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22 静かな夜に


 医院は街から離れたところにあり、建物の周りも一段と暗かった。

 到着する数分前に目を覚ましたフェリクスはつい先ほどまで寝ていたとは思えぬ精悍な顔つきで馬車を降りる。サディアも彼に続き、彼の腕を頼りにヒールで道を歩く。


「お待ちしておりました。フェリクス様」

「堅苦しい言葉は不要だ。ダシティア、遅い時間に悪いな」

「いいのいいの。この時間の方が皆にとっても都合がいいし。彼らにしてみれば昼間より気楽なの」


 クレア・ダシティアは背の高い少しふくよかな女医だった。白衣を着た彼女はポケットに両手を入れたままフェリクスに軽快に笑いかける。


「彼女が付き添いの子? ジーノは残念だったね。診てあげられなくて残念」

「ジーノの助手をしている秘書官のサディアだ。サディア、彼女がクレア・ダシティア。この国で一番腕のいい医者だよ」

「あららら、そんなうまいこと言っちゃって。フェリクスも大人になったのねぇ」


 ダシティアが豪快に笑うと真っ暗な世界が少しだけ明るくなったように思えた。サディアはそっと会釈し、彼女に挨拶する。と、ダシティアが身を乗り出してサディアのことをまじまじと観察してきた。


「使用人というよりはまるで恋人みたいね。ふふ。かわいらしい」

「そんな。滅相もないです」

「彼女は慣れない靴を履いている。ただそれだけだ」


 腕に手を添えたサディアがフェリクスに寄り添っていると勘違いしたのだろう。とんだ誤解にサディアは慌てて彼から離れる。


「ここは宮殿じゃない。遠慮しなくていいから。さ、いらっしゃい。皆、皇帝に会いたくてうずうずしているんだから」


 気のいい笑顔で手招きし、ダシティアは二人を建物の中へ誘う。まだ誤解が完全に解けていない気はするが、食い下がるのもみっともない。そう判断した二人はそれ以上言及することなく彼女の案内に従う。


「みんな、皇帝様がいらしたよ。久しぶりでしょうけど、順番に挨拶するから。慌てずにね」


 ダシティアに連れられやって来たのは建物の一階にある大広間だった。そこには暖炉やソファ、ボードゲームなど、日々の時間を過ごすには十分な設備が整えられていた。


「フェリクス様! またいらしてくださったのですね」


 ダシティアの背後からフェリクスが姿を現すと大広間が歓声に満ちた。拍手で出迎え、嬉しそうな笑い声があちこちから聞こえてくる。


「時間をあけて悪かった。早くここに来たくて、こちらも待ちきれなかったよ」


 フェリクスも歓声に応えながら気前のいい口調で皆に声をかけていく。サディアも彼の一歩後ろに続き、患者たちとの歓談を見守る。

 免疫異常で多様な症状を抱えた患者たちがここに集うと聞いてはいたが、確かに彼らの風貌はさまざまだった。一見すると健康そうに見える者。髪が抜けた者。骨格が歪み、立つこともできない者。一様には言えなかった。


 しかし、多くの割合を占める中等症の者──外見に何らかの症状が表れている患者が多いことが印象的だった。

 皮膚がただれ肉が覗く者がいれば、身体の一部が欠損している者もいる。今フェリクスが手を取った女も、服に隠れていない肌すべてが荒れ果て、所狭しと出来物が吹き出ている。


「綺麗に飾られている。これは時間がかかったんじゃないのか」

「ふふ。フェリクス様が来ると知って、どうしても見ていただきたかったからがんばったの」

「剥がしてしまうのは勿体ない。そうだ、確か器用な絵描きがいたよな。そいつに記録してもらうといい」


 痛々しく擦り切れた彼女の手を優しく握りしめ、フェリクスは部屋の隅にいる男を指差して笑う。爪を飾ったその女はフェリクスの提案にこくりと頷いてから微笑んだ。誉められたことに少し照れているらしい。包帯の下に覗く彼女の愛らしい表情にサディアまでもが嬉しくなる。


 それから彼はダシティアの言った通り、大広間にいる者だけでなく個室で彼を待つ患者も含め、施設に住む全員と会話を交わした。

 患者というだけあって彼らは漏れなく病人なのだが、フェリクスは過度に気を遣わずに彼らに等しく軽い態度で接し続けた。気の置けない友人と話す感覚と変わらない。


 医院をくまなく巡る彼の背は、宮殿で見るものとも大衆の前に出る彼の雰囲気とも違う。痛みを抱えた相手を無条件に受け入れる包容力が窺える。

 フェリクスと会うのが待ち遠しかったのか、彼と対面する者たちは皆、溢れんばかりの幸福を湛えていた。彼と話す間だけは、病気のことなど忘れているかのようだった。


「ダシティア様の治療の研究は順調なのでしょうか」


 最後にダシティアの研究室で対話を終えたフェリクスにサディアが訊ねる。二人の会話は聞いていない。ここは一対一で話したいと言われたからだ。


「順調とはいかない。人の身体は思うままにいかないものだ。人間が最初から設計して作ったものでもないからな」

「少しでも早く、良い兆しが見えるといいですね」

「ああ。俺もそう願う。ここの患者たちは健常な人間たちから病に呪われたと避けられてきた。彼らが何をしたという。だが彼ら自身も皆を驚かせたくはないと、公に出ることを望まない。隠されていることに安心するそうだ。そうすれば嫌な言葉を聞くこともないと。だから暗い時間にしか外の空気を吸えない。とはいえほとんど外には出ないようだが」

「フェリクス様は、皆さまと親身にお話しされていましたね」

「彼らは化け物ではない。普通の人間だ。構えることなどないだろう」


 フェリクスがそこまで言ったところでダシティアも遅れて研究室から出てきた。


「今晩はありがとうフェリクス。研究の経過は必ず報告する」

「手間をかけるがよろしく頼む。報告がないと、予算を割くことは難しくなるから」

「分かってる。フェリクスには本当、感謝してる」

「何を言う。それ以上に、俺は君に世話になった」


 フェリクスは気恥ずかしそうな声を残して踵を返す。慌てて追いかけようとするサディアをダシティアが「ちょっと待って」と呼び止めた。


「サディアさん、フェリクスがもし、この施設を守ろうとして無茶なことをしようとしていたらその時は止めてくれていいからね。彼、反対を押し切ってここに研究費の寄付をしてくれているの。医療は市民を救う最善の発展だって言って。確かに彼の厚意は私たちの希望。でも、だからといって彼の身を亡ぼすようなことはさせたくない。もう充分、彼は私に恩返ししてくれたから。だからお願い。彼のことを見守っていて」

「──はい。ダシティアさんも、無理はなさらず」

「ありがとうサディアさん」


 彼女の誠意のこもった懸命な眼差しにサディアはこくりと頷いた。そんな権限、きっと自分にはない。けれどその切なる声を無視することもできなかった。


「ダシティアと何か話していたのか」


 既に馬車の前でサディアのことを待っていたフェリクスがよれよれと走ってくる彼女を見て眉根を寄せる。ヒールで走るのは余計に慣れていない。自分でその姿を見るのが恐ろしいくらいに品位に欠けているに違いなかった。


「いいえ。今日はありがとうと、親切に私にまで感謝を伝えてくれました」

「そうか」


 サディアがフェリクスの手を取り馬車に乗り込むと、彼は御者に出発の合図を送る。馬が走り出す直前、フェリクスは華麗な身のこなしでキャビンに入った。


「君に訊きたいことがある」

「なんでしょうか」


 今度は静寂を待たずしてフェリクスが口火を切る。


「グラハムの薬。なぜ、彼はそんなものを君に渡した」

「それは──彼が、私のことを人付き合いが下手な引っ込み屋だと言っていることと関係があると思います。そんなことでは街に馴染めず怪しまれて偵察もままならぬと、危惧していましたから。だからあの薬で、いざという時は街の人たちと長い一日を過ごせる術を用意したのでしょう」

「役に立ったか」

「はい。光の祭典で、ニコラやトビアスの誘いを断ることを避けられましたから」


 サディアが頷くとフェリクスの表情が険しくなった。彼の中で何か大きな疑問が引っ掛かっているらしい。


「友人たちとの時間に使うのは正しい選択だろう。だが、今日は違う。なぜ無理をしてまで薬を飲んだ。まるで地獄で身を焼くようだったじゃないか」


 薬を飲む瞬間を見ていたと言わんばかりの口ぶりにサディアが首を捻る。


「もしかして──あの時の気配は、フェリクス様ですか?」

「ああ。悪いとは思ったがジーノもいないし割と自由に動けたから。薬とやらが気になって、覗かせてもらった」

「堂々と言いますね」

「たまには小動物の利点に預かってもいいだろう」


 フェリクスは軽く咳払いをして本題に戻そうとサディアの意識を引く。


「どうしてあんな薬を飲んだ。この視察に君がそこまでする理由があるのか」

「私が夜に動けないことを配慮してくださるのはありがたいです。ですが、ロザリア様のように何も事情を知らない立場からすると私の存在は異質です。自己の優先ばかりして私が疑われでもしたら、フェリクス様の秘密も露見しかねません。皇帝は、皆の希望なんです。それを壊すわけにはいかない。こんな動機、信じていただけないかもしれませんが」

「いいや、信じるよ」


 深く考える素振りもなく答えたフェリクスにサディアが目を丸める。


「私を────信じる?」

「ああそう言った。あのような薬を口にするとは命知らずな」


 フェリクスは呆れ混じりにため息を吐いて背もたれに身体を預ける。


「あんなもの、もう二度と飲ませない」


 一言だけはっきりと告げ、彼はたくさんの人と会話した疲労に押されて瞼を閉じた。


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