13 皇帝命令
両手にも満たない僅かな荷物を持ち、部屋の扉を閉める。
「どうしてサディアが?」
「前に帽子を届けた時に何があったの──あ」
パティオを賑わせていた会話が階段を下りてくるサディアの足音でぴたりと止まった。
「もう準備できたのか?」
大家の娘とニコラの二人から質問責めにあっていたトビアスがサディアを見て朗らかに笑いかける。どうにか救われた。彼の表情は本心を隠しきれていなかった。
「うん。ごめんなさい。みんな忙しいのに」
「気にするなって。サディアを送るより優先することがあるかよ。荷物ってこれだけ?」
「そう。あまり物は持っていないから」
「そっか。じゃ、ちょっと借りるぜ」
サディアが返事をするより早く、トビアスは彼女の手から鞄を掴み取る。どうやら馬車まで運んでくれるようだ。
「サディア、宮殿で何があったの? わたしたち、みんな驚いてて……」
トビアスがサディアから離れると、ニコラが突進の勢いで駆け寄ってきた。トビアスではなく今度は本人に答えを求めたのだ。彼女の瞳孔までもが開いている。今の事態にまだ理解が追い付いていないとでもいう顔だ。
「急なことで本当にごめんなさい」
言葉を濁すことしかできず、サディアは顔を歪ませてから頭を下げる。嘘をつくしかできないことが心苦しかった。
「前に帽子を届けたときに、ちょっとした問題が起きたの。もちろん帽子は完璧で、問題はそれじゃない。私個人の問題で──」
「なにかやらかしちゃったの!?」
顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けてニコラは絶叫する。
「──そうかもしれない」
「そんな……! サディア大丈夫なの!?」
だんだんと血の気を失いゆくニコラの顔にサディアの胸が締め付けられる。申し訳なくてたまらなかった。彼女たちに心配してもらえるような資格など自分は持っていないはずだからだ。
「うん。大丈夫。ずっとじゃないから。きっと……うん、そう、きっとね」
皆にこれ以上の心配はかけまいと、サディアはにっこり笑ってみせる。しかしあまり効果はないようで。
「夜帝様にいじめられでもしたらどうしよう……」
サディアの笑顔をみるなりニコラはぶつぶつと念仏を唱えながら彼女の行く先を案じ始めた。
ニコラの懸念にサディアは「大丈夫だよ」と笑って返すことしかできない。が、そう言う本人もまた、断言することは難しかった。
「サディア、馬車を待たせているからそろそろ行かないと」
荷物を運び終えたトビアスがパティオに戻り、渋い顔のサディアに声をかける。
「うん……」
これから、サディアは宮殿に行くことになっている。フェリクスに捕えられ宮殿に行ったのはつい昨夜のこと。夜明けにシマリスに姿を変えた彼は側近のジーノの部屋を訪ねてこう言った。
──部屋を用意しろ。使用人が一人増える。
ジーノも最初は意味が分からなかったようだ。しかしシマリスに何かを耳打ちされ、すぐに支度にとりかかった。
ジーノは地下に囚われていたフクロウの足枷を外し外に出した。そして彼女を放つ前に、二時間後に馬車で迎えに行くから必ず戻ってきなさいと伝えた。これらの行動はすべてフェリクスの指示通りだ。
飛び立つ直前に見たジーノが訳が分からず混乱したまま首を傾げていたのが印象的だった。けれどサディアはフェリクスの考えももう知っていた。
彼はサディアに宮殿に住み込んで働くようにと命じたのだ。
一度自由になった時に宮殿を去り、そのまま彼方へと逃げても良かったのかもしれない。しかし直に元の姿に戻り空は飛べなくなる。そうなれば遠くに逃げることも難しい。皇帝は命令に従わなかったサディアを探し出し、今度こそ刑に処すかもしれない。
結局、自分の部屋に戻ったサディアは宮殿に行く支度をするほか選択はなかった。
住人たちに宮殿で働くことになった旨を伝えると皆は案の定仰天した。
ちょうど帽子を届けに宮殿に行った事実があったことは都合が良かったかもしれない。そこで何かがあったのだと思わせることが出来れば、詳しいことは話さなくても済む。宮廷の内密の事情なのだと。
「やっぱちょっと寂しくなるな。宮殿に住み込みってことは、会うこともなかなか難しいだろ」
俯いたサディアにトビアスがぼそりと本音を呟く。
「ほんと。トビアスの帽子みたいにわたしも作品を納品できるくらい精進しないと会いに行く機会も作れないかな」
ニコラもトビアスに共感しながら哀しそうな目をして深く頷いた。
大家もその娘も、皆が一様に同じ表情をしていた。サディアを応援する気持ちは持ち合わせている。しかしその前向きな感情以上に皆の顔つきは少し寂しそうだった。
「サディア、これを持っていきなさい」
珍しくパティオに姿を見せた時計職人である老齢の男がサディアの手に懐中時計を握らせる。
「君はいつも規則正しい生活をしていただろう。だから問題ないとは思うが、宮殿はたくさんの人がいて厳しい人もいるだろうから。君がしっかり仕事をこなせるよう、この時計でその手助けをさせて欲しい」
「──ありがとうございます。大事にします」
渡された懐中時計には蓋がない。ポケットなどから取り出せばすぐに時間を確認できる便利なものだ。
時計をぎゅっと握りしめ、サディアは職人に深々と頭を下げた。受け取った瞬間から、もう宝物になる予感はしている。
「じゃあサディア、そろそろ行こう」
「うん──、あ、トビアス、あのね……」
「うん? どうした、忘れ物か?」
「ううん。違うの。前に、帽子の販路を広げるための仕事を誘ってくれたでしょう? あの返事がまだできていないと思って……時間がかかって、ごめんなさい」
歩き出したトビアスを追いかけサディアは重い口を開き詫びる。が、トビアスは神妙な面持ちのサディアの肩を叩き、軽い調子で笑い飛ばす。
「いいんだ。俺もまだ準備不足だからさ。ほら、光の祭典。あんな大きな祭りの日すら仕事が終わらず遅れるくらいの男だぞ? こう言うのは恥ずかしいが、俺は段取りが苦手なんだな。だから時間がかかる。なにも焦らなくていい」
「トビアス……」
自虐する彼がそんな怠惰な人間ではないことをサディアはよく知っていた。いくつもの事業を掛け持ちし、すべての仕事を常に頭の中で調整しているしっかり者だ。祭典の日も、工房の皆を先に帰していたから少し遅刻しただけ。彼が明言を拒む自分に気遣ってくれていることは明白だった。
未来の選択肢など考えたこともなかった。サディアは唇を微かに噛みしめ、思いもよらぬ言葉を口走る。もしかしたら──あるはずのない希望を掴めるのかもしれない。
「宮殿への使役はあくまでも期間限定なの。任務……ううん、問題の償いが終われば戻ってこられるはず。きっと──いえ、必ず戻るから。その時まで……その──」
「もちろん、待ってるよ」
サディアが言い淀むと間髪入れずにトビアスが答える。ニーッと明朗な笑顔を広げ、大きな手でサディアの頭をぽんっと包み込む。
「がんばれよ、サディア」
「──うん。絶対に、戻ってくるね」
トビアスの手に支えられ馬車に乗り込んだサディアは語気を強めて念を押した。それはまるで自分にも言い聞かせているようだった。トビアスはこくりと頷き手を離す。走り出した馬車に逆らって振り返れば、パティオから出てきた住人たちが大きく手を振っている。サディアも馬車から落ちないよう気をつけながら手を振り返す。
これから何が待ち受けているのかなど何も分からない。唯一の望みがあるとすればフェリクスを納得させ、魔術師の居場所を教えてもらうことだけだ。
けれど一つだけはっきりと分かることがあった。
どんな障壁が立ちはだかろうと、必ずやグラハムの任務をやり遂げねばならない。
全てを無事に終えればきっとここに戻ってくることができるはず。もしもの未来を想えば、僅かながらにも心は安らぐ。




