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防衛高の日常  作者: 兄鷹
第一章 始まりを告げるラッパ 編
7/19

6ちっぽけな矜持

 水曜日。いつも通り起床ラッパで目が覚めた誠は、すぐに迷彩柄の戦闘服に着替えを済ませて、枕元に準備しておいた迷彩柄の背嚢(リュック)を背負った。戦闘用の服装は、帽子まで迷彩柄だ。

 中身は小型のテントと四日分の食料、雨具や着替えに、先輩たちからアドバイスされた品物を全部詰め込んだら、10㎏以上になってしまった。全身迷彩のこの格好は、立っているだけでかなり負担がかかる。富士山研修では銃を担ぐことは無いのだが、その内担ぐようになれば、弾薬と銃を合わせてもっと重くなるらしい。

 結局一昨日の能力検証はあやふやで終わってしまったが、その時にでも能力の使用許可を再考してくれないか頼み込むべきだった。今になって、とても後悔している誠だった。


 一階に降りると、すでに起床して準備を終えた一学年の学生たちが集まっていた。集合に遅れたのかと思ったが、どうやら違うらしい。


「え、食料がいるってマジ?」


「……どうやって四日間乗り切るつもりだったんだよ」


「でも戦闘服とブーツさえあればいいって……」


「嘘に決まってる。支給が無くても四日間過ごせる装備じゃないと不味いだろ」


「……購買行ってくる!」


 防衛高の中にある店は、中央棟の売店だけではない。敷地の北側にはコンビニや食料品店、理容室、クリーニング、電気製品、スポーツ用品等、外に出なくても生活が成り立つほどの店が構えており、それらがある地区は大雑把にまとめて『購買』と呼ばれる。

 なかでも、食料品店では富士山研修の少し前から携行食料をセットで安く売っており、勘の鋭い学生はこれを買う。当日の朝になって気が付くような奴の為に今日は朝から開店しているようで、結構にぎわっている。

 誠は先輩からアドバイスをもらっていたので、携行食料だけでなく甘いお菓子も買っおいた。別に必須のものでは無いが、あるだけで心に余裕が生まれるらしい。コンビニではトランプも売っていたが、流石にこれは買わなかった。


 背負っているだけで体力を浪費するので、誠は背嚢を床に下ろして欠伸をした。のんびりと欠伸が出来るのも、青嵐寮の中が最後だろう。


 0630。バスの乗り込み時間になると、校門の前で待機していた学生たちが動き出す。クラスごとに所定のバスに乗り込み、バスの中で教官の朝点呼を受ける。この時点で忘れ物に気が付いても、もう降りることは出来ない。


 0700。防衛軍仕様の護送バスが動き出し、防衛高を離れる。休日外出時に外へ出なかった者はこれが学校を離れる初めての機会であり、窓の外をじっと眺めていた。


 小学校の遠足ならば、バスの中で遊んだりお菓子を食べたりするのだろうが、ここは防衛高のバスの中だ。バスレクなどは存在しない。

 車内通路に設置されているモニターが動き出し、これから始まる富士山研修についての簡単な説明が始まった。

 桑名教官がマイクを手に、映し出されるスライドに合わせて喋った。


「我々の目的地は山梨にある『防衛軍自衛隊合同基地』だ。これから四日間、そこで能力の基礎をみっちりと叩き込まれる。午前中にはもちろん座学があるし、最終日にはテストもあるぞ」


 誰も文句は言わないが、静かな驚きが伝わってくる。


「そして、二日目の夜から三日目にかけて夜間行軍が実施される。今までの集団行動(練習)の成果を発揮してほしい。かなり厳しいスケジュールであると予測されるが、俺は諸君等なら必ず乗り越えてくれると期待している」


 桑名はそう言うと席を立って、後ろを振り返りクラスAの学生たちを眺めた。

 いつもは適当そうに見える桑名からたまに出てくる期待の言葉や誉め言葉は、なんだか聞いてるこっちが照れくさくなる。集団をまとめる力は全く無さそうなのに、彼の周りにはいつも人がいる。


 ――そういえば、権田寮長先輩もそうだったな。


 彼も普段は苛烈なほど熱血で、人から好まれる性格ではない。しかし時に見せるユーモラスで明るい一面が、人を引き付けているのだった。

 一般に言われている青嵐寮の気質とは、『真面目だが不真面目』だ。どこの怪傑だと言いたくなるが、なんとなく納得してしまう。


「暇だし、何かしよう。誰かトランプを持ってきた学生はいないか?」


「桑名教官。自分が持っています!」


「……流石だな白鳥学生。俺にブラックジャックで勝てたらグミをやろう。禁煙にいいぞ」


 最初から青嵐にどっぷりな万はともかく、二年もすれば誠もああなってしまうのだろうか。本当に持ってきている奴がいるとは思わなかったのか、桑名教官も若干引いている。


 なんだかんだで移動時間も盛り上がり、皆でワイワイと騒ぎながら富士山麗の基地へ向かったのだった。












 クラスメイト達は友達と話したり、教官とトランプをしたりして楽しんでいる。バス酔いで静かに外を眺めているヤツもいるが、基本的にはうるさくして盛り上がっている。


 ――こんなはずだったかな。


 高村孝太郎(こうたろう)は心の中で呟いた。


 防衛高とは学生たちで切磋琢磨し、厳しい教官の指導に耐えて高みを目指す場所ではなかったのか? 少なくとも、孝太郎はそれを望んでいた。

 クラスの雰囲気がこんなに緩くなった原因として考えられるのは、白鳥と桑名教官だ。あいつら一人ずつならどうにかなったが、二人で同調して場の空気を乱すもんだから手に負えない。教官に面と向かって逆らう訳にはいかないが、孝太郎は静かな怒りを抱えていた。


 ふと、万の横に座っている誠が目に入ってきた。だが何も見なかったことにして、ぷいと目を逸らした。


 ――俺は一番にならなきゃいけないんだ。あんな奴らにかまっている暇なんてないだろ。


 自分の感情に名前を付けることが出来なくて、孝太郎は妙にむかむかした。












 0900。二時間ほどバスに揺られた後、誠たちは富士山麓の合同基地に着いていなかった。もう一度言うがまだ到着していない。にもかかわらずバスは停車し、誠たち一学年の学生は下車を促された。


「どこだここ」


「なぁ、あの遠くに見えるのって合同基地じゃないか?」


「あの小さいやつ? まさかぁ」


 しかし、学生たちの嫌な予感は的中した。


「今から諸君等には、富士山研修でお世話になる防衛軍基地まで自力で歩いてもらう。早く着いた奴から順位がつくが、遅い奴が出たクラスには連帯責任を取ってもらうつもりなので、覚悟しておくように」


 指導主任の中条がそう言うと、行動の早い者たちは我先にと小走りで基地へ向かい始めた。だが今の話を聞く限りではクラスで連帯責任が存在するらしい。しかも罰の内容や、時間の基準なども明かされていない。


「……桑名教官、自分が皆の荷物を運ぶというのは……」


「もちろんダメだ」


 一応聞いてみたが、やはり駄目らしい。1tという偽の上限を守った上でいけると思ったのだが。

 問題を解決できる能力があるのに使用が許可されず、その上連帯責任を取らされる可能性があるなんて納得できなかった。


 誠がクラスメイト達の元へ駆け寄ると、天野桔梗(ききょう)が声を張り上げている所だった。


「体力に自信の無い者や荷物の多い者、乗り物酔いの酷い者は、余裕がある者に荷物を分けるんだ。負担を少しでも均一化して、皆で乗り切ろう!」


 桔梗がいつの間にか、クラスの委員長っぽくなっている。


「櫻野君。君の空間系は使えないのか」


「……ズルいからって、教官から使用禁止令が出てる」


「ならば仕方が無いか。だが、櫻野君も少し手伝ってくれ。君のもう一つの能力、強化でも十分に役に立つ」


 指示されるがまま、誠は少し多めの荷物を持って立ち上がった。身体を強化すれば余裕だがいつまで持続するのかが問題だ。能力の持続性に課題があるのは、空間系の検証の時に明らかだった。

 誠や万のように能力の一部に身体強化がある者、体力に自信のあるものが負担を多く背負い、そうでない人をサポートする。空間系の使用が禁じられている今は、これがベストな選択肢だと思えた。



「高村君。君にも手伝って欲しい」


 桔梗が、自分の荷物だけを持って出発しようとしていた孝太郎に声を掛けた。孝太郎は面倒くさそうに振り向いた。


「『遅い奴』の基準が分からないのにか? 俺は一人で行く。悪いけど、順位が付くもので負けたくないんだよ」


 そう言って彼は背嚢を背負い、先に出発した人達を追いかけていった。

 別に、孝太郎の選択が間違っているとか、正しいとか、そういう事が問題なのではない。一人で先に行ってしまった人なら他にもいるし、孝太郎が順位を狙いたいというなら他人は邪魔すべきではないと思う。


 ――ただ、今のはどうなんだろう。


 今までの誠なら、自分それぞれのやり方があるのなら、それでいいじゃないかと思っていただろう。しかし、今の孝太郎の発言は明らかにクラスの雰囲気に楔を入れた。それは少し頂けない。


 中学校までの誠なら、そんなことは気にしなかっただろう。

 この一週間先輩や同級生たちと交流することで、考え方が少し前向きに変わってきたという事に、誠自身はまだ気付いていなかった。




 皆で協力し合うという戦略が功を奏したのか、最終的にクラスAはまずまずの順位で基地に着いた。突出して早かった者がいなければ、飛びぬけて遅い者もいなかった。連帯責任の基準がどうなるかは分からないが、なんにせよ罰から一番遠いクラスはAだと胸を張って言える。と思っていたのだが――、


「遅い。一番早い者でも一時間以上かかっているではないか! 貴様ら全員空気イス十分だ!」


 という事で、全員で仲良く空気イスをすることになった。解せぬ。

 孝太郎は後から出発したにも関わらず、9位という好成績を残していた。10位以上が強化系の能力者ばかりだという事を踏まえると、本当に頑張ったのだろう。文句ひとつ言わずに空気イスに耐えている姿が印象的だった。


「9位って、凄ぇじゃん! 周りは殆ど強化系だったろ」


「……別に。本当は一位を狙ってたんだよ」


 万が話しかけても、孝太郎はうんともすんとも言わなかった。

 いくらコミュ力が高くても、やはりコミュニケーションを取ろうとしない相手と話すのは難しいんだなと、妙に納得した誠だった。


 どうやら、孝太郎は万を意識している節があるらしい。敵対意識というよりはライバル意識と言うべきか、万の事を目で追っている回数が多い気がする。


 そんな事を万に話したら、まるで鈍感系主人公を見る脇役みたいな顔をされた。


「……人って自分の事になると、やっぱり盲目になるんだな」


「急にそんな一般論を語られても……。どういうことだよ」


「孝太郎が一番意識してるのは、俺じゃなくてお前だよ。俺の事を目で追ってるって、それは俺の側にいる誠を見てるんじゃないのか?」


 ……思い当たる節が全くない。他人の視線には敏感な方だと思っていたが、どうやら自分は本当に鈍感系だったようだ。


「そりゃお前、同じ二種持ちだからライバル視してるんじゃねえの?」


 誠はそう言われて、自己紹介の時を思い出した。自分の直前だったからか緊張でよく覚えていないが、確か彼は火と水を操る二種持ちだった気がする。

 ともかく、健全なライバル関係を築いていけるのなら、誠としては特に思う事は無かった。それに、自分が孝太郎のライバルとして相応しいとは全く思っていなかった。たったの一週間だが同じクラスで孝太郎を見てきて、彼の努力家ぶりには驚かされてばかりだった。今日の9位という結果も、彼の努力の賜物だろう。


 ――何が、彼を焦らせているのか。


 誠は今までの孝太郎を思い出してみたが、やはり何も思いつかなかった。











 少し早めの昼食を取った後、お世話になる宿舎に荷物を運び込んでから富士山研修の簡単なガイダンスを行った。これからお待ちかねの能力を扱う訓練をして、食事と風呂の後に午前中に出来なかった授業をするらしい。寝る時はその宿舎内の布団を貸してもらうそうで、寝袋や携行テントを持ってきたのは全くの無駄骨と言えた。


 二日目は午前中に座学、午後は一日目と同じで、食事の後からが少し違う。事前に告知されていた通り、二日目の夜から三日目にかけて夜間行軍の訓練が実施されるのだ。場所は富士樹海のど真ん中。学生は携帯端末も持っていないので、はぐれたら遭難する可能性を覚悟しなければならない。


 三日目はその後、座学の授業をしてから就寝する。四日目の朝一番に開催される座学のテスト対策の為に寝ないで勉強しようとする学生が多いらしいが、相当徹夜に慣れていないと二徹は難しいらしい。ほとんどは夜間行軍の疲れからか、途中でぐっすりと寝てしまうそうだ。


 四日目の朝にテストをして、その日の内、土曜の午後には防衛高に戻る。休息は日曜日だけで、月曜からは通常授業に戻るという地獄のスケジュールである。


「これを乗り越えないと、防衛生を名乗る資格は無いぞ」


 新入生歓迎会でも聞いた様なセリフだった。入試に合格したとしても、背中叩きに始まり新入生歓迎会(着工式)に富士山研修と、防衛生になるために必要とされる関門が多すぎる。一体いつになれば防衛生を名乗れるのだろうかと、誠は疑問に思った。


 次に能力訓練が控えているからか、授業があまり頭に入ってこなかった。数学はともかく、古典を勉強して何かに役立つことはあるのだろうか。



 半長靴と呼ばれる厚いブーツに、迷彩柄の戦闘服に帽子。簡単に装備を済ませた後、合同基地の広い演習場を借りて能力訓練が始まった。クラスごとに教官の指導を受けるのだが、念のため基地の防衛隊職員も数人ずつ動員されている。

 クラスAを担当してくれるのはまだ若い防衛隊員たちで、学生たちとそこまで年齢差は無いように思えた。


「提出してもらった能力の事前調査資料で、諸君らの能力については簡単にだが把握している。我々もしっかり安全対策をしているので、気兼ねなく能力を発現してほしい」


 隊員の一人が前に出て、言った。


「ただ、一つ忘れないでくれ。諸君らや私たちが持つ『能力』とは、従来の人間から大きく逸脱したものであるという事を。能力は便利なもので、上手く使えば社会の役に立てることが出来る。しかし、一歩違えれば簡単に人を殺傷できる武器にもなる。常にそのことを胸に刻み、これからの訓練に励んで欲しい。能力者として、諸君らの先輩から言えることは、それだけだ」


「……今説明があった通りだ。各自細心の注意を払いながら訓練を行うように」


「はい!」


 隊員の話を受けて桑名教官が一言付け加えた。









「お久しぶりですね。桑名()()


「よせ、新堂()()。生徒たちに聞かれる」


「別に困ることは無いでしょうに」


 クラスAの学生たちが隊員の指導を受けながら、能力を安全に発現できるか試している中、先程前で挨拶をしていた隊員が桑名に詰め寄ってきた。


 男の名は新堂(しんどう)(あらた)。若く見られることが多いが、こう見えて桑名の二つ下の後輩である。


「先輩も来年には40ですか。時の流れは早いものですね」


「変わらない物もある。お前のふざけた名前がそうだ」


 軽口をたたき合うその姿は、青嵐寮で共に過ごした日々から全く変わっていない。


「それにしても、流石先輩が担当しているだけあってこのクラスは優秀ですね。能力の暴発がまったくない」


「嫌味か? まだ能力を用いた授業を行っていないことはお前も知っているだろう。今の段階では、まだ個人の才能に寄るものが大きい」


 やや興奮しながら能力を発現させる学生たちを見て、自分たちがそうだった頃を思い出した。今まで封じられてきた能力を思う存分発揮でき、新しいおもちゃを与えられた子供の様に喜ぶ姿を――。


 新堂が先程述べたように、クラスAは全体的に優秀な部類だった。例年なら緊張や焦りで能力を上手く発現出来ない学生が数人いるのだ。悪い時には能力を暴発させてしまい、周りにけが人を出す者もいる。

 そんな優秀なクラスAにおいて、突出した才能の原石を輝かせる者もいる。


「あの高村孝太郎って子は凄いですね。きっと隠れて能力の練習をしてたんだろうな」


 新堂の視線の先には、空中に火と水を浮かべて自在に操る学生がいた。二種持ちという稀有な才能ももちろんだが、それを使いこなそうとした努力の跡が垣間見えた。

 防衛高に入るまでは『能力封じ』が付けられていたはずなので、入学してから一人で隠れて練習していたのだろう。


「高村か……。彼は高村海将補のご子息だそうだ」


「……海将補閣下も、さぞ鼻が高いでしょうね」


 将補とはつまり、陸海空将の次に偉い防衛軍の幹部である。そこまで上り詰めれば、政府内のキャリア官僚よりも高い地位と給金を得ることが出来る。


 クラスメイトや隊員から歓声を浴びて、誇らしそうに能力を発現する高村を、桑名は黙って見つめていた。


「しっかし、それ以上に凄いのが……」


 新堂は一旦間を置き、もう一人の学生の方に向き直った。


「櫻野誠か?」


「ええ。彼はなんというか……自然体、ですね。まるで能力を体の一部として扱っているようだ。とても新入生とは思えない。汎用性の高い強化系能力と、空間系の二種持ちってのも良い」


 新堂が手元の資料を叩きながら言った。そこには各学生の能力が記載されているが、櫻野誠の欄だけは曖昧な書かれ方をしていた。入学当初の学生の能力など、詳しいことは大抵分かっていないので、特に不振に思われることは無かったようだ。


 身体を強化してその場で飛び跳ねたり、出現させた穴から木刀を取り出してさらに強度を高めたりと、好き放題やっている誠の周りには、いつの間にか大きな人だかりが出来ていた。


「……」


 不思議なものだ。櫻野誠には、何故か人と深く関わることを避けている節がある。仲の良い友人を数人作ったら、あとはその殻に閉じこもる様はまるでヤドカリのようだ。しかし彼の周りには人が集まる。人としての魅力がそうさせるのではなく、目立つ能力が原因でそうなっているのだろう。


 そして、それを少し離れた所から見ている高村孝太郎。


「歪だな」


 孝太郎の反応は少し大げさだが、教官として理解できないほどの物でもない。こういった事例は数多く見てきた。問題なのは、誠の側にそれを受け止める器量が無い事である。

 何故自分の周りに人が集まるのか。あまりに自然に能力が使えるせいで、誠はその原因に気が付いていない。


「考えようによっては、健全な関係と言えるのでは? 防衛軍を志す若者とはいえ、彼らはまだ中学生気分の子供だ。アレくらいどうって事ないですよ。多少衝突しながらの方が仲は深まります」


「だといいがな」


 桑名は表面上納得したように見せたが、しかし櫻野誠に関する不安はそれだけではなかった。

 彼の空間系能力に関する実験を行った後、桑名は誠の入学時の資料を調査した。彼の保護者欄にあった名前は『櫻野兼一』と『櫻野加奈子』。両者の続柄はともに『父母』となっているが、彼らの能力に関する記載は見つからなかった。

 そう。何も見つからなかったのだ。

 挙句、彼の親族関係を調べようとした矢先、それに関する情報に対してかなり強い閲覧制限が課せられているのを発見した。


 ――調べるな、という事か。


 桑名はただ閲覧制限(それ)を見なかったことにして、事実を上官に報告したのだった。


 報告は思わぬ形ですぐに返ってきた。










「久しぶりだな中条」


 その日の夜。指導主任の中条晃の元へ、予想だにしなかった来客があった。


「武田教官!……いえ、武田陸将殿。どうしてこちらに?」


「ただの視察だよ。それより、桑名はいるか。新入生の事で少し話があってね。君も同席したまえ」


 六十を過ぎた今でも壮健な体躯、胸元に光る陸将のバッチ。日本防衛軍でその頂点に君臨する将の一人、武田信綱(のぶつな)が富士の合同基地を訪れていた。

 武田信綱はまさに日本の頂点だ。形式的な意味ではなく、実力的な意味で。30年前に東京の半分を失った新宿事件、その主犯格を倒したのがこの武田信綱である。事件当時に致死傷を受け、今も後遺症に苦しんでいるが未だ現役の陸将である。

 そんな彼が『ただの視察』に来れるはずがない。もし基地に来ることがあるとするならば、末端の兵士まで事前に通達が行き届き、厳戒な警備体制を敷かれた上で来るはずだ。国家級の能力者が移動する時には、他国への配慮を欠かせない。これは軍人でなくとも知る常識である。


 中条が武田を見つけた時、最初に考えたのは偽物の可能性である。しかし中条は武田の顔は嫌になるほど眺めてきたし、その可能性は無いと断言できた。中条は防衛高時代だけでなく、卒業後も武田の部隊で長く勤めてきたのだ。


 問題なのは、訪れてきた用件の内容である。心当たりがあるとすれば、先日桑名に頼まれた学生の事だろうか。


「武田『櫻野誠学生について話があります』とだけ伝えて欲しい」


 桑名の言葉を思い出し、中条は思慮を深めた。しかし、一人の学生の件で陸将が動くとは、どうしても考えられなかった。



 時はすでに夜で、学生は夕食も風呂も済ませている。自習時間なので勉学に励む者が多いが、外で能力発現の訓練をする学生もいた。

 教官の仕事も丁度ひと段落したところで、桑名はすぐに捕まった。


「武田陸将! 一体何故?」


「はは、変な事を聞くな。用があるのはそちらではないのかね」


 武田の一言一言に、桑名は慎重に聞き入っていた。桑名が連絡してきた時に、中条自身も櫻野誠という学生については調べてみた。強化と空間系の二種持ちというやや珍しい能力を持っているが、入試時の面接や学力調査では目立ったものは見られない。


「用件だけ単刀直入に言おうか。年寄りの長話は倦厭されるからな…………。

 桑名教官、中条主任。櫻野学生の件については、これ以上詮索することを許さん」


「……!」


 ただの業務連絡に陸将ほどの大物が出張ってきて、そして何も調べるなと言う。

 これはもはや、裏に何か大きな事があると言われているようなものであった。


「彼は櫻野夫妻の子供なのでしょうか?」


 桑名は短く言い放った。中条はさっそく言いつけを破った同僚の顔を睨んだが、桑名は全く動じなかった。


「夫妻には強い情報統制が敷かれていました。てっきり、在野にいる空間系能力者を守るための配慮だと思いましたが、違いますね? 彼らは『能力封じ』の申請を出していない。つまり無能力者だ」


「桑名教官、君は自分が今何を言っているのか分かっているのかね?」


 武田の疑問ももっともだ。防衛高の教官は能力封じを付けている者の情報を知ることが出来る。それは、将来自分の担当になる学生の能力を知るための措置だが、桑名が行ったことは明らかな職権乱用だった。


「自分の担当する学生が何か問題を起こせば、その責任は担当の教官が取ることになります。責任者に情報を知る権利があるのは当然の事ではありませんか?」


 職権乱用をした時点で、どれほど理論で固めても意味の無い事だった。しかし、桑名には武田がそれを非難しないだろうという確信があった。


 ――だからこそ、こうして()()()()()来てるんだろ。お願いだから内密にしてくれ、ってな。


「…………確かに櫻野誠は、櫻野夫妻の子供ではない。二種持ちは能力者同士からしか生まれん」


「では……」


「そう、彼は養子だ。ただ残念ながら、元の親元は()()()()()


 現役を退いて長く経っているにも関わらず、武田の背から痺れるような覇気が飛んだ。今回の落とし所はここだ、という有無を言わせぬ迫力があった。流石の桑名も、渋々頷くしかなかった。


「……武田陸将殿。本当に、それだけの理由でお越しになられたのですか」


「いや中条、むしろ本命はこっちだ」


 武田は懐から封筒を取り出して中条に手渡した。


「この情報はまだ世間には公表されていない。明日の朝刊で公式に発表される予定だ」


 中条は封筒から一枚の紙を取り出した。短く息を呑むと、それを桑名にも手渡した。

 かつての教え子二人の苦い表情を見ながら、武田は神妙な顔でうなずいた。



「また苛烈な時代が来るぞ。若者の命がいとも簡単に消えゆく時代が……」











 東部戦線異状なし。


 今から二百年ほど前に似たような題名の小説があったらしいが、こちらは西ではなく東だ。


 能力者戦争とも呼ばれる第三次世界大戦において、独仏英の旧EU国が中心となり、大国ロシアと長く争った諸戦争。それらの事跡はまとめて『東部戦線』と呼ばれている。

 能力者の出現によって戦線は長きにわたって膠着し、前線は動かず、死者の数だけが増え続けた。

 能力封じという画期的な発明によって戦争は一応の決着を見せたが、ここに後世の歴史家たちを悩ませる大問題が発生した。それは、能力者戦争の勝者は一体だれなのか?という疑問である。

 二十一世紀初頭から中期まで続いた戦争でどの国も深く傷つき、そしてその戦争が自然に終結したことによってどの国も賠償金を得られない事態が発生したのだ。過去のある高名な政治家が第三次世界大戦を『勝者無き大戦』と呼んだが、まさしくその通りだ。


 勝者無き大戦の後に世界の貧困は加速し、能力封じの小型化、量産化に成功した中国一か国のみが超大国へ踊り出ることになったのだが、それはまた別の話。


 無論、ヨーロッパ諸国の東部戦線もここ数十年は落ち着きを見せていたが、その平和が恒久に続くものでは無いと誰もが分かっていた。


 ロシアによる南下政策の再開。

 それによってドイツ東端の州が戦争状態に陥った。市街地での戦闘も激化し、旧EU加盟国はロシアに対抗すべく援軍をライン川へ続々と集結させている。


 そんなニュースが、富士山研修二日目の朝の学生たちの元にも届いた。

 戦争の再開。防衛軍を志す若者たちにとって他人ごとではなく、遠い異国の戦争ではあるが、厳しい時代の到来を誰もが予感したのだった。

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