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05.新しい生活

 そうして始まった離宮での生活は、忙しくも充実したものだった。

 バーデン夫人の指導は厳しかったが、理不尽なことで叱られることは決してないし、真面目に仕事してさえいればきちんと褒めてももらえる。


 離宮の警備を任されている年若い騎士は、言動は少し軽いし一見不真面目そうに見えるけれど、異世界の常識などを懇切丁寧に教えてくれた。


 そして何より、主人であるライナルトが予想以上に朱里に懐いてくれたのだ。


「シーナ、シーナ。またニホンのお話をしてくれる?」

「もちろんです、殿下。でも、この洗濯物が終わってからでいいですか?」


 『殿下』という呼び方も、最近は随分と板に付いてきたものだ。元々、接客業で丁寧な言葉遣いを叩き込まれたため、言葉遣いに関してもバーデン夫人からお墨付きをもらっている。


「じゃあ、それまでそばで待ってるね!」


 そう言うと、彼は草むらの上にちょこんと体育座りをして、じっと朱里の仕事を見守っている。

 

 どうやらライナルトは、異世界の文化やら歴史に興味があるらしかった。

 と言っても、単なる高校生に過ぎない朱里の話せる内容など高が知れているのだが、それでも彼は目を輝かせて朱里の話に聞き入っていた。

 とりわけ興味を示したのは、魔法ではなく科学技術が人々の生活を支えているという点だ。


 スノールーチェ王国というのは魔法が非常に盛んな国で、生活のさまざまな部分に魔法が根付いている。

 王宮には魔法師団や竜騎士団といったエリート組織が存在するし、シャワーも電気のつく照明器具もある。魔法石と呼ばれる特別な石を水に入れれば、自動――というか魔動でお湯も沸く。


 とはいえ魔法石というのは非常に高価で、貴族ならともかく一介の下女がおいそれと使えるものではない。

 だから普段はヤカンに湧かした湯を水で割り、大きな盥で身体を洗っているし、洗濯物は洗濯板を使っている。


(洗濯板の使い方を知らなくて、バーデン夫人に呆れられたっけ……)


 洗い終えたばかりのシーツを中庭の洗濯ロープに手際よく干しながら、朱里は懐かしさに笑みを零す。

 あの頃に比べれば、洗濯の腕も随分と上達したものだ。

 離宮で暮らし始めておよそ一ヶ月。

 朱里は朱里なりに、ここでの生活に順応し始めていた。


 だが、もちろん、依然として気がかりは消えないままだった。


「……瑠奈、元気かな」


 最後の一枚を干し終え、ぽつりと呟く。

 召喚された日に別れて以降、瑠奈とは一切顔を合わせていない。

 これまで何度かバーデン夫人に、従姉妹に会えないかと頼んでみたのだが、返事は芳しくなかった。

 

 瑠奈は、わざわざ朱里に会う必要がないと言って面会を拒んでいるそうなのだ。

 嫌われているのはわかっていたが、顔も見たくないほどだとはさすがに思っていなかった。


 従姉妹として、そして同じ異世界出身の者同士、今後はできる限り仲良くできればと思っていたのは朱里のほうだけだったのだろう。

 暗い気持ちになったその時、ふと、スカートの裾を引っ張られるような感覚で我に返った。

 見ればライナルトが、心配そうな顔で朱里を見上げている。


「シーナ、どこか痛い?」

「――あ、すみません。違うんです、従姉妹のことが心配で……」

「いとこって、聖女さまのことだよね。オーギュストなら何か知ってるかも」


 オーギュストというのは離宮の警備を担当している、若い騎士だ。

 とても情報通かつお喋り好きで、異世界に不慣れな朱里にとっては、気軽に話のできるありがたい存在である。


「オーギュストに話を聞きに行こうよ」

「でも、殿下に日本のお話をする約束が……」

「聖女さまのことが心配なんでしょ? 僕の話は、今度でいいから」


 本当に、なんていい子なのだろう。

 相手が王子であるにも関わらず、弟がいたらこんな感じなのだろうかと、おこがましい想像をしてしまう。

 

 朱里とライナルトは手を繋ぎ、そのまま離宮の正門の方へ足を向けた。

 そこにはひとりの騎士がいて、ライナルトと朱里の姿を認めるなり胸に手を当て優雅に腰を折る。


「これは殿下。それにシーナちゃんも、ご機嫌麗しゅう」

「オーギュストさん、こんにちは」


 赤い髪を無造作に束ね、騎士服を着崩しているこの青年が、騎士オーギュストだ。いかにも貴族の道楽息子といった、気障ったらしく軽薄な雰囲気である。

 とはいえ仕事ぶりは真面目でバーデン夫人からも一目置かれているし、騎士としての腕も確かだというのだから、大したものだ。

 

「殿下はすっかりシーナちゃんに懐いたねぇ。俺がここに配属された時は、三ヶ月はずっと避けられ続けてたよ」

「ふふ。でも、今は仲良しじゃないですか」


 わざとらしく悲しげな顔をするオーギュストに、朱里は笑みを零す。

 オーギュストは、ライナルトの剣の師匠だ。勉強や王族としての立ち居振る舞いは主にバーデン夫人が教えており、その他の剣術や乗馬など、紳士として必要な技術の指導は全て彼が引き受けている。

 朗らかな性格のオーギュストにライナルトはよく懐いており、時折剣の授業を放り出して追いかけっこなどしているものだから、二人揃ってバーデン夫人に怒られているのを何度か見たことがあった。


「今日はおふたり揃って、どうしたんですか?」

「シーナが聖女さまの話、聞きたいって言ったから来たの。オーギュストなら何か知ってるかなって思って」

「ざぁんねん。ようやく俺に興味持ってくれたと思ったのに」

「ちょっ……。殿下の前で何言ってるんですか!」


 冗談めかして唇を尖らせるオーギュストの言葉を、朱里は頬に血の気を上らせながら制止した。

 彼はとても親切で頼りになる同輩だが、隙あらば朱里を口説いてこようとするのが玉に瑕だ。


(もちろん、本気じゃないだろうけど)


 さすがに、この口説き文句を真に受けるほど身のほど知らずではない。

 卑屈になるわけではないが、朱里は自分が地味で面白みがないことを知っている。世の男性たちは皆、瑠奈のような華やかで楽しい女の子が好きなのだ。

 

「ははっ、シーナちゃんは手厳しいなぁ。でも、バーデン夫人には言いつけないでよね。あの人殿下のこととなると厳しいから、俺クビになっちゃう」

「そう思うなら、変な冗談はやめてください」


 馴れ馴れしく肩に置かれた手をぴしゃりと払いのけると、オーギュストはますます楽しそうに笑った。

 そして「座れるところで話そうか」と言い、庭のほうへ向かって歩き出す。


 この世界には日本と変わらず四季があるらしい。現在の季節は春で、庭にはさまざまな花が今を盛りと咲き誇っていた。

 ただし、花壇は雑草が伸び放題だし、咲いている花の種類もいかにも野草という様子だったが。


 今は使われていない、乾ききった噴水の縁に三人揃って腰掛けたところで、オーギュストは本題に入った。

 

「そうそう、聖女さまのことだけど。最近は、王太子(レイオス)殿下とよく夜会に出席したり、お茶会に出席してるみたい。いわゆる、お披露目みたいなものかな」

「お披露目……」

「うん。歴代の聖女たちはそのほとんどが、将来的に王妃になってるんだ。だから多分レイオス殿下も、聖女さまを娶るつもりでいるんだと思う。以前から王妃候補だった令嬢たちは相当焦って狼狽えてるよ」

「じゃあ、瑠奈は、スノールーチェの王太子妃になるってことですか?」


 信じがたい気持ちで問いかけると、オーギュストはあっさりと頷いた。


「まあ、その可能性が高いかな。何せレイオス殿下は、聖女という立場を差し置いても明らかに彼女を優遇している。新しいドレスを何着も仕立てさせたり、アクセサリーや珍しいお菓子を毎日のように贈ったりしてね」


 初対面の時から、レイオスは瑠奈のことを気に入っている様子だった。

 もちろん聖女だからという理由もあるのだろうけれど、きっと可憐で愛らしい瑠奈に一目惚れしたのだろう。


「噂では、そろそろ聖女さまの紹介と婚約発表をかねて、お披露目パレードをするって話だよ。何せ聖女さまさえいれば、この国は安泰だ。王家の支持率や王太子殿下の人気も間違いなく急上昇するだろうね」

「そんなにすごいんですか? 聖女さまって……」

「聖女さまは、女神さまの化身として人々から尊敬される、信仰の対象でもあるんだ。太陽神ソレイアの加護によって〝力〟を与えられているのも、人々から大切にされる由縁だね」


 オーギュスト曰く、それは治癒の魔法であったり、魔獣と会話できる能力、そして聖薬(ポーション)調合の才など、多岐に渡るらしい。

 

 改めて『聖女』という存在の大きさを思い知り、朱里は感心しきりだった。

 自分の従姉妹が聖女、ひいては未来の王妃になるなんて、とても信じられない。


「――と、俺はそろそろ持ち場に戻るよ。バーデン夫人に見つかったら怒られちゃうからね」


 一通り話を終えたオーギュストが、噴水の縁から立ち上がる。


「お疲れさまです。瑠奈のこと、教えてくださってありがとうございました」

「またいつでもどうぞ。それじゃ、殿下。失礼します」


 優雅に礼をすると、オーギュストはそのまま正門のほうへ向かって去って行った。


(瑠奈が大切にされているのはよかったけど……)


 去って行く彼の後ろ姿を見送りながら浮かぬ顔でため息をついた朱里を、ライナルトが心配そうな表情で見つめる。


「シーナ、大丈夫?」

「あ……すみません。大丈夫ですよ。少し考え事をしていただけですから」


 しかし、それが空元気だということはきっと幼いライナルトにもお見通しだっただろう。

 彼はもの言いたげに口を開閉した後、ぱっと身を翻し、花壇の方へ駆けていく。その場にしゃがみ込んで、手を動かしているのが見えた。

 何をしているのだろうと様子を見守っていると、やがて手に小さな花束を携え戻ってくる。細長く折りたたんだハンカチでひとつに縛った、野草の花束だ。

 ライナルトはそれを、無言で朱里に差し出してくる。


「これ、わたしに? くださるんですか?」

「うん……」


 照れたようにライナルトが小さく頷く。

 よく見れば手は泥にまみれ、白いハンカチにも汚れが付いていた。

 きっと元気のない朱里を見て、励まそうと思って一生懸命作ってくれたのだ。その優しい心遣いに、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「ありがとうございます! とっても嬉しいです」


 礼の言葉に、ライナルトは照れたように頬を染めて小さく笑む。

 しかしその笑みは次の瞬間、凍り付いた。歓迎せざる訪問者が現れたからだ。

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