七話 季節の変わり目に寄せて ~翔一と春子、一茂と秋子の物語~
70歳を超えると、欲しいものも変わり、持っているものも変わり、食べるものも変わり、近所付き合いも変わり、趣味も変わり、散歩した歩数、ラジオ体操、ゲートボール、園芸、年金、老後対策、認知症、脳梗塞、血圧、癌、糖尿病、血糖値、コレステロール、ダイエット、名医の病院、ヤブ医者の病院などの話題が飛び交うようになりました。知らぬ間に、生活様式も大きく変わっています。
「昨日は5000歩も歩いたわ」「私は今朝のラジオ体操が終わったところだよ」と、日常の運動の話から、「この間、病院で血圧を測ってもらったら正常値だったんだ」「最近、園芸を始めたら心が落ち着いて血糖値も安定してきたよ」といった健康管理の話題まで、話の幅が広がっています。
年齢を重ねる中で、体の健康を保つことがますます重要だと感じるようになり、朝の運動や散歩が日課になっています。質素な朝食も、これまで以上に美味しく感じられるようになりました。日常生活の中での小さな変化が、大きな喜びとなる日々が続いています。
高齢者にとって焦りは禁物です。焦ってしまうとオレオレ詐欺を見抜けないようになりますので、そうならないためにも情報交換の場である飲み会は重要です。それなのに、その飲み会中に眠気が襲うようになり、早めに切り上げるようになってしまいました。
春子はとても元気です。「老化を歳のせいにしたくないのよ」と言って、ダンス教室に通うようになりました。最近は帰りが遅くなることもあります。
「ここ二日三日、目がゴロゴロするんだ。春子は大丈夫か?」
「私は大丈夫よ。ただ涙目がひどいだけだから。」
「なんだ。だったら二人で行くか。」
「そうね、じゃあ明日早めに行きましょうか。」
靖子の父、翔一と母の春子は二人揃って眼科に8時に着くと、9時から診察受付だというのに玄関前には既に10人もの列ができていました。並んでいる人の中には折りたたみ式の椅子持参の人もいて、まるで野外コンサートの待ち時間のように見えました。朝早くから待っている人たちの会話が耳に入ってきます。
「私は8時から並んでいるよ。」
「私は7時半からだよ。」
「私は6時半からよ。まだ誰も並んでいないから車で待っていたらウトウトしちゃって。目が覚めたら3人も並んでいたよ。」
80過ぎの男性に「車で来たんですか?」と尋ねると、「そうだよ。膝は痛いし歩けるわけがない。免許返納と言われたって病院に行かなければならないからね」と苦笑していました。彼のように車で移動しなければならない人々にとって、免許返納は大きな問題です。
8時45分、玄関のドアが開いて待合室の長椅子に座り、30分待ちました。もし9時に来ていたら、1、2時間待つのは当たり前だったようです。
診察に入る前に、視力検査、眼圧検査、視野検査、眼底検査、角膜形状検査、屈折検査、色覚検査、涙液量検査、角膜内皮細胞検査が行われました。
診察室に入ると、先程の高齢者が検査を受けていました。看護師さんが盛んに「これ見えますか?右ですか左ですか?」と尋ねていましたが、耳は遠く、杖をついて歩くのがままならない様子でした。その姿を見て、これで運転できるのだろうかと心配になりましたが、本人は全く問題視していないようでした。
翔一の診察結果は白内障とドライアイでした。見えにくくなることも歳のせいのようです。「白内障はまだ大丈夫ですが経過を見守りましょう。気にしないでください」と医師から伝えられ、白内障の手術は今後の経過を見守ることになりました。
春子の涙目は逆さまつげ等による刺激が原因ではなく、涙道障害が原因でした。涙道障害を改善する治療を行う前に、まず菌を殺すための目薬を一ヶ月ほど使用し、その後に治療に入ることになりました。
朝食抜きで診察を受けた翔一と春子は、帰りにスーパーでお弁当を買って家で食べました。お腹いっぱいになり、食後は昼寝をして過ごしました。年齢とともに変わっていく日常の一コマが、生活の一部として淡々と続いています。
「翔一さん、私、風邪を引いたみたいなの。夕飯作ったら早めに寝ますね、悪いけど。」
「ああ、分かったよ。夕飯なんていいからもう寝なさい。布団を敷いてくるから、あとでお粥でも作ってあげるから。」
「ごめんなさいね。でも大丈夫、寝てれば治るから。」
そう言っていた春子でしたが、深夜になっても熱は下がらず、苦しそうにしていました。翔一は心配になり救急車を呼び、病院に向かいました。病院に到着しても春子は苦しそうで、すぐ緊急治療室に運ばれていきました。
「これを投薬しても駄目であれば手術をして取り出さなければなりません。その場合は手術となりますので、この用紙に署名と捺印をしてください」と担当医師から告げられました。手術という言葉に体の力が抜け、立っているのがやっとでした。
春子の顔だけでも見たいと病室に入ろうとすると、看護師さんから「今、薬を投与していますので中には入らないでください。それがたとえ旦那様であっても駄目です」と言われました。
医師から症状の説明を受けたのですが、気が動転していて、医学の専門用語で説明されても頭に残っていません。緊急治療室へ運ばれたという現実しか頭に残っていなかったのです。
待合室の長椅子に座り、少しずつ落ち着きを取り戻しました。病名を思い出そうとしているのですが、全く記憶にありません。病名を思い出せないまま、そんな不安を抱きながら一体何時間待ったでしょうか。それでもまだ病室には入れません。不安が高鳴ります。もし私がこの世に置いて行かれたら、これが永遠の別れになったら、と悪い方向に考えてしまいます。
「二人の約束を守れよな。逝くのは順番通りだろう。男が残るほど惨めなことはないと言ってあるだろう。俺が最初に逝くのだ」と祈るような思いで待合室の椅子に座っていました。心配で眠れないが、ついウトウトとしました。
「どうぞ中にお入りください」と看護師が呼びに来て、病室に入れてくれました。病室に入ると春子はぐったりしていて、出産でもしたかのように汗びっしょりで横たわっていました。
「良かった、生きている」と肩の力が一気に抜けました。四十過ぎの品のある綺麗な医師がゆっくりと近づいてきて、丁寧に症状を説明してくれました。
「無事きれいに出ましたので手術の心配はございません。こんなにひどい便秘を見たのは何年かぶりですよ。本当に良かったです。あと数時間も経てばもう元気になりますが、今日は様子を見るため入院してください。明日には退院できますので、お疲れ様でした。」
ダイエットによる水分不足と野菜不足が原因の便秘でした。それ以来、「水飲んだ? 野菜食べた?」便秘だろうと何だろうと、生命に関する大変な出来事を経験した二人はお互いに健康の確認を欠かさないようになりました。
三人家族のときは「狭いながらも楽しい我が家」でした。ある日の夕方、尾崎優作の母、秋子は新聞の折り込み広告を見ながら、父の一茂に話しかけました。「一茂さん、これ見て。この家いいんじゃない?この年になると交通の便が悪くても庭があって、縁側に座って渋茶でも飲める、そんな家に住みたいわね。優作との思い出もたくさんあるけど、でも、これからは夫婦の思い出を作れる、そんな家がいいと思わない?この物件、ちょっと郊外だけど手頃な値段だわ。これからの老後を楽しめると思うわ。不動産に相談してくれる?」
一茂は新聞を読みながら耳を傾け、秋子の提案に一瞬考え込みましたが、すぐに微笑みながら答えました。「聞くだけ聞いてみようか」と言って、知り合いの不動産屋に電話を入れました。不動産屋はさすが商売人、すぐ飛んできて二人の希望を上回る値段で売買を成立させてくれました。
半年後、二人は郊外の庭付きの平屋の家に引っ越しました。新しい家は静かな田舎にあり、四季折々の風景が楽しめる場所でした。春には桜が咲き、夏には青々とした緑が広がり、秋には紅葉が美しく、冬には静かな雪景色が広がる理想的な場所でした。庭には小さな池と石畳の小道があり、縁側からはその風景を楽しむことができました。
引っ越しの翌日、二人は庭に座って渋茶を飲みながら、新しい生活の始まりを静かに祝いました。一茂は優作との思い出を振り返りながらも、これから秋子と共に過ごす日々を楽しみにしていました。秋子もまた、これからの夫婦水入らずの生活に胸を躍らせていました。
「ここでまた新しい思い出を作っていこうね」と一茂が静かに言うと、秋子は優しく頷きました。新しい家での生活は、二人にとって第二のスタートとなり、これからの老後を楽しむための大切な一歩でした。
秋子は庭を見渡しながら、一茂に語りかけました。「私ね、小さいときからの夢だったのよ。柿の木がある家が。だから最初に柿の木を植えましょうよ。それと桜の木もいいわね。一緒に花見したいわね。ここにはこの花を、そしてこの辺にはこの花を。そうね、ここは芝生がいいわね」と、夢見るような目で庭の計画を話し始めました。
翌週末、二人はホームセンターに行き、レンタルトラックを使って桜のソメイヨシノ苗木と柿の木、そして芝生と庭土を買ってきました。最初は二人で作業をしていましたが、途中で秋子は家の中に入り横になり始めましたが、一茂は黙々と続けています。夕方には庭には柿の木や桜の木の苗が植えられ、見違えるほど美しい庭になりました。いつになるかわかりませんが、春になれば桜が咲き誇り、秋になれば柿が実り、そんな庭になってくれるでしょう。
郊外のこの家にきてから一茂は少しずつ体力がついてきました。庭いじりをすることで、家でごろごろする時間が減り、毎日が充実していきました。「これも秋子のおかげだな」と、一茂は感謝の気持ちを抱きながら、庭で汗を流しました。
夜が更けると、庭の照明が新しい木々や花々を柔らかく照らし、まるで別世界のように美しい光景が広がりました。一茂は縁側に座り、冷たいビールを一口飲みながら、庭の眺めを楽しみました。静かな夜風が心地よく、遠くで鳴く虫の音が耳に響きました。秋子も家の中から出てきて、一茂の隣に腰を下ろしました。
「いい眺めね」と秋子が言うと、一茂は頷きながら「本当に。これからはここで二人でゆっくり過ごせるな」と答えました。
二人はしばらく無言で庭の風景を眺め、これからの新しい生活に思いを馳せました。郊外の静かな環境と美しい庭が、二人にとっての新しい思い出の舞台となり、これからの日々が楽しみで仕方ありませんでした。
春になりました。ある日のこと、トイレから出てきた秋子が騒ぎまくっています。「一茂さん、出血しているの。パンツにべっとりついているの。おかしいわよね。生理なんてありえないしね。ははははぁ」
「バカ、そんなの過去の遺跡だよ。もしあったら、ギネスブックに載るよ。そしたらお前は一気に有名人になるな。まぁ、裂け痔かイボ痔なんかじゃないのか。今からでも肛門科に一緒に行こうか。俺も最近出血するんだ。なんて言ったって、お互い年だからね。痔にもなるさ」
早速、二人で近所の大腸肛門病院に出かけていきました。「ご主人は全く問題のない、ただの痔です。軟膏を塗っていればすぐ治ります。心配いりません。ただ……奥さんはここではちょっとわかりませんので、今すぐこの専門病院に行って検査を受けてください。私の方で連絡を入れておきます」
久々の都会です。都営地下鉄大江戸線の改札を出て左に曲がりました。普段なら階段で上るのですが、今日は秋子の容態も考えてエレベーターで上がりました。地上に出ると左側に国立がん研究センターの歩行者入口が見えました。新大橋通りの突き当たりを左折すると、歩行者入口がちょっとした傾斜になっていました。私はなんともないのですが、今日に限っていつも元気な秋子がとてもつらそうです。
病院の待合室の黒い椅子に秋子を座らせ、受付に向かい「尾崎秋子です」と告げると、すぐにベテラン風の女性看護師がやって来て秋子を車椅子に乗せて検査室に連れて行きました。
たいしたことのない病気なのだろうと軽い気持ちで待合室のテレビを観ていました。テレビでは特別番組が放送されており、美人キャスターとスポーツ選手の婚約のニュースで大騒ぎです。午前中の疲れが出たのか、椅子に座ったままうとうとと眠ってしまいました。遠くから「尾崎さん、尾崎さん」と呼ぶ声で目が覚めました。
「医師が奥様の病状を詳しく説明するそうです。どうぞこちらに来ていただけますか?」
ノックをして中に入ると、ベテラン風の貫禄のある医師が神妙な顔をしています。
「奥様の症状のことですが……」検査の結果、大腸癌ステージ四の末期癌、余命数ヶ月と宣告されました。目の前が真っ暗になりました。息ができなくなりました。頭の中はもう真っ白です。先生の顔も、看護師の顔も、白い壁も、天井も、窓から見える肌寒い景色も、何もかも全て歪んで見えます。そんなことありえない。そう叫んでも事実は変わりませんでした。
やっと冷静さを取り戻し、秋子の病室に向かいました。引きつった笑顔で「秋子、たいしたことないってよ。」そんな嘘などすぐ分かります。四十年も一緒にいるのですから。
「一茂さん、家に帰りましょうよ。病院にいたってしょうがないでしょ。それにね、病院はただじゃないのよ。もう私の体にはどんな薬も効かないのよ。効くのは財布にだけよ。ほんと、財布には特効薬のようにすぐ効くのよね。だから、さっさと出ましょう」
秋子は自分の寿命を悟っていました。住み慣れた家で、残された時間を過ごしたいのです。そんな気持ちはすぐにわかりますが、素直に言えないのが秋子です。
入院中の秋子は、死への恐怖に怯えていたのでしょう。不眠が続き、食欲もありませんでした。住み慣れた家というものは、自分らしい普段の生活ができるためか、精神的にも安定し、秋子はよく眠るようになっていました。食欲も出始めて、一茂が作る手料理を美味しいと言って食べていました。
喧嘩しながら一緒に植えたソメイヨシノ桜が、秋子の部屋からよく見えます。目を凝らして見ると、その桜の木に小さなツボミが生えています。
「この桜、今年は見ることができないわね。今度、見るのはきっと生まれ変わった時だわよね」と言いながら、桜の木をじっと見つめています。
時間は冷酷です。二人一緒に過ごせる時間は刻々と過ぎていきました。一茂の昼夜問わずの献身的な看病は続きました。夫婦二人の時間を大切にしたくて、食事や服薬の世話がどんなに負担が大きくても、看病し続けました。
このひとときを、この残された時間を、秋子と一茂は誰にも邪魔されたくなかったのです。「優作には伝えなくていいからね。こうして一茂さんと二人で静かに過ごしていたいのよ」「そうだな。私も同じ考えだ。二人のわがままだけど、誰にも伝えないから。」そう言って、優作に連絡もせず、残された時間を二人だけで過ごしていました。
「一茂さん、ご飯作ってやれなくてごめんね。洗濯物溜まっているのでしょうね」と苦しみながらも、ベッドから起き上がろうとして、晩ご飯の準備を始めようとします。
「秋子の作った晩ご飯なんてまずくて食べられないよ。美味しいの作るから、じっとしていなさい」と秋子の手を軽く握り、お粥を作りに台所に向かいました。溢れる涙を見せたくないのです。
「今日のこのお粥は最高のできだぞ。秋子に食わせるのはもったいないなぁ。私が全部食べたいくらいだよ。まぁ元気になったら看病代もらいたいから仕方ないけど、食べさせてやるよ」と言いながら、できたてのお粥を持っていきました。
秋子は首を横に向けて桜の方を見ています。「さあ、できたぞ。一緒に食べようか」と声をかけましたが、返事はありません。秋子の目は閉じたまま、口も開けようともせず、息もせず、眠っていました。癌は体を蝕みました。しかし、心までは蝕むことはできません。そう、生命は永遠なのです。
いつ書いたのかわからないたった一通の手紙を置いて、桜が咲く前に、桜が散る前に、秋子は逝きました。一茂を置き去りにして…。
一茂さんへ、
もしかしたら、私が逝ってしまって寂しいでしょうね。でも、私たちが四十年も一緒に過ごせたことは、本当に良かったと思っています。実は、私もこんな風になるかもしれないと感じていました。女の勘ってやつですね。
一茂さんには自立してもらいたくて、時に厳しく接してきたこともあります。その点、本当にごめんなさいね。私は先に逝ってしまうけれど、残されたあなたにはこれからもたくさんの楽しいことが待っています。嫌なことは忘れて、楽しいことだけを大切にしてください。私が信じているのは、楽観主義です。それは、自分だけの喜びだけでなく、周りの人たちも幸せにすることです。
私はただ待っているだけではなく、やれることは全てやり、考えられることは全て考えてきました。あとは自然の流れに任せて、のんびりと過ごすこと。これが私の楽観主義です。
だから、あなたもいつまでも悲しまずに、素敵な人と新しい幸せを見つけてくださいね。もし見つけたら、その人と本当に幸せになってください。ははは、私がいなくなっても、元気で頑張ってくださいね。それでは、この手紙でお先に逝っています。
愛を込めて、秋子より
テーブルのその場所に、一緒にいました。コタツのその場所に、一緒にいました。柿の木のその場所に、一緒にいました。桜の木のその場所に、一緒にいました。そんな毎日が、心の中に記憶されています。いまその同じ場所にいます。私一人で…。
おそらく私ももうすぐです。何を持って行こうかと色々考えました。秋子の好きな柿、いちじく、イクラ、ウニ、にしようかと思いましたが、そこは一度も逝ったことのない世界です。どれだけ移動時間がかかるのかわかりません。持って行っても傷んでしまうのではないかと心配です。やっぱり花束がいいのではないかと思っています。
秋子はピンクが好きなので、二人で植えた桜が一番だと考えています。そのためには、桜が咲くまで頑張らなければなりませんね。