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風邪をひいた日

作者: 杉谷馬場生

 朝起きると喉が痛く、節々が痛い。倦怠感もある。頭がぼーっとする。明らかに風邪をひいていると熱を測るまでもなくわかった。この季節はいつもそうだ。季節の変わり目などはどうしても体調を崩してしまう。

怠い体をなんとか起こして会社の上司に連絡して休暇を願い出た。ひとまず今日は寝ていたほうがいいだろう。電話越しの上司は「ゆっくり休みなさい」と労いの言葉をかけてくれた。改めて私の勤めている会社はホワイトだなと思う。

続いて付き合っている彼女にメールをした。特に見舞いに来て欲しいなどと露骨なメッセージではなく淡々とした連絡のつもりだったが、メールをして30分後くらいに玄関の扉が開き、彼女が大きく膨らんだ買い物袋をぶら下げて入ってきた。通勤前に遅刻覚悟で来てくれたらしい。

買い物袋からスポーツ飲料のペットボトルとバナナをベッドの隣に置いて「食事だけはしっかり!」と言って他の物を冷蔵庫に忙しなく入れ込むと「仕事の後にまた来るから!」と急いで出て行った。

ぼんやりした頭の中で彼女の優しさに胸のあたりが熱とは違う暖かさを感じ、食欲はなかったがバナナを一本房からちぎってもぐもぐと食べた。それからスポーツ飲料で常備していた風邪薬を流し込みベッドに戻る。暫く身体中が熱っぽくて怠くて眠ろうとしても眠れなかったが、やがて薬が効いてきたのか眠りについた。

 やがて目が覚めるとつけていなかったはずの電気が付いていた。顔を横に向けると彼女が座っていた。私が頭を傾けたので額に乗っていたタオルが私の目の前に落ちた。

「目が覚めた?」

「今何時?」

「えーとね。午後3時を過ぎたくらい」

「そう…」

私がまた頭を上に向けると彼女がタオルを水で濡らしてまた額に乗せてくれた。体がだいぶ軽くなっている。ぼんやりしていた頭も少し明瞭になっていた。そうしてこの時間に彼女が部屋にいる事に疑問に思った。

「仕事は?」

「できるわけないじゃん。早退した」

「…ごめん」

「なんで謝るの?」

彼女は立ち上がり台所に行くとコンロに火をつけた。何かを温めているらしい。

やがて優しい香りがベッドにまで漂ってきて茶碗とスプーンを持って彼女が戻ってきた。茶碗のなかには卵の入ったお粥が入っている。私が寝ている間に作ってくれたらしい。

「起きれる?」

「うん。だいぶ楽になった」

「食欲は?」

「なくても食べるよ」

「うん。いい心がけだ」

私は起き上がり、彼女からお粥とスプーンを受け取ると息で冷ましながらゆっくりと食べた。その光景を見ながら「アイス買ってるから。熱が出た時のアイスは美味しいんだから」と言って私が食べるのを見つめていた。

私が食べ終わり、空の茶碗を彼女に渡すと彼女は台所に行って洗ってくれた。それから冷蔵庫を開ける音が聞こえると彼女の「あれ?あれ?」と声が聞こえる。そしてしばらくすると「あっ」と彼女が言った。

彼女がゆっくりと台所から戻ってくる。「どうしたの?」と私は問いかける。

「朝来た時にね。私アイスを買ってきてたの」

「うん」

「でもね。会社に行く前で急いでたのね。何も見ずに全部冷蔵庫に入れてたみたいで…」

「アイスも?」

「うん…すっかり溶けてた」

彼女は手にアイスのパッケージの袋を持っていた。スティックタイプであったろうその袋は重力に逆らう事なく、中に液体を溜めているらしく袋の底にたぷたぷと液体を溜めてブラブラと彼女の手に持たれて揺れていた。

「しょうがないよ。気持ちだけでもありがとう」

「でも熱が出た時のアイスは本当に美味しいの。すごく勿体無い気分」

「それはわかるけど…」

「私、また買ってくる。悪いけどちょっと待っててね」

そういうと彼女は私をまたベッドに寝かせた。そしてどういう訳か溶けたアイスを私の額に乗せて財布を手にした。

「ちょっと、これ何?」

「勿体無いし」

「そうだけど、そうだけどさ」

「買ってくるから」

「いいよいいよ」

「いいの!買ってくる」

そう言って彼女は部屋を出て行った。

頭に溶けたアイスが入った袋を乗せて私は何をしているのだろう。溶けたアイスは私の額をひんやりと冷やしてくれるのだけれど彼女が出て行ってまた孤独になった部屋で私はなんとも馬鹿馬鹿しい気持ちになった。彼女は結構しっかりしている人だと思っていたけれどどこか基準が違うというかなんというか。

10分もしないうちに彼女が戻ってきた。

「アイス買ってきたよ…ぷっ」

「君が乗せたんじゃないか」

「そうなんだけど…ちょっと変」

「なら乗せなければよかったのに」

「だって勿体無いじゃない」

そうして彼女は買ってきたアイスを私に渡してくれた。額に乗せられたのと同じ種類で私は額のアイスを横に置き、起き上がると袋を開けてアイスを齧った。彼女のオススメなのだろう。バニラ味で甘さとコクがあり、柔らかさの中にシャリシャリとした歯応えが感じられて体全体が冷えていく感じがした。

私が食べている間に彼女は溶けたアイスを持って「これもういらないよね」と言った。

「うん。もう額に乗せられても困るかな」

「でも勿体無いなぁ。そうだ、夕食にシチュー作ってあげる。隠し味にこれ入れてみたらどうだろう!」

「それは勘弁して欲しいなぁ」

彼女はしゅんとはしないまでも残念そうな顔をした。申し訳ない気持ちもあったけどそんな彼女の顔を愛おしい気持ちで眺めた。

頭がぼうっとしていたのは熱の為か彼女の為かそれはわからない。

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