5.ヒロインは道を踏み外す
あれから二週間が過ぎた。
ほぼ毎日フローレンスに会っては駄目な事を指摘されて凹まされる日々を送っている。
友人達からは憐れみの視線を送られているが、彼女達は決して助けてくれない。
まぁ虐められているわけでもないし、フローレンスの言葉は正論だから反論することは出来ないよね。
そしてフローレンスは三日に一度の頻度で私に足りないものを贈ってくれていた。
昨日はいつでも紅茶を淹れる練習ができるようにと高級茶葉とティーセットをくれた。
毎回手紙には私を労る優しい言葉が綴られているから嫌われてはいないのだと思う。たぶん……。
何にしても彼女のおかげで少しは貴族令嬢らしく振る舞えるようになったと思う。
だからこそここで交流を広げてセブラム刺繍を布教しなければならない。
そう思って頑張ったのに未だに成果はゼロ。
思い切って友人達に刺繍の話を振ってみたけれどさらりと流されてしまった。
もちろんアランとも親しくなれていない。
かわりに宰相子息のギルバートに存在を認識されてしまった。
近くにいると声をかけられるし目が合うと笑顔で近寄ってくる。
彼のことは嫌いではないしむしろ好きだったけど、今はそれどころではないから放っておいてほしい。
私が恋愛するのは三年生になってからだから。
とにかく、今のやり方が悪いのであれば他の手を考えなければ。
じっくり考えるために大きく息を吸い込む。
中庭の隅にあるベンチは古びていて人が近寄ってこないからしかめっ面で唸っていても変に思われることはない。
特に今はお昼休みだ。
殆どの学生は食堂で食事をとる。
貴族の通う学園だけあって食堂のメニューは豪華だしやたら広いしわざわざこんな中庭に来る変わり者はいない。
借金ができるまでは私もあの食堂でお昼を食べていたけれど、お金のない今はそれができなくなってしまった。
あの場所で食事をすると家に……つまりオルコット男爵家に請求が行くのだ。
少しでも負担を軽くしたくてお昼は自分で作ったサンドイッチを食べるようにしていた。
食堂のランチが恋しいなんて全く思っていない。
私が我慢すればその分だけお金を借金返済にあてることができるのだから。
私はゆっくりと息を吐き出した。
アランと仲良くなって販路を広げる作戦は失敗した。
セブラム刺繍を広めて大量の顧客を獲得するという作戦も失敗した。
刺繍が悪い、なんてことは絶対にない。
だってセブラム刺繍は伝統があって素晴らしいものだから。
悪いのは私のやり方だ。
いっそ刺繍の布教と借金返済の手立てを別に考えるか。
今抱えている借金を返済するのが最優先だ。傾いた事業を立て直すのはその後でいい。
金額を考えてもまともな方法では短期間で返済するのは無理だろう。
だからこの世界の主人公であることを最大限利用して……。
…………駄目だ。結婚の結納金くらいしか思いつかない。
一応学生でも結婚できるんだっけ。
でも学生結婚なんて名誉を重んじる高位貴族が許してくれるわけがない。そもそも私は平民だしオルコット男爵家に婚姻関係を結ぶメリットなんてないし。
けれど……攻略対象キャラ達に出せる範囲の金額で支援してもらうことはできないだろうか。
彼らは貴族の子どもだ。しかもこの国でも地位も名誉もある貴族。
使えるお金だってそこら辺の貴族の比じゃないだろう。たぶん。
だから彼らに好きになってもらってからお金を貰えれば……。
いやいやいや、私がそんなことしちゃ駄目だよ。
そんな事やる人間は主人公になってはいけない。
けれどそれ以外に方法はあるだろうか。
正しい行いだけで私は家族を助けられるのか?
無理だ。
この三週間半全力で行動した。
けれど結果は何も出なかった。
私には人脈があるわけでもないし優れた頭脳もない。
特別な何かがあるとすれば、主人公というこの立場だけ。
それも三年生にならないときっと効力を発揮しない。
だから正攻法でどうにかするのは無理だ。
他人を騙すのは気が引ける。
悪いことを何もしていない人達の善意を踏みにじる行為なんてしたくない。
けれど手段を選んではいられないのだ。
二年後の弟の入学まで、入学準備の期間を考えるとあと一年と六ヶ月。
それまでになんとかしなければならない。
そう覚悟を決めた時だった。
少し離れた場所からポキッという小枝が折れたような小さな音が聞こえた。
慌てて顔を上げると、そこに居たのはギルバートだった。
彼は僅かに眉をひそめ、怪訝な表情をしている。薄茶色のくせ毛が小さく揺れた。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだ」
「い、いえ……俯いていた私が悪いので……」
心臓がバクバクしている。
どうする?
攻略対象キャラの中で今交流があるのはこの人だけだ。交流って言っても挨拶を交わす程度のうっすい交流だけど。
現宰相はアシュトン侯爵。領地は広く豊かで、何より国の要人なのだからお金を持っていないわけがない。
その長男である彼はどれだけお金を使える?
彼が私を好きになったら、オルコット男爵家を救ってくれるだろうか?
「顔色が悪いようだが、何かあったのか……?」
「い、いえ、何も……」
貴方を騙してお金を掠め取る方法を考えていました、なんて言えるわけない。
「言いたくないのなら無理に聞くことはしない」
そう言って彼は私の隣に座った。
ちょっとびっくりしてしまったけど、これはチャンスだ。
わざわざこんな場所で近付いてくるのだ。彼だって私に興味を持っている。
それを利用してすればいい。
例えば、さり気なく手を触ったり、腕に触れたりすれば……。
「だが悩みを抱え込むことはあまりいい事だとは言えない。俺に話せなくても友人に話すことはできるだろう? 最近はフローレンスと仲良くしてるらしいじゃないか」
「っ、フローレンス様には……とてもお世話になっています」
彼から悪役令嬢の名前が出てくると思わなくて動揺してしまった。
彼女が悪役令嬢として私を虐めるのは王太子ルートに入った時だけ。ギルバートのルートではただの学友だった。
落ち着かないと。
見られているわけでもフローレンスに心を読まれているわけでもないのだから、叱られる心配なんてしなくていい。
「フローレンスと何かあったのか?」
「い、いえっ、何もありません。フローレンス様にはいつも優しくしていただいてます」
「そうか。リゼットは…………いや、なんでもない」
ギルバートは小さくため息をついて口を噤んだ。
いや、それよりリゼットって!
昨日まで呼び捨てではなかったのに。
これは、やっぱり脈アリなのかな。
攻略対象キャラとの恋愛は三年生になってからだと思っていたけど、フライングで入学したから全て前倒しされているのかもしれない。
だとしたら好都合だ。
気のある素振りをすればきっと上手くいくだろう。
罪悪感に胸が苦しくなる。
そんな私の気持ちとは裏腹に、ギルバートは優しく微笑んでくれた。
「リゼットのリボンタイやブラウスには他の女生徒と違って刺繍が入っているんだな」
「えっ、これは……」
嬉しい。
今まで誰にも気付いてもらえなかった、いや、気付いてはいただろうけど話題に出してもったことがなかったのだ。
「自分で刺しました。私の住んでいたセブラム地方では王都で流通していない少し変わった刺繍があるのです」
「そうなのか。ならこのブラウスやリボンタイの刺繍がその少し変わった刺繍なのか?」
ギルバートの問いかけに頷く。
こんなふうに刺繍に興味を持ってくれる人がいるなんて。
私は嬉しくなってセブラム刺繍がいかに素敵で素晴らしいものなのかを懸命に説明した。
「……リゼットは刺繍が好きなんだな」
若干困ったような表情のギルバートを見てやらかしてしまったのだと気が付いた。
男性は刺繍なんてしない。きっと質問してくれたのは彼の優しさからだ。
なのに私は調子に乗って刺繍について語り倒してしまった。
「そろそろ昼休みも終わる頃だ。俺は先に教室に戻る」
いつもの表情でそう言って去っていくギルバートを見送って、思わず頭を抱えた。
やってしまった。
絶対に引かれた。うるさいやつだと思われた。
ギルバートに好きになってもらわなければならなかったのに。
でもギルバートを騙す必要がなくなってほっとしている私もいる。
ああ、何か妙案が浮かんだりしないかなぁ……。
大きなため息をついて私は中庭を後にした。