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10.再会

 その時(、、、)が訪れたのは、異世界から元の世界に戻って一年が経った頃。

 蝉の鳴き声が騒がしい、ある暑い夏の日のことだった。


 朱里は高校三年生になっていた。

 大学受験を控える時期へと差し掛かっており、志望校に合格するため、日々勉強に邁進する毎日だ。

 夏休みとはいえ、それは変わらない。

 その日も、朱里は学校で課外授業を受けた後、そのまままっすぐアパートへ帰って復習をしようと考えていた。


 しかし、ようやくアパートが見えるか見えないかというところまで辿り尽きた時。


「――え?」


 身体の周囲から光が溢れ、朱里の全身を包み始めた。

 三度目ともなれば、さすがに以前ほど驚きはしない。だが、なぜ今頃になって――という疑問はあった。

 ごうごうと覚えのある風の音が響きはじめ、身体が見えない波に攫われる。 

  

 そして気付いた時には、朱里は見覚えのある場所に佇んでいた。


 教会か神殿のような、白い建物。

 室内を流れる、浅いプールのような水面。その中央にある台座。


「ここ……。スノールーチェ……?」


 しかし、大勢の人間がひしめき合っていた前回と違い、今朱里の目の前にいるのはたったひとり。

 黒く艶のある髪をした、背の高い青年だけだった。

 眦は涼しげに吊り上がっており、睫毛は頬に陰影を作るほど長い。肌の色は白く、男性にしては珍しく陶器のように滑らかだ。

 目を瞠るほどの美青年である。しかしその表情は暗く、無感情で、とても冷たく見えた。


「あの……」


 朱里が声をかけるのと、彼が目を見開くのとどちらが早かったか。

 伏せられていた睫毛が上がり、精悍な顔に驚きが広がっていくさまは、まるで人形に魂が宿るかのようだった。

 朱里はそこで初めて、彼の瞳が燃えるような赤色をしていることに気付く。


 こんなに美しい目の色をした人物を、朱里はひとりしか知らない。


 ――まさか。

 我が目を疑ったが、その名を呼ぶのを止められなかった。


「ライナルト殿下……?」


 背は見上げるほどに高くて、全体的に逞しく、大人の男性になっているけれど。

 間違いない。そこにいたのは、朱里がこの一年、誰より会いたいと願っていた『少年』だった。


「シーナ……ッ!」


 記憶にあるより随分と低い声が、懐かしい呼び名を紡ぐ。顔は泣きそうに歪み、赤い目は熱っぽく潤んでおり、先ほど抱いた無感情という印象が嘘のようだ。

 気付けば、朱里はライナルトに抱きしめられていた。

 背に回された腕に籠もる力はとても強く、息苦しく感じるほどだ。


「シーナ、本当にシーナなんだな? 会いたかった……!」

「ごほっ、すみません、殿下、ちょっと苦し――」

「あ、ああ、すまない。シーナに会えたのが嬉しくて、つい」


 息苦しさを訴えると、ライナルトはすぐに朱里を解放してくれた。

 口調も、声も、姿形も変わっていても、はにかむように笑う顔が昔と同じことに安心する。


「オーギュストさんやバーデン夫人は? ソレイアは元気にしていますか? それに、瑠奈は――」

「安心してくれ、皆元気だ。だが……まずは、どこかふたりきりで落ち着いて話せる場所へ移動しよう。離宮の君の部屋はどうだ?」

「私の部屋、残ってるんですか?」


 こちらの世界では十四年も経つのだから、別の下女が住んでいるか、再び空き部屋になっていてもおかしくはないと思っていた。

 だが、ライナルトは当然というように頷く。


「もちろん、家具も調度品も当時のまま残してあるし、定期的に清掃もしているから安心してくれ」


 

§



 彼の言った通り、朱里の部屋は以前と何一つ変わらない清潔な状態に保たれていた。

 朱里はライナルトと並んでソファに腰掛け、見知らぬ下女が運んできた紅茶を飲みながら、久し振りの会話を楽しでいた。


「それにしても、シーナが十四年前と少しも変わっていないから驚いた。ニホンとこちらとでは、時間の流れが違うのだろうか」

「十四年? じゃあ、殿下は今――」

「二十四歳になった。もう立派な大人だ」


 胸を張るライナルトの格好を改めて見れば、オーギュストが身に着けていた騎士の制服によく似た、黒い衣装を纏っていた。腰には同じく真っ黒な鞘の剣を佩いており、胸元にある竜を模した赤い紋章が眩しい。


「その格好、もしかして、竜騎士の……?」 

「ああ。十二歳の時に入団試験に合格して、今は団長を務めている。もちろん、ソレイアが相棒だ」

「すごい! おめでとうございます!」


 ライナルトが夢を叶えたことが嬉しくて、朱里はつい、幼い子供にそうするように彼の頭を撫でていた。途端に、ライナルトが気まずそうに身を捩る。


「やめてくれ」

「……あ、すみません」


 ぶっきらぼうに言われ、朱里は少し落ち込んでしまった。再会したばかりなのに、早速彼を不快にさせてしまったと後悔したからだ。

 表情を曇らせた朱里の様子に、ライナルトが慌てたように付け加える。


「違う。そうじゃなくて……俺はもう、子供じゃないんだから」


 要するに、彼は照れているらしい。

 身体は大きくなっても、照れ屋なところは変わっていないのだ。

 途端に微笑ましくなり、朱里は落ち込んでいたことも忘れて、小さく笑い声を上げてしまった。


「そうですよね。――でも、殿下が七歳も年上なんて、なんだか不思議です」

「俺も、朱里が年下なんて不思議な気分だ。子供の頃の俺にとって君はとても大人で、手の届かない存在だと思っていたから。こうして同じ目線で話せることが、とても嬉しい」


 優しげに目を細めた後、ライナルトは不意に、朱里の両手を取る。

 掌に感じる熱とまっすぐな眼差しとに、心臓が大きく跳ねるのを感じた。


「――十四年前、俺は君を見捨てて逃げたことを、ずっと後悔していた」

「違います、それはわたしが、」


 朱里が逃げろと言ったのだ。

 あの場にライナルトを残していれば、ふたりまとめて殺されてしまうのは目に見えたから。

 けれど彼はずっと、十四年もの間、そんな重荷を背負って生きてきたというのか。


「事情はどうあれ、俺が逃げたのは事実だ。あの時ほど、己の非力さを呪ったことはない」


 ライナルトは力なく首を横に振る。


「オーギュストも、バーデン夫人も、君は暴漢に襲われて死んだのだと……。だが、俺はどうしてもそれを信じたくなかった。だからあれから毎日のように神殿に行き、神に祈りを捧げた。どうか、シーナを返してほしいと。そして今度こそ君を守れるように、誰より強くなろうと決意した」

「殿下……」

「君が帰ってきてくれて、本当に嬉しい。どうかもう二度と、俺の前からいなくならないでくれ。ずっと、側にいてくれ」


 肩を震わせ、掠れた声で訴えるライナルトの姿が、かつての非力な少年だった彼と重なる。

 気付けば朱里は両手を広げて彼の身体を抱きしめ、宥めるようにその背を撫でていた。


「大丈夫。大丈夫ですよ、殿下。わたしはもう、どこにも行きませんから」

「シーナ……」


 ライナルトが朱里の背にそっと手を回し、肩口に顔を埋める。

 彼が静かに涙を流していたことに気付いていたが、あえて知らないふりをした。

 やがてどちらからともなく長い抱擁を解いた頃、朱里はライナルトへ向かって力強く告げる。


「殿下、安心してくださいね! わたしはこれからもずっと、下女として一生懸命殿下にお仕えしますから!」

「――は?」

「日本に戻ってから一年間ひとり暮らしをしたおかげで、家事のスキルも随分上がりましたし、前よりもっと殿下のお役に立てると思うんです!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、シーナ。俺はそういうつもりで――」

「そうと決まったら、早速仕事に取りかからないと」


 なんだか段々と燃えてきた。

 ライナルトが何か言っているような気がしたが、俄然やる気に満ちた朱里の耳にその声はほとんど届かない。


「あ、でもその前に、オーギュストさんとバーデン夫人にご挨拶しないといけないんでした」

「シーナ――」

「ちょっと行ってきますね」


 言い置いた朱里は、ソファから立ち上がって部屋を出る。


「……嘘だろう? いくらなんでも、鈍すぎる……」


 そうして室内には、がっくりと肩を落とすライナルトだけが取り残されたのだった。



§



 朱里がライナルトの言葉の真意に気付かされたのは、それから三年後のこと。

 さまざまな困難を経て無事、朱里を妻に迎えたライナルトの第一声が「長かった……」であったことは、彼に近しい人々の間で長いこと語り草になったという。


 余談ではあるが、聖女とされていた瑠奈にはなんの力もないということが後年になってわかり、彼女は王太子妃の座を追われた。

 同時に、朱里こそが本当の聖女だということがわかり、途端にレイオスが掌を返したように擦り寄ってくることとなる。

 もちろん、朱里を溺愛するライナルトがそんな兄の行動を許すはずもなく、容赦なく返り討ちにするのだが――それはまた、別の話だ。 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

歳の差逆転ものを書きたくて、気楽に読める中編で…と書き始めたお話です。

エピローグ部分にあった通り、今後のお話や、まだ解決してない色々もあったりしますので、気が向いたら続きを書きたいと思います。


もしお気に召していただけたら、よろしければ下部『ポイントを入れて作者を応援しましょう!』の☆☆☆☆☆を押して、本作を応援してくださると嬉しいです!

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