16.ヒロインの特訓3
放課後はいつものようにフローレンスに指定された待ち合わせの場所へ向かった。
お昼休みにアランと話したことを伝えてこれからのことを相談しなくちゃ。
不安はあるけれど時間の余裕ができた分だけこれまでよりは進みが良くなるはずだ。
まずは覚えにくい隣国の話を覚えるようにしないと。次はオペラの内容だろうか。
私の知識が足りないとフォローしてくれるフローレンスの負担が増えてしまう。
完璧にするのは難しくても、可能な限り完璧に近付けたい。
そうこう考えているうちに四階の空き教室に着いた。
ここを待ち合わせに使うのはこれで五度目だ。ここのバルコニーからは中庭が一望できるのだとフローレンスが言っていた。
教室の先のバルコニーを覗くと……そこにフローレンスの姿はなかった。
珍しい。いつも先に来てバルコニーの右端に立って中庭を眺めていたのに。
彼女のお気に入りの位置に立って下にある中庭を見る。
いつも歩いている道を違う視点で見るのはなんだか新鮮だ。そして上から見るとあんなに広かった中庭も、そこまで広くないような気がしてくる。
私がよく行くベンチは……ここからは見えない。
きっとフローレンスでさえあの場所のことは知らないだろう。本当に何もないから知る必要なんてないし。
ギルバートとジェイクに知られているから私だけの秘密の場所とは言えないけど、それでも彼女の知らない事を知っている、という事実は少しだけわくわくする。
そんなことを考えていると、後ろからガラス戸を開く音が聞こえた。
「遅くなってしまってごめんなさい。アランと少し話していたの」
振り返るとそこにはフローレンスが居た。
いつも穏やかに微笑んでいるのに今日は少し元気がなさそうだ。
何故だかわからないけれど胸がざわざわとした。
急いでどうにかしないといけない。そんな気がするけどどうしていいのかわからない。
こんなことフローレンスに話したって彼女も困るだろう。
ひとまずいつも通りに振る舞うことにした。
「大丈夫です。そんなに待ってませんから」
「アランは少し遅れるそうよ。…………体調はどう?」
フローレンスは少し気まずそうに視線を落とした。
「えっと……少しだけ疲れてる、かもしれません。でも大丈夫です! アランにやらないといけないことを減らしてもらったので余裕が出来そうです」
「無理はよくないわ。……なんて、無理をさせてる私が言うことではないわね」
落ち込んでいる様子のフローレンスにますます不安が募る。アランに何か言われたのだろうか。
謝らないと。
しかし私が言葉を発する前に彼女はいつもの表情に戻った。
「今日は食堂の席をとってるの。暫くしたらアランもそこへ来るはずよ。さぁ行きましょう」
そう言っていつものようにフローレンスは歩き出した。
彼女の半歩後ろを歩いていく。
二人で話したと言っていたが何を話したのだろうか。
アランはお昼休みに「フローレンスにも話しておく」と言っていた。あれは私のやる事が少なくなって週末のお茶会に集中できるようになることを伝えるものだと思っていたが違うのだろうか。
フローレンスの表情から、二人の話はいいものではなかったのだとわかる。
勉強や手続きが上手く進まないことにイライラしているのかもしれない。
フローレンスもアランも優しい。だけど優しさにだって限界はある。
一向に覚えられない私に呆れてしまっただろうか。
一緒にいるのが嫌になってしまっただろうか。
階段をゆっくりと降りていく。
授業が終わった後の校舎には人が少ない。
すれ違う人もほとんどいなくて、フローレンスと私の足音がやけに大きく聞こえる。
未来の王妃から嫌われたら、男爵家の事業はダメになってしまうかもしれない。
アランはもともとフローレンスに頼まれたから助けてくれているのだ。彼女がそれを望まなくなったら、きっと今回のことから手を引くだろう。
そうなったら借金を返すことはできない。
家族の役に立つこともできないうえに二人にも見放されたら……。
ううん、まだそうなるとは決まっていない。
頑張ればなんとかなるかも!
けどどうにもならなかったら……?
そう思うとお腹の上のあたりが重くなった。
すーっと何かが落ちていくような感覚の後に息が苦しくなる。
「今日は少し珍しい茶葉を用意したの。リゼットが気に入るといいのだけど」
フローレンスの声はいつもと変わらない。
それが余計に不安になる。
辛いことも苦しいことも何もないはずなのに。
視界がぐらぐらと揺れている。
落ち着かないと。ゆっくり息をして……こういうときどうすればいいんだっけ。
「それにミルフィーユもあるのよ。アランにお願いして王都で一番美味しいものを準備したわ。リゼットは……リゼット?」
ゆっくりとフローレンスが振り返り、目が合ったところで私の視界は白く染まって何も見えなくなった。




