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一話 心の中の光景

 株式、債券、投資信託などの金融資産に利益を期待して資産を投じる投資をしたことはありませんでしたが、今始めている投資があります。それは人への投資、自分への投資です。


自己投資と言っても、「今以上に優れた自分を得る」「仕事の能力を高める」「専門分野のセンスを磨く」といったことではなく、「植木鉢で花を植える」「小説を描く」「疲れない人と会う。話す」「食べる」「ビール、ワイン、焼酎、酒、ウイスキーを飲む」「寝る」「好きなところへ時間に拘束されることなくのんびりと旅に出る」「温泉に浸かる」といったことへの投資です。


 幸せとは、常に追い求める大切なものです。時には物質的な豊かさや所有欲の充足から得ることもありますし、自然の美しさや新たな出会いからの感動も、心に深い満足感を与えてくれます。幸せの定義は人それぞれ異なるので、他人と比較するのではなく、自分自身の内なる声に耳を傾け、自分の人生に合った生き方を見つけられたならば、それが一番の幸せかもしれません。


 尾崎優作は東京の下町にある小さな家で育ちました。父の一茂は自動車整備工場で働く整備士で、母の秋子はスーパーで働いています。裕福ではありませんでしたが、家族は愛情に満ちていました。


宮城県の山岳部で五人兄弟の末っ子として生まれた一茂は、自然の中でのびのびと育ちましたが、家は貧しく、高校に進学する余裕もなく、中学卒業と同時に集団就職で上京し、自動車修理工場に住み込みで働くことになりました。最初は東京の環境に戸惑っていましたが、3年もすると東京の生活に慣れ、地元のズーズー弁からきれいな東京弁へと変わっていきました。


一茂は近所のスーパーで働く秋子に心を奪われましたが、声をかける勇気がなく、ただ遠くから見つめるだけでした。勘の鋭い秋子はそのことに気がつき、声をかけました。こうして交際が始まり結婚し、やがて息子の優作が生まれました。


秋子もまた、夏に咲き誇るラベンダーで有名な富良野から上京し、新しい環境に戸惑いながらも、真面目に働くことで少しずつ東京の生活に馴染んでいきました。一茂との恋愛は、秋子にとって大きな喜びとなりました。


優作は幼少期から他の子どもたちと少し違い、人と関わるのが苦手でした。そんな優作を理解し支えるために、一茂は自動車修理工場で疲れて帰ってきても、一緒に絵を描いたり、自然の中で遊んだりして、優作が安心して自分を表現できる環境を作りました。秋子も優作の気持ちに寄り添い、優しく話を聞いて心の安定を図り、どんな小さなことでも見逃さないように努めました。


優作の3歳の誕生日にクレヨンをプレゼントしました。自分の世界を広げられるようにとの願いを込めて贈ったそのカラフルなクレヨンは、優作にとってかけがえのない宝物となり、その才能を次第に開花させていきました。


最初は無邪気な落書きだったものが、徐々に繊細な線や色彩豊かな絵へと変わっていきました。優作の描く絵は、見る人の心を打ち、その独特の視点や感性が周囲からも注目され、その才能が光り始めました。


中学生になると、優作の絵は先生やクラスメイトに大きな影響を与えるようになりました。特に美術の先生は、優作の才能を高く評価し、彼のために特別な時間を割いて指導を行いました。これにより技術はさらに磨かれ、彼は自信を持つようになりました。


高校卒業後、優作は東京芸術大学に進学しました。学費を工面するために、一茂は毎日のように残業し、秋子もパートを掛け持ちして働きました。両親に感謝しながら、優作は日々努力を怠らず、名門大学での厳しい学びと共に創造力をさらに研ぎ澄ましていきました。そこで出会った仲間たちと切磋琢磨し、作品は次第に国内外で評価されるようになりました。


大学卒業後、優作は日本国内での個展やグループ展に積極的に参加し、芸術家としてのキャリアを築きました。彼の作品は独創的でありながらも、観る者の心を捉える力を持っており、その評価は高まり続けました。


ある時、優作の絵が世界のアートコンテストで入賞し、その作品が有名な大手ギャラリーに展示されることになりました。この出来事は、優作にとって大きな転機となり、彼の名は一躍広まりました。展示会には多くの人が訪れ、優作の絵に感動し、才能を称賛しました。


その後も順風満帆に時が過ぎ、優作は数々の展覧会に出品し、次々と賞を受賞しました。彼の作品は国内外で評価され、ついにはプロの画家としてデビューすることになりました。両親の苦労と愛情が実を結び、優作は自閉症を乗り越え、一流の画家として世界に羽ばたいたのです。


これは家族全員の努力と周囲の絆の証であり、優作自身の力だけではありません。彼は両親の愛と支えがあったからこそ、才能を発揮することができたのです。


 大下靖子は宮城農学部のキャンパスを庭のようにして駆け巡って育ちました。緑に囲まれた小道を駆け回り、季節の移ろいを肌で感じながら過ごした幼少期は、彼女にとって宝物のような思い出です。父親は市役所に勤務し、母親はスーパーマーケットの野菜売り場でパートタイムで働き、家計は質素な生活ではありましたが、両親の愛情に包まれてのびのびと育ちました。


靖子に特別な才能はありませんでしたが、彼女の明るい笑顔と溢れる元気さが、彼女を特別な存在にしていました。友達と外で遊ぶことが大好きで、どんなに疲れていても常に笑顔を絶やさず、周囲の人々に元気を届けています。近所の人々からも親しまれ、愛されています。


靖子の母、春子は料理が得意で、その中でも煮物は絶品です。味付けは感覚で行い、時には薄味だったり、塩っぱかったりと変わることもありますが、それが彼女の家庭の味となっています。その煮物を今、母から娘へと伝授しています。


「お母さん、ちょっと味見してくれる?」

「靖子、味見するとき、食べ物を手のひらに載せる?それとも手の甲に載せる?」

「手のひらと手の甲?どちらでもいいんじゃないの?」

「それは違うのよ。手のひらに載せてもらう方がこぼす可能性も少ないし、安定感もあるし、食べるとき手のひらで口元を隠せて上品だけど、手のひらは汗をかくので汚れているでしょ。だから手の甲に載せるのよ」


春子はそんなさりげないことを伝えています。母と娘の優しい会話が台所から流れています。


 一人娘の靖子を溺愛している父の翔一は、長年にわたり市民を守る役割の厳格な管理者として知られています。事故ほど怖いものはないと翔一は考え、その事故というものは些細なことから始まるのだと身をもって理解しています。それを見逃さないように、彼は厳格な姿勢で仕事に取り組んできました。それがようやく責任の重圧から解放され、本来の温厚な自分に戻ることができ、心身ともに穏やかになれるその時を迎えようとしています。


家族への接し方も変わりました。以前のようなピリピリ感が消え、庭先の花壇に目を向け、「花を見ていると心がやすらぐね」と言える余裕が出ています。


これまでは趣味を楽しむ余裕もなく、仕事の責任を全うしてきましたが、これからは新たな人生の始まりです。定年退職は単なる退職ではなく、新たな可能性と希望に満ちた人生の始まりを象徴します。その喜びを噛み締め、ゆったりと気楽に妻の春子とともに生きていく。そう、翔一は決めていました。


翔一と春子は、夜間大学で知り合いました。春子はフォークソングが好きで、吉田拓郎の大ファンです。「マークⅡ」「ともだち」「青春の詩」「老人の詩」「おやじの唄」「夏休み」「旅の宿」は、拓郎が有名になってからの曲です。春子は無名時代の拓郎の曲が特に好きでした。


二人の心を動かしたのが、1960年にアメリカCBSでテレビ放送された『ルート66』です。その主題歌の「ルート66」がラジオから流れたのを聴き、歌っていたのがあのジョージ・マハリスでした。


子供の頃、テレビで観た記憶が鮮明に戻り、通販で「ルート66」のDVDを買って翔一と春子と一緒に観ました。そこからです。古き良き時代のアメリカに「憧れと夢」を抱いてしまったのです。


ルート66とは、イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカを横断する3775kmの国道66号線。ルート66を二人の若者がコルヴェット・スティングレーで走り、その立ち寄る街々で、愛が、絆が、友情が、そして恋が生まれる。ジョージ・マハリスの「ルート66」のテーマソングが流れる。その印象的なアメリカンドリームのシーンが、翔一と春子の心を揺さぶりました。アメリカらしいテレビドラマの一つです。


「お父さんのプロポーズが面白かったの。『定年退職したら二人でアメリカ横断をしたい。だから結婚してくれ』まだ働いてもいないのに、それなのに定年退職のことを言って…。そのプロポーズの返事が、そのままベッドインなの…。できちゃった婚なのよ。それが、あなたよ、靖子」


昨日のように赤裸々に話す母。何度も聞かされているので、そのストーリーは頭に叩き込まれ、靖子は翔一と春子のような夫婦になりたいと思っていました。

翔一と春子が押し入れからギターを出して縁側に座り、念入りに手入れを始めています。


「お父さん、指が思うように動かなくなったわ。Fコードを押さえられなくなっている」

「母さんもか、私もだよ」

そう言って翔一は、春子のFコードを押さえている指を見ている。日頃から仲の良い翔一と春子、ギターの練習が始まりました。サイドギターとコーラスは春子。メインギターとボーカルは翔一。小さな声で「春だったね」を歌い始めます。

「お父さん、お母さん、それは吉田拓郎の歌?」

「そうよ、お父さんは『夏休み』が好きだけど、私は『春だったね』が好きなの」


そんな昭和の曲を靖子は黙って、母と父の歌う姿を見ていました。ギターはもう少し練習が必要ですが、翔一の歌には旅愁が溢れていて心がジーンとします。歌は心で歌う。まさにそうだと感じています。


靖子の大学生活が始まりました。彼女は宮城東欧大学農学部で学びながら、地元の自然や地域の文化に触れ、その中での成長を楽しんでいました。明るく前向きな性格が彼女を多くの友人に囲まれた人気者にしました。特に、大学のサークル活動に積極的に参加し、新しい挑戦を楽しんでいました。


ある日、大学のサークル活動の一環で、靖子たちは東京への研修旅行に出かけました。農学部の学生たちは、都市部での農業の在り方や、都市の緑化プロジェクトについて学ぶために、東京都内の様々な施設を訪れました。その中の一つに、都市部で新しい農業の形を提案するギャラリーがありました。このギャラリーでは、尾崎優作の新作展が開催されていました。彼の作品は、自然と都市が調和する未来のビジョンを描いたものが多く、靖子はその美しい作品に引き込まれました。彼女は作品の前で立ち止まり、その繊細で力強い表現に心を奪われました。


「すごい…この絵、本当に素敵だわ」 靖子が呟いたその瞬間、後ろから声がかかりました。

「ありがとうございます。その絵を気に入っていただけて嬉しいです」

振り返ると、そこには尾崎優作が立っていました。彼はギャラリーの一角で、訪れた人々に作品の説明をしていたのです。

「あなたがこの絵を描いたんですか?本当に素晴らしいです」

「ありがとうございます。私の名前は尾崎優作です。自然と都市の調和をテーマにしています」

「自然と都市がこんな風に一つになるなんて、すごく新鮮な視点ですね。私は宮城東欧大学の大下靖子と言います」

二人はしばし話し込みました。靖子は優作の作品に感動し、その背景にある彼の思いやインスピレーションについて詳しく聞きました。優作も靖子の自然に対する情熱や農学部での学びに興味を持ちました。

「もしよかったら、これからも作品を見ていただけませんか?あなたの意見はとても参考になります」

「もちろんです!私もあなたの作品にもっと触れたいです」


優作は靖子との交流を通じて、新たなインスピレーションを得ることができました。彼女の自然への情熱や明るい性格が、彼の創作活動に新たな風を吹き込みました。一方、靖子も優作との出会いを通じて、自然と都市が共存する未来の可能性について考えるようになりました。


優作はそんな靖子に惹かれていき、靖子もそんな優作に惹かれていき、二人は友達から恋人に変わっていきます。そして、優作は「初恋」という感情を絵画に込めました。その作品が『あなたの幸せの中に』です。


『あなたの幸せの中に』は、二人の出会いを象徴する風景が描かれています。池のほとりで交わした初めての会話、靖子の好奇心に満ちた瞳、優作の照れくさそうな笑顔。作品には、彼らが共有したその瞬間の感情が鮮やかに刻まれています。初秋の柔らかな光が、二人の姿を包み込むように描かれ、優作の繊細な筆致がその場の静けさと温かさを表現しています。


優作の絵には、靖子への特別な思いが込められています。心の中にある初恋の輝きがキャンバスに描かれていて、多くの人々に感動を与えました。特に靖子にとって、その絵は愛の象徴であり、いつまでも大切にしたい宝物となっていきます。


靖子と優作はそれぞれの夢を追いかけながらも、お互いを支え合う関係を続けていきました。距離を越えて繋がる二人の絆が、彼らの未来をさらに輝かしいものにしていくことを、誰もが信じていました。


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