02.聖女の『オマケ』
そうしてウベルトの口から語られた話に、朱里たちは更に困惑させられる羽目になった。
(異世界トリップなんて、漫画とか小説の中だけの出来事だと思ってた……)
俄には信じがたいが、ここは日本どころか地球でさえない、どこか別の世界らしい。
そして朱里と瑠奈は『聖女』を呼び出すための召喚の儀式によって、スノールーチェというこの国に喚び出されたとのことだ。
聖女というのは太陽神ソレイアの加護を受けた異世界の女性のことで、癒やしや守護といった特別な力を持っているらしい。
そのためスノールーチェでは聖女を護国の象徴としてそれはそれは大事に奉り、王族にも劣らぬ待遇で迎え入れるのだとか。
その上代々の聖女は王や王太子といった権力者に気に入られ、正式に妃となることも多いらしい。
「王族の妃だって! 漫画の世界みたい!」
最初のほうは「このおっさん、頭がおかしいの?」と耳打ちしてきた瑠奈だったが、話を聞いている内に、これが茶番でもなんでもないことに気付いたのだろう。
段々と目を輝かせ、自身が異世界にいることを受け入れ始める。
やがて説明を終えたウベルトが顎髭を撫でながらふたりに視線を向けた時。
「しかし、まさかふたりも召喚されるとは。聖女さまはおひとりのはずですが――」
「わたしが聖女よ! 間違いないわ!」
間髪入れず、瑠奈が前のめり気味に手を上げた。
彼女は勝ち誇ったような表情で周囲を見渡すと、劇の主役のように堂々と胸を張り、高らかに告げる。
一方の朱里は、あまりにも自信たっぷりな従姉妹の様子に呆気にとられ、何も言えずに立ち尽くしたままだった。
異世界だとか聖女だとか、朱里は未だに状況がはっきりとは理解できていないのに、迷いなく自分を『聖女』だと断じてみせた瑠奈の順応力には驚いてしまう。
「こんな地味で勉強しか取り柄のない朱里が聖女のはずないもの! この子は勝手に付いてきただけよ」
唖然としている朱里をちらりと一瞥した後、更にたたみかけるように瑠奈が言った。
するとふたりを取り巻く人々が、納得したように頷き始める。
「確かに、歴代の聖女は皆、美しい姿をしていたと文献にも残されているな」
「どう考えてみても、あちらの地味なほうではなく、こちらの美しい方が聖女さまだろう」
シンプルなグレーのワンピースに、黒縁の丸眼鏡。黒髪を一括りにした朱里の外見をじろじろと眺め回した人々は、なんの疑いもなくそう断じた。
やがてその中から、ひときわ美しい青年が進み出て瑠奈の前へやってくる。琥珀色の目に蜂蜜色の髪。
白い衣服に身を包んだ姿は、洋画に出てくる王子か騎士のようだ。
「初めまして、美しい人。私はスノールーチェ王国の王太子、レイオス・ヴィア・ヴェルナーと申します。あなたのお名前は?」
「王子さま!? 本物の!?」
途端に瑠奈は目を輝かせ、レイオスの全身にさっと目を走らせた。服装や、身に着けている宝石などを品定めしているのだろう。
朱里には一目で宝石の価値などわからない。きっと瑠奈もそのはずだ。
しかし、それでも彼の醸し出す高貴なオーラや、煌びやかな刺繍の施された衣服を見れば『王太子』というのが嘘でないことはわかる。
瑠奈は恥じらうように目を伏せると、甘えた声で先ほどの質問に答えた。
「わたし、瑠奈。佐伯瑠奈って言います」
「サエキ……」
「あっ、瑠奈が名前で佐伯は姓です。瑠奈って呼んでください」
「ルナ。可愛らしい名前だ。それでは、私の事はレイオスと」
レイオスはすっかり、瑠奈の事を気に入ったらしい。
うっとりした目で彼女を見つめると、その肩にそっと触れる。瑠奈も抵抗することなく、その親密な行為を受け入れていた。
やがてレイオスが背後を見やり、そこに控えている人々へ向かって声を張り上げる。
「何をしている、聖女がいらしたのだぞ! 早く着替えと、部屋の準備を!」
「はっ、かしこまりました……!」
「今すぐご準備いたします……!」
命令しなれている者の指示だった。
途端に使用人らしき人々が慌ただしく動き始め、王太子の命に従うべく部屋から出て行く。
「さあ、こちらへ。ルナ。君は我が国の大切な聖女さまだ。そんな粗末な服は脱いで、まずはふさわしい格好に着替えてから、私とお茶でも飲もう」
「はぁい、レイオス」
『王子』という存在にすっかり浮かれているらしい。
お気に入りのブランドのワンピースを貶されたにも拘わらず、瑠奈は少しも不機嫌になることなく、愛想よく彼の言葉に応じている。
「ちょ、ちょっと待って瑠奈!」
レイオスと共に去って行こうとする従妹を、朱里は必死で呼び止める。
途端に、じろりと不機嫌な視線を返された。
「何よ、朱里」
「その、ここが異世界だって言うなら、早く元の世界に帰らないと。伯父さんと伯母さんが心配するだろうし……」
聖女を喚び出すための召喚の儀式だと言われたところで、これは誘拐と変わらない行為だ。当人たちの意志とは無関係に、元の世界から引き離されてしまった。
ふたりが召喚の光に包まれてからどれほど時間が経っているのかわからないが、瑠奈が戻らなければ伯父たちはきっと心配するだろう。
伯父夫婦は瑠奈を溺愛している。欲しい物はなんでも買ってあげるし、やりたいことはなんでもやらせてきた。優しく愛情深い両親なのだ。
それなのに大切な愛娘が突然行方不明になるなんて、あまりにも可哀想すぎる。
着替えだとかお茶だとか、呑気なことを言っている場合ではない。
しかしそんな朱里の心配を、瑠奈は鼻で笑うだけだった。
「朱里ったら。わたしが羨ましいのね。でも残念、アンタの言うことは聞かないわよ。なんたって、わたしは聖女さまなんだから」
「そういうことじゃなくて……! わたしはただ、伯父さんたちの――」
ウベルトの口ぶりでは、聖女はスノールーチェに召喚された後は、この国で一生を終えるようだった。
今の瑠奈は浮かれるあまり、正常な判断力を失っているようにも見える。元の世界に家族を残してきていることへの葛藤や迷いが、一切感じられないのだ。
家族をないがしろにして後悔するようなことにはなってほしくない。
そんな思いを口にしようとした朱里だったが、その言葉は途中で遮られた。
「私の大切なルナのオマケとして勝手に付いてきたくせに、そんな風に指図するとは、なんと無礼な娘だ。ルナ、この者は一体なんなのだ?」
レイオスが、虫ケラを見るような冷たい目で見つめてくる。
瑠奈は朱里にしか見えないよう勝ち誇った笑みを浮かべた後、レイオスに向かって目を潤ませて見せた。
「ごめんなさい、この子はわたしの従姉なの。昔からわたしのことが嫌いみたいで、ずっと意地悪してきて……。きっと今も、わたしなんかが聖女なんてあり得ないって思ってるのよ。だから、わたしとレイオスを引き離そうとしてるの!」
「なんと心根の醜い娘だ! たとえ従姉とはいえ、そのような根性卑しい者をルナの側に近づけるわけにはいかない。さあ、ルナ。早くこちらへ。私が守ってやろう」
レイオスが朱里を睨み付けながら、瑠奈を守るように抱きしめる。レイオスの腕の向こうで、瑠奈が小さく舌を出して見せたのに気付いた人間は、きっといないだろう。
皆、瑠奈の言うことを鵜呑みにしたのか、ひそひそと「悪女」やら「見た目だけでなく心根も醜いのね」と囁き合っていた。
「お待ち下さい、殿下。こちらの方の処遇はいかがなさいますか?」
「そのような女、城の外にでも放り出してしておけ」
勝手に召喚しておいて、随分な言い草だ。
けれど周囲の人々はレイオスを諫めることもなく、あからさまにざわめき、嘲笑を浮かべてみせた。