08.小さな相棒
オーギュストがライナルトと共に遠乗りに出かけた帰り、思いも寄らぬものを持ち帰ったのは、朱里がスノールーチェに来て半年が経った頃だった。
それは黒と茶色が混じったような丸い物体で、ちょうどメロンくらいの大きさだ。
表面はごつごつしていて、岩のような質感である。
「竜の卵だよ」
興味津々でそれを眺める朱里に、オーギュストは言った。
「密猟者にやられたんだろう。母竜は森の奥で既に冷たくなっていて、奇跡的にこの卵だけが残されていたんだ」
この国では、竜を保護対象種として定めており、特別な許可を得た者や竜騎士団に所属している者以外、基本的に竜を所持することは許されていない。
しかし、一部の悪徳貴族の間では、無許可でペットとして飼うことが流行しているそうだ。
その上、竜の鱗や牙、殊に心臓に当たる竜石と呼ばれる部位は外国で非常に高値で取引されており、密猟者が後を絶たないらしい。
「卵が無事だっただけでもよかったと言うべきか……。ともかく、これから竜騎士団のところへこの卵を届けないと――」
親を亡くした竜や、取り残された卵は、竜騎士団に届けることが義務づけられている。
彼らは竜の扱いにかけてはプロ中のプロ。騎竜として育てたり、あるいはある程度成長した後に野生に返したりといった活動を行っているそうだ。
そんな彼らの許に預ければ、この卵も無事に孵化することだろう。
しかし、オーギュストが踵を返そうとしたその時。
卵からビシッと大きな音が上がり、表面に大きな亀裂が入った。
皆が固唾を呑んで見守る中、亀裂はどんどん広がっていき、やがてバキバキと内側から殻が破られる。
《クルルル……》
顔を覗かせたのは、つぶらな青い瞳をした、小さな赤ん坊の――竜だった。
(竜、初めて見た……! 本当にいるんだ)
この世界にやってきて、竜の存在を知識として知ってはいたが、実際に目にすると感動もひとしおである。
生まれたての仔竜は、皮膚は暗い灰色をしており、顔はヤモリに似ていた。小さな翼が生えており、口の隙間からは尖った歯も見える。
初めて見る外の世界を前に不思議そうに小首を傾げ、ふるふると首を振っていた。
「可愛い……」
自分はどちらかというと爬虫類が苦手だと思っていたのだが、黒く濡れたような瞳も、水かきのある小さな手も、タツノオトシゴのようにぽっこりと膨らんだ腹も、何もかもが可愛らしい。
ライナルトも、同じ事を思ったようだ。
「わあ、赤ちゃん竜ってすごく可愛いんだね」
「あっ、殿下!」
そう言って、オーギュストの制止も聞かず間近で仔竜を覗き込む。
《キュウ~!》
「えっ!?」
すると仔竜は小さな翼をぱたぱたと羽ばたかせ、明らかに上機嫌な鳴き声を上げながら、ライナルトへ向かって身を乗り出そうとした。
「こらこら、危ない。お前はまだ飛べないんだから大人しくしてなさい」
オーギュストが慌てて、仔竜を両手で捕まえた。それでもまだ、仔竜はじたばたしながらライナルトのほうへ行こうとしている。
「もしかして、僕のこと親って思ってる?」
目を丸くするライナルトに、オーギュストが頷いた。
「……多分そうですね」
(つまり、刷り込みってこと?)
先ほど、オーギュストが慌ててライナルトを制止しようとした理由がそれだろう。
鶏やカルガモといった生き物にそういう現象があることは知っていたが、まさか竜も同じだとは。
「ねえ、オーギュスト。この子、ここで飼ったらだめ?」
「え!?」
まさかそんなことを言い出すとは思ってもみなかったのだろう。
ライナルトの提案に、オーギュストがぎょっとしたように目を見開く。
「何を仰っているんですか! 犬や猫を飼うわけじゃないんですよ! 竜の世話がどんなに大変か――」
「だけどこの子、僕のこと親だって思ってるし……。僕、ちゃんとお世話するし、可愛がるよ。大切にする。お願い、オーギュスト!」
もしかすれば彼は、幼い頃に母親を亡くした自身と、母竜を亡くしたばかりの仔竜の境遇を重ね合わせているのかもしれない。
そう思うといてもたってもいられず、朱里は咄嗟にライナルトに加勢していた。
「あの、オーギュストさん。わたしもお世話を手伝いますから、許してあげてくださいませんか……?」
ふたりから懇願され、オーギュストはしばらく難しい顔で黙り込む。けれど結局、彼は常日頃から我慢ばかり強いられている、幼い主人の願いを無下にすることはできないようだった。
「……わかりました。竜騎士団の知人に頼んで、飼育方法や触れ合う際の注意点などを教えてもらいましょう。ですが、少しでも世話が疎かになったら、この竜はすぐ、竜騎士団に引き渡しますからね」
「ありがとう、オーギュスト!」
弾けるような笑顔を見せ、ライナルトは割れた卵の中からそっと仔竜を抱き上げる。
「君は今日から、僕の友達だよ。名前は……そうだなぁ、ソレイアはどう? 太陽の女神さまの名前だよ。いい名前でしょう?」
《キュウ!》
ライナルトの言葉が通じたのかどうか。仔竜は元気な鳴き声を上げると、小さな舌を伸ばし、ライナルトの頬を舐め始めた。
「ふふっ、くすぐったいよソレイア」
《クルルル、クルル……》
微笑ましいひとりと一匹を前に、胸の奥がほんのりと温かくなる。
(ライナルト殿下に、いいお友だちができてよかった)
彼の側にはいつもバーデン夫人やオーギュストがいたが、友達と呼べる存在ができたのは、きっとこれが初めてだろう。
ライナルトは優しい子だ。一生懸命ソレイアの世話をし、絆を深め、互いにかけがえのないパートナーになるに違いない。
そしてソレイアの背中に乗ってのびのびと、空を駆けるようになるのだろう。
そんな日がやってくるのが楽しみだ。
離宮で過ごし、『シーナ』と呼ばれている間に、朱里はすっかりとライナルトに対し、弟の成長を見守る姉のような気持ちを抱くようになっていた。
しかし、穏やかな時間はそう長くは続かなかった。
それから数日後、朱里はスノールーチェに召喚された時と同じように突如として現れた光に巻き込まれ――。そのまま強制的に、元の世界へ帰されてしまったのだから。