39 罪
「ロザリア──⁉」
暗がりから姿を現した彼女の真白のドレスを月明りが薄い青に染める。
「幼馴染の言うことを聞かないなんて駄目じゃないフェリクス」
ホールに登場したロザリアはフェリクスを見てにこりと笑う。血色の良い頬が愛らしい笑みを彩った。
「どうして君がここにいる?」
「そこに断罪すべきことがあるからよ。罪は許されないことでしょう? ほら。わたしの父も法に厳しい人だから。わたしもその血を引き継いでいるの。約束を破るのは罪と同じ。魔術師が契約ごとに厳しいのは皆知っていることよ。それで思い出したの。パーティーでその女の話を聞いた時のことを」
ロザリアの軽快な口調にフェリクスの記憶が呼び起こされる。強張った彼の表情に、その場にいなかったサディアにも当時の二人の会話が聞こえてくるようだった。
「──サディア、悪い。君の薬のこと……ロザリアに」
「ホー、ホー」
青ざめた彼の顔からは生気が薄れていく。サディアは慌てて首を横に振り、彼は悪くないことを訴えかける。サディアの秘密を知った彼女が一晩だけ彼の視察に付き合えた事実を見逃すはずがない。何故呪われた夜にサディアが動けたのか。きっと彼は幼馴染である彼女に正直に打ち明けたのだ。
「罪に裁きは不可欠よ。契約相手の魔術師を探すのはそう難しくはなかった。わたしには父の情報網があるもの。彼を訪ねて、その女の罪を教えてあげたのよ。彼だっていくら出来損ないとはいえ長年連れ添った相手のことを多少なりとも信じていたはず。それなのに裏切られたのよ。可哀想だもの。彼には知る権利があるわ」
「──そうだ。ワタシだって約束は果たすつもりだった。だがな、ようやくダリアニを見つけたという知らせを聞いた直後に裏切りの報告を受けたんだ。ワタシだって傷つく。とても悲しかったんだよ。お前たちにその気持ちが分かるか?」
ロザリアの隣に並び彼女を労うようにその肩を抱いたグラハムが声を震わせた。滑稽なほどにわざとらしい口ぶりだった。
「がっかりだよ。お前はどこまでも人を呆れさせる。サディア、お前は他人を信用するなと教えたことを忘れたのか。日和やがって」
心底幻滅したといった顔でフクロウを睨みつけるグラハムからは軽蔑の念すら感じられた。サディアはグラハムをじっと見つめ、何も言わずに翼を動かし続ける。
「愚図で怠け者な性分が雑用にするのにちょうど良かったが──生意気に自我を持ちやがって。意思を持っていい身分だと勘違いしたな。その無駄な自尊心がお前を狂わせた。怠慢だ。お前はこの皇帝のために薬を飲んだだろう。己の利益のために。あいつを信用させるためだけに。自分の都合を優先させた。立派な契約違反だぞ。あの薬は街に馴染むためだけに使っていいものだった。そう約束したはずだ。な? そうだろ? それともお前のその頭は何も覚えられないというのか? あ? どうなんだ。この無能が。脳なしとはこのことだ。いいか? お前は本来不要な存在だということを忘れている。両親と一緒に殺してやっても良かったんだよ。ワタシの気まぐれだけで存在できただけだというのに──誰かに認められようと望むなど身の程知らずが」
グラハムの流暢な演説がロザリアは大層気に入ったらしい。彼の腕に抱かれたままくすくすと無邪気な笑い声を奏でる。小刻みに揺れる彼女の肩にグラハムの長い指が食い込んでいった。すると少し痛かったのかロザリアの笑い声が途切れる。が、腕の中が静かになってもグラハムの怒りは収まらず、瞬く間にロザリアの顔が痛みに悶えていく。
「悪口をかき集めるために長生きしているのか」
グラハムの主張を黙って聞いていたフェリクスが呆れたように彼を睨む。グラハムの視線がフクロウから左へと逸れる。目が合えば、フェリクスの眉が険しく持ち上がっていった。フェリクスに意識を向けたことでロザリアを圧迫していた指が離れる。強烈な力から解放された彼女はその場に崩れるように座り込んだ。
「それは違うな。ワタシに与えられた長命の権利は偉大なワタシを築くためのもの。魔術師はな、その昔は忌み嫌われ見つかろうものなら火あぶりにされたものだ。過去の同胞たちは力こそあれど掟に縛られる上に気が弱かったからなァ。弱き人間たちを痛めつけることすらせず、大人しく駆逐されていったんだよ。時代が変わって人間たちがワタシたち魔術師の力を利用する知恵をつけたのはつい最近のことでしかない。愚かな話だ。本来なら力のない人間ごときに選ばれしワタシたちが付き合う必要などないというのに。ただ長生きも退屈なものでね。暇つぶしに、お前たちの都合に付き合ってやっただけだ。魔術師を迫害した歴史などすっかり忘れたお前たちが手のひらの上で楽しそうに踊るのは実に愉快だったけどもね。もう十分に楽しんだ。ワタシにはそろそろ次の遊びが必要。そのためにこの耳飾りが必要だった。そうでなければ最弱魔術師の顔なんて見たくもなかったさ」
神妙な面持ちでこの場にいる全員の顔を順番に見ていたダリアニを一瞥し、グラハムはフン、と鼻で笑った。
「本当なら二百年以上前にこの遊びに移れていたものを。呪いのせいで計画が狂ってしまった」
「計画? あんた、昔から胡散臭い話しかしないね。呪いだって自分のせいだし。ヴェネシアを愛したのはあんたの勝手でしょ」
「不快な遺物は黙っててくれないか。ダリアニ、この耳飾りが手に入った今、もうお前に用事はない。今後一切関わるつもりもない。早くワタシの遊び場から消えろ」
「絶対に断る。あんたと二度と会わないって我も早いところ誓いたいけど、計画だなんて明らかに怪しい言葉を聞いたら放ってはおけないね。我はヴェネシアが愛した世界を守るためにここにいるの。だからもしあんたが変なことを考えてるなら黙ってるなんてできない」
一歩前に出たダリアニはグラハムとフェリクスの間に堂々と立ちはだかる。背中に組んだダリアニの両手に薄い光の膜が張っていくのにフェリクスが気づく。どうやらすぐにでも術を出せるように準備しているようだ。
「ヴェネシア、ヴェネシア……──お前はいつまでもそればかりだな」
「なに──?」
「ヴェネシアもいつまでもお前みたいなやつに付き纏われて可哀想だ」
「な……っ‼ あんただってヴェネシアの形見が欲しかったんだろ⁉ あんたは我が嫌いなんだよね? 嫌いな我に会ってまで手に入れたいって執着してるようだから渡したのに──‼ 自分を棚に上げるなし!」
「喚くな見苦しい。ワタシがただ形見を独占したいがためにお前に会いに来たと思ってるのか? めでたいを通り越して空っぽな頭だな。期待通り、とも言えるが」
ヴェネシアの耳飾りを月明りに透かし、グラハムは尻目でダリアニを嗤う。
「ワタシが亡骸など欲しがると思うか? この耳飾りも、理由がなければただのガラクタだ。いや、ガラクタにもなり得ない。ワタシが知らないとでも思ったか? この耳飾りはお前がヴェネシアに贈ったものだろう」
グラハムの鋭い眼光にダリアニの指先に灯る光が揺らぐ。しんと静まり返ったホールの異様な雰囲気に俯いていたロザリアが顔を上げた。ダリアニ越しにフェリクスと目が合えば、ロザリアの瞳に憎しみが滲む。一度瞬きをし、フェリクスは彼女から視線を逸らした。
「あんたの狙いはなんだ、グラハム。我が作った耳飾りと知っていてもそれを手に入れたい理由って──なに?」
ダリアニの声は硬かった。グラハムが耳飾りの贈り主を知っているとは思っていなかったらしい。二人の魔術師の緊迫した空気にフェリクスは警戒して目を見張った。
「この世界は退屈過ぎる。所詮人間の統べる世界だからな、それも当然だろう。だがワタシはもっと楽しみたい。永い永い時をね。皆も楽しいことは好きだろう。だからワタシがこの世界を遊び場にしてあげようと思ってさ。皆にはワタシの玩具になってもらうつもりだよ。脆くて短命な人間にワタシが価値を与えてあげるんだ。皆、駒となってワタシの永久の時を楽しませろ。光栄なことだろう?」
「あんたの悪趣味と耳飾りに何の関係があるっていうの」
「フン。阿呆野郎が。何百年経とうとお前は真実に気づけない」




