7.ヒロインと悪役令嬢のおかしな関係2
食堂に着くと奥の個室へ案内された。
「まずは食事を楽しみましょう。リゼット様はいつも食堂に来ていないみたいだけど、どこで食べているの?」
「私は……中庭で自分で作ったサンドイッチを食べることが多いです」
「中庭で……。ああ、ピクニックみたいでとても素敵ね」
フローレンスは一瞬怪訝な顔をしたもののすぐに表情を明るくした。
きっと貴族の屋敷の庭園でやるような華やかなピクニックを想像してるんだろうなぁ。
実際は中庭の片隅でひとり寂しく食べているのだけれど。
「フローレンス様は、その、私なんかと食事して大丈夫なのでしょうか? ご友人の方が不快に思われませんか?」
「友人と食事を楽しむことを不快に思う人はいないわ。学園に通うものはみな平等なのだから」
「そう……ですね」
フローレンスは高位貴族には珍しく身分や格を気にしない人だ。
そういえばギルバートもそうだったっけ。
給仕がコースの料理を運んでくる。
あ、これ食堂の一番高いコースだ……。
やばい。お金足りるかな。義両親に手紙で事情を説明してバイト代を送るしか……全額返すのにどれだけかかるだろう。
胃が痛くなってきた。これじゃ家族のお荷物にしかなってない。
「ここでの食事代は気にしなくていいわ。今日は私が話したくて貴女を招待したのだから」
「えっ、でも…………ありがとうございます」
お礼を言うとフローレンスは嬉しそうに笑った。
それはそうとして、公爵令嬢と一緒に食事するなんて大丈夫だろうか。
一通りのマナーは身に付けているはずだけれど、それは最低限のレベルに達しているというだけで完璧には程遠い。
友人の中の一人として食事をするのであれば、空気になってやり過ごせるけど二人きりでは誤魔化せない。
よし、ここは先に謝っておこう。
「フローレンス様、その……このような食事には不慣れで、お見苦しいところがあるかもしれません」
「どうして? 食事は毎日とるでしょう?」
「私がこれまで食べてきたものはこのような食事ではなくもっと簡素なものでしたので」
オルコット男爵家での暮らしは貴族の暮らしとは言えない。
食事は自分たちで料理して運んでいた。パンとメインの料理、そしてサラダ程度のもの。
もちろん平均的な平民よりは豊かな暮らしだったけど、貴族と胸を張って言えるようなものではなかった。
「もちろん入学するまでに一通り学んで来ましたが、他の方のように貴族としての教養があるわけではなく……その、申し訳ございません」
「この学園に通う間はみな平等なのよ。出身も家も関係ないわ」
それはフローレンスが強者だから言える事だ。
私の立場からはとても平等だなんて言えない。
「けれど……そうね。これから先貴族として生きていくためには身につけなければならないこともあるわね。心に留めておくわ」
「ありがとうございます」
これでもし私が粗相してしまっても大丈夫かな?
その後はたわいもない話をしながら食事が進んでいった。
会話の内容はいたって普通で、最近の流行についてだったり勉強の話だったり、あとは刺繍についての話をした。
もしかしたらフローレンスと仲良くなれるかもしれない。
こうやって食事に誘ってもらえるのだから嫌われてはないだろうし、ちゃんと楽しく会話もできている。
ちょっと厳しいけど、そこは努力すればいい。
デザートが運ばれてきた。
桃のタルトだ。大きなお皿の中央にちょこんと乗った小さなタルトは、ソースで華やかに装飾されている。
さすが貴族の食事。贅沢だなぁ。
それにしてもここのコース料理ってこんなに多かったっけ。
やっぱりお高いぶんだけ量も多いのかもしれない。
ちょっと苦しいけどこんな料理を食べる機会なんてもう二度とないかもしれないし残さず食べよう。
今日は夜食べなくていいかも。ちょっと嬉しい。
給仕が部屋から出ていった。
このままフローレンスと仲良くなれば刺繍を広めることだってきっとできる。
彼女は未来の王妃なのだから。
これまでのお礼と称して彼女に刺繍入りの小物をプレゼントしよう。もちろん職人に依頼した正式なセブラム刺繍のものを。
そして私も同じものを持っていれば他の女生徒の気を引くことができるかもしれない。
「そういえばリゼット様はオルコット男爵の養子なのよね」
突然切り出された話にぎょっとする。
隠すようなことではないけれど、堂々と突き付けられるのは少し怖い。
「はい、その通りです」
「以前はどのような暮らしをしていたの?」
フローレンスの表情は変わらない。
私が平民だったころの話なんて聞いたって彼女には面白くもなんともないはずだ。
けれど彼女は本物のお嬢様だから未知の世界が本当に気になるのかもしれない。
「オルコット男爵様に引き取られたのは私が六歳の頃です。ですからそれ以前の暮らしについてはあまり記憶になくて……」
「そう。それからの暮らしはどうだったの?」
「……とても幸せでした。血の繋がりはありませんが、彼らは確かに私の家族なのだと思っています」
だからこそ今の状況をどうにかしたい。
……できるはずだ。私はこの世界の主人公なのだから。
膝の上の両手を強く握りしめた。
家族のために使えるものは全て使う。やれる事は全てやる。
例えそれが他人の気持ちを利用し傷付ける行為だとしても。
貴族達は平民達より恵まれているのだ。
だから少しくらいなら……。
「実はね、貴方のことを……オルコット男爵家のことを調べさせてもらったの。商会に借金ができて事業が上手くいってないと聞いたわ」
全身から血の気が引くのを感じた。
借金があることを知られている。
彼女はどう思っただろうか。
セネット公爵家のお金を目当てに擦り寄ってきた卑しい女?
平民の癖に貴族の輪に入ろうとした愚か者?
何にしても印象は悪いだろう。
この先どうなる?
彼女に嫌われたら……もしかしたら退学させられるのだろうか。
だってフローレンスは未来の王妃だ。彼女に逆らえる人なんて殆どいない。
身体が震えた。
何か言い訳をしなくては。
けれど何も言えなかった。
平民が何を言ったところで決定権を持つのは彼女だ。
「私が力になれることはないかしら?」
「…………え?」
「困っているのでしょう? 友人に手を貸すのは当然のことではなくて?」
私を糾弾することも蔑むこともせず、フローレンスは優しく微笑んだ。
「でも、私は平民で……」
「貴女は私の友人よ。それ以外の何物でもないの」
その言葉はいつもより力強かった。
「私は求めるものには与えなさいと教えられてきたの。もし貴女がそれを恩義に感じるのであれば、誰かが困っているときに手を差し伸べてあげなさい」
フローレンスは私と違って立派だな。
平民に対しても変わらず優しくできるなんて。
私なんてフローレンスやギルバートを利用することしか考えてなかったのに。
自分との違いに苦しくなって視線を落とした。
こんな私をなんの躊躇いもなく友人だと言ってくれるフローレンスが眩しい。
…………けれど本当に頼ってもいいのだろうか。
彼女の言葉を信じてもいいのか。公爵令嬢がただの平民ごときに手を貸すなんて有り得るのだろうか。
それに彼女は近い未来私を虐める人だ。
ここで借りを作ればこの先どうなってしまうかわからない。
「私を信じて」
その言葉に視線を上げてフローレンスを見る。
私を真っ直ぐ見つめてくる彼女の言葉に嘘はないように思えた。
頼ってもいいのかもしれない。
確かにゲームでは主人公といい関係にはならない人だ。
けれどこの世界はもうゲームとは違う道を歩んでいる。
「………………、私を育ててくれた家族の助けになりたかったんです。セブラム刺繍を王都に広めることができれば家族を救えると思いました」
「だからあんなに刺繍をしていたのね」
「でも私ではどうにもできなくて……、誰も刺繍を見てくれないし、そもそも元平民を見てくれる人なんていなくて……」
言葉を吐き出す度に苦しくなる。
私にはこの現実を変える力がない。
「オルコット男爵家を助けてください……。私には家族を助ける力が無いんです。お願いします」
頭を下げて頼み込んだ。
もしここで断られてしまったらどうしよう。見捨てられたらどうしよう。
恐怖に手が震え、恐怖で涙が滲む。
フローレンスが返事をするまでのごく僅かな時間が、私にはとても長く感じられた。
「もちろんよ。私は貴女を助けるために今ここにいるのだから」
その言葉に私は安堵し、まるで小さな子どものように泣いてしまった。