刻の章
闇で分かることは「今は夜だ」ということだけだ。
闇で求めた最初の情報は「今は何時か?」だった。
日常であれば。
ふと目が覚めた時に薄目さえ開けば知れる程度の情報だ。
一度時間を見失った時、人はなぜか現時刻を渇望するようになる。
電気が無くても電池式の時計ならば時は刻める。
そう期待したが、壁の時計を見つけたのは7日は後のこと。
そのまま1時間半を経過したことで、これから朝が来ることが分かった。
いつか登る太陽に任せるしかなかった。
ほんの数分前まで、掛け時計は寝ながら目を開けば見える位置にあった。
非日常を境に、それは3メートルは吹っ飛んだ先に埋もれた状態で隠されていた。
薄い土埃に化粧された以外は特に外傷は見当たらない。
家の中で土埃が降り積もっていくのも、その頃には見慣れていた。
当たり前だか理不尽だか、動力があっても二度と動くことはなかった。
「今が何時か気になるから」だけではない。
○時から給水が来る
△時から給油が来る
□時から炊き出しがある
✕時から仮設入浴施設が開く
このように、生きるために必要な情報には必ず時刻がついて回る。
現時刻の把握は生命線にほかならない。
腕時計があれば。
被災後、枕元に腕時計を置く習慣を続けている人も未だにいる。