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6 夜の王者



 ──まただ


 窓の外の暗闇一点を見つめ、フェリクスは灯したばかりの手燭を持ち上げた。

 見間違いではない。昨日までと同じ枝の上に物静かな影がひっそりと座り込んでいる。

 光の祭典最終日の夜中に初めて姿を現したその影をフェリクスは興味深い眼差しで観察する。


 彼の視線を相手も自覚しているのだろう。宙に浮かぶ双眸の光が一度閉じ、再び開く。決して動じることはなく、押し黙ったままじっと部屋の中を眺め続ける。

 いやもしかしたら部屋の中のことなど見ておらず、その瞳にしか見えない何か遠くのことを見据えているだけかもしれないが。


「今日も来てくれたのか」


 窓の外の相手が何を考えているのか推測するのは困難だった。フェリクスは窓辺に寄り呟く。外と内とを隔てた窓で恐らくその声はあちらには届いていない。彼の呼びかけは完全な独り言のはずだった。けれど口の動きに気づいたのか、枝に留まった身体が微かに動く。首を傾げているようだ。


「ホー」


 嘴が開き、空気の振動が窓の内側にまで届く。フェリクスは僅かに頬を緩め、手燭で相手の姿を灯す。


「フクロウか」


 肩に乗せて歩くには少し大きいくらいの身体にチャコールグレーの羽根。ふとした時に姿を覗かせる羽角は普段は隠れている。闇夜に溶け込む濃紺の大きな丸い瞳には若干の金色が混じり、時折星のごとく煌めく。

 大枠の姿を捉えることは出来ても細かな種の知識を彼は持ち合わせていない。それでも数日間、必ず同じ時間に窓の外に現れる猛禽類の特徴はすっかり覚えてしまった。


「ずっとそこにいて、退屈しないか」


 フクロウが足を下ろすのは決まって同じ枝。まだ細々としていて、丸々としたフクロウの身体を支えるのには不安を覚える。が、当の本人はそんなこと気にしていないようで。


「ホー」


 再び深い声で鳴いて応えるだけだった。偶然か、本当に自分の声が聞こえていたのか。理由はどうあれ、問いかけの後に続いたフクロウの声にフェリクスは少しだけ驚いて目を丸める。


「なるほど。やはりフクロウは賢いんだな」


 意外な交流に気分を良くしたのかフェリクスは口元に笑みを浮かべて閉ざされた窓に手をかける。


「そこは不安定だろう。こちらの方がずっと具合がいいはずだ」


 窓を開けたフェリクスはフクロウに向かって静かな声で呼びかけた。怖がらせてはいけないと考えたのだろう。夜の静寂に囁く優しい語調だった。

 部屋の中に視線を戻し、開けた窓に背を向けたフェリクスは羽織っていた上着を脱ぎ始める。まだ今夜も部屋に戻ったばかりだ。これからいくらか検討しなければならない仕事もあるが、まずは疲れた身体を休めたい。

 華美な装飾が施された立派な上着を丁寧に椅子の背に掛け、フェリクスは一度深呼吸した。


「ホー」


 すると背後から森の声が聞こえてくる。振り返れば、先ほど開放した窓の枠にフクロウが一羽とまっている。枝にいたフクロウがこちらに移動してきたようだ。

 フェリクスは窓の近くに置かれたソファに腰を掛けてフクロウに軽く笑いかけた。


「そこの居心地も悪くないだろう。ゆらゆら揺れる枝よりもな」

「ホー」

「気にしなくていい。少し休んだら仕事に戻る。気が済むまでそこにいて構わないよ」

「ホー」

「遠慮するな。君なら、別にいても邪魔になんかならない」


 こちらを見るフクロウの瞳が語る言葉はやはり読み取れない。が、どこか遠慮がちな雰囲気を感じ取り、フェリクスは少しだけ身体を前傾させてフクロウに囁く。


「ホー」


 フクロウに自分が言った言葉の意味が届いたのかは自信がなかった。けれど数分経ってもその場に留まるフクロウを見れば、きっと意図は伝わったのだろうと嬉しくなる。

 フェリクスはソファに身体を預けて近くの机に用意されていた羊皮紙の束を手に取った。紙に書かれた表面だけに視線を滑らせ、次から次へとめくっていく。


 紙が進む速さは一定で、傍から見れば熱心に目を通しているようにも見える。が、その実、彼の瞳は空洞のように何も映していない。

 そんな彼のちぐはぐな行動に興味を持ったらしい。フクロウが二歩横に動き、彼の方に距離を詰めた。


「ホー」

「ん? ああ、これか? これは今度の軍視察の時に着る服の案だよ。前に行った時と同じで構わないのに、わざわざ新調するらしい。こればかりは融通が利かないんだ。ジーノが駄目だと、口うるさく説教してくるから」

「ホー」

「可笑しいだろ?」


 フクロウが羊皮紙に感心を寄せていることはフェリクスにも分かった。手にしていた羊皮紙の束をぱらぱらとめくり、フェリクスはフクロウに様々な色形の服のデザイン案を見せてやった。

 案の定、フクロウは羊皮紙にじっと目を向けて一つ一つを丁寧な眼差しでさらっていく。


「ホー」


 次にフクロウは何かを訴えたい瞳でフェリクスのことを見やる。上から下へ、なめるような視線の意味するところを察したフェリクスは気まずそうに表情を崩す。


「ここに描かれている服と比べると簡素だろ。いいんだ。部屋にいるときはくつろげる格好でいることが一番だ。もともと俺も、こっちの方が落ち着くし──え? ああ。あれか。はは、そうだな息苦しいな」


 フクロウの視線が目の前のフェリクスからその向こうに見える椅子に掛かった上着に向けられたので、フェリクスは椅子の方面を一瞥した後で苦笑した。

 部屋に入ってきた時まで着用していた彼の上着は見るからに格式ばったものだ。簡素な服を好むという彼の発言と噛み合わないその服をフクロウが疑問に思ったのだろう。

 フェリクスは羊皮紙の束を机に戻してしっかりとソファに座り直す。


「人が人を判断する要素はたくさんある。が、多くは見た目に引っ張られてしまう。だから人前に出るときにはちゃんとしていないと。好き嫌いの話じゃないんだ」

「ホー?」

「意外だろ。威厳は作れるものだ」


 首を傾げたフクロウにフェリクスはしたり顔で笑ってみせる。無邪気にも意地の悪いようにも見える絶妙な表情だった。


「君は何をせずとも上品で様になるから、そんな細工をする必要もないのだろうけど」


 不意に自分に向けられた讃辞にフクロウがきょろきょろと辺りを見回し始める。「他に誰がいる?」とフェリクスはフクロウの反応を楽しそうに眺めていた。


「フクロウは夜行性の猛禽類だ。獰猛な者たちが支配する昼間ではなく夜を選んだ君たちは天敵と競合しない心得も抜群だろう。夜は君たちの天下だ。とても賢いと皆に羨まれるはず。自覚がないのか」


 フェリクスはフクロウに顔を近づけ囁く。


「一方で俺は身なりを正すところからの始まりだ。こうやってまたイチから服を選ばなければならない。でなければ舐められると。ねぇ──君たちのように賢く、品のある者になれたらと憧れを持つのはおかしなことかな」

「ホー」

「はは。言うまでもないことか。この話は内緒だ。大賢とはいえ鳥に憧れる皇帝など、皆、慕いたくもなくなるだろう」


 フクロウの返事にフェリクスは自嘲気味にはにかむ。独りでに納得した彼の照れくささの隠せない反応にフクロウはぱちくりと瞬きした。


「さぁ、そろそろ仕事に取り掛からないとな」


 気を取り直し、フェリクスは自分に渇を入れてはきはきと喋り出す。ソファから立ち上がり、窓枠にとまるフクロウの正面で足を止めて身体を屈めた。


「また話し相手になってくれるか」

「ホー」

「──はは。愛想尽かしたなら構わない。けど、来てくれたら嬉しい」

「ホ──?」


 フクロウの声が不自然なところで途切れる。濃紺の深い眼差しがゆっくりとフェリクスを捉えていく。

 滑らかな手がフクロウのまるい頭をすっぽりと覆い、頭の上を優しい感触で往復していったのだ。


「じゃあ、またな」


 フクロウが頭を撫でられたのだと気づいたのは彼の手が身体から離れ、最後に微笑みを向けられた時だった。瞬きする間に彼は踵を返し、その顔は見えなくなってしまった。

 フクロウはきょとんとしたまま微動だにせず、椅子に腰を掛けた彼の背中をただ見つめるだけだった。


 ──今、何が起きたのだろう


 固まったままのフクロウはそれからしばらくの間窓に留まっていたが、ほどなくして頭の整理を放り投げ、いつもより早い時間に星空へと引き上げていった。


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