5、心に残る謎
「ちょっと本当に強引ね!何処に行くつもり?!」
「…。」
無視してるの?子供なの?昨日から累が知らない人になってしまっている。
「もしかして怒ってます?」
「ああ、そうだな。」
「誰に?」
「決まっているだろう昨日君を襲った馬鹿どもにだ。」
「ああ。」
まあそれはそうね。私も。
「まあ、あいつらだけではないが。ああ、すまない寒いだろう。急いで出てきたから私の外套を羽織ってくれ。」
運転しながら器用に外套を脱いで渡す。一瞬迷ったけどあまりにも寒いので拝借する。
「ありがとう。それで私達は今は何処に向かっているのですか?」
「家だ。」
「家って?高梨のお家?」
高梨のお家は二条城の近くなので確かに方向はあっている。ではなくてどうして連れて行くの?
「そうだ。」
「どうして?」
「あのまま片岡の家に一人でいさせる事はできないだろう。危ないし怖い思いをしたはずだ。」
「ええ、だけどそろそろ家族が帰ってくるでしょうし。」
「あの人達は明後日まで帰って来ないよ。」
「えっ?」
あの人達って、冷たい言い方。
「君の妹のわがままで有馬に泊まっているらしい。」
「有馬に?三人で。」
「ああ、婚約者に高価な物をもらったり食事に連れて行ってもらっているのを君に自慢されて傷付いたと泣きついたらしい。昨日の朝に君の父が私にあまり君を甘やかすなと釘をさしにきたんだ。何故有馬なのかは君が行ったことがないからだそうだ。」
「そんな事。」
「分かっている。だが君の父は真実に興味がないようだ。君が実際に自慢しようがしまいが妹の機嫌を損ねた時点で気に入らないのだから。だから君の家族が帰ってくるのはきっと月曜日だろうもしくはもっと先か。君の家に使用人も女中もいなかった所を見ると旅行の間、少し暇をもらっているのだろう。」
「あの、父がごめんなさい。」
「君が謝る必要はない。だが君の家族が帰ってくるまで私の家にいてほしい。」
「貴方の家に?」
「ああ、ただこんな時に申し訳ないが母は居ないし父も出張に出ていて私一人なんだ。だから常に女中の一人に家に居てもらうようにするから。」
…それは…良くないと思うけど。でも今一人が怖いのは本当だし、かといって累しか居ない家に泊まる?女中さんは夜も居てくださるのかしら。
「私達はまだ結婚していないし幾らなんでも良くないわ。」
「率直に言おう。この件に関しては君に拒否権はない。私は君を二度と危ない目に遭わせない。本当は昨日、君の父が有馬の話をしにきた時点で迎えに行くべきだった。一瞬世間体を気にした自分に腹が立つ。今私は昨日の自分を呪っているんだ。二度も同じ過ちは犯さない。」
累の言葉に絶句する。本当に強引な人。
「私なんてどうでも良いでしょう。誰の目から見たって私達は政略結婚で親の言いなりなのだから。私が居なくなれば貴方の思い人と一緒になれるかもしれないわよ。」
「ふっ君は困ったらいつもそれだな。幸に嫉妬しているのか?」
何故か嬉しそうに返す累に私は呆れてしまう。
「何を言っているの?貴方この前からずっとおかしいわよ。」
「そうだな、君はその一言で私を黙らせてしまう。君が幸の名前を出す時は自分に後ろ暗い所がある時なのだろう。あの家庭教師とか。君の中には他の男ばかり。いつも君の中にあの男がいる。」
感情が読めない冷たい顔。寒さで血色も悪く真っ白な累の横顔からは何も読み取れない。
「累?本当に何を言っているの?私は先生にそんな感情を抱いていないし先生も私を妹の様に可愛がってくれているの。」
「君がどう思おうが関係ない。」
「何?え?」
「さあ着いたぞ。とにかく入ってくれ。」
「えっええ。」
累は門の前に一旦車を停め私のためにドアを開けて車からおろしてくれる。門をくぐり玄関を開けて中に入るといつもの様に女中頭のササさんが出迎えてくれる。
「おはようございます。桜様、外套をお預かり致しますね。お着替えもご用意しております。この度は大変な目に…累様も慌てて出かけられて。」
「ササ余計なこと言わなくて良いから早く桜の着替えを手伝ってやってくれ。風邪を引かれては困る。」
「突然の事で私も訳が分かりませんが、数日お世話になります。ご迷惑をおかけ致しますがよろしけれお願い致します。」
「かしこまりました。ではこちらへ客間にご案内致しますね。」
「着替えたら朝食を食べに行こう。ササそのつもりで頼む。」
「はい、累様。」
朝食?ササさんが用意してくれていた着物は薄い紫の生地に寒牡丹が小さく描かれた着物だった。着替えを終えてササさんの言うがままについて行くと累がスーツを着て手に外套を持って待っていた。
「さあ朝食を食べに行こう。」
「ええ。」
もう言い返すのはやめようと心に決めたので累に素直について行く。ササさんに見送られて私達はまた車に乗り込む。
「三年坂の近くに食堂があるからそこへ行こう。ちなみに幸の居る食堂ではない。」
「分かりました。」
なるべく羽織りが皺にならないように気を配りながら座っている。この前から累の心が分からない。
「君は急に余所余所しくなったり、かと思えば私を累と呼んでくれる気軽さもある。」
「そうですか。」
「桜は冷たいな。」
そこから一言も話さずにその食堂に着いた。近くに車を停めて食堂の中に入る。累はやはり変わっているここは食堂ではない断じて。牛鍋の料亭よりも高級な店だ。板前さんが出迎えてくれ、座敷に案内されて私の近くに火鉢を置いてくれた。
「いらっしゃいませ、高梨様、今日は何をお召し上がりになりますか?」
「何か胃に優しい食事は?」
「胃に…でしたら雑炊は如何ですか?」
「ではそれを。」
「かしこまりました。すぐにご用意します。」
お品書きもない店…。やっぱり家と高梨家だと釣り合わない気がするわ。
「勝手に決めてしまってすまない。だが初めての店で君に任せるのも酷かと思って。」
「ええ、こんな高級なお店私が足を踏み入れて良かったのかしら?」
「ふっ。君は謙虚だな。大病院の院長先生のご令嬢が。」
「やめてください。うちなんて高梨のお家に比べたら。」
「何を言うんだ君の家は由緒正しい貴族の家系だろう。私の家はいつも成金だと何処か蔑まれている。」
「そんなの。」
後の言葉が続かない。何を言っても累の心に響く気がしない。
長く重い沈黙が続いた後、板前さんが入ってきて私と累の前にそれぞれ小さな土鍋を置いて蓋を開けてくれる。
「良い匂い。」
「それは良かった。フグのあらで出汁を取り雑炊にしました。そしてこちらも。」
小さな小鉢に魚のみぞれ煮入っている。
「フグのみぞれ煮です。春菊のおひたしもどうぞ。」
梅の形の小皿に春菊のおひたしがのせられている。美味しそう。
板前さんが説明を終えて座敷から出て行かれたので私と累はまず雑炊に手をつける。
「美味しい。」
「口に合って良かった。」
「ええとても美味しい。」
累は満足そうに私を見てまた一口。出された食事はどれもこれも美味しかった。食事の間は一言も話さなかった。
「桜、ここの店主に話があるから寒い中、申し訳ないが少し外で待っていてもらえるか?」
「ええ、分かりました。」
微笑んでいる板前さんにご馳走様でしたと声をかけてから外に出た。寒いけど朝よりましかな。外を少し歩くと目の前が三年坂だった。
「それにしても、有馬ね。私抜きで家族旅行か。」
なんだかもう慣れてしまっている私がいる一方で、何度目だろうと深く傷付いている自分も存在している。
三年坂の一番上から下を見下ろす。
「いっそこけてしまいたい。」
なんて…不謹慎だわ。駄目ね。
「その時は必ず私も一緒に。」
後ろから声をかけられびっくりして本当に転びそうになった瞬間、抱き寄せられお腹に手を回されたままもう一度耳元で囁かれる。
「君を一人で死なせない。」
累の声がとても悲しい声だったので私は申し訳なくて慌てて否定する。
「ごめんなさい、冗談だから。本当に命を軽んじている訳ではないわ。ごめんなさい。」
累が私を離して私の前に跪き両腕を掴みながら私を見上げる。
「頼むからどうか一人で逝こうとしないでくれ。」
累、どうしてそんな顔で私に願いを乞う様に言うの?
「累。」
累は私と目が合うと俯いた。数分間私達はそうしていたけど累が急にすくっと立ち上がり私の腕を離した。
「さあ行こうか。」
「ええ。」
強い力ではなかったのに、累に掴まれていた腕にまだ累の手の感覚が残っている。累が足早に歩きはじめたので慌てて追いかける。
私は大きな勘違いをしていたのだろうか。彼は私にこれっぽちも興味がないと思っていた。
「さあ車に着いたぞ。」
ドアを開けてくれるその姿にまた驚く。私は今まで累の何を見てきたのだろうか。彼の優しさと気遣いに今まで何も見ず自分自身がそうだからと彼の好意を踏み躙ってきたのだろうか。だけど彼には幸という女性がいるはず。でも私が幸という女性の名前を出す時は自分に後ろ暗い所がある時と言われた。その通りなのかも今も彼の好意を踏み躙ってしまった事に対しての罪悪感をぬぐいたいが故に彼の非を探して認めさせようとしている。
「ありがとうございます。」
「急になんだ?」
「朝食もそうだけど、迎えにきてくれた事も。」
「ああ、気にしなくて良い。」
「すみません。」
私は色んな意味を込めて謝った。いつの間にか眠ってしまっていて目が覚めると高梨の家に戻ってきていた。