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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゼロ掛けるゼロ

作者: 遠野なつめ

とある民間軍事会社が、戦場に投入するための存在を作り出した。


ジェネティック・ソルジャー。略してGS。

培養槽から生まれた少女型の実体。遺伝子操作によって高い治癒力を持ち、兵器として活躍する……はずだったが。予定より早く休戦協定が結ばれ、彼女たちは存在意義を失って、停戦後の処遇が議論された。


企業は社会的なイメージアップを兼ねて、彼女たちの武器を回収して平和教育のプログラムを受けさせ、奉仕活動に参加させた。彼女たちは平和と復興のシンボルとして見出され、公園や公共の施設を掃除し、荷物運びを手伝い、路上で募金を呼びかけた。


これは、兵器として生まれた「早希」と「律」の、ふたりしか知らない話である。


金曜日のこと。

その日は会社の面談室で、担当者の桜井との面談があった。彼女たちの身元を請け負い、更生と社会復帰、生活の支援を担う立ち位置である。ふくよかな中年女性で、「私のことはお母さんだと思ってくれたらいい」と話すような人間だった。


早希と律は、机を挟んで3人で面談を受けた。桜井は彼女たちの仕事ぶりを褒めて、困ったことがないかを聞き取った。特にないと答えると、まじめに作業に取り組む姿は好ましいもので、これからも無理せず頑張ってほしい、と笑みを浮かべた。


ひとつ頼みがあって、と桜井は切り出す。


「活動のようすをWebサイトに載せることになって、週明けにインタビューに協力してほしいの。最近、私たちの活動に関心を持ってくれる人が増えているのよ。ふだんの活動や、復興についてどう思っているかを紹介するの」


話の内容はこちらで編集するから、難しく考えずに気楽に答えてほしい、と。


早希と律は「わかりました」と頷いた。どんな記事になるかは応じる前からだいたい予想がついている。戦場から離れて平和に生活できる喜びや、奉仕活動への意欲を前面に出すことだろう。さほど難しいことではない。


彼女たちの生活にはいくつかのルールがあった。会社の定めた場所に居住し、指定された奉仕活動に取り組むこと。無断で遠くに出かけず、定期的な面談や自宅の訪問に応じること。社会の一員として礼儀正しく振舞うこと。それを守っていれば、余計な波風を立てず穏やかに生きていられる。周りの人間をむやみに傷つけるのはよくないことだ。


公園の清掃を済ませて、日が暮れる頃に家に帰った。アスファルトに影が長く伸び、早希の白い髪が夕日に照らされる。早希は前を歩く律の姿を捉えた。肩までの黒髪を後ろで結んでいる。違うのは髪の色ぐらいで、背丈や体格は似たり寄ったりだ。同じタイプの遺伝子を保有しているのだから無理もない。


ふたりはいつものように家に帰ると、玄関で靴を揃えて、洗面所で手を洗った。


夜になって、早希は机に向かって仕事関係の書類を書いていた。出かける用は済んだので、ラフな格好に着替えて過ごしている。


呼んでもない存在──律の気配を背中越しに感じるのを無視して、文章の修正点にペンを入れていく。近くに立たれると気が散るが、構ってやるのも気が進まない。書き終えてペンを止めたところで、早希が反応するより早く、律が斜め横から肘鉄砲を食らわせた。


じゃれ合いというには強い力で、早希の脇腹に肘が食い込む。


次の瞬間、早希は椅子を引いて腰を浮かせると、律の足元を蹴って床に倒した。床に座り込んだ律の腕を掴んで、片手に握ったままのボールペンを突き立てた。先が深く突き刺さって、律の口から微かなうめき声が漏れる。


早希はペンを引き抜いた。凶器として用いられたペンは壊れてしまい、インクが漏れて手が黒く染まっていた。早希は顔をしかめて、片手の指先を擦り合わせた。


律はその光景を見上げて、嘲笑の言葉を発する。


「あーあ。ペンが壊れちゃったね」

「……くそ」

「もう使えないね、でも自分が悪いんだよ」


黒髪の少女は愉快そうに言葉を紡ぐ。腕が傷ついたことよりも、早希の無様な姿を楽しんでいるのだ。


律は笑みを貼り付けたまま、血の流れる腕を持ち上げて、早希の顔の前で中指を立ててみせた。やってみろよ、と早希は答えた。赤い瞳が相手の姿を映してより赤く染まる。


律に手の甲を向けられて、早希の思考が過去にさかのぼる。こんな剣呑なジェスチャーを教えたのは誰なんだ、と思う。早希はいつのまにか意味を知っていたが、第三者に対して使ったことはないはずだ。同じ環境で生まれ育った以上、目の前の律も同様だろう。誰も教えていないはずなのになぜ──?


かつて似たような状況で、自分自身が律に中指を向けたことがあった。私が教えてしまったのか、と早希は思い当たる。


長く一緒にいると相手の習性が移るという。互いが鏡のように反射し合い、悪い見本となって、悪いことばかりを覚えてしまうのだ。二人きりではろくなことにならない、と考えるのと並行して、早希の片手が動いていた。


──ああ、まただ。


自分でも驚くほどに、半ば無意識のうちに律に同じジェスチャーを返していた。


その瞬間、律は早希の中指を掴んで、手の甲の側に折り曲げた。


指から肩を通って脳へと衝撃が伝わる。折られた指が熱くなって痛んだ。人間ではないとはいえ、人並みに痛みは感じるのだ。痛みが相手への殺意に変わるのは早かった。


何度も繰り返された殺し合いが、今夜も始まる。


二人の関係性は、昼と夜で一変する。昼間は協力して作業を分担するが、夜に二人きりになると喧嘩をすることがあった。戦いのために生まれながら、平和のシンボルとして扱われる反動が出るのだろうか。


これといった理由もなく殺意を抱いて、一度始まればどちらかが気を失うまで傷つけ合う。


彼女たちにも一応の道徳心はあり、関係のない人間を巻き込むのは良しとしなかった。社会通念として受け入れられないことは知っているから、他者が入り込まない状況を慎重に確保してきた。周りの人々に迷惑はかけたくないし、善意や心配で干渉されるのも好まない。


──人間を傷つけてはいけないけど、私たちは、人間じゃない。


傷を負っても翌朝には治るうえ、人間の法や倫理は自分たちには適用されない。同類とやり合うぶんには問題ないだろう、と考えていた。兵器に愛や優しさは要らないのだし、他者を愛するような機能はそもそも備わっていない。互いに相手のことは「都合の良いサンドバッグ」ぐらいに捉えていた、はずだった。


他にやることもなく、彼女たちは家の中で喧嘩をしていた。

悲鳴や罵声をあげることはなく、すべてを行動に込めて、機械のような正確さでぶつかり合う。どちらからともなくナイフを持ちだして、刃先を突きつけては奪われ、奪い返した。痛みも不快感も確かにあって、嫌なら謝るなり外に出るなりすればいいのだが、どちらもそれを選ぼうとしない。


早希は律を床に押し付けて馬乗りになった。先ほど折られた指が痺れていた。

律の口元には黒い髪が一筋かかっていて、自分で振り払うように首を振った。唇の端が切れて血が滲んでいる。その口元がつり上がっているのを見て、早希の攻撃欲は加速した。


目の前の存在を壊したいと思う。


「なに笑ってんだよおまえ。気持ち悪い」

「こっちの台詞。……こんな状況でニヤニヤするなんて、変態」


律の表情を指摘するとき、早希もまた歪んだ笑みを浮かべていた。昼間にカメラを向けられて「笑って」と言われてもうまく笑えないのに、こんなときには笑っているのだから救いようがない。


白髪の少女は、殺す、と呟いて律の首に手をかけた。

律は笑みを消して、抗うように自分の首に手をやったが。その手を伸ばして、律の顔に、見開いた赤色の瞳を抉るように振った。


──


ふたりは廊下で向かい合っていた。

早希は壁に寄りかかって、相手の気配がするほうに顔を向けていた。霞がかかったように視界がぼやけて、ほとんど何も見えていなかった。目から熱いものが流れて頬を伝う。


両目を潰されたのだ。普通なら意識を失うか、痛みで錯乱しているところだろう。そんな状態でも立って話ができてしまうのは、遺伝子操作を受けた兵器の性だった。視覚を失ったぶん、聴覚と皮膚の感覚がかえって研ぎ澄まされたように思う。


相対する律は唇から血を流し、ここまでの攻撃で背中と太ももがざっくりと切れていた。


「ねえ、降参する?……私の負けです、って」


律の問いかけに、早希は答えず、相手の肩に手をかけた。


あまり広くない家のことだ。どこに何があるかは目をつぶっていても分かるし、同じ空間に生きものがいれば、空気を通して体温が伝わってくる。声の響きから相手との距離も分かる。手を伸ばせば届く距離に律はたたずんでいた。


「風呂に行く。……ヤなんだよ、床を汚すの」


周りが血で汚れるのは面倒だからと告げて、有無を言わさず律を脱衣所に押し込んだ。自身もその後に続く。服を脱ぐように促しておいて、湯船の蛇口を手探りで回した。ぬるま湯が溜まっていくのを確かめて、服を脱いで脱衣所に放った。


起伏が少ないふたりの体を、水滴が流れて落ちる。


早希の身体は性行為をしたり子を宿したりするようにできていない。人間なら生殖器があるはずの場所は、すべすべした皮膚で覆われていた。あえて尋ねたことはないが、律だって同じようなものだろう。


ベッドで愛を囁くのも、遺伝子を後世に残すのも、すべて人間の領分だ。性行為だけではない。手をつなぎ、抱擁し、喜びや悲しみを分かち合う。人の感情とはなんと複雑怪奇なものか。どれも自分たちには関係がない、と早希は思う。


結局のところ、早希は直接的で扱いやすいものを拠り所にしていた。愛だの絆だのはよく分からなくて気持ちが悪い。そのようなものを理解し受け入れれば、自分の立っている世界が足元から崩れてしまう気がした。物理的な痛みを受けるほうがいくらかましだ。


律はおとなしく椅子に座っている。早希はタオルを手に取って泡立てると、目の前の背中に泡をつけて擦った。傷口を雑に擦られた律が身をよじって抗議し、「もういい」と手を振り払う。桶で湯を浴びると、ひとりで湯船に浸かった。


少しの間があって、律は早希の手を軽く引いた。一緒に入れ、という合図だった。

早希が黙って足から湯に入ったとき、見えない視界が反転した。顔が湯に浸かり、白い髪がふわふわと漂う。


ふたりの喧嘩は、どちらかが降参するか気を失うまで終わらない。律は「まだ終わってない」と呟くと、上体を使って早希を沈めにかかった。意図を理解した早希は、巻き添えにしようと律の背中に強く手を回した。治りかけの傷に爪を立てると、律の体が震えた。


水の中で、時はゆっくりと流れる。

しだいに息が苦しくなった。手を離して水から出ればいいのに、互いに拘束し合って浴槽に沈んでいた。離しはしない。


体を包む湯の感触が、原初の記憶を呼び起こす。意識が芽生えたときも、こうして液体の中に沈んでいたのだ。彼女たちに乳児期はない。培養槽の中で体が形成され、意識が芽生え、心身の機能が整ったときに初めて槽から出される。水の中で自分の鼓動を感じたのが、彼女たちに共通する最初の記憶だった。


今は、水の中にもうひとりいる。鼓動がゆっくりになり、体はなんとか息をしようとしている。そのときの情動にあえて名前をつけるなら、それは愛情だったかもしれない。


ひとりで生かしはしない。

ひとりで死なせはしない。


ひとりで生きることはない。

ひとりで死ぬこともない。


水はふたりの境界を溶かし、そのまま意識を失った。



──

────


蛍光灯の下で、早希は台所に立っていた。


自分用のコップに水道水を注いで立て続けに飲み干した。水が喉を流れて、闘争の余韻を洗い流していく。律とやり合うとやたらと喉が渇くのだ。


先ほどは引き分けだった。意識を失う寸前にどちらかが湯船の栓を抜いていて、ふたりは空の湯船で折り重なって目を覚ました。そのときには傷もほぼ治っていて、早希の視界も元通りになっていた。


もう一度シャワーを浴びて、汚れたものを洗剤に浸けて、ふたりは流しの傍らにいる。どちらも慣れていたから、周りの物をむやみに壊すことはない。先ほどの争いの跡はどこにも残っていない。


背後から「わたしも喉かわいた」と声がする。早希は黙ってコップにもう一杯水を注ぐと、律に押し付けた。


「このコップ、わたしのじゃないよ」


律のコップは戸棚に入っていた。嫌なら自分で出せと早希が答えると、律は諦めたようにコップに口をつけた。


「……蛇口の水を飲まなくても、冷蔵庫に麦茶があるんだけど」

「うるさいな」と早希が返した。


律が水を飲み干して自分の部屋に戻ろうとしたとき、早希がふと口を開いた。


「ヴァルハラって知ってるか。戦いの中で命を落とした者が行くところ」

「知ってるわ。北欧神話に出てくる楽園でしょ」


唐突な話題にもかかわらず、律はあっさりと返答した。早希は流し台に目を落としたままで言葉を続けた。


「朝から戦って、死んだ者も夕方には復活する。そこなら誰の迷惑にもならない」


死んだらヴァルハラに行きたい、と早希は言葉を紡ぐ。


「……そこでおまえと手合わせがしたい」


律は冷たい言葉を返す。


「ヴァルハラは戦いで命を落とした者が行くところだ、って自分で言ったじゃない。病気や寿命で死んだ者は招かれないって」


彼女たちの耐用年数は短い。高い治癒力をもつが、一定期間を過ぎると細胞の分裂が止まり、生きたまま朽ちるような死を迎える。戦死しなかった場合の寿命は3年から5年。さらに言えば、再生能力には限りがあって、損傷と再生を繰り返すと寿命が縮むという話もあった。


長く生きたければ無駄な喧嘩などしないのが合理的だが、いつも合理的に動けるわけではなく。

無駄なことだと分かっていても、命がさらに縮むとしても、対立の中でしか確かめられないものがある。


律は振り返って早希のほうを捉えた。

その背中がどこか寂しそうで、律は言葉を付け足す。


「だから、わたしと戦って死ねばいい」


早希はふっと息を吐いて「そうだな」と答えた。安心したように表情が緩む。戦いのために生まれながら平和を体現する彼女にとって、その答えはひとつの希望だった。


「寝る。おやすみ」


そう答えて、早希は台所の電気を消した。



数週間後、企業のWebサイトにインタビュー記事が掲載された。平和を誓う垂れ幕を背にして、人懐っこい笑みを浮かべる桜井と、どこか困ったような表情の早希と律が写っていた。

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