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2、色めく


「あら?門の所に男性が。」


 先生からの挨拶が終わり帰り支度をしていると同級生の明日香さんが窓の外を見て他の生徒達と話し始めた。私は元々窓際の席なので視線を移すと校門の外に居たのは累だった。


「え、あれ。累…。」


 私は急いで帰り支度を終わらせて他の方達に挨拶もせずに校門の所まで走って行く。いつもなら仲良しの美和さんと帰るのだけど体調が悪くて今日は休んでいる。

 今日は黒の背広でこの前よりも少し若く見える。私を見ると安心した様子で話し始めた。


「良かった。考えなしに来てしまったが君が帰ってしまっていたらどうしようかと。」


「累!貴方その長身と顔立ちで只でさえ何処に行っても目立つのに!こんな女生徒ばかりの所に来るなんて!」


 丁度生徒達が帰る時間なので門を通る度にひそひそと何かを噂されている。いや、ひそひそどころか時折キャッという小さな悲鳴が聞こえる。累と目が合ったのだろうか。


「ははっ珍しい事をしてみるものだな。君のそんな表情が見られるなんて。」


 それは逆もしかりだわ。累の崩れた表情なんて初めてみた。


「それで今日はどうしたの?明日は土曜日だけど約束は来週の土曜日でしょう。」


 この前に決めた日にちまで1週間程ある。いつも会うのは決まって土曜日なので勘違いしているのか?いやそもそも今日は金曜日だし。


「ああ、仕事が早く終わってたまには食事でもどうかと思って。明日は学校が休みだろ車で来たから山科へ牛鍋を食べに行こう。」


 車!また目立つ方法で!

 学校は伏見なので今から行けない事もないか…。ではなくて。


「私と食事?」


「君の両親に結婚する意思があると主張しておかないと。卒業までもう少しあるからな。」


 既に婚約しているのに?それに幸さんの存在は私以外知らない筈でしょう。


「そう…かしら。若い男女が二人きりなんて許されるのかしら?」


「なんだ急に冷静になって、とにかく今日は牛鍋を食べに行こう。」


「ええ。分かりました。」


 この人は一度決めたら絶対にそれをしないと気が済まない割と強引な人なので素直に従う。累が鞄を持ってくれて歩き始めた。



「それにしても久しぶりだなぁ。」


「ええ。」


 ここの店は食べられるようになるまで全て作ってくれるので私達は座敷に座って無言で待っている。時折、女将が鍋の様子を見に来てくれるがなんというか気まずい。私達はお互いの事を知らずに婚約したし幸という女性の存在もあって今以上に知ろうと思っていない。

 ただ累は今の状況が気まずいと思っていないのか特に私達の間に流れる空気を気にする事なく話し始めた。


「君と初めて会ったのもここだったな。」


 累は背広を脱いで寛いでいる。日本では殆ど見ない腕時計という物を左腕にしていて時折それに触れている。


「ええ、そうでしたね。」


「あの時の君は16歳で私もまだ18歳だった。」


 私をじっと見ながら昔を思い出して居るのだろうか時折視線がずれる。まだ1年も経っていないのに遠い記憶に思える。あれは17歳になる一ヶ月ほど前だった。


「ええ、そうでしたね。初めての贈り物をしてくれた。」


 累からの初めての贈り物はキャラメルだった。家族全員での顔合わせだったので私と楓に一箱ずつ。あの後、楓に盗られたが。


「キャラメルだろう。私は苦手だ。甘過ぎる。」


 少し眉を寄せ話す累が可笑しくて笑ってしまう。


「ふふふ、そうですか。」


「でもほら今日もあるぞ。」


 どこから取り出したのか分からなかったが小さな箱をわたしの前にことりと置く。


「これは?いただいて良いのですか?」


「ああ。」


 箱を開けると中には扇形で棒が2本の簪が入っていた。


「素敵。」


 黒塗りで飾り気のない簪だが扇の部分に桃色で満開の桜が描かれている。


「出先でこれを見つけて早く君に渡したかったんだ。」


 柔く笑う姿に私はびっくりして息漏れ声を出してしまった。


「えっ。」


「男がずっと簪を持ち続けているのもおかしいだろう。」


 私の驚嘆の声に少しむっとして早口で言う。


「すみません。ありがとうございます。」


「いいから、つけてみてくれ。」


「はい。」


 刺さっている簪を抜いて髪がほどけないようにそのまま同じ場所にさす。


「どうですか?」


 累は少し黙って私を見ていた。


「あの?」


 私は少し困って累を見る。累は私の視線に気が付いてはっとして言う。


「ああ、すまない。似合っている。」


「ありがとうございます。」


「この前会った時、風がふいて髪をおさえていただろう?その時、髪が綺麗だと思ったんだ。それで今日、その簪をたまたま見かけて君に似合うと思った。」


「私の髪…。」


 なんだか恥ずかしい。累はいつもより柔らかい表情で私を見ている。


「ああ、だが私の思っていた以上に似合っている。」


 累が背広から煙草を取り出しこの前と同じ様に火をつけて吸い始める。それでもまだ私を見ているのでなんだかいたたまれなくて目を逸らして礼を言う。


「あ、ありがとうございます。」


 私は恥ずかしくて下を向いて黙った。女将はふすまの外で話が終わるのを待っていたのか私達の会話が止まったのを見計らって中に入ってきて料理を仕上げてさっと出て行った。


「いただこうか。」


 煙草の火を消して累が言う。


「ええ。」


 食べている最中も私は簪が気になって仕方なかった。どうして彼はこんな事を急に?出先で簪を見つけてそれをすぐに渡したくてわざわざ会いにくる?しかも食事まで?


「幸さんと何かあったの?」


 勝手に言葉が口から出てしまった。まずいあまり踏み込まないようにしないと常に思っているのに、今日は好奇心が勝ってしまった。


「君は私からの純粋な好意を素直に受け取れないのか?」


 無表情で累が私に言う。確かにそうだけど、何か後ろ暗い所があって罪悪感から何かしているのかと勘ぐってしまう。


「ごめんなさい、反省します。でもこの簪は本当に嬉しかった、ありがとう。」


「ああ、それでいい。」


 私のせいだけど気まずい。一刻も早く帰りたくて黙って食べ進めた。



 家に着いたのは19時前だった。累が車を家の前に止める。


「今日は本当にありがとう。」


「こちらこそ、急だったのにありがとう。できればそのままくだけた話し方で居てほしい。」


 明日は雪が降るのかもしれない、累がずっと柔らかい表情なのが信じられない。


「できるだけ頑張ります。それでは失礼致します。」


 私が車から出ようとドアの取っ手を掴もうとすると私より先に累がその取っ手を掴んだ。取っ手を掴む累の背広の袖から腕時計がちらっと見えた。


「すまない、こんな事をするべきではないと頭では分かっているが、体が勝手に動いてしまった。」


 私はびっくりして声も出せずに累を見た。


「もう少し…一緒に…。」


 車内は暗くて累の顔ははっきりと見えないがじっと私の瞳を捉えている。体も顔も近い。私はなるべく彼に当たらないように椅子に体を押し付けた。

 累に聞こえるのではないかと心配になる程、心臓が脈打っている。こんな累は知らない。こんな状況を知らない。早く離れないと。

 累が私に顔を近付けてくる。何をするつもりなのか理解できず顔を背ける。


「冗談だ。すまない手を離すよ。」


 冗談なんて顔をしていない累がゆっくりと手を離しバタンと力が抜けたみたいに音を立てて運転席に体を戻す。

 私は速やかに車から降りて、暗い車内を覗きもう一度礼を言う。


「えっと、今日はありがとうございました。」


 距離を取ると少し落ち着くことができた。


「ああ、また土曜日に。簪、妹に盗られないようにな。」


 と走り去ってしまった。妹…楓の手癖の悪さを累は知っていたのか。そういえばキャラメルを盗られた後、もう一度別のお菓子をくれたな、累は全て知っていて私にだけくれたのか。


「はあ、なんだか疲れた。」


 長い一日だった。家に入ると累とのことを両親に聞かれたので食事をしただけだと答えた。簪をもらった事も伝えた。婚約者として私に贈ってくれたと伝えたので流石に楓が盗んだとしても返ってくるだろう。両親は体裁が大事な人達だから。キャラメルとは重要さが違うのも分かるだろうし。なんなら会う時は毎回それをつけて行きなさいと言われた。

 そういえば両親には秘書の田沼様が知らせていたらしい。だから私がいつもの時間に学校から帰ってこなくても誰も騒がなかったようだった。

 寝床に入っても累が頭から離れてくれない。迎えに来た事、簪の事、帰りの車の事、私達は政略結婚で、お見合いで、累には恋人がいる。なのに私にあんな事をするなんて。なんだか信じられない、累は友だと思っていた。家と家を繋ぎ、より両家を強くする為の同士だと思っていたのに。中々寝付けず気が付くと朝になっていた。


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