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防衛高の日常  作者: 兄鷹
第一章 始まりを告げるラッパ 編
9/19

8夜間行軍

 基地を出た当初はある程度まとまった集団を形成していた学生たちだが、五分と立たずにバラけ始めた。やはり身体強化のできる者とそうでない物の差は大きい。

 最初は根性で先頭集団に付いてきた者も、能力や体力的な問題からずるずると後ろへ下がっていく。

 誠は、


「一緒に走ろうぜ!」


 という薄っぺらくて信頼性の無い言葉トップ10に入りそうな万の提案を受け、今のところ先頭集団の後方に喰らい付きながら一緒に走っていた。


 先頭集団の中には天野桔梗(ききょう)もいた。彼女の能力は加速だ。今のところ継続した発動は出来ないようで、今回の様な長距離移動では単発的な使用に限られるが、レスタイムを挟みながら断続的に走り続けていた。

 たまに姿が消えたと思うと、彼女は既に数十メートル前方に移動している。強化組がそれを追いかけて、追いついたと思った瞬間には彼女は数十メートル前方だ。

 能力をフル活用してその走りになっているのは理解しているが、やはり煽られているように感じる。


「虫が……ハァ…多いな……ハァ」


 誠は何とか会話できる速度を維持しながら、そんな先頭集団の尻を追いかけていた。

 すっかり日が落ちていて、帽子の上に付けたヘッドライトが無ければ何も見えないだろう。今日は曇っていて月明かりも期待できないので、いくら虫が寄って来るとは言えライトは欠かせなかった。たまに口の中に飛び込んでくる奴がいるが、あまり気にせずにペッと吐き出す。最悪なのは、呼吸と同時に飲み込んでしまって気管支に入ることだ。


「薄い…ネックウォーマーとかあれば……フゥ……便利なのにな」


「来年の後輩に……ハァ…伝えようぜ」


 誠は身体強化を、万は右腕を燃やしながら同時に身体強化を発動している。能力的には仕方が無いが、やはり虫が寄って来る。先程から万は燃え盛る腕で虫を追い払っているが、まさか人力で飛んで火にいる夏の虫を再現するとは。ヘッドライトいらずの明るさだが鬱陶しそうだ。


 そして、この先頭集団に喰らい付いているのは誠と万だけではなかった。


「……フッ……フッ……」


 ゆらゆらと火の玉を揺らしながら、誠たちを執拗に追いかけてくる男が一人いた。彼の後ろにはかなりの間があり、誠たちを追いかける彼を含めて第一集団といえるだろう。


 その男――高村孝太郎の能力は身体を強化するものでは無いが、鍛えた体と粘り強い精神力で先頭から離されまいとしていた。


「妖怪でも出たのかと思ったぜ」


 万の言う通り、人魂のような火球が必死の形相を照らし出していて、孝太郎の額に滴る汗までが鮮明に見え、まるで死人でも出たかのようだった。


 ――かなり疲れが溜まってるんじゃないか?


 孝太郎は初日の競争でも、並居る強化系能力者を抑えて9位に入っていた。恐らく、相当の無理をしたはずだ。一回睡眠を挟んだと言っても疲労はすぐに抜けるわけではないし、この研修中に休まる時があるはずもない。むしろ二日目の終わりも近い今だからこそ、この二日間の疲労が析出してくるはずだ。


「あんまり無理すんなよ」


 この簡単な言葉が誠の口からはどうしても出なかった。自分が孝太郎にそんな言葉を掛けたとしても、逆効果なのは目に見えていたからだ。

 孝太郎が同じ二種持ちである誠を意識しているというのは、昼の模擬戦を見ていたクラスメイト達にもなんとなく伝わっていた。模擬戦が終わった後、孝太郎自身は隠していたつもりなのだろうが、うっすらと赤くなっている目元にはまだ涙が残っていた。

 何故、孝太郎がそこまで勝負にこだわるのか。誠には全く見当もつかなかった。



「ハッ…ハッ…ハッ……」


 呼吸の感覚が短くなってきた。基地を出てからどれほど走ったのかは分からないが、まだ二時間もたっていない。距離にして10kmは流石に超えただろうか?

 登り道で、さらに重い荷物まで背負っている。夜道で後ろも前もぼんやりとしか見えず、とうとう先頭集団が見えなくなった。


「誠、大丈夫か?」


「……ヤバいかも」


 誠がかなり気を吐いているにも関わらず、万はまだ余裕がありそうだった。防衛高に入るまで格闘技を続けていたらしく、ロードワークにも慣れているのだろう。身体強化で強引に体を動かしている誠とは違い、ランニングの姿勢が自然体だった。


「先に行っても大丈夫か?」


 顔に滴る汗を拭って、万は聞いた。顎の古傷が炎に照らされて影が出来ていた。

 答えるのも億劫だった誠はポンと万の背中を叩くと、軽くうなずいた。


 万の燃える右腕が次第に小さくなって、やがて夜の闇に消えた。


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」


 口を大きく開けると夜の冷たい風が入ってきたが、それでも肺に行き届く酸素が足りない。


 ――これでも、水泳部じゃ1500の選手だったんだぞ……。


 1500m自由形は、競泳種目の中で一番距離の長い種目である。中学校の水泳部でも、1500mを好んで泳ぐ選手は変態呼ばわりされていた。

 体力にはそこそこ自信のあった誠だが、防衛高とは全国区から体力自慢や能力の優れた学生が集まる場所である。殊、走力という観点においては身体強化を使っても足りなかった。


 気が付けば、足が止まっていた。


 心細いという段階を既に通り越して、恐怖という感情まで麻痺していた。暗闇に一人で、自分の呼吸音が無ければ虫の鳴き声が響いているだけだった。

 道路に座り込んでしまうと二度と立てなくなる気がしたので、誠はゆっくりと歩きながら呼吸を整えた。


 背嚢の両脇に差してあった水筒に手を伸ばし、少し口に含んでから帽子の上から頭に水を掛けた。

 夜の山から降りてくる新鮮な空気が、熱のこもった頭を冷やしてくれた。

 しかし先輩からは、あまり水を掛け過ぎないようにと注意されていた。水を被ることで確かに体温は下がるが、足に掛かり過ぎると足元が水でずぶずぶになり、足裏の皮がめくれるそうだ。

 誠はカラオケの中で見せてもらった先輩の足裏を思い出していた。通年の訓練によって足の皮は厚く堅くなっており、全面が金属のようだった。


 気が付くと、また足が止まっていた。


 一度足を止めてしまうと、辛い時にすぐ足を止める癖が付いてしまう。誠は再び先輩の言葉を思い出していた。せっかく先輩に沢山のアドバイスをもらっているのに、自分がこんなに情けなかったら活かす意味がない。

 せめて足を止めないように、ゆっくりと歩いた。


 この夜間行軍では、もともと歩いて夜の富士に登っていたらしい。そりゃあ名前が夜間行軍というのだから、それが当たり前なのだろう。しかしいつの間にか走って富士五合目を目指す競争に変わり、今では半数以上の生徒が走っているという。


 ――体力に自信の無いヤツは、後ろの方から歩いて来るって言ってたっけな。


 元々が歩く行事なので、そういうのも許されているらしい。

 その時、誠はふと気が付いた。


「…………このクソ足が」


 無駄な事を考えると、すぐに足が止まってしまう。雑念を振り払うように短い距離だけ全力でダッシュしたが、10mほど走ったところで歩いてしまう。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 いつの間にか身体強化も解けていた。なるほど、道理で足が重いはずだ。


 誠は身体に強化を掛けようとしたが、何かいつもとは違う抵抗感を感じた。思った通りに動かない体に怒りを覚え、誠は強引に身体強化を発現した。多少足は軽くなったが、疲れ切った現状では、おまじない程度の効能しかなかった。





 ――ザッ、ザッ、ザッ


 道路脇に落ちている木の枝や葉を、半長靴で踏みしめる音が聞こえた。後ろからだ。

 誰なのかは分からないが、誠はせめてコイツにだけは抜かされないようにとペースを上げた。すると後ろから追いついてきた奴も同じようにペースを上げて、誠の横に並んだ。


 小さく燃える火球が、男の横顔を紅く照らしていた。


 孝太郎はそのままペースを上げ、誠を抜かしにかかった。


 ――まだペース上げるのかよ。


 孝太郎の表情はさっきよりひどく見えた。風に揺れる火球に照らされていたその肌は蒼白で、汗も少ない。脱水症状だろうか。

 孝太郎の背嚢には水筒が一本しか差さっていなかったが、水の音は聞こえない。


 誠にはもう余裕が無かったが、これはいけないと思って無理してペースをあげた。孝太郎の横に並び、まだ手を付けていない方の水筒を差し出す。


 気の利いた声を掛ける余裕は無く、孝太郎の前に強引に突き出した。しかし孝太郎はそれを押しのけて前へ進んだ。

 誠はもう一度孝太郎に並び、水筒を差し出した。


「……ハァ。おい、飲めよ……ハァ……空なんだろ」


「……ハァ……いらねえ。自分で……フゥ…出せる」


「そんな、弱弱しい炎で………、説得力、無いんだよ。もう水も出せねぇんだろ」


 孝太郎の横に浮かぶ炎は、明らかに弱っていた。後少し風に晒されていれば消えてしまいそうだ。

 大方、自分で水を生み出せるからと思って、持ち運ぶ水の量を減らしたんだろう。

 荷物は軽いほうがいい。孝太郎の場合何が最初に断捨離候補に浮かぶかと言ったら、やはり水だろう。しかしすでに疲弊しきっていて、水も満足に生み出せないのは明白だった。


 誠は弱った身体強化で孝太郎の肩を掴み、強引に足を止めさせた。


「離せ、邪魔するな!」


「出来るかよそんな事。死にそうな顔してる癖に!」


 水筒の蓋を外し、誠は孝太郎の口へ強引に水筒を突っ込んだ。


「やめろ!」


 孝太郎は水筒を振り払った。水筒は水をまき散らしながら宙を飛んだ。水が火球に掛かり、僅かな蒸気を残して孝太郎の明りが消えた。

 からんからんと、空になった水筒がコンクリートの地面を転がる乾いた音が響いた。

 二人とも極度の疲労と脱水で、まともな頭が残っていなかった。


「なんで邪魔したんだよ! 俺に抜かされるのがそんなに嫌だったのか!?」


「なわけあるか。放っておいてもすぐに脱水で倒れるヤツを止めたりするかよ!」


 誠を置いて再び走り出そうとした孝太郎だが、糸が切れた操り人形の様に、急に膝から崩れ落ちた。

 誠はもう一度、残っている水筒を差し出した。


「いらねえって」


 孝太郎は道路脇のガードレールにしがみつき、震える足を誤魔化して立ち上がった。

 誠の頭にもだんだんと血が上ってきて、意固地になる孝太郎に怒りが募っていた。


「なんでそんなに意地を張るんだよ? 俺が同じ二種持ちだからって、ここまで避けられる筋合いはないし、お前がそんなに無茶する理由にもならないだろ!?」


「……憐みか。自分より弱いからって下に見てるんだろ?」


「そんなこと無い! 俺はなんでお前がそんなに突っかかって来るのか本当に分かんねんだよ。くだらない事に巻き込まれるのは、もう御免だ!」


「くだらない……だと? そういうのが傲慢だって言ってるんだよ!」


 どこにそんな力が残っていたのか、孝太郎は万力の力を込めて誠につかみかかった。

 襟首を抑えられた誠はすぐさま反撃し、孝太郎の胸倉をつかんで押し倒し、地面に押さえつけた。


「傲慢? 今初めて聞いたよ! そんなの言葉にしなきゃ分かんねえだろ!」


 爆発音が響いた。


 誠は背中に熱い衝撃を感じて、思わず手を離した。孝太郎が背面に火球を作り出し、爆発させたのである。

 孝太郎は誠を蹴り上げようとしたが、逆に身体強化の乗った拳を腹に受け、のけぞった。激痛を無視して立ち上がると、お互い取っ組み合いになって頭が至近距離でぶつかった。


 模擬戦とも呼べない、技術も何も無い、ただのみっともない喧嘩だった。

 そして――、



 ――ガラリ


 それは、経年劣化して錆びついたガードレールに、二人の体重が乗った時だった。

 ガードレールはまるで粘土のように折れ曲がり奈落へと二人を誘った。足がグリップを失い、一瞬の内に天と地が逆さまになった。











 0130。富士五合目駐車場。

 富士山に連なる道路はここまでであり、これ以上登るには登山道を利用しなければならない。一般の登山客もいる中、流石に狭い登山道を400人で埋め尽くすわけにもいかず、夜間行軍は五合目で折り返しとなる。

 五合目の教官に自分のクラスと出席番号を伝えて、昼までに下山するのだ。


 ヘッドライトや携行灯などを手にした学生がぞろぞろと列をなして歩いていた。最後尾近くにもなると全員が歩いていた。わざわざ走るような向上心のある学生もいるが、夜間行軍は元々歩く行事である。10㎏超の荷物を持ちながら夜通し登るだけでも、十分すぎるほど辛い。


 学生の少し後ろから、富士合同基地の兵士と防衛高の教官たちがやってきた。これが最後尾の目印である。


「中条指導主任、一学年はこれで最後の学生になります」


「……最後だと?」


 報告を受けた中条は眉をひそめた。

 今回の夜間行軍に参加している学生は正確には400人ではない。体調のすぐれない者や能力訓練中に怪我をしてしまった学生などは、麓の合同基地で楽しい特別座学授業をしている。登って来る途中に何らかのアクシデントによってリタイア者が出た場合は、最後尾からやってくる教官らによって報告があるはずだ。

 しかし、それでも二名ほど足りない。


 ――高村孝太郎、そして……櫻野誠か。


 櫻野誠は、防衛軍陸将の武田から直々に探るなと言われた学生であった。中条は、誠が何かしらの重大機密に関わっているか、もしくは重要人物の関係者だろうと目星を付けていた。


 ――高村学生は、確か高村陸将補のご子息だったな。それ以上の重要人物となると…………まさか、武田陸将の孫ではあるまいな!?


 何にせよ、陸将から名指しで訳アリだと言われた学生の所在が分からない、というのは少々不味い。指導主任としての管理責任が問われる問題だった。


 中条は無線機を取り出して、麓に待機している桑名へと連絡を入れた。


「桑名。お前のところの高村と櫻野学生が、五合目に来ていない。恐らく登って来る途中の何処かにいる。車で探せるか?」


『……あの二人が?』


「――何か心当たりがあるのか」


『……いや。すぐに向かう』


 中条と桑名は、これでもかつての同級生だ。中条は赤烏(せきう)寮、桑名は青嵐(せいらん)寮の寮長をやっていて、三年時にはクラスメイトだった。昔はあの武田の下で散々扱かれたものだ。

 だからこそ、中条は桑名の声から何かを感じ取った。すぐに無線は切れてしまったが、焦る桑名の表情が目に浮かんだ。


「後できっちり聞かせてもらうからな」











 ジェットコースターに乗った事はあるだろうか?

 落下しているのにも関わらず、何故か同時に上へと内臓が持ち上がっていくような奇妙な感覚。それを三倍くらい強烈にしたやつが、瞬時に身体を襲った。

 真っ逆さまに岩棚を滑り落ちていく。


 ――死ぬ。


 夜闇で底が見えなかった。ヘッドライトの明かりに照らされて、岩肌に生えた苔がわずかに鈍い光を反射している。


 ――身体強化を……!


 両手足を限界まで伸ばして岩壁に張り付いた。

 落下速度に負けて足が弾かれ、手の爪が割れる。それでも血の吹き出る指を壁に突き立て、必死で食らい付いた。


 ふと孝太郎と目があった。


 こちらに手を伸ばしているが、全く届きそうにない。表情はよくわからないが、ただ焦りだけは感じ取れた。恐怖は無かったと思う。そして直接地面に叩きつけられれば、恐怖を感じる前に死ぬだろう。


 ――空間系能力で……!


 僅か直径1mの穴で、もし孝太郎を受け損ねたらどうなるかは分からない。だが、やるしかない。


 誠は凄い勢いで落下する孝太郎の下、地面すれすれのところに穴を開けた。無重量空間につながる、あの穴である。


 孝太郎は背中から落下し、しかし首と足を穴の外周にぶつけながら何とか収まった。


 ――よし……!


 身体をくの字に曲げながら穴に入っていく孝太郎を見ながら、誠は地面に激突した。

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