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31 あの温もり


 「ホー、ホー」


 月明りだけが差し込む部屋の中で朧げな声が響く。

 どうにも眠れないサディアは濃紺の瞳を開き整えられたベッドを見やる。あそこで寝たことは一度もなく、最初にこの空間に入ってきた時のままシーツには一切の乱れがない。だからなのか、広い部屋が余計に冷たく、殺風景に感じてしまった。

 何もない部屋には慣れている。しかしそれは五歩歩くだけですべてに手が届く場合にのみ通用するらしい。今の部屋は物が少ないほどに生気を感じず逆に心が詰まるようだった。


 そわそわしたままサディアは窓の外を見上げる。初めの頃は慣れずとも睡眠を取るくらいはできたが、日に日に眠りは浅くなっていく。きっとどうにも落ち着かないせいだろう。

 サディアは定位置の椅子から机に飛び移り部屋を見回した。この姿では余計に部屋が広く感じる。


「ホー」


 すっかり目が冴えたサディアはどうしたものかと嘴を開く。鳴いた先で鏡に映る自分が見えた。どの家具よりもこちらの方がずっと見慣れている。部屋の中で唯一親近感を覚える存在を見つけ、フクロウの身体から空気が抜けていった。

 フクロウは嫌いではない。最初、グラハムに呪いをかけられた時には悪夢でも見せられているのではないかと信じられなかった。が、何年も経つとそんな自分も受け入れられるようになるものだ。

 前に彼が言っていたように、「嫌でも慣れる」ということなのだろう。


 フェリクスの言葉を思い出したサディアの脳裏にふと、その夜とは違う彼の表情が呼び起こされる。彼の優しい眼差しに重なるあの言葉。


 ──もしかしたら


 カーテンを揺らす風に導かれ、サディアは窓の方へ視線を向ける。

 夜中に勝手な行動をしては彼に幻滅されてしまうだろうか。

 不安な気持ちも確かにあった。けれど論理的に考える前にサディアの翼は滑らかに風を切る。

 どうせ部屋にいても落ち着かず眠れないのだ。ならば少しの好奇心に心を揺らした方がずっと安眠に近づけるはず。サディアは自分にそう言い訳をし、念のためにと開けていた窓から外へ出る。


 無謀な衝動を後押しする胸底の源をサディアもよく分かってはいなかった。

 ただ最近、自分に向かって沈むほどに頭を下げたシマリスの姿が瞳に蘇るたびに胸は高鳴り、呼吸が難しくなっていく。まるで病気のようだが、まったく嫌ではない。むしろ幸福感すら感じてしまう。

 自分はおかしくなってしまったのかと心が騒ぐ。が、それすらも高揚感を伴う。


 寡黙な瞳で星を見つめ、サディアは正体不明の心模様に首を傾げた。

 きっと初めて誰かに守ってもらったという幸運の余韻がまだ収まっていないのだ。力強く空を漕ぎ、サディアはそう解釈した。

 自分を守ってくれた彼に会いたい。英雄を慕う子どもと同じ。複雑なことは何もなく、たったそれだけのことなのだろう。


「ホー」


 上空から彼の部屋を見つめ、予想外の光景にサディアは思わず声を出す。

 もう外気は冷たいというのに彼の部屋の窓が開いているのだ。

 窓の外から一目だけでも彼の姿が見られればいいと思っていたサディアは戸惑いを隠せないままに窓に一番近い枝に降り立つ。最初にこの場所に来た時にとまった枝と同じだ。

 あの時よりも葉の数は減っていたが、色付いた葉はフクロウの重みにがさりと呼応する。ほんの僅かな囁き。それでも静かな夜に人を振り向かせるのには十分な音だった。


「──来たか」


 ソファに座り手元の本に集中していたフェリクスの瞳がフクロウの羽角を見て微笑む。


「ホー、ホー」


 まさかこんなに早々に見つかってしまうとは。

 サディアは焦りを隠せぬまま理由を正直に話そうと嘴を開閉する。

 部屋を勝手に抜け出すなど明らかな規則違反だ。が、彼と目が合うこの瞬間まで、もし見つかったらなんてことを考えている余裕すらなかった。

 何故、こんな大胆なことをしてまで欲望に抗えなかったのだろう。


「ホー──……」


 少し情けなさを感じてフクロウの頭が下がっていく。やはり自分には偵察など初めから向いていなかったのだ。そう猛省し、落ち込んでいるような眼差しだった。


「そこは不安定だろう。せっかくなら、こちらに来ればいい」


 どんより沈んだ彼女の空気をあっさりと払うように、ソファから立ち上がったフェリクスは窓際によって頬杖をつく。


「同じようなことを前にも言った気がするな。あの時も、君はそんな不安そうな目をしていた」

「ホー……」

「怒ってなどいない。俺はフクロウが好きだ。歓迎するよ」

「ホー?」

「ジーノには内緒だからな。君は夜、部屋を出てはいけない。彼に知れたら俺は大目玉を食らう」


 頬杖をついたままフェリクスはくすくすと笑いながら片手に持った本を閉じる。


「ちょうど退屈していたところだ。今日は切羽詰まった用事もない。皇帝も、たまには息抜きくらいしてもいいよな」


 頬杖を止め、屈めていた身体を戻したフェリクスはきょとんとしたまま自分を見てくるフクロウに問う。


「──ホー」


 答えを求められていることがすぐには分からなかった。が、数秒後に嘴を開いたフクロウはどこか上擦った声で彼の意見に賛同する。

 フクロウが好きといった彼。

 もしやこの姿であれば彼もこちらを見てくれると小さな望みをかけていたが──。


「ホー」


 実際にその目で見られると、どうにも冷静さを欠いてしまうものだ。



 夜を過ごすサディアにはお気に入りの椅子に座り込む以外の定番が増えた。誰にも言えない密かな習慣だ。

 フクロウは毎夜空を駆け、すぐ近くの部屋の窓にちょこんと降り立つ。


「いらっしゃい」


 フクロウが窓に来たことに気づくと、部屋の主はいつも丁寧な挨拶をしてくれる。見上げれば、精悍な笑みが彼女を出迎えてくれるのだ。


「ホー」

「ああ。今日の仕事は大方終わらせた。窓にいるだけじゃ、君もつまらないだろう」

「ホー、ホー」

「君は謙虚だな。昨日からまた寒くなってきた。ほら、こっちへ」


 フェリクスはフクロウに向かって腕を差し出す。彼の部屋を訪ねることが日常の一部になったとはいえフクロウのまま部屋の中に入ったことはほとんどない。あのネックレスを盗んだ日だけだ。いつも窓際に佇み、彼が仕事を片付けていく様子をじっと眺めているだけ。本当に入ってもいいのか。戸惑うサディアは片足を上げたまま彼の腕と顔を交互に見る。


「構わない。風邪をひかれた方が困るだろ」


 あくまで自分は彼の部下。それにもし風邪をひけばジーノに怪しまれてしまうかもしれない。彼のもっともな言葉にサディアはぴょこんと彼の腕に飛び乗った。

 フェリクスは窓を閉め、ひとまずフクロウを机に移す。サディアは隣に並ぶオートマタを一瞥した後でお礼を伝えようと彼に頭を下げる。


「礼なんかいい。君も物好きだ。黙って仕事しているだけの人間を見ていたって退屈だろうに」

「ホー……?」

「いいや迷惑なんかじゃない。ただ不思議なだけだ。例えば俺がジーノの書類仕事をただ見ていろと言われたらきっと飽きてしまうから──ん? なるほど、君は退屈しないのか。勉強熱心で感心だ。ジーノと気が合うはずだ」


 フェリクスの言葉にサディアが表情と仕草で応えていると、彼は椅子を引いてフクロウの前に座った。


「──だが疲れるだろ。あまり眠れていないんじゃないのか」

「ホー」

「無理はするな。無理をして得られることはあまりにも少ないから。割に合わないよ」


 フェリクスの苦笑にフクロウが首を傾げる。何か彼が他のことを言いたげな顔をしていたからだ。


「悪い。退屈な話はやめるよ。最近、ロザリアが宮殿に来なくなったが俺の知らないところで嫌がらせを受けたりはしていないか」


 フクロウが首を横に振るとフェリクスは目元を綻ばせて安堵したように微笑む。


「よかった。彼女、すっかり人が変わってしまったようだったから──心配で」


 サディアが大丈夫だと答えると、フェリクスは微かな笑い声をこぼした後でそっとフクロウに手を伸ばす──が。

 あと数センチのところでその手は止まり、フェリクスはハッと我に返ったような顔をして伸ばした手を下ろす。サディアは彼の一連の動きを見た後で瞬きをしてみせる。


「ホー、ホー」

「──悪い。前の癖だ」


 フクロウの訴えにフェリクスは眉尻を垂らして謝る。しかしサディアが伝えたいのはそういうことではない。


「ホー」


 一歩、一歩と近づき、机の上に下りた彼の手に視線を下ろす。


「ホー」

「────サディア?」


 彼が前の癖を忘れられないのをサディアは責めることができなかった。

 それは自分も同じだからだ。彼に撫でられた時の手の感触が今でもたまに蘇ってくる。


「ホー」


 別に構わない。

 そう言いたくて、サディアは仕草だけでなんとか彼に伝えようとする。


「いいのか──?」

「ホー」


 フクロウの懸命な眼差しにその意図を察したフェリクスがこわごわとフクロウの頭に手を伸ばす。最初は指先ひとつだけ。二本、三本と指を乗せ、ゆっくりと毛並みに沿って撫でていく。すると、フクロウが気持ちよさそうに目を閉じた。彼女の安心したような表情にほっとしたフェリクスは、次第に手のひら全体でフクロウを撫でていく。



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