35 三百歳
「まぁ、これは守秘義務とかないし言ってもいいかな」
フェリクスを見定めるようにじろじろ彼を見るダリアニはうーん、と考えながらぼそぼそと呟く。口が堅いと言った割にやけにあっさりと気持ちが変わったらしい。どうやら見た目以上に酔っ払っているようだ。
「君の言う通り。グラハムとは二百五十年前くらいに一緒にいたよ。カダリア城で。当時は今よりも魔術師の数が多かったからね。国の頂点に立つような人たちは我たち魔術師の力を借りて世を治めるのが普通だった。サグ将軍って知ってる? カダリア城を建てた人」
「リイルゼル・サグか」
「そうそう。彼、容姿こそは筋肉の塊みたいに逞しくて怖い人だったのに精神は繊細で。普通魔術師を雇うなら一人なのに、用心して二人も雇ったんだよね。それが我とグラハム。我たち、まだ若造だったけど結構優秀だったから。待遇もかなり良かった。我たち二人ともサグ将軍のために一生懸命働いたよ」
「仲は悪くなかったのか」
「最初はね。近くに魔術師がいるおかげで互いに能力を高め合えたし。それまでは良かった。でもね、問題って突然起こるんだよ。ヴェネシアを巡って、あっという間に我たちの仲は険悪になった」
「ヴェネシア?」
「サグ将軍の娘のこと。成人するまでカダリア城には住んでなくて寄宿学校にいたから、存在は知ってたけど初めて会ったのは彼女が城に越してきた時だった。美しくて、可憐で、可愛い人だった。厳しい学校にいたから物腰も優雅で礼儀も正しくて、所作も見惚れるくらいだった。一瞬一瞬が絵画のように完璧なんだ。性格は穏やかで少し気弱だけどちょっと頑固なところもあって。気づけば彼女のすべてに惹かれてたよね。愛おしくてたまらなかった。抱きしめて離したくはなかった。彼女が我と同じ気持ちなら、それ以上の幸福はいくら長生きしてもこの世に見つけられないだろうって悟ったくらいだよ」
ダリアニは少し照れくさそうに声を濁した。彼の視線の先で燃える薪が黒ずみ、火の強さが増していく。
「ダリアニにもそんな過去があったのか」
「あるよ。三百年生きてるんだし。その分、因縁だってあるものだし」
「──グラハムも彼女を?」
フェリクスが訊ねるとダリアニは気まずそうに頷いた。
「グラハムと我はヴェネシアに夢中だった。彼女の心を自分の方に向けようと。彼女の愛を独り占めしようと。どんどん欲が抑えられなくなっていった。絶対に奴だけには渡さない。互いにそう決心してたし」
「じゃあ、グラハムがダリアニに執着するのはその時の因縁か──?」
「そうじゃない? それ以外にあいつとの接点なんてないし」
「──因縁の原因が痴情とは。魔術師は高尚だと聞くが、随分と俗な理由だな」
「ふん。小僧にはまだ分からないでしょ。愛とやらを。君も愛する人を見つければいいよ。文字通り身を焦がすほどのね。そうなったらもう何も見えなくなるし。心を奪われたら人質にとられたのと同じ。でもそれがね、願望に思えるの。彼女のために自分が存在するって。そうでなければ自分に意味はないとまで思うこともある。彼女の願いが自分のすべてになるの。報酬すらいらないの。彼女の存在があれば満たされるから。難しい話だけど、小僧にも分かって欲しいものだね」
「説教なら間に合ってる」
「あの側近か。気骨はあるが所詮はあいつも若造だし。どっちか比べたら我の言うことを脳に刻み込んだ方がいいよ」
ダリアニはねちねちとフェリクスへの小言を呟きながら次なる酒を取り出す。浴びるように酒を飲み続ける彼を見て、フェリクスはグラハムが酒飲みを嫌った理由をなんとなく察した。恋敵であるダリアニがそうだからだろう。
「その愛するヴェネシアは結局どうなった。彼女は誰かを選んだのか」
ダリアニがこれ以上酔っ払って面倒なことにならないうちにと、フェリクスは話の続きを催促する。するとダリアニの動きがぴたりと止まった。
「──選ぶ前に、彼女は封印された」
「封印? そんなことあるのか」
思いがけない返答にフェリクスの片眉が険しく持ち上がっていく。
「魔術師の術力にはね、神が宿ると言われてるの。番人って呼んでる。我たちはその番人を怒らせた。魔術師は人間に必要以上に執着することを禁忌とされてるから。ヴェネシアに固執する我たちへの罰として、ある日彼女は消えてしまった。すっかり姿を消したんだよ。父親であるサグ将軍ですらその存在を忘れた。きっと、この世とあの世の狭間に取り残されてる。例え我が死んでも、もう彼女に会えることはない。我たちの欲が暴走して、彼女をそんな目に遭わせてしまった。我らの欲望に彼女が犠牲になったんだよ」
「魔術師は思った以上に強欲なんだな」
「強欲でなきゃ魔術師は務まらない。けど、我たちはやり過ぎた。掟を破ったんだ。番人はヴェネシアを奪うだけでなく我たちがその地に入れないように呪いをかけた。グラハムはマニュに来れないと言ってなかった? それが理由。カダリア城があいつを拒む」
「だからダリアニもこの地に籠っているのか」
「そう。マニュの近くだけどマニュではないから」
「だがグラハムのように色んな地へ行くことはできるのに、どうして──」
そこまで口にしたところでフェリクスはダリアニのやけに澄んだ瞳に目を向ける。
「──そうだよ。ここはね、ヴェネシアの存在を近くに感じられる場所なの。カダリア城のてっぺんだけは辛うじて見えるし。もう誰も彼女のことを知らない。すべての過去から消されてしまったから。でもね、我が覚えている限り彼女は存在し続けるの。離れたくない。あの地が帝国となっても皇帝たちに協力してきたのも彼女のため。あそこは彼女が愛した地。ならば我は守り続ける。それにこの意地は彼女への罪滅ぼしでもある。彼女は何も悪くなかったんだよ。我は、永遠にこの罪を背負って生きていくつもりなの」
ダリアニは一口だけ酒を飲んでマグカップを下ろす。
「なぜ今グラハムが我を探すのか、それも心当たりはある。そろそろ月と星が重なる日が来る」
「祈りの満月──」
「あれ、もうひとつの月なんかじゃなくて星なんだよ。人間はかわいいよね。勘違いしちゃって。まぁ、それはいいとして──とにかく二百八十八年に一度だけ、我たちはマニュの地に足を踏み入れられる。ちょうど寸分違わず満月が輝く日のみ。奇跡の日だからね。その神秘に掟の番人も見惚れちゃうから呪いも疎かになるの。我たち二人が再び顔を合わせられるのもその日のあの場所だけって呪いで決められてる。呪いが始まった場所だから。だけどね、いくら長命の我らでもこの年月は長い。最初はあいつに文句のひとつも言いたいと思ってたけど、今やあいつへの関心なんて薄れてた」
「グラハムは君に会ってなにをするつもりだ」
「それも察しがつく。ヴェネシアの唯一の形見を持っているのは我だ。我は形見を持ってあの場所から逃げたから。グラハムは人の痛みなど分からない強欲を通り越して傲慢な奴だからね。それが悔しんでしょ。奇跡の日は我らにとっても特別な日。形見を奪うことでヴェネシアがどちらを愛していたかを証明したいんでしょ。もしかしたらヴェネシアを取り戻したいのかも。あいつの能力が増してるとしたら、それも不可能じゃなさそう。次の満月は呪いを受けてから初めての奇跡の日だし。何もかもができちゃう気がする」
ダリアニは小屋の隅に置いた箪笥を一瞥して肩をすくめる。
「それより君のこと。君は我にグラハムに会って欲しいんでしょ。本来なら君はこの話に無関係だ。心配せずとも呪いのせいで我らは奇跡の日以外は会うこともできないから黙っていれば何事もない。君を襲いたくとも、マニュにいる限りグラハムは君を攻撃できないし。そもそもグラハムも君そのものには興味がないだろうし」
形勢逆転、と言わんばかりにダリアニはぐっと前傾姿勢になってフェリクスに詰め寄る。
「誰かのためなんでしょ。君を訪ねてきた契約者、君には関係のない話だから追い払ってもいいものを君はそうしなかった」
ダリアニはフェリクスの胸元で輝く石を見つけてニヤリと笑う。
「それは我との契約の証。この石はね、主を守る役目を果たす。万が一に他の魔術師が現われた時にその魔術からも守ってくれる魔除けになる大事な大事なものだよ。それは最初に説明したよね。君はそのことを知りつつこれを誰かに貸した。奪われたんじゃない。自らの意思で貸したでしょ。そんな大事なものを貸すなんて──」
とんっとネックレスの石を指先でつつき、ダリアニは誇らしげな笑みを湛える。
「君も成長したんだね。その人のことを助けようとしてるんでしょ。他人のことを考える余裕ができたことは評価しちゃおうかな」
「──彼女はグラハムにすべてを奪われている。解放するにはこうするほかない。ダリアニ、グラハムと話し合うことはできないのか」
「どうやらよっぽど厄介な関係みたいだね。君と我とはまったく違う。まぁね、あいつは変わっちゃったから。前は少しくらいいいところもあったんだよ。人間味があるっていうの? でも今はね……和解なんて無理じゃないかな」
「危険は承知だ。ダリアニに迷惑をかけることも。最悪の時には俺の命を君に捧げよう。前に本で読んだことがある。魔術師は、人間の命一つで生き返ることも可能だと」
「──そこまでする?」
「覚悟ならある。約束は守る」
フェリクスのはっきりとした声が霧靄を切り裂く。ダリアニは彼の勇敢な眼差しを見つめ、僅かに頬を崩した。
「あの場所で彼を待つと伝えて。我も三百だ。大人の片足に突っ込んだから広い心を持ってみるよ」
「ダリアニ……──‼」
「ああそれと。その姿じゃ森を抜けるのは厳しいだろうから特別に途中まで送ってあげる。その契約者の話、もう少し詳しく聞かせてほしいし」
瞳を輝かせるフェリクスの頭を撫で、ダリアニは満面の笑みで感嘆する。
「ああ。やっぱり、このふわふわは最高だし」
ダリアニの手のひらの下で、シマリスの頬がむうっと膨れた。




