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貧民街のウト

「大漁!」


 川底から、真っ黒な網が引き上げられる。網の中では、十数匹の魚がピチピチと音を立てながらのたうち回っている。


「ジジ! 今日の晩飯は魚だ!」


 黒い髪を雑に切り揃えたウトは、魚を一匹掴み上げ声をあげた。ウト・オグマは貧民街で暮らす少年である。闇魔法という、暗闇や影を操る魔法を得意とし、貧しいながらも自給自足の生活を家族と共にしている。

 ウトの目線の先には、一九十センチ近い身長の、お爺さんと呼ぶにはまだ若い、中年の男がいる。太い四肢に見合う大きな剣を背負う男、トレバリーはウトが掲げる魚を見てニンマリと笑った。


「ご馳走じゃねえか!」

「俺にかかればこんなもんよ!」

「ウトがめっちゃすごかったんだぞ! ジジ!」


 ウトの周りには貧民街で暮らす子供たちが群がっている。皆、大男のトレバリーに拾われた者だ。傭兵のトレバリーが出稼ぎに出ている間、子守りはウトの仕事になっている。


「帰るぞ、お前ら」


 はしゃぐ子供たちを嗜めながら、ウト達は我が家へと足を向ける。

 貧民街の中でも名の知れたトレバリー一家の宅は、街で一番目立つ場所にある。三階建ての廃墟を適当な廃材と子供の落書きで彩った家は、見る者が見れば芸術のようである。


「ジジ、ウト! おかえり! そしてただいま!」

「アリエ! 無事だったか!」


 ウトたちが家に着いた頃、もう一人の家族もちょうど帰ってきた。

 アリエは空色の髪をショートボブにした女の子だ。陶器のように白い肌に長い睫毛、サラサラの髪、華奢な体躯。抱きしめたくなるような小動物的可愛さを備える美少女だ。

 今は黒いパンツに白いシャツ、ワンポイントに細身のサスペンダーをつけたシンプルな服装で、中性的な面立ちから少年のように見える。貧民街での自衛の策として、トレバリー家の女の子は皆、男装をしている。それでもアリエの可愛さは突き抜けており、ウトはとても気にかけている。

 アリエが目深に被っていたキャスケットを脱ぐと、その可愛らしい童顔が夕陽に晒された。


「変な奴に襲われなかったか? 怪我はないか?」

「大丈夫だよウト。それに、ウトの刺繍があるから」


 アリエは言いながらシャツの胸元を手で示す。そこには赤色の糸で、トレバリー家の家紋が刻まれている。他の家族の持ち物──例えばバンダナや帽子にも同じ刺繍が施されている。この世界のどこを探しても、トレバリー家以外に同じ物を持っている人間はいない。


 もちろん、家紋といっても貴族というわけではない。貧民街の外に出れば、これもただの刺繍だ。

 だが、ここ貧民街に於いては強い効果を持つ。貧民街一腕っぷしの強い男トレバリーと、その男が強さにおいて実力を認めた息子のウト。その一家に手を出せば、貧民街では生きていけない。


「刺繍があれば、どこにいても家族の繋がりを感じられる。お前らは俺の魔法で守ってやるからな!」

「ウト……!」


 頼もしい長男に、アリエはいつものごとく感動したように目を輝かせる。

 ウトは、生まれてすぐに魔法が使えた。魔法には様々な属性があり、ウトは闇魔法しか使えないものの、その才能はトレバリーですら計り知れず、魔法を用いた戦闘であればウトに敵う者はいない。たとえ訓練された兵士であってもそうそういないと、トレバリーが太鼓判を押している。というのが貧民街でのウトの評価である。


「俺は最強だからな! お前らが安心して暮らせるようにするのが俺の役目だ。だからアリエ、困ったことがあればすぐこの兄を頼れよ」

「うん!」


 可愛い笑顔を浮かべたアリエの頭を撫でてやり、ウトは晩御飯の準備に取り掛かった。



 貧民街の朝は早い。


「ウト!」

「なんだジジ!」


 日が昇ると同時に起き出したウトは、家族の朝食を作りながら、トレバリーに呼ばれ振り返る。


「今日はアリエについてってやれ」

「おう?」


 トレバリーの横にはラフな格好のアリエが、申し訳なさそうな微笑みを浮かべて立っている。


「今日行くところが、街の外なんだよね。薬の素材になる木の実があって」

「今日は俺がガキンチョ共の面倒見てやるから、お前もたまには外に出ろ」

「了解!」


 そうと決まれば、ウトは外出用の動きやすい服装に着替える。アリエも、いつもの軽装と山菜取り用の草籠を既に準備していた。


「二人とも、闇市の方には近づくなよ」

「はーい!」


 忠告に元気よく返事をするアリエを見て、ウトとトレバリーはほっこりとした微笑みを浮かべた。



 家族で朝食を終えた後、ウトとアリエは貧民街の外へと出る。腰に短剣を携えたウトは呑気に鼻歌を歌い、ウトに荒事を任せているアリエは丸腰だ。狩りや山菜取りで歩き慣れた森は、二人にとってもはや庭である。


「そうだウト! 昨日初めてエルフの人を見たんだ!」

「へぇ……奴隷か?」

「うん。奴隷商の荷馬車に乗せられてた。エルフの人ってすごい綺麗なんだね」


 昨日の光景を思い出すように空を見つめながら呟くアリエ。エルフを見たことがないウトは、そんなアリエの表情からその情景を察する他ない。


「エルフ以外にも、獣人とかもいたよ。見受け人が早く見つかるといいね」

「そうだな」


 ウトたちが暮らすこのゼルベート王国は、奴隷制度のある国ではあるが、奴隷にも権利が認められた、治安が比較的穏やかな国である。戦争の復興から八年経ち、国内の情勢も安定してきている。


「貧民街からもよく子供が売られていくのを見ると、ちょっと寂しくなるんだよね」

「そうだな。でも、奴隷になった方がいいこともあるからな。好んで貧民街にいる奴らなんて、変人くらいだよ」


 小馬鹿にするように笑ったウトだったが、そこには少しだけ自嘲も含まれている。


「奴隷かぁ。私は今の生活に満足してるからなぁ」

「アリエは、奴隷にするには勿体無いよ。薬の知識もあるし、容姿だって悪くない。おまけに人柄もいい。あのジジの元で育ったとは思えないくらいにな」

「ジジの荒っぽいところは、ウトが全部受け継いでるから」


 にこやかな笑顔を浮かべるアリエは、ウトの顔にトレバリーの顔を重ねていた。

 トレバリー家において荒事担当は二人しかいない。長女のアリエは戦うよりも人を助けたいという性格で、薬の調合で少しの稼ぎを得ており、それで家族の役に立っている。アリエよりも年下はまだお遊びの段階で、戦うにも仕事をするにもまだ体ができていない。


「まあ、俺一人いれば十分だからな。可愛い弟妹たちに、無駄な争いをさせる必要はないから」

「背負い込みすぎないでよ。私たちは家族なんだから、辛い時はちゃんと相談してね」

「アリエは優しいな。自慢の家族だよ」


 言いながら頭を撫でるウトに、アリエは「エヘヘ」と笑う。


「今はなんの薬作ってるんだ?」

「ジムお婆さんの塗り薬。腰が痛いんだって」

「なるほど。森のどこら辺まで入る?」

「湖の方まで入るから、帰りは夕方になるね」


 街を出てすぐにある森はかなり広く、遠くに見える山まで繋がっている。森の中にはかなり大きい湖があり、その周りには多様な動植物が集まる。魔法を使う野生動物も現れるため、森には狩りの準備をしてから入る必要がある。

 二人は準備万端で勝手知ったる森に入り、湖まで川を遡って二、三時間ほど歩き続け、湖の輝きが見える森の出口で立ち止まった。


「見て、鹿だよ。弓持ってくればよかったなぁ」


 アリエは声を潜めながら視線の先を指さす。湖畔で水を飲んでいる鹿は二人に気づいていない。目標までの距離はおよそ三十メートル。弓でもあればアリエでも狩れるが、近づこうとすれば逃げられてしまうだろう。残念そうに呟いたアリエだったが、


「俺に任せろ」


 ウトは言いながら鹿に手を向ける。すると森の端から、一本の影が鹿の足元へと伸びていく。音もなく迫る影が鹿の影に触れると、そこから漆黒の棘が飛び上がり、瞬きする間に鹿の喉を貫いた。


「やっぱりすごいね。ウトの魔法」


 アリエは感嘆の声を上げながら拍手でウトを讃える。


「俺の闇魔法は最強だからな。こんなの朝飯前だぜ」


 鹿を仕留めたウトは湖で血抜きを行い、その間アリエは目的の材料を採取して回った。



「いっぱい採れたよ、ウト。手伝ってくれてありがとう」

「おう!」


 アリエは木の実いっぱいのバスケットを手に提げ、ウトは鹿の死体を肩に担いでいる。森であれもこれもとアリエが欲張ったおかげで日がほとんど沈み、予定の夕方よりも遅い帰りとなってしまった。


「これだけ状態のいい鹿なら高く売れるだろうな」

「みんなびっくりするだろうね」


 仲睦まじい幸せそうな兄妹の二人。貧民街で育ちながらも、強い父の庇護の元で平和な日常を送っていたが、それは前触れもなく終わりを迎える。


「なんか、今日は随分静かだな。川にでも遊びに行ってんのか?」


 貧民街に入ってまっすぐ一本道。トレバリー邸から見える道を通れば、ちびっこたちが必ず迎えに出てくるはずである。

 貧民街の雰囲気がいつもと違うことに、ウトが先に気づいた。浮き足立つような視線や快楽的な笑い声が混じった、治安の悪い空気が漂っている。


「アリエ、急ごう」

「……うん!」


 アリエも異変を感じ取り、二人は駆け足で家族の待つ家へと急いだ。カラフルな家が見えると速度を上げ、ただいまも言わずに、扉を蹴破る勢いで開け中に踏み入った。


「なっ!?」

「ぁ……」


 二人の目に悲惨な光景が飛び込んできた。壁に飛び散った血。身体中をズタズタにされた弟妹たちの遺体。一番状態が酷いのはトレバリーの体だ。抵抗した跡が部屋の惨状からも見て取れる。


「ティア! ダニー! レンジ!」


 入り口で固まったウトの横を抜け、アリエは家族の元に駆け寄る。乾きかけの血が服を汚すが、アリエはそんなことを気にすることなく、家族の身を抱き寄せた。

 アリエの呼びかけに応える声はなく、脈を取れば死んでいることが確認できた。


「あぁ……なんで、みんながっ!?」


 アリエはその場で滂沱の如く涙を流し、悔しさに唇を噛み締め縋るようにウトを見つめる。


「俺が、守ってやらなきゃならなかったんだ。俺が……」


 呆然と部屋の惨状を見つめていたウトは、アリエの視線を感じ、その悲痛な瞳に、ひどく憤りを感じた。理不尽な世界と妹にこんな顔をさせてしまった己への怒りに任せ、自身の太ももを殴りつけた。


「アリエ、みんなのことは頼んだ。俺は、犯人を探してくる」


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