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20 眠り娘の決断


「私が、フェリクス様の視察の付き添いですか?」

「そう言っているでしょう。二度も言わせないで」


 サディアが聞き直すとロザリアの明るい表情が曇っていく。もはや嵐を呼び起こしかねない烈火が瞳の奥に光る。


「いけません。視察は夜に行うのですから。彼女はその時間休んでいないと。彼女はたくさんの睡眠時間を必要とするんです。寝不足のまま陛下の前に出られては困ります」


 ロザリアの提案に一番焦りを見せたのはジーノだった。予想だにしない話の行方に余裕がなくなっているのかサディアを守るつもりが根拠の弱い言い訳を口走る。もちろんロザリアが納得するわけもなく。


「あら。そんなことを理由にするのはどうなのかしら。ジーノはフェリクスのために身を削って働いているのに。少しの睡眠時間の犠牲くらい払えなくて、どうしてフェリクスに仕えられるというの。それならわたしのほうがよっぽど向いているわ。地味だけどあなたも女。どうせ下心でもあるんでしょう。でも残念。そんな中途半端な忠誠心、彼に見透かされてすぐに捨てられるわ。信頼のできない召使などいらないし、自己を優先する下僕の話が世に出たら皇帝の名が廃るだけよ。あなたみたいな覚悟のない人間が、彼の矜恃を汚すのよ。下僕にすら軽んじられる存在ってことだもの」


 甘い砂糖菓子に隠された毒針のように彼女の声色は険しかった。耳当たりが不快な彼女の声にジーノは顔をしかめたが、言っていることに反論はできない様子だ。彼の忠誠心は宮廷一。彼女の言い分は彼の信条に似通るところがあるのだろう。

 それはサディアも同じだった。ダリアニに会うにはフェリクスの信頼を得なければ叶わない。フェリクスは気にしていないとはいえ前に危ない道を渡りかけたのは確か。それに彼の評判を濁らせるのも望むことではない。


 全幅の信頼を置くジーノが彼の傍を離れる今こそ、彼に信用してもらう絶好の機会なのかもしれない。きっと、フェリクスだってジーノがいないことを残念に思っているはずだ。その穴を少しでも埋められるのであれば──。


「ロザリア様の仰る通りでございます。自己を優先してばかりはいられません。ジーノ、明日の視察は私が付き添います。問題ありません。フェリクス様のお世話は任せてください」

「しかしサディア、君は自分が何を言っているのか分かっているのか⁉」

「承知の上です。私の場合、少しくらい眠れなくても死ぬわけではありません」


 意志を持った瞳でジーノを見る。彼はその熱意に口を開閉させることしかできなかった。というより、思考が停止して何を言えばいいのかもう見当もつかないのだろう。ただでさえ風邪で鈍くなった頭なのだ。

 話がまとまりかけたその時、半ば白目を剥いたジーノの背後から心華やぐ香りが届く。


「ロザリア、来ていると聞いていたけれど、こんなところで立ち話をしていたの」


 自室に戻ろうと階段を上がってきたミンカだ。使用人はおらず、今の彼女は一人で行動しているようだ。


「ミンカ! ちょうどよかった。あなたに話があって来たのよ」

兄様あにさまでなくわたしに用事だなんて珍しい」

「ふふふ。あなたでなければ頼めないことだからっ」

「わたしに用事があるのに、明日の視察の件の話も進めるなんてあなたも隅に置けない人。でも彼女を付き添いに遣わすのはわたしも賛成する。彼女、慎ましくて働き者でしょう。神経質な兄様あにさまにちょうどよさそう」


 ミンカはそう言いながらサディアを通り過ぎていく。サディアが横目で彼女を追いかけると、彼女は艶やかな唇で妖艶な笑みを描いた。間近で見ると陶器のような肌の透明感が際立ち、発光しているのかと錯覚する。フェリクスにそっくりとは言えないが、雰囲気こそは兄妹らしい。


「行きましょうロザリア。話はわたしの部屋で」

「はーい。じゃあまた来るね、ジーノ。お大事に」


 ロザリアはジーノにキスを投げてからミンカを追いかけた。ジーノはそれを手で払いつつ怪訝な顔でサディアに詰め寄る。


「あんなことを言って平気なのですか。視察は真夜中に行くんですよ」

「はい。その上でのことです。お願いします。私に行かせてください。私もフェリクス様のお役に立ちたいのです」

「あなたがそんなことを言うのはなんだか妙な気分です。しかし所詮はロザリア様たちの戯言。正式なものでもない。フェリクス様に言って断ることもできます。無責任なことは引き受けないでいただきたいのだが」

「扉を占拠する彼女を帰すこともできない様子を見るに、それはあまり期待できないような……」


 ジーノにぐっと迫られ、サディアは眉尻を下げて弱弱しく呟いた。ジーノの眉間がピクリと動いたので、今度はサディアが彼に訊ねる。


「フェリクス様がミンカ様を苦手に思っていることはなんとなく分かります。けれど、なぜ、彼はミンカ様にあまり強く言えないのでしょうか。この調子だと、彼女は彼の本音に気づけません。それは少しかわいそうです」

「幼い頃、ロザリア様はミンカ様と仲が良かったと聞いております。なので二人の交友関係の邪魔をしたくないのでしょう。彼は妹想いなので。おまけに彼女の父親は仕事でも関係がある。これだけの理由があればミンカ様を邪険にすることもできないのはあなたにも分かるでしょう」

「──そうですか」

「で? 本当に大丈夫なんですか。まさかフクロウのまま付き添う気じゃ……」

「いいえ。もちろん策はあります。ジーノは安心して休んでいてください」

「無茶を言うな。安心したくてもできませんよ」


 ぶつぶつと文句を呟きながらサディアを部屋まで送り、最後に苦しそうな咳をした後でジーノは来た道を戻って行った。

 サディアは鞄の奥にしまい込んだ巾着を手に取り、そっと中身を確認する。入っているのは真っ赤な錠剤三つだ。皇帝を偵察するためにこの国に来る時にグラハムに渡された、呪いを一晩だけ無効にするあの薬だった。

 あまりの劇薬にもう口にすることはないと心に誓ったと言えど、これもダリアニへの足掛かりを掴むため。やむを得ない。

 鏡台に広げた薬を見つめるサディアがごくりと息をのみ込むと、扉の向こうから声が聞こえてきた。


「視察の件、正気か」


 ことん、と扉に寄りかかる音が続く。もう彼は人間の姿に戻っているようだ。


「問題ありません。薬がありますから。グラハムに渡されたものです。飲んだ日の晩、フクロウになることが防げる薬なんです。あの、扉、開けましょうか?」

「──このままでいい」


 少しの間を置いてフェリクスが答える。サディアは扉に伸ばしかけた手を引っ込めた。


「ミンカも賛成したと聞く。厄介なことになったな。軽々しいことを言った妹の代わりに謝る」

「ミンカ様に悪意はありませんから。私の事情など、きっと知らないでしょうし。フェリクス様と同じ呪いだなんて」

「いいや。あいつは俺の呪いのことも知らない」

 まさかの答えにサディアは思わず息をハッと吸い込む。

「え? でも──そんなこと……隠し通せるの?」


 当然、彼の最も身近な存在である妹のミンカは彼の事情を知っていると思っていた。思わぬ秘密にサディアまで緊張して汗をかいてきた。


「彼女もそれなりに忙しい人間だ。知識人を集めて科学本を編纂したり、各地の名産品を手掛けることに忙しなく俺に構っている暇もない。あの、トビアスという男の帽子──エリエ工房もミンカの影響で評判は上々だと聞く。彼も注目の的だと。彼の店で働いていたのだろう。誇らしいことじゃないか」


 淡々としたフェリクスの声色はあえて感情を抑えているようにも聞こえる。ロザリアの口からも少し出てきたトビアスの活躍が確実なものと知り、サディアの鳥肌が止まらなくなった。胸を突き上げる高揚感が頬を勝手に綻ばせていく。


「俺も彼の帽子を見たが──なかなかに良く出来ている。身に着ける側、見る側双方の感情をも左右させる。立派なものだ」

「彼の帽子をそんな風に褒めていただけると、私まで嬉しくなってしまいます」


 静かな興奮が胸の奥で煮える。サディアは思わず扉に手をついてそっと木目を撫でた。感情の解放先が分からなかったからだ。彼の成功がとにかく心を弾ませるのだ。


「良いものは当然の称賛を受けるべきだ。今や彼の帽子は街の流行の最先端だという」

「前に、フェリクス様は着飾るのはあまり好きではないと仰っていました。けど、やはり流行は気になるものですか」

「覚えていたのか──ああ、着飾るのは好みじゃない。が、過剰なまでに身を飾ることを皆が求めている。君は姿の見えない俺をどう想像する。前に話した通り、皆、華やかなものが見たいんだよ。期待通りに応えないと、つまらないだろ」


 扉越しだと彼の声しか姿を判断する手立てはない。彼の声は光の祭典で広場に響いた時と同じ、気品に溢れ颯然としている。彼の声を受けた聴衆たちの耳はさぞ喜んでいたことだろう。

 サディアが思い浮かべた光景がフェリクスにも見えているようだ。クスリと、乾いた空気が揺れる音がした。


「だから視察の時には君にも服を用意させる。宮廷の遣いが来たのだと、皆の心を高揚させるようなものをな」


 サディアの返事は聞こえなかった。

 フェリクスが足元に目をやると、扉の隙間からは霧が溶け出していた。フェリクスはそれ以上何も言わず、脚で霧を払いながらその場を離れていく。


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