アリエ、学園に入学
アリエは堂々と敷地内へと入っていく。自分は貴族である。偉いのだと言わんばかりのドヤ顔で進み、学校の扉を開く。
「お待ちしておりました。アリエ様」
「トレイドル先生。お久しぶりです」
二人が扉を潜ると、三十代ほどの若い男性が迎えた。黒い礼服をしっかりと着こなしており、物腰柔らかな印象を受ける爽やかな表情をしている。銀色に近い青色の髪は短く、清潔感を与える。
「大講堂はこちらをまっすぐ行った場所にあります。途中に職員がおりますので、迷うことはないかと思います」
「ありがとうございます」
「本日はご入学おめでとうございます」
トレイドルの案内に従い、二人は入学式が行われる大講堂へと向かった。
「新入生控え室はこちらになります」
廊下を進んでいくと、扉の横に一人の教師が立っていた。教師は二人に挨拶をすると、メリーアに花を模した飾りを渡した。受け取ったメリーアはそれをアリエの胸元に付ける。
「新入生の方はこちらで一時的にお待ちただき、時間になりましたらお呼びいたします」
アリエは控え室になっているかなり広い教室で、適当な席を見つけ時間が来るのを待った。アリエの姿に男女問わず目を奪われ、かなり目立っている。
今日のアリエはアンニュイメイクで、桃紫色の目元は人を惹きつける艶やか魅力に溢れている。素材の良さをを最大限引き立てた美少女姿である。すれ違えば誰もが振り返る妖精のような容姿。連れ立って歩くメリーアも、エルフらしい綺麗なサファイアブルーの瞳を光らせ、周囲の視線を惹きつけている。
そのまま注目を集めるだけ集めたが、メリーアの警戒によりトラブルはなく、何人かの男子生徒がアリエに近寄ろうとしていたが、メリーアの殺気にビビり散らしており、無事に入学式が開催された。
大講堂にて在校生に歓迎され、学長のありがたい言葉を聞き、入学式はつつがなく終わった。
入学式の後は新入生歓迎パーティーが大宴会場で開かれることになっており、毎年恒例の行事に生徒たちは浮き足立っていた。
大宴会場では新入生在校生の区別なく、旧知の仲で談笑に耽る者や、緊張でオロオロしている者など、大変な賑わいを見せていた。
「アリエさん。もしよかったら今度お茶しないですか?」
「アリエさん、僕も良ければぜひ!」
控え室にいた時から目立っていたアリエだが、入学式で在校生すらも虜にしてしまい、貴族の令息に囲まれる事態に陥っていた。
「ウト、助けて……」
今この場にはいない兄に助けを求めるアリエは、目を潤ませながら天井を見つめていた。
詰め寄られたアリエは、手に持ったグラスで男子生徒たちと乾杯する。
「……すみません皆様。お声がけは嬉しいのですが、私、強い人が好きなんです」
言いながらアリエは、ウトの姿を思い描く。強くて優しい、兄の姿を。
「では今度、手紙を出すよ。まずはそこから仲良くなろう。私は剣を嗜んでいてね。アリエさんの期待に添えると思うよ!」
「僕も、魔法が得意なんです! 今度ぜひうちにもいらしてください!」
男たちによるアリエのご機嫌取り合戦が始まり、それが言い争いに発展し蚊帳の外になった瞬間、アリエは気づかれないようにそっと抜け出した。
どっと疲労を感じたアリエは、人気の少ない宴会場の窓際にあるベンチへと腰掛ける。窓が僅かに開いており、そこから入り込む風が火照った体をよく冷ましてくれる。窓の外では日が沈みかかっていた。
「お腹空いちゃった!」
新入生歓迎パーティーは立食形式で、会場には豪華な料理が用意されている。今日のために雇われた料理人が腕によりをかけ、ウエイトレスが会場を動き回っている。
アリエは男たちの相手をしていたせいで、せっかくの美味しい料理をまだ口にできていないため空腹だった。
「バレないようにいっぱい食べちゃお」
貴族としての素養は身につけたアリエだったが、貧民街にいた頃の卑しさは未だ残っており、伯爵令嬢としての体面が崩れないよう周りに気を配りながらご飯を腹に収めていく。
パクパクと痕跡を残さないようにしながら、色とりどりの料理に手をつけていく。腹八分目まで食べると、満足したように息を吐き、そうして自分の役割を思い出した。
「お腹が空きすぎて、やらなきゃいけないことを忘れるところだった」
アリエは冷えた飲み物を受け取り、目的の人物へと向かって歩く。
『第二王子を調べてくれ。可能であれば懐に入れ』
ゼルベート王国第二王子であり、齢十五にして、英雄と呼ばれている男を調べるようにウトから指示が出ている。
第二王子は幼少の頃から魔法の才覚があり、武術を教えればスポンジのように技術を吸収する、と噂がされていた。その噂が事実として国内に知れ渡ったのが七年前。一年続いた戦争を終わらせたのが、当時八歳のルイスだ。一撃の魔法で戦場を更地にし、その圧倒的な力敵国は為す術なく降伏することになった。それ以降、殲滅兵器となるルイスがいるため、ゼルベート王国は平和が続いている。
個の力で国を支配する。ウトが理想とする力の在り方を体現していると言える存在だ。
「ルイス殿下、少々よろしいですか?」
アリエは丁寧な口調でルイスに声をかけた。
王子だけあって、ルイスは歓迎パーティーの中でも一際目立っていた。ルイスに取り入ろうとする者たちが常に周りにいるため、アリエは標的をすぐに見つけることができた。
「君は?」
「私はアリエ・メイソンです。以後お見知り置きを」
アリエはその場で丁寧なお辞儀をしてみせる。
「君があの! メイソン伯爵に娘ができたとは聞いていたが、まさかこんなところで会えるなんて!」
大仰に歓迎した様子を見せるルイスは、アリエに手を差し伸べ握手を求めた。
「殿下。本日はご入学おめでとうございます」
「ありがとう。アリエ君もおめでとう!」
行儀のいいアリエにルイスは朗らかに笑みを向けるが、一瞬だけ寂しげな表情を浮かべた。
「あまり畏まらないでくれ。これからは同級生なんだから」
「…………分かりました。善処します」
ルイスの顔をじっと見つめたアリエは、全く視線を逸らそうとしないルイスの態度に折れ、にこりと笑いかけた。
「おやおや、我が弟が女子を口説いているように見えるが、これは夢か?」
挨拶を交わしていた二人の間に、割って入るように一人の人物が声をかけた。ルイスの会話を妨げられる人間など、この会場にはそういない。
「兄上もいらしたのですか」
兄、と呼ばれたゼルベート王国第一王子リチャードは、品定めするような視線をアリエに向ける。
「ふむ。美しいじゃないか。俺の女に加えてやってもいい」
髪に手を伸ばされたアリエは、総毛立ち体を小さく震わせたが、気取られないよう気丈に愛想笑いを浮かべ、
「ありがたき栄誉ではございますが、私では殿下に釣り合っておりません」
「そんなこと気にするな。俺がいいと言っているんだから。今夜俺の部屋にでも──」
「兄上、冗談はそこまでにしていただきたい」
アリエの肩に手をかけるリチャードを遮るようにルイスが立ちはだかり、アリエを背後にかばい、キッと目を引き締めて睨みつける。
「入学早々、新入生を虐めるのはやめていただきたい」
「そう怖い顔をするな。少しくらいいいじゃないか。それとも、お前が先に目をつけていたのか?」
アリエをチラリと見たルイスは、申し訳なさそうに瞳を揺らす。
「……兄上と一緒にしないでいただきたい」
「そう兄を邪険にするんじゃない。俺はいつだって、お前の味方だよ」
リチャードは口の端を上げ、冷めた瞳でルイスを見下ろした。
「お前がこの国の英雄である限り、俺はお前の味方だよ」
そう吐いて捨て、リチャードはその場を去っていく。残された二人はリチャードの姿が人混みに消えるまで見つめていた。
「……兄は好色でね。プライドも高いんだ。申し訳ない」
「いえ。これも勤めの一つと心得ておりますので」
「自分が高貴な血筋の生まれであることに、兄は強い自尊心を抱いている。だが、僕が生まれたせいで兄は歪んでしまった。兄の不敬は、僕の責任だ。今後、困ったことがあれば僕に相談してほしい」
「殿下のお手を煩わせるほどのことではございません」
アリエは後ろ髪を撫で苦笑いを浮かべた。
リチャードの好色ぶりは学園中に知れ渡っている。女生徒として入学するアリエも当然知っていた。だが、予想以上の自分勝手な態度に驚きが隠せていない。
「入学初日から、友人ができて嬉しいよ。ぜひよろしく頼む」
「こちらこそ、ぜひよろしくお願いいたします。では、あまり殿下を占有しているわけにもいきませんので、私は失礼いたします」
アリエは淑やかに一礼をしてその場を後にする。
「ありがとう。また話そう!」
「ええ」と一言、花も羨む美少女の微笑みを残し、アリエは颯爽とルイスから距離をとる。一旦の目標であるルイスとの接触を果たし、アリエはバレないようにホッと息をついた。