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47 兄妹


 扇で口元を隠したミンカはくすくすと控えめに声を出して笑う。


「ミンカ、知っていたのか」


 今しがた登場したばかりのミンカがまるでこの状況を見る前から事情を知っていたと言わんばかりの余裕を見せたことにフェリクスが首を傾げる。


「ええ。ついさっき、ダリアニに聞いたわ。というよりも問い詰めたの。兄様あにさまの行動が怪しすぎるから何をしているか教えてって。あの蜘蛛、ダリアニの新しい相棒かなにか?」

「──どういうことだ、ミンカ」

「わたし、最近はよく眠れなくて。だから祈りの満月を存分に堪能しようと思ってずっと窓に張り付いていたの。そうしたら、窓から見えるカダリア城の様子がおかしくて……自分の目で見に行ってみたの。皆に隠れてこっそり馬に乗るのは楽しかった。それで削れた城跡に着けばダリアニがそこにいて──そういえば、兄様あにさまが昨夜こそこそと出掛けていたことを思い出して。ピンと来たの。小屋に籠っているダリアニがあの場所にいるのは、きっと兄様あにさまが関係しているのでしょう、と」


 勿体ぶるように階段を下りるミンカは扇を畳んで楽し気な口調で語る。


「ミンカとダリアニは知り合いか」

「ええ、知っている。彼もわたしのことを知っている。わたしは皇帝ではないけれど、皇帝には魔術師が接触する話自体は聞いたことがあるもの。兄様あにさまが皇帝になった後、もしかしたらと思って探してみたの。そこでダリアニを見つけた。とても驚いたのだから。御伽噺ではなかったのだと」

「ダリアニは何も言わなかった」

「それはそう。彼とは守秘義務契約があるもの。この夜のことも最初は教えてくれなかった。彼は口が堅いものね。でも上級の酒を浴びるほど贈ったら、きちんと話してくれたの」

「──ダリアニとはどういう関係だ」


 緊張感のある兄妹の会話に使用人たちは息を殺した。サディアもそれは例外ではなく、二人の会話の行方を固唾を飲んで見守っていた。


「彼はわたしのお師匠様。わたしが何の目的もなしに魔術師に接触すると思う?」

「いいや。そんな面倒なこと、意味がなければお前はやらない」

「さすがは兄様あにさま、わたしのことを分かってくれてる。兄様あにさまにはずっと敵わないの。追い抜いたと思ったらすぐに抜かしていく。昔、兄様あにさまが病気だった時、わたしは兄様あにさまの世話ができて嬉しかったの。ようやく対等の立場になれるって。兄様あにさまはわたしのことをずっと守ってきてくれたでしょう。それが頼もしかったけれど悔しくもあった。わたしが無力なようで」

「心配せずともミンカは誰よりも逞しいだろ」

「わたしもそう思っている。でもそう言ってくれるのも結局は兄様あにさまだけ。皆にはなかなか分かってもらえないの。だからわたしは術を学びたかった。皇帝に就任した兄様あにさまを見ていたら、同じ道では兄様あにさまに勝てないと知ったから」


 シマリスの前に座り込んだミンカはちょんっとシマリスの鼻先を人差し指でつつく。


「わたしにだって守りたいものがあるの。魔術師に出会って、兄様あにさまとは違う方法がわたしらしいと確信もできたの。だから魔術師の弟子にしてほしいと頼み込んだ」

「ダリアニがよく引き受けたな。弟子をとるなんて」

「もちろんはじめは短命の癖に術を学ぶなど無謀だと言われて断られた。でも限りがあるからこそ自分の可能性を極限まで引き出したいと告げたら彼も認めてくれたの。覚悟は持っているし、素質はあるかもって」

「欲深さか」

「ふふ。兄様あにさまはわたしをよく知っているもの。底知れぬ野望は承知でしょう」


 ミンカの開き直った笑顔にフェリクスの表情も和らいでいった。


「部屋に呼んでいた女性たちは術の実験か」

「そう。ちゃんと記憶は封じているけれど、そのせいでその時のことを思い出そうとするとのぼせたみたいになってしまうの。術って、奥深くて面白いでしょう」


 わくわくとした活気のある語調でミンカは肩を揺らした。笑いながらもミンカは背後に控えたミシャを呼び寄せる。彼女から渡された箱の蓋を開け、ミンカはフェリクスにそれを見せた。


兄様あにさまの縛りをわたしが解いてあげてもいいと考えているの。わたしはダリアニの弟子。兄様あにさまに術を施したのはダリアニだけ。彼には石がなくてもわたしにはある」


 箱の中を覗き込んだフェリクスがハッと息を止める。何が入っているのか気になり、サディアもそっと同じものを覗き込む。

 ミンカが手にした箱の中には彼女の部屋で見た覚えのある水晶玉が入っていた。彼女をそのまま芸術的に表現したような可憐で美しい色の水晶玉は前に見た時よりも乳白を帯び神々しく輝いている。

 妹の秘密に言葉を失うフェリクスをよそ目にミンカは手刀で水晶玉の一部を砕いた。


「お前──いつの間にそんな技を……」

「これは術力のおかげ。わたしはヤワな人間じゃないけれど、か弱いの」


 水晶を簡単に砕いた妹に感心するフェリクスに対しミンカはむっと頬を膨らませて自分は怪力ではないと言いたげな目で兄を見る。


兄様あにさまはわたしのように術の力なんて必要ない。その人望と冷徹な判断、神経質なまでの熱意、それと寛大な心は皇帝に相応しいもの」

「ミンカこそ。お前も十分な素質を持っているじゃないか」

「そうかもしれない。でもね兄様あにさま、わたしはそれだけじゃ満足できないと気づいたの。だから兄様あにさまの代わりを務めるのはいや。その呪いを、解いてあげる。これはわたしのためでもあるの」


 フェリクスが何か言いかけるとミンカがすかさず人差し指をシマリスの顔の前に突き出す。まだ話には続きがあるようだ。

 水晶の欠片を握りしめ、ミンカはフェリクスに顔を近づけそっと囁いた。


「わたし、兄様あにさまが何をしたのかずっと知っていたのだから。ダリアニとどうして契約することになったのかを。彼が言ったのではない。兄様あにさまは分かりやすいからわたし、すぐに分かってしまった。でも何も言わなかったのはわたしなりの兄様あにさまへの反抗だったの。兄様あにさまがやったことを完全に肯定することはできないけれど、責めることなどなかったのに。兄様あにさまは自分に呪いをかけたの。わたしにもすべてを内緒にするって。もう自分を呪うのはやめて。わたしがゆるしてあげるから」


 シマリスから顔を離したミンカはたおやかに微笑んだ。


「わたしは魔術師の道を選ぶ。本物の魔術師のようにはなれないけれどそれでも──兄様あにさまが守る世界をわたしなりに守ってみせる。絶対に、兄様あにさまには後悔をさせないから」


 目をぱちくりとさせるフェリクスを一瞥し、ミンカはその後ろに見えるサディアの姿を捉える。


兄様あにさまは寂しがり屋だけど──きっと、もう大丈夫でしょう」

「──え」


 フェリクスとサディアの微かな声が重なった。


「さて。そろそろ術を解きましょう。これ以上放置していたら兄様あにさまが弱気なことを言い出しそうだもの。そんなの見ていたくない。わたしの前で弱音を吐くのは禁止ね」


 ミンカはパンッと手を叩き姿勢よく立ち上がった。水晶の欠片を重ね合わせた両手に抱き、胸の前にそれを運んで瞼を閉じる。ダリアニとは違いミンカはぶつぶつと念仏を唱えるようにまじないを声に発していた。

 ピンク色の光の渦がシマリスを包み込んでいく。ざあざあと静かな風が広間に柔らかな空気を運んできた。光に埋もれる前にシマリスの顔がサディアを振り返る。一瞬だけ目が合ったが、その実直な瞳はすぐに光のカーテンに遮られてしまった。


 無意識にサディアの足が一歩前に出る。と、次の瞬間に光の柱が天井を突き、目を開けていられないほどの眩しさが広間を覆う。使用人たちの呻き声が聞こえた。閃光が収まると皆はゆっくりと瞼を開けていく。すると広間の中央には達成感に満ちた笑みを湛えたミンカと──もう一人、素朴な服に身を包んだフェリクスの姿があった。


「陛下‼」


 ジーノの歓喜の声が響き渡る。

 フェリクスが見慣れた姿に戻ったことを認識した使用人たちの顔に安堵が広がっていく。


「おかえりなさい」

「おかえりなさいフェリクス様」


 使用人たちは口々に彼を歓迎し、喜びを拍手で表現する。あっという間に宮殿内は華やかな色を取り戻した。割れんばかりの拍手が鳴り響き、サディアも皆に倣って控えめに手を叩いていく。そして前に出した足を元に戻し、今度は反対に後ろに下げる。


「ワンッ! ワンワンッ‼」


 人間たちの嬉しそうな騒ぎに駆け寄ってきた番犬ダズがフェリクスに向かって突っ込んでいった。大型犬に体当たりされたフェリクスは少しだけ体勢を崩す。彼はそのまましゃがみこみ、興奮気味に顔を擦り寄せてくるダズの頭をわしわしと撫でた。


「ダズ、久しぶりだな。ははっ、ほら落ち着けって、ああ、俺も君に会えて嬉しい」


 眠りん坊のダズと遊べるのは昼間だけだ。夜にしか動けないフェリクスはこれまでダズとあまり触れ合うことができなかった。その分、ダズとの戯れが一層嬉しかったのだろう。フェリクスの無邪気な笑顔にジーノは感慨深げに頷く。

 奇跡に沸く宮殿内。だが一方で、皆から距離を取った場所で中心を眺めるサディアの心境は複雑だった。

 フェリクスは呪いを解かれ無事に皇帝に戻った。

 その事実は嬉しくてたまらなかった。本当なら、ジーノとともに抱き合って喜びたかった。けれど現実にはそれは難しい。


 宮殿の扉に手をかけ、サディアはもう一度広間を振り返る。ちょうど使用人の輪に囲まれたフェリクスがミンカと抱き合っているところだった。二人の幸せそうな表情につられてサディアも頬を崩す。

 サディアはもう十分に知っていた。もう自分がここにいる理由はなく、これが最後であることを。最後に見た彼の顔が幸福に満ち溢れていたことは幸運だった。

 広間に背を向け、ぼそっと誰にも聞こえない声で呟く。


「さようなら……フェリクス様」



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