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14 秘書官


 不安を押し殺した決意とともに宮殿に着いたサディアは門まで出迎えに来たジーノに一礼する。


「なるほど、君がね」


 サディアを頭のてっぺんから足の先まで舐めるように見たジーノはため息とともに独り言をこぼす。

 彼は前に宮殿で会ったことを覚えているだろうか。

 尋ねたい好奇心こそあったもののサディアは口を閉じたまま彼の後に続く。


「陛下、お連れしましたよ」


 ジーノはサディアと一言も交わすことなく歩き続け宮殿の最上階まで彼女を連れて行った。そこはサディアもよく知っている場所だ。見覚えのある部屋の中心で机にちょこんと座り込んだシマリスの顔が持ち上がる。


「ご苦労だったな、ジーノ」


 ジーノは小さなシマリスに恭しく頭を下げた後でサディアに前に出るように指示した。彼の視線に促され部屋の中央へ足を運ぶサディアにシマリスが訊ねる。


「サディアと言ったな。突然の話で家の者や周りの人間が戸惑わなかったか」

「家族はいませんから。隣人たちは、驚いていましたが」

「──そうか」


 シマリスは落ち着き払ったサディアの表情をじっと見上げて腕を組む。


「ジーノにはもうすべての事情を話した。君がグラハムという魔術師の契約者で、夜にはフクロウになるということも。ジーノにもこれから傍で君のことを観察してもらう。宮殿では主に彼と一緒に動け」

「はい」

「他の者には新たな秘書官を雇ったと伝えた。魔術師のことも含め、自分のことはジーノ以外の人間には話すな」

「承知いたしました」


 フェリクスの要求に淡々と返事をするサディアにジーノが眉を顰めた。彼はサディアをもう一度じっくり見た後で控えめに手を挙げ、フェリクスに問う。


「陛下、秘書官なんて役割ありましたっけ?」

「ない」

「突然そのような役職をつくって、皆、不思議に思いませんか」

「そこはどうにか対処していくしかない。ジーノ、君の補佐だと言えばいいさ。君が多忙なのは皆知っている。それなら違和感も薄いだろう」

「そうでしょうか……」


 フェリクスの堂々とした言葉にもジーノはまだ納得しきれていないようだ。うーん、と顎に手を置き考える素振りを見せてから首を傾げる。


「そこまでしてあの魔術師を守りますか? 彼女は危険かもしれないのに」

「彼を無視することはできない。もし危険が迫っている可能性があるならそれこそ防がなければいけない。その前提なら、彼女をこちら側に囲っておくことも必要だろう」

「……は……左様ですか」


 フェリクスの考えが多少は腑に落ちたのか、ジーノは顎に添えていた手を背中に回してぴしっと姿勢を正した。


「ジーノ、彼女を部屋に案内してくれ。その後は君の好きなように彼女に仕事をさせても、宮殿を案内してもいい。俺はもう少し用事を片付けてから休む。また夜になったら部屋に来てくれ」

「承知いたしました。では参りましょう──クィンス殿」

「はい。失礼いたします」


 シマリスに向かって一礼し、サディアはジーノに続いて部屋を出た。


「改めて──私はジーノ・バルドー。主にフェリクス様のお世話をしています。予定もすべて管理している。これから向かうあなたの部屋は二階にあります。狭いですが、今は適切な部屋がそこしかないので我慢してください。ところで荷物は馬車に載っていた一つだけですか?」

「そうです」

「やはりあなたも魔術師と同じ流浪者なのでしょうね。まぁ、ともに行動しているとそうなりますか」


 糸につられているかの如く揺るぎない姿勢を保ったまま颯爽と歩くジーノに対し、サディアは彼に追いつくのに必死だった。大股で歩いてなんとかその速度に間に合わせることができた。歩く速度と同じくらい早口で喋るジーノの滑舌はとても滑らかなものだった。


「まさか同じような人間が他にもいるとは思いませんでした。フェリクス様から話を聞いた時は半信半疑でしたが……確かにその目は、あのフクロウと同じですね」

「──彼の姿が変わることは、宮廷では常識なのですか?」

「いえ、全員が知るわけではありません。ただ陛下にお仕えする者の中には知っていないと仕事にならないこともありますから。そういった一部の人間だけに共有されています。私もその一人ですが──まぁ、なので現象自体には慣れていますよ。今更驚くこともあまりありません。ただ──」


 スタスタと容赦のない速度で動いていた足がぴたりと止まり、彼の切れ長の目がサディアを捉える。


「やはり、憐みは誤魔化せませんね。あなたのことを信用など出来ませんが、その苦労には同情しますよ」


 彼の眼差しには警戒心が潜んでいた。警戒するあまり敵意すら感じる。が、サディアはそれを不快に思うことはなかった。彼がフェリクスを慕い、献身していることはその瞳を見れば痛いほどに分かるからだ。


「さぁ、こちらがあなたの部屋です。事情を聞いた時に、宮殿に招いても逃げるだけではないかと忠告したのですけどね。フェリクス様はあなたを檻に入れる必要はないと言いましたので、私もそれを信じ、この部屋を選びました。正しい選択だといいのですけど」


 二階の端の部屋の扉を開き、ジーノはやれやれと鼻から息を吐く。部屋は彼が言った通りベッドが一つと鏡台と椅子がどうにか置けるくらいの広さしかない。最低限の生活をする分には問題ないが、殺風景だと言えばその通りだ。

 サディアは部屋に入り、ベッドの横にある窓を見やる。

 人間が顔を出せる程度の大きさの窓には鉄柵が施され、窓を開けることはできても外に手を出すことは難しそうだった。どうやらフクロウが外に逃げない対策らしい。

 部屋を見回しベッドに置かれた自分の鞄に目を留めたサディアに向かってジーノが咳払いする。


「では、早速ですがここで働くのであればその身なりをどうにかしなければいけませんね。服はそこに用意してありますからまずは着替えてください。それに髪をそのように下ろすことはみっともないので厳禁です。着替え終わったら手本に結ってあげましょう」


 サディアが頷くのを見て、ジーノは廊下に出てからそっと部屋の扉を閉めた。

 用意されていた服は前に見た侍女が着ていたものと酷似していた。しかし色の配置が異なっており、それが目印となってその人間の主な仕事が見分けられるようになっているのだと察しがつく。

 ジーノはどちらかといえばせっかちな性格だろう。

 短時間とはいえ彼をじっと観察していたサディアはそう判断し、急いで指定の服に着替える。あまり待たせてはいけない。

 サディアが着替え終わると、予想よりも早く開いた扉に若干驚きつつもジーノは彼女の髪を結った。


 髪型は侍女たちが団子にしていたのとは違い、三つ編みをカチューシャに見立てたものだった。サディアの髪が長かったため、ジーノは余った毛先を前髪のように額に垂らして満足そうに唇の端を持ち上げた。

 どうやら彼はこういった作業が好きなようだ。確かに彼の身なりは初めて見た時と変わらず上品にまとまっている。思いがけず彼の趣向が垣間見え、サディアの緊張も少しだけ和らいだ。その人が好むことが何かぼんやりとでも見えてくると、途端に人間味が溢れて相手にも血が通っているのだと認識できるからだ。


「どうかしましたか」

「いいえ。なんでもありません」


 意識せず頬が緩んでいたかもしれない。サディアはパッと目線を逸らし、髪を結ってもらった礼を告げる。


「今日のところは宮殿内の案内でもしましょうか。夜になったら誰にも見られぬよう部屋に籠っていてください。秘密を守るのは意外と大変なものですから」

「はい。気をつけます」

「よろしく頼みますよ。どこから綻びが出るか分かったもんじゃないですよ」


 ジーノはきびきびとした口調で念を押してサディアの前を行く。


「まず、フェリクス様の部屋がある最上階には私の部屋と、あとは医務室と衛兵の控え部屋があります。ミンカ様の部屋は三階の一番大きな扉の部屋です。階段を上がってすぐのところなので覚えやすいですよ。まぁ、私たちがミンカ様の世話をすることはありませんけど……コホン、何かあった時のために。えー、それから──」


 順調に宮殿の案内をするジーノの視線が不意に階下に向かう。彼の声が止まったのでサディアも玄関前の広間に佇む人影に目を向けた。


「ジーノ‼ それは誰? 新しい使用人?」


 広間に立っていたのは美しい髪の若い女だ。オレンジブラウンの髪には愛らしい印象を抱くアレンジが施され、服装は貴族社会でよく見るようなものだった。過剰に清潔な身なりからも使用人や商人などではないと分かる。

 ジーノを見上げる彼女の瞳がキラキラと輝く。着飾った服装が額縁だとすれば、彼女はそれに相応しい華やかな顔つきをしていた。雰囲気こそは違えど歳はサディアとそう変わらなさそうだ。


「ロザリア様。今日もいらしていたのですね。彼女は秘書官のサディア・クィンスです。私の補佐を務めます」

「秘書官? そんな役職があったかしら」

「私が多忙なのを配慮して、陛下が用意してくださったのです」

「まぁ! さすがはフェリクス。とっても気が利くのね。でも──」


 ロザリアと呼ばれた彼女の視線がサディアの方に向く。その瞬間、彼女の瞳から先ほどまでの無垢な煌めきが失せ、冷徹な色へと変貌する。彼女の纏う雰囲気が一瞬にして変わったことはサディアも分かった。明らかに警戒されている。


「女なのね。ふぅん──……へぇ、なるほど。すごく地味な顔だから、その服がよくお似合いね」

「……ありがとうございます」


 褒めているのではないと分かっていてもサディアはぺこりと頭を下げた。

 フェリクスのことを呼び捨てにできる彼女はきっとそれなりの身分の人間だ。ならば余計な波風を立てる必要はない。


「サディア、彼女はロザリア・ロントン。子爵令嬢だ。彼女の父は司法局の裁判官を務め、法曹界では有名な人です。宴の華と呼ばれるくらい何かと人の注目を集める御方だ。フェリクス様とは幼馴染でよく遊びに来ていらっしゃるんだ」


 ジーノはサディアに彼女の情報を囁き、ねっとりとした作り笑いをロザリアに向ける。


「で、ロザリア様、今日は如何なされました? あいにく陛下は御多忙で。ミンカ様もお出かけをしておられます」


 ゆっくりと階段を下りてロザリアのもとへ向かう彼の背中はどこか荷が重そうだった。わざとらしさの滲む優しい口調にサディアは違和感を覚える。


「ええー‼ つまんない。またそればっかり! ねぇ、いつになったらフェリクスに会えるのよ。私が来てるってこと、ちゃんと伝えてくれてるの? せっかく足を運んでいるのよ? 彼が私を放っておくなんておかしいじゃない」

「ええ。きちんと伝えております。その上で、今はお会いになれないんです。ですからお引き取り頂いて──」

「ジーノのいじわる‼ やぁだ。まだ帰らないもん。フェリクスを呼んできてよ」

「ですから──」


 むすっと頬を膨らませて広間に座り込んだロザリア。ジーノは呆れつつも丁重に説得を続ける。二人の押し問答を黙って観察し、サディアは違和感の意味を理解した。

 どうやら彼女は、一筋縄ではいかないツワモノのようだ。


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