28 どきどき
「ミンカ‼」
どうやらとんでもない勢いで扉が開かれたらしい。爆音に続いた声には若干の怒りが含まれていた。
「あら兄様。断りもなく人の部屋に入るなんて品がなさすぎる」
ずかずかと大股で部屋に入り込んでくるフェリクスにミンカが呆れた眼差しを向ける。
「品がないのはどっちだ。サディアは俺の秘書官だぞ。ミンカ、規則を破るのは違うんじゃないのか」
「彼女が本当に兄様の使用人かどうかなんて、分からないもの。なら、彼女にそれらしく振舞ったら」
「そうしてるだろ。何事も疑って見る癖をお前もそろそろやめろ」
「日光アレルギーのことを黙っていたくせに何を言うの。一体いつ患ったというの。身内がそんな様子では、疑り深くなるのも当然でしょう」
「人のせいにするんじゃない。ほら、サディア、行くぞ」
ミンカとの会話を巻きで終わらせようとするフェリクスはサディアの肩に手を回して急いで部屋を出ていこうとする。
「何よ。兄様だけ楽しんじゃって」
「勘違いするな。サディアに仕事の用事があるだけだ」
「へぇ。随分と急ぎの用事なのね。ふふ。いいわ。確かに規則を破るのは良くない。今回は諦めてあげる」
「いいか。お前の趣向に文句を言うつもりはないが、約束だけは守れよ」
「分かってます。兄様、怒ったら厄介だもの」
「ならいいんだ。失礼したな」
「ほんと、失礼された」
彼女の吐き捨てるような言葉を最後に、フェリクスは妹の部屋の扉を閉めた。
「あの、フェリクス様──」
「時間がない。急ぐぞ」
「う……──はい」
フェリクスに連れ出されたサディアは怒涛の出来事に追いつけず目を白黒させていた。が、フェリクスの真摯な眼差しに促され、急ぎ足で廊下を駆ける。ドレスが重く、少し走りにくかったがそこはフェリクスが手を引いてくれたおかげでどうにか足を動かせた。
「大丈夫か」
前を行く彼の瞳が一瞬だけこちらを向いた。彼の瞳にこのドレス姿が映ったのだと思うと羞恥心が騒ぎ出す。サディアは恥ずかしさでむず痒い胸の心地悪さに耐え切れず、何か気を紛らわす話題を、と口を開く。
「あの。もしかして、女性たちが夜な夜な宮殿に、というのは、ミンカ様のことだったのですか」
「ああ。恐らくそうだ。ミンカは女性が好きなんだ。というよりも、性別を気にしないと言った方が正しいか。ただ、普段は無理強いはしない。あいつは甘いものが好きだからな。辛い雰囲気を嫌う」
瞳を正面に戻したフェリクスは眉間に皺を寄せた後で力を抜いたように息を吐く。
「あいつは俺の言うことに耳を貸さない。宮殿の従者には手を出すなと言っていたが──油断した。ミンカは君がただの使用人ではないと見透かしたか」
フェリクスは行く先に誰か歩いていないかしっかりと視界を確認しながら一切足を止めることなく廊下を曲がる。聞きたいことは山ほどあるというのに、彼の早歩きについて行くのに精一杯のサディアは相槌を挟む余裕すら失いかけていた。
「規則というのもそのことだ。宮殿の者に手を出すな、と。それが俺たちの約束だ。先にも言ったようにあいつは俺の言うことを聞かない。きちんと取り決めをしておかないと。もちろん前提として人を傷つけることはないようにと釘はさしているが──ミンカも、ちゃんと分かっているはず」
「ほ、本当ですか?」
ようやく声を出すことができた。息を切らしながらサディアが訊ねると、フェリクスは横目でサディアを見てからクスリと笑う。
「ああ。ミンカは分からず屋ではない。損得勘定にうるさいんだ。言わずとも自分が悪者になるようなことはやらない。敢えて約束するのは自分のことすら思うようにできなかった過去の学びだ。自分以外の人間は、例え妹でもしっかりとこちらの意思を伝えるように心がけている。例外として、ロザリアは手強いが」
「ミンカ様のことを信頼しているのですね」
「当然だ。妹のことは愛しているから」
フェリクスは当たり前のようにそう言い放つ。彼の表情を斜め後ろから窺えば、妹に向けた愛情がはっきりと伝わってくる。親愛に満ちた優しい瞳は慈愛と言うほかに相応しい言葉がない。
「愛、ですか──」
サディアは前にも同じ瞳を見た覚えがある。
兄に向けられていた両親の眼差しを思い出したサディアの顔が下を向く。
彼が当然のように口にした言葉の意味をサディアはまだ知らなかった。
特別で、崇高な印象すら抱くその言葉はいつも自分には決して届かない場所にある。
「──っと、間に合わないか」
サディアの足が少し重くなったところで、フェリクスがもどかしそうに呟いた。サディアの足元に霧が纏わりつき始めたのだ。
フェリクスは近くにあった扉に手をかけ部屋の中に駆け込んだ。部屋に入るなり彼は脚で扉を閉める。隠れることを優先し、礼儀など考慮する暇がなかったらしい。
強烈な力で腕を引っ張られたサディアは成すがままに部屋の中に雪崩込む。あまりの勢いに足がつんのめり、転んだ身体はそのままフェリクスの腕の中へと収まっていく。
「悪かった。もう少し早く助けに行ければ良かったな」
胸に倒れ掛かってきた重みに押されることなく、フェリクスはしっかりとした姿勢で眼下に微笑みかける。少しだけばつが悪そうな顔だ。
「ホー」
彼の腕の中でフクロウが静かに鳴く。フクロウの瞳は僅かに震えていた。目まぐるしく景色が変わる落ち着きのない展開に戸惑っているようだ。
「ミンカの趣味に付き合わされたのだから戸惑うのも無理はない」
フェリクスは焦った様子のフクロウに同情しつつも申し訳なさそうに笑う。それからフクロウに腕にとまるようにと誘導した。せめて足場は落ち着かせてあげたいと気を遣ってくれたのだろう。
フクロウは翼をはためかせてフェリクスの腕にとまる。正直、サディアも彼の気遣いにホッとしていた。
成り行きとはいえフェリクスに抱きしめられた格好となり、はらはらとした妙な気分だったのだ。ミンカの妖艶さにあてられ、心臓が休まることを知らないせいかもしれない。
「ホー」
フクロウがフェリクスに問いかける。逃げ込んだ部屋には辛うじて窓があるものの、戻るべき部屋は柵があって窓を使えないからだ。ここからどうやって人目につかず部屋に戻れるか、サディアはその方法が知りたかった。前みたいに隠し通路を使えばいいのだろうか。
サディアの疑問を察したフェリクスはこの部屋の窓を開け、暗くなった空を見上げる。
「今日から君の部屋は変更になる。さっきジーノに用意してもらった。秘書官らしく近くの部屋に来るといい。ジーノの向かいの部屋だ。場所は分かるな? もう荷物も移動させてある。ジーノに言って窓を開けてもらうから、そこからお帰り」
「ホー?」
「遠慮することはない。最初からそうしておけばミンカが君を疑うこともなかったかもしれない。余計なことに巻き込んだな。詰めが甘かった」
「ホー、ホー」
とんでもない。とサディアが首を振れば、フェリクスのフクロウを見る瞳が緩む。
「さぁ、今日も疲れただろ。また明日、待ってる」
「ホー」
フェリクスが腕を窓の外に伸ばすとフクロウは一鳴きしてから飛び立っていく。
ジーノが窓を開けるまでには少し間があるはず。久しぶりに大空を旋回してから、サディアはフェリクスに言われた部屋を目指す。
流石はジーノと言うべきか、そろそろだろう、という頃には既に窓が開けられていた。サディアは部屋に入り、ひとまず目についた机の上に降り立つ。
空気の流れから、明らかに前よりも部屋が広いことが分かる。ただ、暗くてまだ全貌は見えない。が、サディアが横を向いた視線の先にちょうど鏡が置いてあった。しっかりと磨かれた鏡面には見慣れたフクロウの姿が映る。
「ホー」
自分に向かって鳴いてみる。フクロウが自分の意思に合わせて動く。以前と変わらないその姿。けれどずっと心が軽い。いつからかサディアはこの姿に安堵を覚えるようになっていた。それはきっと、この姿を好きだと言った彼の声が忘れられないからだ。




