16.今が大事、今も大事
おずおずと「ごめんな」と言われた言葉に私は思い切り頭を横に振ったけど、それすらも気を遣わせているようで逆に申し訳なくなる。
「や、本当に。二人に謝って貰うような事ないでしょ」
「そうなんだけどさ、でも流石に話くらいはしてやれよって言ってんだけど」
「なんかあいつやたらピリピリしてんだわ、って相庭も感じてるか」
昼休みに明石君と鈴木君の二人に呼ばれて屋上に行くなり一番に謝られてしまった。
二人を見るとちょっと疲れたような顔をしてるから、多分最近笹原君の機嫌が斜め下な所為だろうと思う。
なんだろう、イライラしてると言うよりは、変な緊張が続いている感じみたいに見えたんだけど。
この頃は話しかけても上の空、でも時折じっと私の顔を見詰めるのが更に謎。
「あ、そうだ、あの女子の身元割れた」
そんな明石君、それじゃあの子がどこかの犯人のようですよ。
「K高一年、田辺かすみ。元々はこっちの方に住んでたみたいだ、小学まで笹原と鈴木と一緒だよ」
「え、俺知らねえ」
「クラス違ったんじゃねえの?それに途中で引っ越したみたいだしな」
そっか笹原君は憶えてるみたいだったし、じゃあやっぱり昔馴染みって事かあ。
それぞれに昼食をとりながら、いつもならこの二人と一緒にいる笹原君の場所が空いているのがなんか物凄く寂しい気持ちになる。
笹原君、もしや私がいるのを察して回避したとかかな。
あー……ダメだ、この手の想像は危険だ、落ち込むと言うよりめり込む。
「なんかホント変だよなあ、笹原。あの子と帰るようになってからピリピリしてるかぼんやりしてるかのどっちかでさ。恋煩いってやつかと思ったけど、フツーやっぱ好きな女といたら浮かれるもんじゃね?」
ううん、一般論はそうなんだけど、私もそう思うんだけど、だからと言って笹原君がそうだとも言い切れない訳で。
まして浮かれる笹原君か……見たいようなこの状況下では見たくないような……。
「相庭、あいつら付き合ってるとかじゃないから、その辺はまだ安心しとけ」
「なんで言い切れんの?」
「鈴木が今言った通りだよ、幾らあいつでもあれはない。最近はずっとお前とのやり取り見てるし、尚更確信してる」
「だって、そんなの……」
友達と好きな人相手じゃ態度が違っても当然だ、そう言いかけた言葉は歪んだ唇の中に押し込んだ。
こんなの八つ当たりだ、二人とも折角心配して来てくれたのに……声を上げそうになる自分が嫌になる。
私は笹原君の好きな人が実際目の前に現れた事を直視出来ないだけなんじゃないかって気がしてしまう。
だから色々と理由を探して、笹原君の好きな人はあの子じゃないんじゃないかって……。
「あああああああもおおおおおおおおお!」
「お前もストレス溜まってんなあ。けど笹原もずっとそんな感じだよ。例えば好きな相手に告れないからってそんな嫌な方向にストレス溜まるかね?」
「だからあ、笹原君はそういうタイプかもしれないじゃないですかあ」
「そりゃ恋愛事も感情的な事だからそういう反面があるのはわかるよ。だからこそ好きなのに負のオーラばっか振り撒いていられるかって話。俺は正直わかんないけど、相庭見てて思ったよ。多分お前笹原のどっか嫌だなって思うところが出て来てもさ、そういう事で好きだって感情は消せないんだろうなって。そういうのが、好きって事かって……あーもう俺何こっぱずかしい事言ってんだ」
「いや、感動した明石君」
「余計恥しいんだけど」
いやいやいや、男の素晴らしい友情も見せて貰った。
「しかしまあ、私はともかく、鈴木君や明石君にもピリピリしてるのは解せないわ」
あの子との再会に何があったんだろう、こんなにいい友達にも話せずに一人で悩んでるのかと思うとむずむずする。
そりゃあ友達になんでもかんでも話せる訳じゃないけど、今の笹原君は多分誰が見たって落ち着かない感じだ。
何せ剣道部顧問始め部員一同ですらも笹原君の空気が悪いって何故か私に泣き付いて来たくらいだし。
動機はどうあれ、皆笹原君の事を心配してるっていうのに。
「解せないと言えば、もう一つ」
明石君はちょっと視線を落として言った。
「その田辺かすみな、多分だけど虐められてる。いや、虐めっつーか、シカトの類?いやシカトでもねえのかな」
それを聞いた鈴木君と一緒に思わずぎょっとなる。
いや確かに大人しそうな子だなあとは思ったけど、え、マジで?
「あっちの高校にいる奴に聞いたんだよ、したらさ、同じクラスの奴でさえ名前も知らなかった有様」
「な、なんだそれ」
私なんぞこっちが知らない人まで名前知ってる始末なんですけど。
「控えめに言って、物凄く大人しい子だって訳だよ。名前を憶えられてもないような」
大人しいってカテゴリだろうか、それ。
「で、同じクラスの奴にちょっと動向見てて貰ったんだけど、本当にいるのかいないのかわかんないようにあの子自身も過ごしてる感じ。これは聞いた話からの俺の推測だけど。休み時間でも誰と話すでもなくて、昼休みとかもいつの間にかいなくなってていつの間にか戻って来てる、行事は大抵休むから最初から数打ちもされてないって」
……なんだそれ……、なんか、それって……。
「だから、俺も解せない。そういう子がさ、幾ら好きな奴相手だからって堂々他校の校門前で人待ちするかね?」
「ど、どうなんでしょうね」
「小学ん時までは流石に調べらんなかったけど、あの子が三年間通った中学の奴に聞いても似たような反応だった」
な、なんか微妙な角度で胸抉られたようなダメージが。
ああこれって前に笹原君の言葉聞いた時と一緒だ。
何も楽しい事なかったって、淡々と言うようなその姿に、却って胸が抉られた。
「そうなんかあ。肝据わってる感じに見えたけどなあ」
「あの子のどの辺見てそう思った、鈴木君?」
まあ多分大半の人が大人しそうだなあとか内向的そうだなあとか思うんじゃないだろうか。
いや勿論外見的イメージだけで言うならだけど。
「だから、度胸なきゃ男でも他校に迎えに来るなんて出来ないだろー。少なくとも俺は出来ない」
「わかってる」
「わかってる」
「わかられるのも微妙な感じなんですけど。ともかく、その上あの子笑ってたじゃん。遠目にも笹原があんなピリピリしてんのにさ、それすら気にしてないみたいっつーか」
「あ」
それだ、違和感のその2、それだよ。
笹原君がピリピリしてんのに、隣のあの子だけが笑ってて、そうだ、その対比が違和感の原因だったんだ。
中川ちゃんじゃないけど、あんなあからさまに仏頂面し続けられたら流石にどうしたのとか聞くよね?
失礼ながら普段からあんな感じではあるけど、ぼうっとしてたら心配にもなるよね?
「あー、いや、でも、私達の見てないとこでは……」
「この間駅前でも見たけど、ずっとあんな感じだったぞ」
うわ、駅前に制服デートとか……う……ら……。
「相庭、後ろに人の顔した黒い怨念ぽいのが見える」
「ひいいいいっ」
真に受けるなよ鈴木君、そんなの明石君のいつものブラックジョークだよ、多分……多分ね、だってほら私の後ろに人の顔なんて………………今見えたのはキノセイダヨ。
うらやましいんであって、うらめしいではないから。
「だからって笹原がそうそう脅されるとも思えないけどな」
「脅して付き合ってどうすんの!?」
流石にそりゃあ話が飛躍し過ぎてるって明石君。
「目的の為に手段は選ばない人間もいるだろ。大きく言えば人間誰しもエゴイストだし、そこ開き直りゃ誰に何言っても何しても自分の正当性が通じると思ってる」
「話が一気に壮大に!え、そういう話!?」
「とりあえず、あれが惚れた腫れたの男女交際、もしくはその寸前だとは見れば見るほど誰も思わないな」
うう、結局なんか話の進展がさっぱりないような。
「ねえ、あの、笹原君の事、見てるよね?」
抽象的とも言えそうな私の言葉に鈴木君が頷いて笑った。
「大丈夫だって。俺も付き合いだけは長いし、あいつが話したそうしてれば見逃さないつもりだから」
「相庭も、一応気をつけた方がいい」
「何を?」
少し視線を落とした明石君はすっと息を吸い込んで一気に言う。
「さっき言ったのでわかったと思うけど、なんか何考えてるかよくわかんない感じだから。あの子の方から相庭に接触して来ないとも限らない」
「なんで?」
「あの子が笹原と再会した時に相庭が一緒にいたんだろ?」
「か、考え過ぎじゃない?私が笹原君と休日でも会ってるとか言うならともかく」
ええ、夏休み以来二人きりなぞ夢のまた夢ですけどね。
「俺もそう思うんだけど。なんつーか、思考が突飛な奴はいるから」
ごちゃごちゃと纏まらない思考を抱えて放課後立ち寄った公園でギコギコとブランコを漕いでみる。
何か考えなきゃなあと思うんだけど、色々あり過ぎてただぼけっと軋むブランコの音を聞いてるのみだ。
さっきまで多かった子供達は殆ど家に帰ったのか、辺りはいつの間にか誰もいなくて日が落ちかけてる。
ぽんと大きく地面を蹴って宙に足を伸ばすとまた大きくギコギコとブランコが鳴った。
そのまま足を伸ばし続けて揺られると、少しずつ音は止んでブランコは小さく揺れながらやがて止まる。
ああもう想像の斜め上の展開でどうしたもんかちっとも考え付かない。
元々ああだのこうだの考えるのって苦手だしなあ。
笹原君が笑ってさえいてくれてたら、それでいいと思えたかもしれないのに。
あの子が好きなんだなって実感出来たのなら、もしかしたらこの気持ちに整理をつけなきゃって何かする事も出来ただろうに。
……出来ないかもしれないけど、多分また物凄い時間かかるんだろうけど。
でも何も出来ない今よりはちょっとマシだったかも。
「やっぱり聞いてみようかなあ」
決意をつけるべく言葉にしてみてもなんかごちゃっとしたものが足を動かさない。
笹原君が何か悩んでいるなら、本当にせめて鈴木君か明石君かにでも愚痴ってくれていたらいいのに。
やっぱり笹原君が楽しそうじゃないのは嫌だな、もう他の子相手でもいいから笑ってくれたらいいな。
こっそり見てた春の頃みたいに、たまに鈴木君や明石君と話して可笑しそうにしてたり、他の事なんか何も考えていなさそうなくらい一生懸命剣道に打ち込んでたり、……そういう笹原君がまた見たい。
「らしくない……いっそらしくないぞ相庭悠!今こそ立ち上がらなければ武士の名折れ!」
「いつからお前は武士になったんだ」
「日本人たるもの心は常にラストサムラ――い?」
「時代錯誤も甚だしい」
「笹原君!?」
さ、笹原勝利、完璧に気配を断つ術をマスターしていやがる!
本当にいつの間に隣のブランコに……全然気付かなかった、不覚。
「あ、あああ、ああ、あ、あの、あの子、と、帰ったんじゃ、なか、った、の?」
これは武者震いで候!
「駅に行きたいっつーから、行って、俺はその帰り」
おおおおおお放課後駅デートしてました的爆弾発言をさらりと日常会話のように埋め込むとは流石過ぎる。
止めて、相庭悠のライフポイントはもうゼロに近いわよ!
「ああ、あ、ああああああのさあ」
「言いたい事はわかってる。ただ、俺も上手く説明出来ないんだ。確信もないのに言っていい事なのかどうか」
笹原君はブランコを少し漕いで先の方を見て言った。
そそそそそそれはあの子を好きかどうかって確信ですかねもしかしなくても。
……止めて、相庭悠のライフポイントはもうゼロよ!
し、心臓異体違う痛い心臓遺体違う痛い、抉れそうなくらい痛いっ。
「あの子の事、好き、なの?」
あんまりガクガク震えそうになるから、ブランコの鎖をぎゅっと握り締める。
聞いたよオラ聞いちまっただよ、どうするどうなる続きはWEB……だからこれはリアルだって!悲しいくらいリアルなんだって!
ああもうドラマならここでまた来週とかいう場面じゃないんですかね、しかし沈黙長いな!
「わかんねえ」
「えぇー……」
「そうだと思ってたんだよ、ずっとあいつが好きだと思ってた。そうだったはずなんだ。なのに数年ぶりに会ってわかんなくなって……何言ってんだ俺。こんな事言われたってお前もわかんねえよな」
残念ながらさっぱり。
ええーと、つまり、やっぱりあの子は笹原君が好きだって言ってた子で、でもずっと会ってなくて、実際再会したらよくわかんなくなっちゃった、と?
「あー、あー……と、何年ぶりなの?会うの」
「十年近いんじゃねえかな」
「あー……十年は、長い、ね」
笹原君の言いたい事もなんとなくわからない訳じゃないか。
小さい頃好きになって、約十年ぶりに会って、好きだった頃のその子と今のあの子が重なるってのも珍しいと思うし。
そりゃ当然あの頃とは変わっちゃってて、それが笹原君が確信出来ない原因なのかもしれない。
「えっと、ええーっと、前の頃はともかく、その、今のあの子は、好き?」
「……わかんねえ。変わり過ぎてて。根本的にあいつが変わった所為なのか、俺が変わった所為なのか、それとも――」
言葉を切った笹原君がおもむろに私に視線を向けて見つめて来る。
勿論それは前に好きな子がいるって言ってたあの優しい目じゃない。
どうしてか何か訝しげで、どこか不安そうに心許なさそうに揺れてる。
なんで、そんな目で、見るの。
「前にお前言ってたよな、好きな奴いたって。そいつと今会えたとしたら、また好きになれると思うか?」
「どうだろうね」
実際そんな事になってみないとわからない気もする。
大体私は今笹原君が好きなんだから、そこんとこわかってて言ってるんですかねこの人は。
あーもう、しょうがないなあ。
放っておけない、元気にしてあげたい。
辛くたって苦しくたって寂しくたって、私はやっぱりこの人が好きだから。
「過去は過去だよ、笹原君。過去はさ、きっかけになるけど、今笹原君が誰を好きか、それが大事だと思うよ」
だから早く、元気になってよ。
「相庭」
「勝利君」
笹原君の声と、その声が重なる。
同時に前を向くと、やっぱりあの子が笑顔で立っていた。
「私、勝利君に渡し損ねた物あって。それで、追いかけて来ちゃった」
少し息を切らしたその子は私の方を少し見て気まずげな顔をする。
「貴女、前にも会ったよね?勝利君のお友達?」
「え、えーと、はい、相庭悠、ですっ」
「俺に渡す物って何?田辺、もう遅いし今度でもよかったのに」
「だって……勝利君に会いたかったから」
しゅんとしたその子は何故かやっぱり私の方をちらりと見て怪訝そうな顔をする。
あ、これって、もしかしなくても、お邪魔?ですよね?
「送ってく。相庭も」
「あ、あー、いいよ!私近いし!そこいらの変態が来ても全然大丈夫!」
「そういう問題じゃないだろ」
「いい!いいって!えっと、まあそういう事だから、笹原君また明日!頑張って!」
自分でも訳もわからずまくし立てて、勢いよくブランコから立ち上がるとガシャンと音がする。
そのままダッシュで公園で入口まで行くと笹原君の声が聞こえて、私は振り返らず大きく手を振って再びダッシュした。
よくわからんけど走らなきゃ、今は走らなければならない時のような気がする。
人生三度は全力で走らなきゃならない時がある、今はその時のようです。
なのでとにかく走る、走る走る走る。
本当にもう未だ嘗てないくらい全力で走る、今私は風になってる……!
「わぎゃっ!」
「ぅわ!」
あの角を曲がれば我が家まで後もう少しという所で丁度曲がって来た誰かと出会い頭にまさかの衝突イベント。
……なんか最近ツイてないな……。
「すみません!大丈夫です――か、って……神崎さん!」
「いて……あれ、悠ちゃん」
尻餅をついている神崎さんに慌てて手を貸して起こすと、彼は苦笑いしながら吹っ飛ばされた銀フレームの眼鏡を拾ってかけ直す。
親父様の旧友とは思えないほどその姿は良識的で知的なイケメンだ、おまけに高そうなスーツががっつり似合う弁護士ときてる。
「本当にごめんなさい。痛いとこないですか?うわあ、スーツ汚れてる!弁償します!」
「いやいやいや、大丈夫。しかし丁度よかったな、今迎えに行こうと思ってたんだ」
「ミー?」
「ユー」
会う約束してたっけかな?……まさかっ!?
「遂にうちの親父様が神崎法律事務所にご厄介になるような事でも!?」
「いや、ご飯に誘いに来たんだよ。大体あいつには昔から個人的にご厄介になられてる」
ううん、笑顔ですけど目がマジです神崎さん、こりゃ根は深いな。
「実家から大量にカニが送られて来てね。俺と姉貴じゃ食べ切れないから」
「ああなるほど。それじゃあご相伴に上がります」
上がり切った脈拍を整えながら、家に向かって神崎さんの車に乗り込む。
これまた高そうな外車ですよ、この人実家もお金持ちだもんなあ。
「悠ちゃん?行くよ?」
「え?あ、はい」
助手席に乗ってから慌ててシートベルトをして、発車した中で流れて行く窓の景色を眺める。
目頭が熱いのは、多分カニを食べられるのが嬉し過ぎるからなんだ。
だってカニなんて久しぶりだもん。
そうに決まってる。
「もー腹減って死ぬー。亮太、キリキリ飛ばせやー」
「貴様はそのまま死ね。大体貴様を呼んだ憶えはない」
「親父様もいたんか……」
後部座席の下にだらりと寝そべっている親父様はわきゃわきゃ騒いでいたが、突如下がった運転席に押し潰されて完全沈黙した。
つまり、乗車は座席に着いてシートベルトを締めましょうって事ですね。