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34 崖の上



 ダリアニが住むのは帝都マニュから北に向かった先に広がる森を有する山の奥だ。切り立った崖に小屋を作り、今にも崩れ落ちそうなぎりぎりの地点でもう長いこと暮らしているらしい。地名で言えばもうそこはマニュではない。周りに川もなく、不便なことから人の住むような場所ではないとされている。

 朝は濃霧に覆われ昼は崖の影に隠れ、外に出ることが危険な夜は満点の星空を拝むこともできない。まさにこの世から取り残された境界線に彼はいる。


 崖の中央に佇む小屋を見上げ、フェリクスはその向こうを覆う曇天に視線を移す。じきに雨が降るだろう。靴についた泥汚れを軽く落とし、フェリクスは小屋から垂れ下がった手製の梯子に手をかける。強風が吹けばブランコのように簡単に揺れてしまう心許ないつくりだ。足をかけるたびにぎしぎしと嫌な音が耳に届き気分は良くない。足を踏み外して落下でもしたら命はない高さ。それでもフェリクスは一度も休憩することなく軽快な足取りで上を目指す。

 順調に小屋に辿り着いたフェリクスは申し訳程度に設けられた足場に降り立ち小屋の戸を叩く。


「ダリアニ。いるのか」


 小屋の中に声をかけたところでちょうど雨が降り始めてきた。ただでさえ気温は低い。冷たい雨が髪を濡らせばそのまま凍ってしまいそうだ。


「花火がなくなった。また貰うことはできないか」


 ゴロゴロと呻きだした空に負けぬようフェリクスは声を張って訊ねる。だが反応はない。何度か訊ねてみるもうんともすんとも言わなかった。しかしそれもフェリクスは織り込み済みのようで、何ともない顔で戸を叩き続ける。戸を叩き始めて八分ほど経過すると、ようやく小屋の中で何かが動く音が聞こえてきた。


「ダリアニ、急に訪ねてきてすまない。どうしても話がしたいんだ」


 紫色になった唇でフェリクスは何度目かの申し出を告げる。どんなに身体が凍えていても、彼の凛とした声の調子は変わらない。

 すると、もはや意識することなく戸を叩いていた手が不意に行き場を失った。暗闇に吸い込まれていった手に暖気が触れる。


「しつこい。光の祭典はまだ先じゃないか」


 暖まった手でもう一方の冷たい手を包み込むフェリクスにダリアニがぬっと顔を出す。小屋の中の明かりは暖炉の火しかなく、彼の気だるげな顔は亡霊の如く生気がなく見えた。


「そう言うな。光の祭典でなくても花火を楽しんでもいいだろう」

「君が花火を楽しむ人間とは思えないね。どうせまたつまらないことに使ったんでしょ。野蛮なことには使わないでって言ってるのに」

「誤解だ。俺は純粋に花火を楽しんでるさ」


 訝し気な眼差しで舐めるように見てくるダリアニにフェリクスは参ったという顔をして笑ってみせる。が、ダリアニはまったく面白くなさそうな顔をしたままはぁ、とため息を吐く。


「我の庭が君の靴で汚れるから早く入って」

「庭、ね……」


 自らが立つ木の板で簡易的につくられた舞台を見下ろし、フェリクスはぽつりと独り言を呟く。ダリアニにもその声は届き、フェリクスの発言に彼は眉根を寄せてから眉山を持ち上げた。

 フェリクスを小屋に招いたダリアニは転がった空の酒瓶を脇に寄せてしゃっくりをした。どうやら一人で酒盛りをしていたようだ。彼が無類の酒好きであることを思い出し、フェリクスはやれやれと苦笑する。


「本当の目的は何。君が持ってくるのって大体面白くない話だけなんだけど」


 多少酔ってはいるものの来客をもてなす意識はあるらしい。ダリアニはフェリクスのために暖炉の前に適当に座る場所を用意しながらそうぼやく。フェリクスは濡れた外套を暖炉の近くに干し、ダリアニに渡された毛布を手に彼の前に座り込む。

 暖炉の前に来ると久しぶりに会ったダリアニの顔がよく見えた。


 銀に近い白髪に紫色の瞳。目にかかった前髪のせいか彼が幼く見える気がした。しかしそれは気のせいではなく、実際、前回に会った時よりも彼の外見は幼くなっている。魔術師の外見は彼らが持つ術力でころころと変化することがあるというが、ダリアニに関しては初めて会った日から時を経る度に見た目が巻き戻っているようだ。

 外界との接触を拒み、この崖に閉じ籠っているせいだろうか。大人しく繊細な印象の彼の姿を前にフェリクスはふとそんなことを思う。


「なに。我の顔、もしかして君の好みなの?」


 表情をじっくり観察してくるフェリクスの視線に嫌気がさしたのか、ダリアニはむっとした目でフェリクスを見やる。少年期と青年期の間を彷徨う外見とは裏腹に、声だけは立派に渋い。フェリクスはダリアニの戯言を聞かなかったふりをして話を切り出す。


「前に会ったのは光の祭典前か。それからずっとここに?」

「そうだよ。知ってるでしょ。我は外に関心がないの」

「関心がないにしても完全に断ち切るのは大変だろう」

「そうでもないし。我は魔術師なんだし、不便なことはなにもない。こう見えて三百歳になるからね。生きる術は君の思う以上に持ってるし」


 ダリアニは胡坐をかいて左肘を足に乗せ頬杖をつく。


「魔術師と人間は違う。確かにそうだな」

「君もようやく分かってきた? 魔術師はね、もはや人間ではないの。君たちの常識なんて通じないし。貴重だから数も少ない。純血の魔術師と知り合いだなんて、本当なら一生モノの自慢なんだってば。君はあんまりそう思ってないみたいだけど」


 頬杖をついていない方の手をクルクルと回し、ダリアニは何もなかった場所にマグカップを出現させた。


「飲みなよ。君、もう少しで氷だるまになるところだったんだし」


 フェリクスが視線を落とせば、マグカップからは湯気が揺らぎ、暖かな紅茶が注がれていた。


「ここに籠ってどれくらいが経つ?」

「さぁね。数えたことないし。少なくとも百……百五十?」


 過去を振り返りながらダリアニは自分用のマグカップを用意する。彼のマグカップには紅茶ではなく酒が注がれていった。


「ま。どのみち君たちには分からない感覚だよね。そう思えば魔術師に憧れる人間の気持ちも分からなくはないかな。どうせ完璧にはなれないけど」

「人間の能力が低いからか」

「違う。我、別に人間のこと見下してないし。そもそもの君たちの寿命が短すぎるんだし。修行すれば術を磨けても、そんな短い時間じゃ完璧は難しいでしょ。その寿命で生まれてくる意味があるのかな。たまに君たちのこと同情するね」

「同情だなんて、ダリアニは優しいな」

「まぁね。我まだ三百歳だし。君たちのこと可愛いっておもっちゃうんだよね。放っておけないというか。厄介だけど情が沸いちゃう。我もまだまだなの。五百歳くらいになれば、もっと情をうまく抑えられることができるんだろうけど」

「同情するのは嫌いか」

「っていうか、感情がゆらゆら動くのが好きじゃないし。我の理想はこの崖なの。何事にも揺らがない。確固たる地盤を持って、堂々としてるでしょ。かっこいい」

「なるほどな」


 紅茶を数口飲んだフェリクスはマグカップを床に置いてクスリと笑う。


「だが人間相手はともかく、魔術師同士はどうなる。同じ時間感覚で年を重ねるのだろう。そこに情は生まれないのか」


 フェリクスの唐突な質問にダリアニが目を細めた。彼の真意を探っているという顔だ。フェリクスは心を読んでみろと言わんばかりに好戦的な微笑みを浮かべる。


「さっきも言ったけど、純血の魔術師は少ないの。なかなか出会う機会も少ないし。知り合わなければ情も何もないでしょ」

「へぇ。ダリアニもこれまで魔術師と交流はないのか」

「ないし。いらないし」


 ダリアニの目元に力が入る。目の前のフェリクスを睨みつけてはいるが、実のところその瞳には別の誰かが映っているかのようだ。

 フェリクスは小さな窓から空を見上げ、まだ夜が明ける気配がないことを確認する。今夜はいつもよりも長い夜になる予感がしていた。

 ダリアニに視線を戻せば彼はマグカップに口をつけてちびちびと酒を飲んでいる。彼の態度があからさまに変わった。フェリクスは被っていた毛布を取り、数秒それを見つめた後で静かに息を吐く。


「グラハムという魔術師が君を探している」


 暖炉の中でぱちぱちと薪が爆ぜる囁きにフェリクスの声が重なる。グラハムという名を聞いたダリアニの眉がピクリと動いた。


「彼に囚われた契約者が君を探しに来た。グラハムは相当君に執着しているらしい。ダリアニ、過去に彼と何かあったんだろう」


 ダリアニはマグカップに口をつけたまま水中から地上の様子を窺うワニのようにフェリクスのことをじっと見ていた。


「なーんもない。そんな奴知らないし」

「君は嘘が下手だ。声が裏返ってる」

「君の耳が悪いだけじゃないの。とにかく、我はそんな非道な奴のことなんか知らない」

「非道な奴ってどうして分かる」

「あ。えと──ほら、名前の響きが冷徹そうだし。ただそれだけだし」


 口を滑らしたダリアニの下手な言い訳にフェリクスはため息をつく。


「ダリアニ。頼む。教えてくれ。俺もただ彼に君を差し出すつもりはない。危険があるなら、それを教えて欲しいだけだ」

「野蛮なことには手を貸さないって言ったでしょ。皇帝と魔術師の掟だよ。あいつは存在が野蛮なの。だから口にするのも厳禁だし。皇帝なら掟を守ってよね」


 ダリアニはフン、とそっぽを向いて頑なに断る。


「皇帝としての掟は守る。だが今は友人として知りたい。君は大事な友人でもある。例え今グラハムに見つからなくても、いずれ彼は君を探し出す。その時に君に危険が迫ったら守れないだろ。それでは駄目だ。君に恩義を返せない」

「恩義なんていらないし。友だちならなおさらね。我、貸し借りとかいうやつ嫌いだし。我は口が堅いの。三百歳を舐めないでほしいし」

「ダリアニ。お願いだ。俺はもう大切な人たちを傷つけたくない。無力には耐えられない。もし君を守れなかったら──その後の日々は、生きた心地がしないだろう」

「────ふん」


 フェリクスの真摯な瞳を一瞥し、ダリアニはわざとらしく鼻を鳴らした。


「そこまで懇願するなんて珍しい。母さんの時だってそこまでじゃなかったのに」


 捨て台詞を吐くように独り言を呟いたダリアニは一気に酒を飲み干して気持ちよさそうな声で唸る。



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