17.家族団らんも大事に!
思うに、これがもし夜中だったのなら、家政婦なんかが目撃した挙句、死体隠蔽の犯行現場にしか見えなかった事だろう。
完全沈黙したままの親父様をぶつぶつと呪いの言葉を吐きながら、自宅である事務所の二階まで担ぎ上げる神崎さんの形相を見ていたら疑う余地もないに違いない。
面倒見いいとか旧友だからとかじゃなしに、曰く「こいつがうちの事務所の前で死体になっている所を発見されでもしたら俺が事情聴取等で面倒臭い死ぬなら人様に迷惑のかからない所で一人でひっそり埋まって死ね」らしい、ご尤もです。
しかし未だにこの人達の関係ってわかんないわ、神崎さんに改めて自己紹介された時なんて親父様を指差して「こいつとは縁も所縁もないし今後も絶縁したいくらいだけど、悠ちゃんとは仲良くしたいと思っているからよろしく」だもんなあ。
神崎さんのお姉さんも弁護士で、また似たような事言われたし。
ホント一体何やらかしたんだかうちの親父様は……想像つきそうな感じがまたアレだな。
「お邪魔しまーぎゃふ!」
「悠ちゃん久しぶり!」
二階のドアを開けたとたん突進して来たのは神崎さんのお姉さんの明日香さん。
弟のキッチリとした見た目に反してこちらはふわふわの綿菓子って形容がお似合い、物凄く可愛い。
しかしこの十代とも思わしき外見に惑わされていると痛い目に遭うと業界じゃ有名のやり手弁護士なんだとさ。
「よかったあ、悠ちゃんが来てくれて。パパもママも私達がラーメン一つ作れないの知ってて色々送って来るんだもの、殆ど嫌がらせよね。残ったのは持って帰ってね」
「ありがとうございます。あ、じゃあ早速作りますね」
神崎さんが親父様をその辺にごろりと転がすのを横目で見つつ、勝手知ったる何とかでキッチンへ移動。
いつも思うけど二人して料理出来ないってのに何だってこんな料理人仕様なシステムキッチンにしたのやら。
若い内から独立した経緯とか、親父様との関係とか、まあ何かと謎の多い姉弟だ。
「こりゃまた……一杯貰いましたねえ」
「月遅れのお中元の余りが多いんだけどね。生物は最近送って来たから大丈夫よ」
キッチンの下には両手で抱え切れないほどの発砲スチロールの箱に入った大量のカニ、そしてはみ出る肉。
そしてお高そうなブランドロゴの付いたあれやらこれやら。
一体時価幾らの食事が出来上がる事やら。
「私、向こうの方用意しておくわねー」
これまたふわふわという擬音を飛ばしながらキッチンを鮮やかに出て行く明日香さんを見送って、とりあえず棚の下からカニ茹でる鍋の用意。
積まれた山の中を探ってみるとまたお高そうな食材が出て来たので投入決定。
カニとかこれ一体何匹いるんだろうなあ、ていうか箱開きっぱにしてたら脱走謀ってるよ。
はいはい残念ですけど美味しく食べさせて頂くんで観念してやって下さいねー。
あとは冷蔵庫に野菜もあるようだしスキヤキにしようかな。
「…………」
ちらちら。
「………………」
ちらちらちらちら。
「……」
ちら。
「チラ見ウゼエ」
「パパの気配に気付くなんて流石我が娘成長したな!」
「チラ見のくせにガン見とはどういう了見だ」
キッチンの入口の壁からこちらをチラ見していた親父様が人差し指同士をつんつん合わせながら内股でやって来る。
我が親ながらウザイしキモイぞ。
「んー、いや、大丈夫なんかなあと思って」
「何が」
大丈夫じゃないのはそっちの頭だろうに、何を仰る。
「あー、……いー、うー、えー、おー」
「ナメてんのか」
「ナメてなーい!……えーと、その、なんだ。泣きたい時は、パパの胸を貸すぞ!さあ、どんと飛び込んでおいで!ウェルカム!カモン!早く来てええええん!」
……。
「のーさんきゅー」
「お前、今俺がどれだけ勇気出したかわかってんの!?こんなパパらしい事言ったのある意味初めてなんだよ!?」
私が生まれてから十六年と弱、これが初めてと言う事実が世間ではどう言うかを知りなさい。
何一体、こんな時に。
大体「パパらしい」の見解の相違には深く大きな溝が横たわっているようだ。
「別に泣きたくないし」
「でも泣きそう」
「黙れ」
「あの説教クソジジイの孫となんかあったんか」
「別に。あと変なあだ名付けんな」
「何か変な事されたんか。何か嫌な事言われたんか」
「別に。大体笹原君はそういう事しない」
「でもあのガキが原因か」
「思春期によくある箸が転んでも泣きそうになる時期なんだよ」
「ああ、あのよくある……なるほど納得」
漫画の読み過ぎだボケ。
「……そか、わかった。まあでも、垂れて来ちゃったら我慢すんなよ。お前泣くの我慢すると昔っからブサ――ぎゃばばばばばばば!ばばばばばばば!ばあ!」
――……。
「パードゥン?」
「ナンデモアリマセン。つかおま、回し蹴りで壁に焦げ跡て。俺は弁償しないからな!」
サラバ!とか捨て台詞を吐いたかと思うと親父様は高笑いと共にキッチンを出て行く。
あいつ一体何しに来たんだか…………別に泣きたい訳じゃないし。
まだカニを食べられる感激の余韻が残ってるだけなんだってホント。
「ねえ悠ちゃん、今天地がバカ丸出しな高笑いしながら出て行ったけど、何かあったの?」
「親父様の脳内に何か嫌な革命が起きたみたいです」
「毎度のやつね」
「ええ、毎度で」
しかし出て行ったって、親父様がカニを見逃すなんて珍しいな。
……また余計な事しでかさなきゃいいけど。
あれが自分を本当に父親だと思い出す時は碌な事やらかさないからなあ、経験上。
「こっちの準備は出来てるから。天地の分まで食べるぞー」
バンザイとして笑顔でキッチンから出て行く明日香さんは本当に可愛い。
昔は明日香さんに憧れたもんだったなあ、容姿もそうだけど言動がとにかく可愛くて(仕事時以外は)。
初の失恋後も私が明日香さんみたいだったらよかったのにと思ったっけ、無理なのはわかってるんだけど。
せめてこの余りある体力だけでも平均値だったらなあとか、……今更なのもわかってはいたんだけど。
笹原君はあの子とちゃんと話しをしただろうか。
今のあの子とちゃんと向き合って答えを出す事が出来るんだろうか。
その結果が、私の二度目の失恋だったら、どうしよう。
ふと明石君が言ってた言葉を思い出して苦笑いが零れる。
私もやっぱり立派なエゴイストだ。
「鍋出来ましたよー」
「ああ、ありがとう。あ、俺が持つからそっちに置いといて」
「はーい」
キッチンに来た神崎さんが鍋を持って行ってくれるのと一緒に私もダイニング兼リビングの方へ行くと、すでに出来上がった様子でソファの上に寝転がっているのは明日香さん。
えー、ええーと。
「悪い。止めたんだけど、酒飲んじゃって」
「あーわー」
「まあその内起きると思うから」
だといいんですけど、結構大量に作ったから二人で食べ切れそうにないし。
「よし、と。あ、後は俺がやるから座ってて。飲み物麦茶でいい?」
「はい」
スキヤキ鍋をセットして座る間もなくキッチンへと消えて行く神崎さんの後姿を見送る。
ああ、どうせなら神崎さんがお父さんだったらと夢見た事もあったっけなあ、なんて現実は厳しいの。
しょんぼりしながらも神崎さんと談笑を交えつつ鍋を突付いていたら、復活した明日香さんも加わって久しぶりに賑やかな夕食となった。
テッドが帰国しちゃってから親父様と二人だけだったし、まあ親父様一人でも充分煩いんだけど。
「只今帰っ――ああああああああああああ俺の分のカニはああああああああああ!?」
「食べたよ」
私達の綺麗なハモりに何故か戻って来た親父様はがっくりとその場に膝をつく。
「一体どこ行ってたのよー。まあ心底どうでもいいけど」
「いいなら聞くなよ!」
けらけら笑って再び寝入ってしまった明日香さんに不貞腐れて見せてから、親父様はテーブルを挟んだ私の前にどっしりと座ってこれから食べるところだったおじやを抱え込んで貪り食べてる。
本当にどこ行ってたんだかな、相変わらず神出鬼没だ。
「全く。お前、あまり悠ちゃんに面倒をかけるんじゃないぞ」
「真っ赤な他人のお前に言われたくないですー」
「そんなだから俺は悠ちゃんが生まれた時うちで引き取るって言ったんだ」
え、初耳。
「重度のアニオタのテメエらなんかに引き取られる方がよっぽど迷惑なんだよ」
……え、初耳。
「恋愛漫画オタクの貴様にだけは言われたくないセリフだなあ?」
「はっ、二次元しか相手に出来ないお前とは違って俺は立派に娘まで儲けたもんねー」
「その娘に散々迷惑かけて父親面か、いい度胸だな」
「どうせお前は娘に迷惑かける事も出来ないもんなあ、何せ二次元だからガキも出来ない」
「俺の嫁を侮辱する気か!」
「あー、あのテレビ画面から出て来れない嫁ね。プッ」
「その挑戦状受け取った。俺のまりりんを馬鹿にする奴は万死に値する」
「久々にやるかコラ」
「表出ろ」
「待て待て待て待て!やるな出るな!ご近所迷惑だから。やるなら南極かどこかでやって」
いきり立って立ち上がった二人は暫しの間を置いて座り直す。
いや行ってくれても構わないんですけどね、全然。
しかし親父様から聞かされてはいたけど、神崎さんも明日香さんもアニメオタクだったとは……人間奥が深い。
仕事が忙しい所為だと思ってたのに、姉弟で二人暮しの理由がなんとなくわかってしまった。
そして二人がそれぞれの自室に足を踏み入れるなと再三言って来た理由も……。
「悠ちゃん、本当にうちはいつ来てくれても歓迎するから」
「前向きに検討しておきます」
「検討しちゃうの、悠たん!?こいつ美少女キャラの抱き枕抱いて寝てんだぞ、その上高校ん時そのキャラの寝言呟いた挙句いかがわしい夢見てたような奴なんだぞ!?パソコンの壁紙も猫耳女の画像だしカーナビも声優仕様の救いようのないキモオタなんだぞ!!」
マジでか。
残念なイケメンと言うより、いっそ無駄に他ステータスの高いイケメンだったか。
「まあ親父様よりはマシだし」
「はっはっはっはっ!ほら見ろ」
「キイイイッ」
いい大人が低レベルな争いをしている。
出来ればこうはなりたくないけど、不安な呪わしい血だ。
一通り食べ終わったし片付けようと思ったら神崎さんがいいよと制してくれる。
ううん、真面目に検討したくなって来た。
アニメオタクに弊害はないしなあ、何よりこの気遣いは親父様じゃ望めまい。
「じゃあそろそろお暇します。ご馳走様でした」
「俺達歩いて帰るから」
そう勝手に宣言するなり親父様は私の手を引いて歩き出す。
「え、ちょっと」
「こうして帰らないと外で泣き喚くジタバタする」
「神崎さん今日はありがとうございました」
「全く……。悠ちゃんごめんな、こんなバカで」
「いえいえ、こちらこそすみません、こんなバカで」
「君達、イジメ、カッコワルイ!」
神崎さんは律儀に後日お中元の残りを届けてくれると約束して下まで送ってくれた。
本当によく出来た人だなあ、救いようのないアニメオタクでもいいって言ってくれる人が現れればいいんだけど。
一体どれだけ救いようがないのかはちょっと考えたくないな、何せこの調子だと高校時代からそうみたいだし。
そして明日香さんもか……向こうはやっぱり美少年キャラが旦那なんだろうか。
すっかり暗くなった中を何故か親父様と手を繋いで歩くという何とも不思議なこの状況。
こんな風に手を繋いだ事なんてなかったなあ、そういえば。
「ごめんなあ」
「心当たりが多過ぎて何に対しての謝罪かわかりかねる」
「んー、最初から。色々と。わかってると思うんだけど、俺お前の事怖くてさあ」
秋口にピッタリのカミングアウトですねウフフ。
まあ確かにわかってはいたけど。
人とは違った意味で親父様は私の事が怖い、それは物心付いた時に気付いた。
多分それは親父様が今もお母さんの事が好きだからだ、……きっと好き過ぎる所為だ。
親父様はあまりお母さんの事は話さない、それも多分親父様がお母さんの事を独占していたいという表れだろう。
「でもお前の思ってる理由とはちょっと違うかもって、さっき思った」
「私がまた何か持って行くんじゃないかって、心配だったんじゃないの」
お母さんは私を産んだ所為で死んだ、詳しくはわからないけど私を選んだしまった事が原因だったんだと思う。
親父様はこう見えて大事なものが一杯あるんだ。
だから私にそれを取られるのが怖くてあまり家にも帰って来ない――そう、思ってた。
「俺お前の事大事なんだ、すげー大事なんだ。でも俺臆病モンだからさ」
「ああ」
「いや納得しないで!ここ、そんな事ないよって言う場面!パパは超カッコイイ大好きって抱き付く場面!」
「あーほーかい」
「ああそうかいと、アホかいをかけるなんて我が娘ながらお主出来るな!」
「本題に戻りなさい」
親父様は忙しなく頭を掻いたりした後、こほんと小さく咳払いをする。
「んだから、お前までどっか行ったら嫌だなあと思って。あんま顔見なけりゃそう思わないで済むかなあって」
「直刃さんが親父様を人の親になる訳ないと思ってた理由がわかるよ」
「だからごめんって!いや、今思うと真面目に育児放棄ってやつだったと思うんだけど。でもお前も悪いんだって!お前ガキの頃からあれこれ一人でやっちゃうし、俺の出番ないし!あんま懐かないし!」
そういえば物心付くまでは明日香さんがもろもろ面倒見てくれてたみたいだ、返す返すも有り難い。
明日香さんが老後の面倒とか必要になったら私が見よう。
流石に画面の中の旦那にそれは出来ないだろうし。
「逆ギレか」
「ううー。たいへんもうしわけございませんでした」
「別に端から期待してないからいいって」
「ううううー」
面白い顔だ。
「琳子さんさあ、年々お前と似て来る」
琳子はお母さんの名前だけど、それ逆じゃね?
ていうか、四年に一度のオリンピックペースでお母さんの事を親父様が話す時は決まってこうだ。
きっと親父様の中でお母さんはまだ生き生きとしていて、世界の中心にある。
「あの人な、由緒ある代々華道の家元とかってのの出なのよ、よくわかんねえけど家とか超デカイの。んで、その為に自分でも頑張ってたらしいんだわ、家継ごうって。何せ一人娘だったし」
初めて聞いた、親戚なぞいないと思ってた。
親父様自身が孤児だって言ってたし、自然お母さんもそうなのかと思ってたよ、意外だ。
「でもそれなりだったにも関わらずさ、父親の兄さん?の息子が家元の座に置かれちゃった訳。男だから、理由はそんだけ」
……面倒臭いな。
「しかも琳子さんお前みたいに凶悪な体力の持ち主でさあ、趣味でやってた空手だなんだってのも親にはよく思われなかったみたいだった。多分そういうのが寂しかったんだと思う。で、まあ、そんなような頃出会って俺必死で口説き落として、お前が出来て琳子さんは完全に勘当された」
……面倒臭いな。
道理で親戚だ何だって、影すら見えない訳だよ。
「俺細かい事色々出来ねえから、親の説得とかも出来なかった。どこのウマノホネとか言われたしな。琳子さんはもういいって言ってたけど、そうじゃなかったと思うんだ」
「そうかもね」
「でもお前が出来たってわかった時からあの人あんまそういう事で寂しそうな顔しなくなってさ。俺もすげー嬉しかったんだ、本当に。琳子さんはあの世逝っちまったけど、お前が生まれて、本当によかったなって思ってるんだよ。病気には勝てなかったとかいう奴もいたけど、琳子さんは勝ったからお前を遺していったんだ」
「わかってるよ」
わかってるんだ、別に親父様は私を疎ましく思うから遠ざかっていたんじゃないって事は。
ただまた失くすのが怖かったんだな、お母さんみたいに――私を。
「今更で、怒ってないか?」
「怒ってないよ。皆、親は選べないし」
「ううっ。……亮太んとこ、行ったりしないよな?」
「それは前向きに検討するけど」
「しちゃらめえええええっ!」
「まあ、当分は、行かないよ」
ぎゅっと、親父様の手に力が篭る。
もしかしたら進歩のなさもこの親譲りなのかもしれない。
親父様は未だお母さんが好きだ、きっとずっと好きなんだと思う。
普段は腐った魚のような目をしているくせに、時折こうしてお母さんの事を話す時の親父様はそんな目をこれ以上なくキラキラさせてる。
小さい頃、思った。
そんな風に私も誰かを好きになれたらいいなって。
だって数少ない写真の中で、お母さんはいつも楽しそうに、カメラの向こうの親父様に向けて笑ってる。
なんか癪だから、教えてはやらないけど。
「悠、お前、幸せになれよな」
親父様はまるでお母さんに語りかけるみたいに、天を見上げてそう言った。