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意趣返し  作者: 山木 拓
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前編


 血の気の多い人とは、辞書で引くと興奮しやすいとか激昂しやすいとか、そういう特徴を持ち合わせていると出てくる。だから要するに、大声をあげたり暴力的になったり、問題が起きた時そうやって解決しがちな人を示しているのだろう。世間一般ではそうだ。しかし私は、それが正しい意味とは思わない。これではただ単に短気なだけ。対して、血の気の多い人を本質的に体現しているのは、ウチの夫だけがそうではないだろうか。


「すみません、これ5枚しか無いんですけど」

 夫は肉の血が落ちないようにアルミ製の皿を見せつけながら、店員に告げた。

「申し訳ございません、すぐに新しいものに取り替えますので」

 店員は頭を下げ、皿を受け取った。

「わざわざありがとうございます」

 焼肉屋で注文した肉の枚数が少なかっただけで、コレだ。しかも自分から指摘しておきながら「わざわざ」と表現している。確かに同じ額を払うのならメニューの中で決まっている量を受け取ったほうが良いに決まっている。こちら側が物申すのも、全くおかしいことではない。しかし別に牛肉が滅多に食べられないほど節制を強いられる収入ではないし、それならば適当に有耶無耶にしても良いのではないだろうか。肉一枚分の金額を多く支払っても私はそこまで不満を感じない。

 ひとしきり肉と、スープと、ご飯と肉と、デザートを楽しんで、私たちは席を立った。半個室の空間から通路に出ると、前を歩く夫が誰かをみていた。誰かをじっと、睨むように。いや、実際に睨んでいたと思う。視線の先には、おそらく同じタイミングで食事を終えた、男と女が一人づつ。この人がこうなる時は、何が起きたか大体わかる。

「あの、さっき盗撮してましたよね」

 夫は二人に声を掛けた。このちょっとした小競り合いに近くの客が一人反応する。「あれ、遠藤清一じゃない? ほら、俳優の。知らない?」と、この発言を起点としてゆっくり注目が集まっていた。

「してないです。えっと、気のせいじゃないですか?」

 男は否定した。

「いや分かるんですよ。ケータイの向きとか視線とかで。そういうのってこっちにはバレバレですからね?」

 夫は言葉で相手を詰めながらついでに距離も詰めていった。争点が盗撮なだけに、この様子をカメラに収めようとするギャラリーはいない。

「なんなんですか? 自意識過剰じゃないですか?」

「だったらケータイの写真でも見してください」

「嫌ですよ知らない人に見せるなんて」

「じゃあ撮っていないと証明してみてください」

「なんでそんなことをしないといけないんですか?」

「例えば痴漢の冤罪がふりかかったら無実を主張しますよね。無実の証拠があれば提示しますよね。それが痴漢から盗撮に替わっただけです。冤罪なら無実を証明した方がいいですよ」

「………」

 男は黙り込んだ。

「僕は盗撮は不愉快だと思っているだけです。でも別に許可さえとりにきてくれればいいとも思っています。基本的に写真は拒否していません」

 そして男は、聞き取れそうもない小声で、おそらく悪態をつきながらエレベーターに乗り、出て行った。私たちはさすがに同じ空間に詰め込まれるのは気まずかったので、その男女を見送る形となった。「ごめんね騒がしくして」と夫は謝罪してきたのだが、もう大分慣れた。この手のトラブルは、俗にいう有名税なのだろう。非課税の私でも徴収の瞬間が不愉快なのはわかる。

 エレベーターを待っていると、別の女性客が夫に声を掛けた。

「あ、あの写真お願いしていいですか?」

「いいですよ」

 夫は快諾した。

 私は、こういう人を血の気が多いと形容するのだと思う。問題が起きたら真正面から向き合い、真正面から解決に進もうとする。争いを好むとかそういう話ではなく、争いへの発展を恐れない。底なしの闘争心。見ていてヒヤヒヤする瞬間もあるのだが、その心意気があるからこそ芸能界で生き残れているのだろう。



 夫には、周囲が見たら引くぐらい仲が良い友人がいる。その人とは別に幼馴染として長い間一緒にいたわけでも、青春時代を経て熱い絆で結ばれているわけでもない。ただ単に、たまたま大学生の期間に所属していた劇団が一緒だっただけ。卒業後の友人は演劇を辞めて就職しており、下積み時代を共にしたわけでもない。つまりはサークルやバイト先が同じだったのと、殆ど同義である。

「いつもすみません、お邪魔してしまって」

「いやいや、大丈夫ですよ」

 玄関先ではいつもこの会話がある。

 二人の休みの予定がカブるたびに、こうしてウチに来て食事をしたり映画を見たりしている。前回休みがカブった時も、前々回休みがカブった時も、ウチに来た。それと毎回、ちょっとお高い生菓子とか地方の特産物を持ってくる。それにしてもその程度の繋がりが今でも続いているのは、世間を見渡しても比較的珍しいのではないだろうか。

 食事を終えると、大概夫はソファーに座って、友人は床であぐらをかく。

「最近入ってきた新入社員なんだけど、演劇やってたみたいでさ」

「へー、じゃあウチのプロダクションのオーディション連れてきて」

「やだよ、期待の新人なんだから。在学中に簿記の資格取ってたみたいだし」

 特段酒を飲むために来ているのではない。愚痴をこぼすわけでもない。一頻り近況報告を終えると、夫は撮影予定の映画台本を取り出し友人に渡した。友人は集中して一気にそれに目を通す。いつも思うのだが、そういうのって他人に見せてよいものなのだろうか。彼が外部に漏らしていなければ、それでよいのかもしれないが。そして私の心配をよそに、友人は口を開く。

「ここのシーンなんだけどさ、この人物って殴りかかるほどイラつくかな?」

「んー、俺は急に怒るのがミソだと思ってる」

「でも共感しやすい人物像なんでしょ? 段々怒りを抑えられなくなってる仕草ぐらいは欲しいよ」

「なるほど」

 夫はいつも言っていた。「あいつは俳優じゃなくて脚本とか演出やればよかった」と。かなりの量の様々な映像作品とか小説を読んでいるらしく、例えば世間の評価が悪い映画があった時にそれがどう良くなかったのか、どうすれば良かったのかを言語化出来る。それぐらいこの分野に精通しているのだ。だから夫はずっと頼りにしている。友人は友人で、芸能人の面白エピソードを聞けるから楽しいのだと。だから二人は長く連れ添っている。マナーも愛想も良いこの友人に対しては、私からも特に不愉快な点など無い。しかしそれでも、唯一止めて欲しい事がある。二人はたまに夜通し映画を見ており、演技の参考にしているのだと。確かに時々映像を止めながら色々話しあったりしているが、最終的には普通に歓声をあげて楽しんでいる。単純にうるさい。

 翌朝…というか昼間際になって二人が目を覚ますと、夫は友人を駅前まで見送りに行った。


 友人はまた1ヶ月後にウチに来るらしい。その日私は実家で法事があり、何日か宿泊してくる。後日、予定通り私だけ実家に帰ったのだが、その直前夫には騒がしくしないようクギをさしておいた。


 実家から帰宅すると、夫がいつになく不機嫌だった。友人と喧嘩したのかそれとも私の料理の作り置きが良くなかったのか。「どうかしたの?」と尋ねても、「いやいいんだ」としか答えない。雰囲気から少なくとも私に向けられたものではないと察せられたのだが、いまいち詳しい理由がわからなかった。

 その疑問は数日後、解消される。なんともまぁ不愉快なニュースが世に流れたのだ。



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