溜息と共に呟かれた言葉に顔を上げると、隣の笹原君はもう窓じゃなくて私を見てた。
あ……、心配とか、掛けちゃってたかな。
「え、えーと、なんだ、最近、その、ごめん。ちょっと色々と情緒不安定な乙女心なのですよ何せ秋なのだから」
「よくわかんねえ理屈だな」
「秋はメランコリックになるとか言うでしょ」
「道場での事、逆に気にしてんのかと思った」
よかったって、そんな風に優しく言わないでよ。
そんなだからこっちの欲も出ちゃうんだよ……なんて、笹原君が悪い訳じゃないのに。
まるでエサを前にお預けをされている犬だ、バウワウ。
「ねえ、帰り、私もちょっと話したい事ある」
「ん、わかった」
ぎゅっと心臓が締め付けられるように痛む。
もっとこうしていたい、色んな事話したり一緒にいたい。
友達でも嬉しいのに、苦しい。
笹原君の一番大事は別の人だと思うと、寂しい。
でも笹原君が笑ってくれるならいいや。
自虐だろうが偽善だろうが何だろうが、その方がやっぱずっといい。
大事な彼女の望みなんだもん、それがわからないでも叶えられないでもない笹原君じゃないって信じてるよ。
だからちょっと女友達は遠慮しなきゃだよね、それも友達ってもんだよね。
うん、待て、せめて後数時間は出番を待ってくれ、その時が来たら今度は思いっ切り垂れ流しさせてやる。
涙も鼻水も、だからちょっと今は「待て」だ。