狼月の章
1月の満月をウルフムーンという。
見えないはずの天井がなぜ見えたのか、その答えは月にあった。
1995年1月17は満月だった。
月と大地震の関連についても専門家らで議論されるところではあるが、
兵庫県南部地震は満月のタイミングで起こったものだ。
満月が西の空にあるのは、太陽との位置関係的に夜明け前のタイミングのみだ。
その知識があれば満月の位置で夜明けまでどれくらいあるかは分かっただろう。
新月ならば手がかりはなかった。
日常であれば。
日の出から30分ほど経過して薄暗さが和らぐ 7:30 まで街灯は点いている。
地震発生から街灯が必要な暗さではなくなるまでに1時間半あったのだった。
街灯が倒れたか壊れたか停電なのかは、その時点では何も分からない。
月以外に灯る物はなかったので、外も中もなんとなくの輪郭しか分からない。
聴覚さえ奪われたような時が止まった感覚に陥った頃、不意にドドドと地響きがした。
時が動き出したようだった。
その後、揺れを感じた。
地震だろうか?と、そこで気づく。
この惨状は地震によるものか?
それでも、この時点では未だ確信が持てずにいた。
当時は15歳。
テレビで遠方の地震速報を見たことがあっても、
実際には震度1すら15年間で体感したことはなかった。
この地域で最後に地震が観測されたのは戦後すぐ。
1995年時点での50年前、しかもこの付近の震度は最大で4だったそうだ。
神戸及び阪神間は戦時中に大空襲を経ているので、樹木すら若い。
文字通りに生けとし生けるもの、この地で大地震を経験した者はいなかった。
周辺の地震経験者はこの数ヶ月前に群発地震が起きていた猪名川町の住人くらいだろう。
その群発地震も兵庫県南部地震の予兆とする研究者もいた。
事象が地震だと分かれば、地震が起きた時に取らなければならない行動を思い出す。
落ちてくる物から頭をかばって机の下に?
しかし、もはや落ちてくるものは天井しか無い状況だった。
その時はすぐに開き直って、地震が起きても頭を気にする必要性を全く感じられなくなった。
天井すらも落ちてこないという保証も安心も全くできない状況ではあるが…。
あらぬ方向に突き出た障害物や、床の惨状でケガをしないことのみに注力する。
まだが落ちてくるモノがある状況であれば。
ヘルメットは必須になるだろう。
寝床が窓に近かったのでカーテンは開けることができた。
窓は東、月は西にあり、中天の満月より心許無くぼんやりと照っていた。
窓が東側だったので、自分は実際にその狼月を見ていなかった。
「いつもより大きく見えた」、「赤かった」という話を後になって聞いた。
しばらくの間、満月は被災者にとって恐怖の対象となっていた。
「大きな余震は次の満月に来る」という噂もまことしやかに流れていた。