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5 窓の外から


 宮殿までは迷うことなく辿り着くことができた。ここに来るのは初めてじゃない。マニュに来てから何度も宮殿周辺の警備や建物の造りを調査し、辺りを飛び回っていたからだ。

 石のレースとも称される華奢で繊細な彫刻がふんだんに外壁を装う建物には、部外者の侵入を一切認めない険しい顔つきをした彫像が守り人のごとくいくつも埋め込まれていた。


 マニーユ国ではカダリア城に次ぐ二番目に古い建築物である宮殿は、今となっては贅沢だと言われ建造が叶わぬほどに豪勢な造りをしている。しかし歴史を物語る重要な遺産となった今日においては皆はこの宮殿を有難がり、大事に守り続けているという。

 建物の維持には大変な労力が必要とされ、それを守り続けるためにも帝国の威信をかけて代々皇帝が住居とするよう決められているのだ。


 その肝心の皇帝が主にどこにいるのか。彼の部屋を探すのは一番苦労した。

 必要以上に数の多い部屋ひとつひとつを窓越しに観察し、サディアは一週間以上かけてようやくお目当てを見つけることに成功した。

 彼の自室兼執務室は宮殿の最上階奥にある。宮殿は敷地内に広大な森を有しているためか、ちょうど窓の近くに大木があったことは幸運だった。


 サディアは皇帝の部屋の窓の傍まで伸びた枝に足を下ろしてピタリと動きを止める。まだ枝が細いからか、ずっしりとした身体の重量にどうにか耐える足場はふわふわと揺れた。

 枝にとまり、じっと窓の中を見つめるサディア。部屋の明かりはついていない。まだ彼は部屋にいないようだ。

 この不安定な枝に留まるのもこれが二回目だった。彼がまだいないのであればただ待つのみ。昨日初めて部屋を覗いた時よりも多少の心の余裕があるサディアは大人しく前を見据え続けた。


 全身を包むチャコールグレーの羽根。世の真理を捉えた寡黙な瞳。変わらないのはその瞳の色だけ。

 それ以外において、夜を迎えたサディアの姿は大きく変わっていた。

 少し距離をとった場所にある皇帝の部屋の窓に映る今の彼女は、木の枝で丸くなっているフクロウそのものだ。


「ホー」


 控えめに口を開いて小さく声を出してみる。窓には自分の意志と同じ動きをしたフクロウが嘴を開けて鳴く姿が映る。

 もうすっかりこの姿にも慣れたものだ。

 特段何の感情も湧くことなく、サディアは鳴くのを止めて少し身を縮ませる。

 生まれた時からこんな特性を持っていたわけではない。けれど長い間、夜を本来の姿で過ごした記憶はない。空に太陽のいるうちは人間でいられる。しかし夜を迎え月が輝く間はフクロウの姿に変身してしまう。サディアの日常はもうずっとこの繰り返しだ。


 こうなった理由は彼女の保護者でもある魔術師、グラハムとの契約にある。サディアも自分にかけられた呪いについては理解していた。

 フクロウになってしまう自分を受け入れ、周囲に事情が明るみにならぬようにグラハムとともに世界の隅で慎重に生きてきた。忌み人として人々の好奇心を刺激することを避けるためだ。純真ぶった凶悪な関心を集めてしまうことは危険すぎる。


 本来なら、こんな帝都を訪ねて一人で生活することなどなかったはず。だがグラハムに皇帝の偵察を命じられ、サディアは単身マニュに乗り込んだのだ。

 どうやらグラハムは皇帝と繋がりがあるという古い友人の魔術師の情報を求めているらしい。その魔術師は行方知らずで、グラハムはどうしても彼を探し出したいようだ。


 巧妙に姿を隠した彼の所在を手っ取り早く掴む唯一の方法が皇帝に近づくということだった。なんとも大胆な話だとサディアも最初は思っていた。が、実際、フクロウの姿で彼を偵察するのは都合がいいかもしれないと今では考えている。

 ニコラやトビアスによると、彼は昼間が苦手で夜に行動を起こすというからだ。

 人間の姿で宮殿回りをうろつくよりもこのままフクロウの方が怪しまれにくい。うまくいけばきっと何かしらの情報をつかめるだろう。

 サディアは窓に映る自分の姿を見つめ、少しだけ誇らしくなった──すると──。


「ああ。構わない。そのまま進めてくれ」


 窓越しに聞こえてきたくぐもった声に、隠れていたサディアの羽角がピンと立つ。


「──ああ──うん──うん、そうだな──え? いや、大丈夫だ。もう下がっていい──だめだ、ジーノ、働きすぎだ」


 部屋に入ってきたフェリクス・ミュドールは廊下にいる側近と話しているようだ。きつく首を横に振り、ぴしゃりと言い放つようにして何かを断っている。様子を窺うサディアの身体が微かに細く伸びていく。


「ああ、そうだ。うん、うん。じゃあまた朝に──いいか? ちゃんと休め」


 廊下に向かって念を押すように厳しい口調で強く言った後でフェリクスは扉を閉める。一人になるや否や、彼は小さく息を吐いた。

 部屋の中心まで歩いてくるフェリクスの姿を目で追い、サディアの身体が前のめりになる。彼は羽織っていた上着を脱ぎ、椅子の背にそれを掛けた。それから肩の力を抜く動作で脱力したように見えた。けれどそこまではっきりとは見えず、確信はない。


 どうにも疲れた雰囲気を漂わせている彼をもっとよく見ようと前のめりになりすぎたせいか、サディアが足場にしていたか細い枝が大きく揺れる。身体が落ちそうになったサディアは反射的に翼を大きく動かした。

 思った以上に大きな音が出てしまいサディアは慌てて別の枝に飛び移る。フェリクスの視線が外に向いた気がした。姿を見られたか。


 けれど今の自分が人間ではなくフクロウの姿をしていることをサディアはよく承知している。森にフクロウがいることは珍しいことでもない。あまり慌てすぎることもなく、サディアはもう一度葉の間から部屋の中を見る。

 やはりフェリクスはこちらに気づいていた。

 彼の青緑の瞳と目が合い、サディアは濃紺の瞳を瞬かせた。久しぶりの瞬きだ。


 フェリクスはじっとフクロウのことを観察していたが、一分も経たぬうちにその目を机に向け、手元にあった分厚い本の表紙を開く。やはり森にフクロウがいることなど彼は気にも留めていない。寡黙でじっとしているフクロウよりも仕事の方に強い関心を向けているようだ。


 サディアは黙ったまま彼の偵察を続ける。

 光の祭典初日に見た彼の華やかな姿が脳裏に蘇った。初めて彼の姿を目にした夜だ。記憶の中のニコラの声が続く。

 彼は帝国市民に支持され貴族たちの信用も得た人望のある皇帝で、多くの人を恐れさせた闇の組織を潰し、収穫物を豊かにし、経済活動にも力を入れる、帝国の繁栄に大いに貢献している功労者だ。


 その姿も美しく、花火の輝きの下で群衆を見て微笑む柔らかな表情に安堵を覚える者もたくさんいた。日光アレルギーの噂ごときではキズが付くことはないほどに、彼の評判は体感だけでも確固たるものだった。

 しかし彼を観察するサディアの頭には疑問が浮かぶ。

 彼は本当に評判通りの人なのだろうか。

 優美と勇敢を持ち合わせる、誰もが待ち望んだ完璧な人物なのだろうか。


 地位も名誉も老若男女も関係なく、誰も彼も真理など簡単には見抜けぬものだ。

 フクロウ姿でじっと枝に留まるサディアは時が止まったのかと錯覚するほどに大人しく、動きがない。フクロウは派手に騒ぐことの少ない寡黙な生物だと印象を受けやすいが、まさにサディアの本性もそれに近かった。


 大きな感情の動きは見せず、自己の本分をわきまえる。

 マニュに来てからは周りに溶け込むために善良な市民を演じているが、中身はグラハムの指示で皇帝の偵察に来た余所者だ。

 越してきてからすぐの頃は変な噂が立たぬよう、雲行きが怪しい日には人付き合いの課題を苦慮したグラハムに渡された薬を使いやり過ごしてきた。


 薬の効果によって飲んだ日の晩だけはフクロウに変身することを免れられる。そうすることで、参加しない者はいないと言われる光の祭典にも違和感なく参加することができた。

 夜に姿を消すのはあまり不自然なことでもない。そう考えるサディアは最初に薬を渡された時にはグラハムの懸念がピンとこなかったが、結果的にあまりにも付き合いが悪いと怪しまれるとの彼の推測は正しかったと言える。


 文句を言うとすればその薬の味だ。

 彼が渡した薬は人体が耐え得る限界を超えた辛味を伴うものだった。サディアが実際に飲んだ時、あまりの辛さに全身が苦痛に裂けてしまいそうになった。

 二度と飲みたいと思わないように、との意図でわざとそのような味を加えたらしいがやりすぎなくらいだ。


 ──街に馴染むためだけに使え、決して自己の利益のためには飲むな。


 そう警告されたが、言われるまでもなく進んで飲みたいものではなく、彼が忠告するまでもないことだとサディアは納得した。薬はまだ残っているが、恐らくもう口にすることはないだろう。

 思考の末に嫌な記憶まで思い出してしまったサディアは気を取り直してフェリクスに意識を向ける。気づけば彼は本から目を離し、机に置かれたオートマタに視線を投げていた。


 大玉に乗った貴族の少女が無邪気にはしゃぐ場面を切り取ったオートマタは、物が少ない彼の部屋の中でも異質な存在だ。彼はオートマタのスイッチを入れ、動き始めた人形を見つめた。一見すると何も考えていないような彼の瞳に微かな感傷を覚え、サディアはその違和感に首を傾げる。


 皆が待ち望んだ理想の皇帝。

 しかし部屋で見る彼はカダリア城で見た堅く凛々しい印象とだいぶ違う。変わらないのはまさにオートマタのごとく洗練されたその容姿だけだ。先ほどの側近らしき人物との会話を思えば、案外無愛想なところもあるのだろう。

 ここでサディアは再びニコラたちの言葉を思い出す。

 彼は僅かな時間で大規模な人体売買組織を殲滅させた。

 とすれば、きっと表には出さない冷徹な判断も持ち合わせているに違いない。


 あの組織の暗躍はサディアにも無関係なことではなかった。組織が壊滅したことは知っていた。が、理由までは知らなかった。だからこそニコラたちから彼が組織を潰した話を聞いた時、本当は胸がざわついていたのだ。

 窓越しにフェリクスを見るのはこれが二度目になる。それでも窓の向こうにいる青年は、サディアの目には開幕宣言でにこやかにしていた天上の彼とはまるで別人のように映った。


 何をもって彼の本当の姿を語れるのか。

 変わらずオートマタに物憂げな視線を向けるフェリクスを眺め、サディアはもう一度瞬きする。


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