けもけも診療所へようこそ
「あれ……もしかして怪我してるの?」
争うような音が聞こえて表の通りに出てみると、あちこちに黒光りする羽根が散乱していて、一羽のカラスがぐったりとした様子でうずくまっていた。
歓声を上げながら逃げてゆくのはバットを持った近所の悪ガキ連中。あいつらがやったのか……。
『カアア……』
弱々しい鳴き声で返事をしてくれる。頭が良い子なんだね。
「酷いことするよね……ちょっと見せて」
歩き方がおかしい。片足でひょこひょこしているから、もしかしたら折れているかもしれない。片方の翼も変な方向に曲がっている。痛々しくて見ていられない。
これだけの大怪我が治るかどうか僕にはわからないけど、出来るだけ安心させてあげないと。
「大丈夫だよ。僕のお父さんね、動物のお医者さんなんだ。きっと治る、怖くないからちょっとだけごめんね」
気持ちが伝わったのか、それとも逃げられないほど弱っているのかはわからないけど、カラスはとても大人しくしてくれて、僕はそっと抱き上げてお父さんのところへ連れて行った。
「お父さん、大変だよ、カラスが怪我をして……人間にやられたんだ」
「どれどれ……ああ、可哀そうに」
お父さんは診療中だったけれど、お客さんは隣のおばさんで、出直すわね、と順番を譲ってくれた。
「どう……? 治りそう?」
難しい顔をしながら丁寧に診察しているお父さん。
腕が良くて遠くからわざわざやってくるお客さんもいる。僕の自慢で大好きなお父さん。
大人になったら獣医さんになって、この診療所で一緒に働くって決めているんだ。学校の勉強だって一生懸命頑張っている。
「そうだな、もう少し様子を見る必要があるけれど、幸い内臓にダメージは無いようだから、きっとまた飛べるようになる。治るまでの間、隼人が面倒みるんだぞ」
「うん、わかってる。ありがとうお父さん」
命に別状がなくて本当に良かった。
動物の扱いは慣れているけど、カラスは初めてだ。でも賢い鳥だし、スズメに比べればきっと何とかなるよね。
「狭いところで申し訳ないけど、しばらくの間よろしくね、かあ子」
『カア!!』
◇◇◇
「おはようございます、おばさん」
「おはよう隼人君、毎朝大変ね……」
「いえ、夢のためなんで全然ですよ」
「困ったら何でも、遠慮なく言ってね、おばさん何でもするから」
「ありがとうございます。それじゃあ行ってきますね」
まだ暗いうちに家を出る。
高校に入ってから続けている朝の清掃バイト。通学路の途中にあることと、稼げるからというのが理由だ。
「おはよう隼人君、毎日お疲れ様」
清掃会社の人たちは幸い皆良い人たちだ。たぶん孫みたいな感覚なのかもしれないけれど。時々差し入れを持ってきてくれるのもありがたい。成長期に入ったせいか、お腹が空いてしかたないから。
「おーい隼人、お前また勉強してんのか? これから授業だって言うのによくやるわ……」
教室で勉強していると、朝練から戻ってきたクラスメイトにからかわれる。
まあお世辞にも進学校ってわけでもないし、この学校を選んだのは家から近いことと、バイトOKだったからという理由だったので、僕は控えめに言っても相当浮いているのだろう。その自覚はある。
「まあね、絶対に失敗できないから時間は無駄にしたくないんだ」
「ああ、お前医者になりたいんだっけ?」
「獣医」
「どっちでも似たようなもんだろ? まだ一年以上あるのに大変だな」
「隼人はお前と違って暇じゃないんだから、ほら邪魔しない」
「はいはい、彼女さまの登場ですか。羨ましいことで」
話に割り込んできたのは、同じクラスの猫宮環さん。なぜか僕に懐いていて、気が付くと隣にいる。おかげでクラス中から彼女扱いされているが、そういった事実はない。
「猫宮さん……気を使ってもらって有難いんだけど、そこに居られると勉強できないんだけど……」
いつの間にか僕の膝の上に座っている猫宮さん。邪魔しないと言いつつ、一番邪魔だったりする。
「うにゃん? 何もしないから気にしなくていいよ」
たしかに何もしていないけれど、僕も健全な男子高校生なわけで、あまり密着されると意識をしないわけにはいかない。悪気が無いのがわかっているだけに厄介なんだよね。
「はあ……わかった好きにしてくれ」
口論するだけ時間の無駄だとすでに学習済みなので、そのまま勉強を続ける。
「猫宮さん、先生来たよ、そろそろ起きないと」
「……むにゃ? ありがとう~。よく眠れたよ」
するりと膝から降りて自分の席へ戻る猫宮さんを見送りながら、同時に鋭い視線に気付いてため息が出る。
視線の主は烏丸雪乃さん。
学級委員で、生徒会役員活動もしている彼女は、品行方正を絵にかいたようなお嬢様然とした人。その圧倒的な美貌と人を寄せ付けないオーラから『氷の女帝』なんて呼ばれていたりする。
それは良いんだけど……なぜかめちゃくちゃ嫌われているんだよね。
何もした記憶はないんだけど、初めて会った時からものすごい形相で睨みつけて来るし。
まあ生真面目な彼女のことだから、バイトしていたり、猫宮さんと教室でいちゃいちゃしている(ように見える)のが気に入らないのかもしれないけど。
「隼人君、また学年一位ね」
ある日、廊下に張り出されている定期テスト成績上位者のリストを何気なく眺めていたら、背後から声を掛けられて思わず声を上げそうになる。
「か、烏丸さん!? え……あ、ありがとう」
「……別に褒めてないんですけど」
たしかに自意識過剰だったかもしれない。いきなり下の名前で呼ばれるとは思ってなかったからちょっと動揺しちゃったよ。あ……よく見たら二位が烏丸さんじゃないか……やばい、気まずい。
「入学試験でも貴方が一位だったのよ。私は二位だったけど……」
目力が強い、そして氷のような視線が痛い。美人なだけに余計に際立っている。
「へ、へえ……そ、そうだったんだ」
なるほど、今更ながら目の敵にされている理由がわかった気がする。まいったな、別に勝ち負けじゃないんだけど、そんなこと言ったら余計に怒らせそうだし。大したことないよなんて言ったら嫌味にしかならないし……。
「皆が遊んでいる間に勉強してきただけだから」
事実だけを言う。それでどう思われても仕方ない。
「知ってる」
ぽつりとこぼしたその言葉が、なぜかとても嬉しくて。
「ありがとう」
自然と感謝の言葉がこぼれ出る。
「ほ、褒めてないわよ?」
予想外だったのか、目をぱちくりする烏丸さんがなんだかかわいらしく見える。
「うん、でもなんか嬉しかったから」
「……そう」
めったに人と話をしない烏丸さんとこんなに話したのは初めてだ。いつも怒っているように見えたのは僕の気のせいだったのかもしれない。
「……放課後もバイトしているんでしょ?」
驚いた。彼女が放課後バイトのことを知っていたことじゃなくて、まだ会話を続けるつもりだということに。
「ああ、学費を稼がなくちゃならないからね」
「……獣医になるために?」
「うん、獣医になるために」
「そう、だったらいいバイトの話があるわよ。今より短時間で稼げる」
そんな上手い話があるのだろうか? 時間が短縮できればその分勉強の時間が確保できるから願ってもないことだけど。
「え!? 烏丸さんの家庭教師?」
話を聞いて飛び上がりそうになった。時給は今の五倍以上になる。
「そうよ。受験に成功したら成功報酬も弾むわ」
烏丸さんの志望校に合格したら成功報酬百万円……か。正直もらいすぎな気もするけど、間違いなく悪い話じゃあない。同じ学年の烏丸さんに教えることは僕の勉強にもなるし一石二鳥。さらに勉強しながら学費も稼げるから、一石三鳥ともいえる。
「僕なんかで良いの? もっとプロの家庭教師にお願いした方が良いんじゃないかと思うけど……」
僕にとってはありがたい話ではあるけれど、烏丸さんにとってベストの選択をしてほしいという気持ちもある。
「隼人君が良いのよ。私も獣医志望だから」
同じ目標を持ったライバルと高め合うことでモチベーションを保つことが出来るという烏丸さんの説明に納得した僕は、家庭教師の話を引き受けることにした。
◇◇◇
「じゃあ、今日からよろしくお願いします、烏丸さん」
「よろしくね、隼人君」
さっそく翌週から家庭教師のバイトが始まったのだが……
「あの、烏丸さん?」
「……なあに?」
「本当に僕の家で良いの?」
彼女の出してきた条件は、僕の家で勉強を教えることだった。
「最初に説明したでしょ? 私の家だと遠くなってしまうから、その分隼人君の勉強時間が減ってしまうじゃない」
いや、たしかにその通りだし、とても有難い条件ではあるんだけど……なんでそこまで僕のために?
「そんなことよりも……なんで貴女がここに居るのよ?」
「え? だってたのしそうだったから」
そうなんだよね……なんで猫宮さんがここに居るんだろう? 僕も知りたい。
「楽しいって……勉強するだけよ、邪魔しないで」
ピシャリと言い放つ烏丸さんの冷気も、猫宮さんにはまるで通用しない。
「良いから、良いから、私はゴロゴロしているだけだから、気にせず勉強でもなんでもしちゃって~」
有言実行、本当にゴロゴロし始める猫宮さん。どうやら遠慮という言葉は知らないらしい。
「烏丸さん、こうなってしまったら猫宮さんは梃子でも動かないよ。諦めて勉強しよう」
「くっ、仕方ないわね……」
「隼人~、喉乾いた~」
勉強を開始してすぐに猫宮さんに呼ばれる。
「えっと……緑茶か麦茶しかないけど?」
「牛乳ないの?」
まさかの牛乳。
「冷蔵庫に入ってるから好きに飲んで良いよ」
「ありがと~」
「烏丸さんは?」
「……麦茶」
「環……いくらなんでもお行儀が悪いんじゃない?」
「なんで? こうやって飲む方が美味しいんだよ。雪乃」
ごきゅごきゅ牛乳パックからダイレクトに飲む猫宮さんの姿にたまらず苦言を呈す烏丸さん。
「あれ? もしかして二人って知り合いなの?」
クラスで話している様子はあまり見たことはなかったけど。
「幼馴染なの~」
「……単なる腐れ縁よ」
温度差はあるようだけど、昔からの知り合いなら良かった。猫宮さんはともかく、烏丸さんの様子が気になって集中できなかったからね。
「隼人君は、ここで診療所をやりたいんだよね?」
休憩中、烏丸さんがそんなことを言ってくる。
「うん。でも、そんなこと話したっけ?」
「いいえ、でも、お父さまがやってらしたこの診療所をそのまま残してあるようだし、獣医になるのもそのためなんでしょう?」
言われてみればそうか。
「でも実際は大変だよ。無事大学を出て獣医になれたとしても、独立してやっていくにはお金も何もかも足りないからね」
父さんのような獣医になりたい。そう思ってがむしゃらに頑張って来たけれど、本当は不安で一杯だ。
「きっと大丈夫よ。隼人君は良いお医者さまになる……私はそう思っている」
「烏丸さん……うん、頑張るよ。そして一緒に合格しようね」
「もちろんよ」
がっちり握手する僕たちの横で何が楽しいのか笑いながら走り回っている猫宮さん。
それにしても……猫宮さん、なんて自由なんだ……まるで猫、もはや猫にしか見えない。っていうか、障子に穴をあけるのやめて? 柱で爪研がないで!?
「隼人君、見ては駄目、今とんでもない格好しているわ」
見ちゃ駄目だと言われると余計に見たくなるけど、理性を総動員して勉強に集中する。
それにしても猫か……そういえば今日は水曜日だった。
「烏丸さんちょっとごめん、タマにご飯あげてくる」
「……タマ? 隼人君猫飼っていたの?」
「あ、いや、昔助けた猫なんだけど、決まって水曜日だけ遊びに来るんだよ」
昔バイクに跳ねられて瀕死のところを助けた猫。
勝手にタマと呼んでいるけど、どこかの飼い猫らしく、怪我が治ったらいつの間にか居なくなっていた。それでもこうして週に一度はやってくるのだから、律儀というかなんというか。
「あれ? おかしいな、いつもなら窓の前で待っているのに……タマ~?」
姿が見えないので呼んでみる。
「うにゃん? ご飯かにゃあ、隼人?」
「…………」「…………」
「いや、猫宮さんじゃなくて、タマを呼んだんだけど……」
たしかに猫宮さんも環だからタマで間違いないんだけど。
「ん? 私がそのタマだよ」
首をかしげる仕草が可愛い。まるで本物の猫のようだ。
「……えっと、話が見えないんだけど、猫宮さんは猫なの?」
我ながら何を言っているのかわからない。
「そうだよ、ほら!!」
猫宮さんの身体がみるみる縮み始め、猫宮さんが着ていたはずの制服の中から見慣れたタマがにゃああと顔を出す。
「えええっ!?」
驚きすぎてリアクションがとれない。猫っぽい人だなとは思っていたけど、まさか本物の猫だったとは。
「はあ……環のバカ」
一方で烏丸さんは知っていたのか驚いた様子はない。
「もしかして烏丸さんは知っていたの?」
「ええ、まあ……環はいわゆる猫の獣人なのよ」
獣人!? あのファンタジーとかに出てくる……あの?
なんてこった……夢を見ているんじゃないよね?
「そうにゃあ、驚かしてごめんね~」
そう言いながら元のサイズに戻る猫宮さん。
「見ちゃ駄目えええっ!?」
烏丸さんが僕の目をふさいだけど、一瞬遅かったかもしれない。
「ほら、早く服を着る!!」
「ええ~、面倒くさいからこのままで良いよね?」
「「駄目です」」
二人息の合ったツッコミに渋々服を着る猫宮さん。
「今日はありがとう」
「うん、また明日」
「今日は楽しかったよ。じゃあね雪乃」
「環……貴女も帰るのよ」
「い~や~!! 帰りたくない」
烏丸さんに引きずられるように連れていかれる猫宮さん。
ふとある考えが浮かんだ。
有り得ない妄想かもしれない。そんな馬鹿なって自分でも思う。
「ねえ、かあ子」
「なあに?」
返事を返した烏丸さんが真っ赤になって震えている。
「あの……その、違うのよ、えっと……これには深い事情があって……嫌あああああああ!?」
耐えきれなくなったのか、カラスの姿になった烏丸さんが飛んで行ってしまった……。
そうか……やっぱりかあ子だったのか。
昔助けて以来、毎週火、木の燃えるゴミの日に決まってやってくるカラス。
「あ~あ、バレちゃったね雪乃」
猫宮さんがこらえ切れずに噴き出す。
「なんで隠していたんだろうね? そんなに恥ずかしがらなくても……」
なんだったら、さっきのタイミングで話してくれても良かったのにと思わなくもない。
「まあね~、獣人にとって正体をばらして良いのは番になる相手だけだから」
ちょっと待て。番って……?
「じゃあ隼人、また明日学校でね~」
「あ、ちょっと待って……」
さすが猫、音もなく姿を消してしまった。
聞きたいことが沢山あったんだけど、まあそれは今後聞けばいいか。
それより……
「これ、どうすんのさ!?」
圧倒的な存在感を放つ、烏丸さんの脱ぎ捨てた制服を前に叫ぶ隼人であった。
◇◇◇
30分後―――――
「……お帰りなさい」
「見たらくちばしで突き刺すからね!!」
「……はい」
「じゃあ、また明日」
「……責任取ってもらいますからね!!」
「……はい」
◇◇◇
獣医になって研修を終えた僕は、念願の診療所を再開させることになった。
烏丸さんの実家である烏丸家が全面的に資金援助してくれたことで、開業時期が早まった形だ。
「なんで貴女がここにいるのよ」
「なんでって、私が受付をやるって決めていたじゃない」
共に獣医となった烏丸さんと看護師兼受付役の猫宮さん。当面はこの三人で回していく予定だったのだが……。
「貴女には聞いてないわ環。貴女が何で居るのよ、犬神綾」
「えええっ!? だって、私も昔隼人さんに助けられて……」
ギロリと睨んでくる烏丸さん。いや、そんなこと言われても……ね?
「……仕方ないわね、じゃあ綾は何が出来るの?」
「……ガードマンかな?」
診療所にガードマン必要だろうか? という心の声はしまっておく。なんでも獣人のコミュニティーでこの診療所が噂になっているらしく、さっきから電話が鳴りっぱなし。正直犬の手も借りたい。
動物専門の僕、そして獣人専門医の烏丸さん。両方揃っている病院は全国でも少ないかららしいけれど。
あれから僕も色々あったけれど、この国にはまだまだ知らない獣人たちが暮らしていることを知った。
どんな患者さんがやってくるのか楽しみなようなちょっと不安のような……。
「隼人、お手紙届いてるよ~!!」
猫宮さんが手紙を届けてくれる……のは良いんだけど、なんで破れてるの?
「ごめんね、開けようとして失敗しちゃった」
失敗するのは良いんだけど、勝手に開けるのは問題だよね。猫だし可愛いから仕方ないけれど。
「誰から?」
手紙を読んでいると後ろから烏丸さんが覗き込んでくる。
「うん、父さんから。年内に帰って来るって」
「本当なの? 良かったじゃない」
海外でのプロジェクトがようやく一段落したことで十年ぶりに帰国する父さん。
これで一緒に働く夢もようやく叶う。
「ありがとう烏丸さん、君のおかげだよ」
「いいえ、全部隼人君が頑張ったから」
「隼人~お腹空いた~」
「環はこれでも食べてなさい」
猫煩悩まみれを遠くに投げる烏丸さん。
「私もお腹が空いたのです……」
「綾はこれでもかじってなさい!!」
犬悩殺骨スキーを遠くに投げる烏丸さん。
「はあはあ……さて、邪魔者が居なくなったわね」
普段は氷のように冷たい態度の烏丸さんも、二人だけの時はめちゃくちゃ甘えてくる。そのギャップがまたたまらなく愛おしい。
「すいませーん」
「ああっ!? まだ何か!?」
「ひぃっ!?」
鬼の形相で睨みつけたのはお客様。
「い、いらっしゃいませ、本日はどうなさいましたか?」
人手は足りているかと思ったけど、いきなり不安だよ父さん……。
とにもかくにも……本日『けもけも診療所』オープンしました。
隼人「けもけも診療所ってネーミングはちょっと……」
烏丸「じゃあ、もふもふパラダイスにする?」
猫宮「にゃんにゃんパラダイスが良いです~!!」
犬神「わんわん診療所ではいかがでしょう?」
隼人「……けもけも診療所で良いです」