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30 ひそかな笑み


 ざわざわと耳心地の良くない声が二人の周りから雫を落とした水面の如く広がっていく。


「陛下! 一体なんの騒ぎですか⁉」


 休憩から戻ってきたジーノが駆け付け、フェリクスは彼に視線だけで事情を伝える。すべてを察したジーノは二人の盾になるように群衆に割り込み、道をあけさせた。


「お騒がせして失礼。どうぞ引き続きパーティーをお楽しみください」


 ロザリアの手を引いて会場を後にするフェリクス。ジーノは衛兵を集めつつ皆の視線を自分に引き寄せ、きめ細やかなお辞儀を残して二人を追いかけた。


「フェリクス‼ 説明してよ! 彼女は何者なの。わたしだって馬鹿じゃないの。フェリクスが彼女に向ける瞳が皆と違うことだって分かる! フェリクスはわたしの気持ちを知っているのでしょう? ならば嫉妬してはいけないの⁉」


 会場を出ると静かな星空が広がっていた。そこにロザリアの甲高い悲鳴が閃光のように突き上がる。ジーノは会話の内容が聞こえない位置に衛兵を控えさせてから自分はもう少し近い場所で二人を見守った。


「明らかに彼女は特別扱いされているわ。あの眠り娘の何がいいのよ! たくさんの睡眠が必要だからといって仕事を放棄するような人よ。なんて責任感のない娘なの」

「そんな言い方はよくない。君の今の言葉で傷つく人もいる。人それぞれに事情があって何が悪い。当然のことだろ」

「また庇っちゃって‼ フェリクスはやっぱりあの子に惑わされているんだわ。そうなんでしょう。そうだって言えばいいわ。なら、わたしだって言いふらしてやる。彼女が天下の皇帝の甘い蜜を吸い尽くす悪魔だって。糾弾して、あの子を始末してやるんだから。フェリクスの目を覚まさせてあげる。協力を扇げば必ず賛同してくれるはずだわ。汚い手を使う小賢しい女なんて皆、大嫌いだもの。お父様の名前を使えば疑う人なんていない。ロントン家は正義の一族と言われているの。その誇りを甘く見ないで」


 ロザリアは目を爛々とさせて息継ぎもなしに言い切る。何かに取り憑かれたように息を荒げていく彼女を前にフェリクスはゾッと背筋を凍らせた。


「いい加減にしてくれロザリア。勝手な妄想はやめてくれ。俺は別に洗脳されてるわけじゃない」

「ほら、また騙されてる。フェリクス、かわいそう」

「ロザリア、熱に侵されてるのは君の方だ」


 ロザリアの開いた瞳孔は今にもフェリクスを飲み込んでしまいそうだった。そのまま囚われたら、決して逃してはくれないだろう。


「彼女が好きというわけではない。事情があるんだ」


 とにかく彼女の暴走を止めようとフェリクスはロザリアの肩に手を置き、身体を屈めて彼女と目線を合わせる。ロザリアの呼吸が少しだけ和らいだ。


「事情ってなに──? 子供騙しの嘘、わたしには通用しないんだから」

「彼女は────」


 息を吐く度に胸が締め付けられ死に向かうような気分だった。

 フェリクスは抑揚のない淡々とした声で、狂人に片足を突っ込み始めた友人に真実を語る。


「──と、それで、私のことを話したのですね」


 フェリクスの言葉が途切れ、サディアはぽつりと物語の続きを紡ぐ。


「サディア、申し訳ない。あの場で彼女に話すほかなかった。俺の力不足だ。彼女を納得させるだけの理由を取り繕えなかった」


 シマリスは身体を半分に折り曲げて深々と頭を下げる。二度と上げるつもりはなさそうなくらいにその頭は重く見えた。


「フェリクス様の秘密は」

「そこまでは話していません」


 あの場に居合わせたジーノがフェリクスの代わりにサディアの問いに答える。


「仕方がなかったのです。あの時のロザリア様は普通ではありませんでした。あのまま納得する答えが得られなければ陛下を刺していてもおかしくはなかった」

「──ロザリア様も苦しんだのですね。それで、ロザリア様は納得されたのですか」


 まだ重たい頭を下げたままのシマリスを見るサディアの眉が力なく垂れていく。


「同情を誘う魔術師の詐欺に決まっていると文句は言っていましたが、秘密は守るとも仰っていました。陛下を裏切りたくないと。破る理由がない限りは口を開かないそうです」


 ジーノの声も元気がなかった。フェリクスの置かれた状況を冷静に判断しつつも秘密を知られてしまったサディアの心情を気にかけているようだ。


「君にどう思われても、罵られても蔑まれても当然だ。如何なる非難も受け入れよう。どんな理由があろうと俺が彼女に話した事実は変わらない。サディア──悪かった」


 シマリスの頭が机にめり込んでいった。ふわふわの体毛に覆われた小さな身体を見つめるサディアの瞳がじわりと細まる。ふっと、目元の力が抜けていったのだ。彼女の表情の変化にジーノがぱちりと瞬きする。


「フェリクス様、顔を上げてください」


 サディアの落ち着いた声にシマリスの頭がゆっくりと持ち上がっていく。


「ありがとうございます。正直に、すべてを話してくれて……」

「だがサディア。君は──怒っていないのか?」


 瞳の先で柔く微笑んでいるサディアを見上げ、フェリクスは不思議そうに首を傾げた。


「はい。もちろん、秘密を知られて不安はあります。少し、寂しさも……だけど、フェリクス様はきっと、私を守ってくださったのだと思うから」


 サディアはどうにも力の入らない頬が情けなくてはにかんだ。彼は誠心誠意の謝罪をしてくれたのに。その気迫に釣り合わない自らの表情筋がもどかしかった。


「そんなことは初めてです。誰かに守っていただけたのは。だから、不安な思いよりも嬉しさの方が強いのです。みっともない話なのですが」


 彼女の反応はどんな怒号も覚悟していたフェリクスたちには想像もつかないものだった。ジーノとフェリクスは目を見合わせ、戸惑いのままにサディアに視線を戻す。


「それにフェリクス様の秘密にまで事が及ばなくてよかったです。私であれば大きな問題はありませんから。ロザリア様も一族の誇りがあるのでしょうし、秘密を守ると言ってくれた彼女の言葉を信じます。彼女は情熱的ですが、それでも品格は大事にしているはず」


 サディアはシマリスに向かって笑いかけた。偽りのない正直な気持ちを言っているのはその無垢な瞳を見ればすぐに分かる。


「サディア。君──いや、いい。ともかく、君の弱みを知ったことでロザリアがまた首を突っ込んでくるかもしれない。もし嫌な思いをすることがあればすぐに俺に報告して欲しい。彼女がまた暴走しないとも限らないから」

「ありがとうございます」


 フェリクスの言葉にサディアはぺこりと一礼した。


「私の方でも目を光らせていましょう。サディア、あまりあなたを縛り付けたくはありませんが──危険のないよう、極力私の傍を離れないでください」

「はい。ジーノ、ありがとうございます。すごく頼もしいです」

「ま。武闘となればサディアの方が上手ですが」

「任せてください。私も、ジーノのことを守りたい」


 胸をくすぐる声でサディアが笑うとジーノは照れ隠しで咳払いをした。が、次第につられて笑いだす。

 笑い合う二人を見上げるシマリスはサディアの横顔をじっと見つめ惟う。控えめとはいえ、彼女の笑顔を見るのはもしやこれが初めてかもしれないと。



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